第81話
とうとう来てしまった。オケの連中との日光参りの日。
傘がいるかいらぬか程度の霧雨が降っている。
皆んなトイレを済ませ、大学構内のコンビニで軽い朝ごはんやおやつ、飲み物を買ってくる。
「はい、配車はくじ引きとなりま~す」
「車は6台。各々運転手込みで4人ずつで~す」
僕と恵ちゃんは特別にくじ引きなしで、水野の車にしてもらった。
こずえちゃんがグズル、ぐずる。
「正先輩ずるいです。もう、ルールも、友達も、約束も、へったくれもありません」
「何のためのくじ引きですか!」
「そこまで言う。その前に、なぜ僕が行かなきゃならない?」
「恵ちゃんも連れて来たんだよ」
「それは……」
「ねっ。誰からも文句が出ないんだから、許して」
「わかりました……」
こずえちゃんはトボトボとくじを引きにいく。
「私は、隆さんの車になりました」
「残念です……」
「こずえちゃん、僕の車で残念はないでしょ」
隆は笑う。
「さあ、乗って」
ーーーーー
僕らは予約しておいた20数人が入れる部屋へと向かう。
「ま・い・う~っ」
「美味しいね!」
「すっご~い。まいう!」
料理が来るなり、すぐさま皆んなの喜びの声。
「ビール、ルービ!」
昼間っからビールを頼む輩も出て来た。もう早よから宴会だ。
運転手以外の男たち、皆んなビール。もう誰も止められない。
「正くん。ここの中華料理、ホント半端じゃなく美味しいね」
「私、こんな美味しい中華食べたの久しぶりかも。いや、初めてかも」
恵ちゃんは春巻き、2口大くらいで濃い目の焼き色が付いている餃子、プリプリ・シャキシャキで、油通しをしたような香ばしさの具だくさんの五目あんかけやきそばなどに舌鼓を打つ。
「最高、ここの味。味付けにメリハリがある」
「こずえの腰のくびれのようです。メリハリがあります」
こずえちゃんも2度目の来店だが、改めて焼き餃子にご堪能。
「皮はやや厚目、焼き目の部分はカリッとして、それ以外の部分はモッチリしています」
「アンは肉が多めで、食べごたえがあります!」
「正先輩。もっちりしているこずえも食べごたえがありますよっ!」
オケの皆んなの食が進む。
「ねえ、横浜の中華街といえども、ここほど美味しいお店を知らないわよね」
紀香ちゃん、夕子ちゃんも僕らとの2度目の来店。友達と笑顔で舌鼓を打つ。
「お~っ! まいう~」
「う~。まいう」
オケのメンバーは、出てくる料理ごとにその美味しさに感動してる。もちろん、出来立てのアツアツやパリパリ感がいい。ビールも少し度を超えて来ている。
隆も、今回はグルメデートで彼女の里菜ちゃんを連れて来た。大人しい里菜ちゃんも満足げ。隆と色々だべっている。
ニラが大好きなこずえちゃん。ニラ団子が来た。
「皮はサックリ・モッチリで香ばしく,具材はザクザク食感で食べごたえがあります!」
「これは海の生き物でタコかイカかと問われますと、イカです。ニラの風味がイカしてます」
こずえちゃんのギャグは誰も聞いていない。まあ、こずえちゃんも受けなくてもこの場の雰囲気を感じるだけでいいらしい。
「杏仁豆腐おいしいね!」
恵ちゃんが大喜び。
「たっぷりの量で、たくさんフルーツが添えられていて」
「フルフル。滑らかな食感で、口どけ良しだわ」
「杏仁風味はマイルド。少し牛乳風味は濃い目かな?」
「でも、甘さ控えめで、後味スッキリ」
「きっと上質な天然水を使っているんだろうね」
餃子、また追加。
「パンパンでニラもたっぷり。焼き加減最高!」
「もうここの中華、最高!」
「私の乳も貧乳ですがパンパンです!」
皆んな食に夢中。誰もこずえちゃんの言葉、聞いちゃいない。
中華丼、エビチリ、ニラ団子が運ばれて来る。ビールもたんまり入った。皆んな、満腹感が襲って来る。
これから、東照宮、二荒山神社、植物園、そして華厳の滝、ワールドスクエア、温泉なんてスケジュール大丈夫かな?
心配していると、やはり、スケジュールの変更が入る。酒の入っていない、運転手組からの連絡だ。
「え~皆さま。宴たけなわのところではありますが、旅程の変更につきご相談させてくださいませませ」
「このまますぐに、世界遺産『日光の社寺』に向かいますと、おトイレなど、問題がある方が出て来る場合もございます」
「健全な青年として、避けなければならない事態を先読みし、まずは植物園から食後の散歩をすることで決定しました」
「異論はございますか?」
「異議なし!」
やれやれ、まあ、お酒の入った、そんな皆様に植物の可憐さを伝えなきゃならない。
「恵ちゃん、手伝ってね」
「うん」
傘はいらない程度の曇り空。僕は恵ちゃんの温かい手を握る。
ーーーーー
3人ほどが飲みすぎて、駐車場の車中で食休み。あとのメンツは大丈夫。
「さて、駐車場付近に咲いている花から説明するよ」
半月ほど経つと、咲いてる花も少し夏の花に変わって来た。まだ、ウツギ類は咲いている。
「白い花はウツギ。アジサイ科だよ」
「八重になったヤエウツギも園内で咲いてるよ」
「あと、ここでウツギ科にはガクウツギ、イワガラミがある。イワガラミは落葉性のつる性草本」
「お~い正。なんでこれらのアジサイ属の木、ウツギという名前なの?」
「ウツギと言うのは空木といい、茎あるいは枝が中空の樹を一般に○○ウツギと呼ぶんだ」
「なるほどね~」
「単にウツギと呼ばれる樹の花は、別名ウノハナとも言う。夏は来ぬに唄われている」
「う~の花の匂う垣根に」
こずえちゃんが歌い始める。ツアーガイドさんを思い出す。
「ホートトギス早も来鳴きて、忍び音もらす、夏~は来ぬ」
こずえちゃん、歌が上手。教育学部で正解。可愛い、いい先生になりそう。
「ねえねえ、イワガラミって、岩に絡むんですか?」
「そう。名前のとおり、幹や枝から気根を出して高木や岩崖に付着し、絡みながら這い登る」
「私は、タダシガラミです」
こずえちゃんが自己分析している。
「こずえちゃん、可愛いんだから、正への執着を捨てると、すぐに二人静かになるよ」
「俺がフタリシズカにしてあげる!」
どこかで聞いたセリフ。何人かの輩がこずえちゃんに話しかける。
「ねえ、こずえちゃん。モテるじゃない!」
ロックガーデンのところで足を止める。
「わあ。小さくて可愛い花たち」
女の子が優しい目で山野草を見つめる。
「看板に花の名前が大体ついていますから見てね」
皆んな、ガヤガヤ可憐な野草を眺める。
「ロックガーデン、面白いね」
どこからともなくそんな声。
「さあ、前に進みましょう」
「さてウメモドキ、モチノキ科、キジカクシ科のオモトもあるね」
「可愛い! 恵先輩、これなんですか?」
「ミズチドリと言います。ラン科の清楚な白い花ですよ」
「バラ科のカライトソウ、あと、これは珍しい、ツツジ科のギンリョウソウが咲いている」
「ギンリョウソウは、鬼太郎の親父の目玉に似ているね」
「似てる、似てる」
「正先輩も恵先輩もすごいですね」
「なんでそんなにスラスラと植物の名前が出て来るんですか?」
一、二年生の女の子たちが僕らに問いかける。
「可愛い、綺麗、素敵なものを覚えるのに苦労する?」
どこかで使った言葉。皆んなは微笑む。
「さて、実験室前の庭だよ」
「目に飛び込んでくる庭一面の花はトキワナズナだよ。まるで妖精の絨毯」
「ナズナ? ぺんぺん草と同じ仲間?」
誰かが質問してくる。
「いや、違うよ」
「ナズナという名がつくけどアブラナ科ではなく、アカネ科の常緑多年草」
「花言葉は甘い思い出」
林が途切れ開けた場所。植物園内は開放感のある場所と、林の鬱蒼とした場所とがバランスよく配置されている。
丘の林の中にはこの地を好んで散策されたという大正天皇の碑がある。
「大正天皇記念碑脇のクリの木は、当時、大正天皇がこの木に帽子を掛けたことから、御帽子掛の栗の木、と呼ばれるんだ」
「でも、今はすっかり大木に成長してしまい、帽子を掛けられるような木では無くなってしまった」
「さて、時間もあまり無いので、ここから芭蕉池まで、一気に歩こうか」
「そうしよう」
僕が音頭をとり、皆んなが続く。
「着いたよ」
「あれ、芭蕉池なのに水芭蕉がないね?」
「水芭蕉は4月に開花。今はそこら中に見られる、大きな葉になった」
「これはオオマルバノホロシ、ナス科」
「あれはイブキトラノオ、タデ科」
「紫色の菖蒲。ノハナショウブです。アヤメ科」
「ホザキシモツケ、バラ科。日本では、北海道と日光と長野の一部にしかない」
「そしてご存知、ワスレナグサ、可愛い青。ムラサキ科の花だよ」
「実はこれは、増えて増えてどうしようもなくなる」
「素敵な花言葉、Forget me not」
「私を忘れないでと違い、忘れるどころか、どんどん成長し増えていくんだ」
大学の四年間もそうだ。
僕らの思い出も、忘れる間も無く、どんどんと増えていく。
ーーーーー
美味しいものを食べ、植物園の散歩を堪能。
そのあと、日光東照宮、二荒山神社、華厳の滝と、遊んだ遊んだ。
20人を超える大所帯の移動の割には、皆んな行動が機敏だった。
「さて、ワールドスクエアね」
恵ちゃんが、珍しくワクワクしている。
「私、意外にテーマパーク好きなの」
「前回は、正先輩が論文で忙しくて寄れませんでした」
こずえちゃんが僕らに割り込む。
「こずえちゃん。こずえちゃんのファンの子、オケにたくさんいるんだから、そう僕にビッタリ引っ付いてこなくても……」
「今我慢して、後で恋愛しようなんて思っても、恋なんてそう簡単にできない」
「恋愛貯金は、好きな人へしかおろせないんです」
「まだ、18歳のキャピキャピギャルだよ。おろし先だらけじゃない」
「不健康な笑顔で自由を手に入れた私は、気がつけば、本気の恋もしたことがない女になってしまいました」
「でも、神様がいました。やっと会えたのが、正先輩です」
「さて、園内には、身長7㎝前後の小さな住人が14万人住るそうです」
「こずえちゃん、本当? それ、すごいね!」
「はい。その中でも、いつでもどこでも正先輩を探してるんです」
「だ・か・ら、僕には恵ちゃんがいるの。わかって」
「そして、僕はここに、い・る・し」
「誰かのためとか、誰かのせいで自分の進路を決めたらダメなんです」
「キラキラした青春、未来のために頑張って貯金してきたつもりだった」
「いつか女になったらって……。でも恋愛貯金なんて正先輩以外に、今更おろせるわけがない」
「ふふ。こずえちゃん、何一人上手で深刻な話してるの?」
「こずえは女に生まれたんじゃない。女になるために生まれたんです」
隆がやって来た。
「こずえちゃんは、皆んなの人気もので、買い手先バリバリじゃない」
「人のことをゴミだとか言う人間の言うことなんて、こずえ、聞かなくて全然いいんです」
「誰も、こずえちゃんのこと、ゴミだなんて言ってないよ?」
「心がきつい時はきついって言わないと、大人になってからパンクの仕方すらわからない人間になっちゃう……」
「あのさ、改めてこずえちゃんいくつ?」
「18です。もうすぐ19」
「アラサーみたいな言葉、似合わないよ。こずえちゃんをゴミという人、いまも、これから先も永久にいない」
「まあ、気を取り直してサグラダファミリアでも見に行きましょう」
僕らはこずえちゃんを軽くあしらう。
「スペインのサグラダファミリアは、日本名を聖家族教会といい、スペインの建築家アントニオ・ガウディが手懸けたもの」
「東側に位置する門は生誕の門といい、キリストが生まれたときを表わしているの」
「恵ちゃん、詳しいね」
「高校の時、叔父さん夫婦とヨーロッパを10日ほど巡り歩いたことがあるの」
恵ちゃんは話を続ける。
「上には4本の塔があり、中には螺旋階段があるので上まで昇れるようになっているの」
「また、南側に位置する予定の門は、栄光の門といいキリストの活躍を表わす門になるらしいよ」
「上には生誕の門と同じように4本の塔が建つ予定」
「そして西側に位置する門は、受難の門といいキリストが亡くなったときを表わしているので、十字架に磔にされている彫刻があるの」
「この教会は完成すると、キリスト誕生、活躍、死、を表す3つの門がそれぞれできる」
「3箇所の門の上にはそれぞれ4本の塔があるが、この合計で12本建つ予定の塔が、キリストの十二使徒を表わすことになる」
「この教会を設計するためにガウディは、何度も聖書を読み返したといわれているのよ」
「確か、1882年から建築がはじまり、現在もなお建築途中で、完成までには200年以上かかるであろうといわれている」
「恵ちゃん。今、それは違うんだよ」
「3DプリンターやCNCの石材加工機といった先端ITで、2026年頃の完成が見込まれているそうなんだ」
「知らなかった。すごいわね!」
「人類の知恵と精神力の賜物だよ」
「天才ガウディも、3Dプリンターの出現までは計算に入れていなかったみたいだね」
「こずえちゃんの恋も、3Dプリンターみたいなもので叶うかもね」
恵ちゃんがそういうと、
「そうだ! まるまるコピーした正先輩を、恵先輩にあげるです! もちろん、たってるところ」
「はいはい」
僕のたっているところ? 何? それ。
こずえちゃんの突拍子もない思いつきに、恵ちゃんは優しく微笑む。