第80話

 

「どうしてそうなる?」

 

オケからも研究室からも出た簡単な答え。僕が水・木、二日間とも日光に行けばよい。

 

「あのさ、今度こそ勘弁してよ。マジで……」

 

「あらあら、正くん。大変なことになっちゃったね」

 

「恵ちゃんも、肯定を前提としたコメントは控えてよ」

 

恵ちゃんは笑いをこらえて、口に手を当てている。

 

「わかった。じゃあ、こうしよう」

「僕は二日とも行く」

 

「おおっ!」

 

大樹と義雄が嬉しそうな顔で唸る。

 

「その代わり、対価をもらう。お金じゃないよ。奉仕で」

 

「奉仕?」

 

「ああ。卒論研究の手伝い。洗い物、してもらう券6枚綴り」

 

「大樹と義雄で合わせて6枚」

「3枚ずつでもいいし、2枚と4枚に分けてもいい」

 

「僕の酵素実験終了後の器具の洗い物は、一回あたり通常2時間ほどかかる」

「細かいパーツもたくさんある」

「その洗い物を、してもらう券」

 

大樹と義雄が二人でヒソヒソ話す。

 

「その話乗ったよ」

 

「私は何をすればいい? 私にしてもらう券」

 

恵ちゃんがクリクリとした眼差しで僕を見つめる。

 

「僕のかばん持ち、2枚かな」

 

「わ~い! 私も行くの? 二日とも。嬉しい!」

「で、夜の部は……?」

 

恵ちゃんは上目遣いに問いかける。僕は耳元で小声でささやく。

 

「それは、してあげる券。後でね」

 

「な~に言ってるの。させてもらう券でしょ」

 

「じゃあ、させてもらう券の賞味期限は?」

 

「和菓子の日持ちも知らないくせに、よく聞くわね」

 

私の気持ち? 恵ちゃんが声のトーンそのままに微笑む。最近こずえちゃんの話し方に影響されてきた。大樹と義雄は僕たちのイチャイチャ話を鼻であしらう。

 

「まあ、みんなで卒論研究始めましょ。正くんだけじゃなくて、皆んな遅れ気味なんだから」

 

恵ちゃんの合図で、皆んなはそれぞれの部屋に散る。

 

僕は今日は研究室のPCで、これまで得られたデータをもとに多変量解析のクラスター分析の予備的調査を行うことにした。

 

僕が卒論で使うクラスター分析のクラスターとは、英語で『房』『集団』『群れ』のことで、似たものがたくさん集まっている様子を表している。

 

クラスター分析とは、異なる性質のものが混ざり合った集団から、互いに似た性質を持つものを集め、クラスター、すなわちグルーピングを行う方法だ。対象となるサンプルや変数(項目、列)をいくつかのグループに分ける、簡単にいえば、似たもの集めの統計手法。

 

良いクラスター分析は、分けた塊に含まれる要素同士は似ていて、その塊、の特徴は、別の塊の特徴とはなるべく似ていないものとされるようにする。

 

クラスター分析は、あらかじめ分類の基準が決まっておらず、分類のための外的基準や評価が与えられていない教師無しの分類法。つまり、分類してみてから、どうしてそのように分類されたかを分析する方法。

 

今日は階層クラスター分析に集中して頭を回転させよう。

 

最も似ている電気泳動結果、ザイモグラムの形状の近い組み合わせから順番にクラスターにしていき、途中過程を階層のように表し、最終的に樹形図(デンドログラム)を作る。

 

階層クラスター分析は、近いものから順番にくくるという方法をとるので、あらかじめクラスター数を決める必要がないことが最大の長所だ。

 

そのあと、バラ属の植物学的分類とデンドログラムの結果を見合わせる。

ザイモグラムのパラメータを加減し植物学的分類とアイソザイムによる化学分類ができるだけ近づくよう調整して行く。

 

ここからがクラスター分析の難しいところ。

 

「正くん。うまくいってる?」

 

ちょうど区切れのいいところで、恵ちゃんがラン温室から帰ってきた。

 

「クラスター分析ね。私は判別分析よ」

 

恵ちゃんは熱いコーヒーを入れてくれる。

 

「判別分析はね、線形判別関数を用いて,値を直線的・平面的モデルに当てはめる方法」

 

「説明変数が2変数の場合を例にすると、2群の境界となる直線 ax+by+c=0 を求めれば、式 ax+by+c の値の正負によりどちらの群に属するかを判別することができる。3変数以上の場合は境界線は平面になる」

 

「つまり、2群が正負に分かれるような係数 a、b、cを求めればよい」

「もう一つは、マハラノビスの距離を用いて,確率を2次曲線モデルに当てはめる方法」

 

「1変数の正規分布においては、平均から遠くなるに従って確率密度関数の値が小さくなる。zの絶対値をマハラノビスの距離というの」

「マハラノビスの距離は2次元以上の場合にも拡張され、ベクトルと行列を用いて表わされる。2群の境界線は曲線となるのよ」

 

「判別分析はクラスター分析よりは簡単よ」

 

「ああ、クラスター分析は少し頭を使うね」

 

「でも、人間って本当に何かと分けたがる生き物よね」

 

「本当だよ。分類好き」

 

「俺は主成分分析と判別分析だよ」

 

大樹も研究室に戻ってきた。

 

「今のところ、バラ属の花粉の表面形態の計測から、バラ属やバラ品種を分けるには、主成分分析の結果、第1主成分に花粉の大きさに関する因子、第2主成分に花粉表面の微散孔に関する因子が抽出されていて、これらの2主成分により各々の分類群を分けているところ」

 

「統計って、自分が言いたいことの都合を合わせるために駆使する道具でもあるよね」

「もちろん、結果からの新知見、発見も生まれてくるし」

 

「さて、ランチ行こうか」

 

僕がそう言うと、

 

「久しぶりに、カフェテェリアのカルボナーラがいいかな」

 

恵ちゃんが呟く。

 

僕は机の上を片付ける。

 

「義雄は工学部か……」

 

「教授の言葉。2’GTが取れた研究。すぐに論文にしろ。すぐにだ! が効いているね」

「一応誘ってみようか? 義雄」

 

LINEが帰ってきた。

 

「今夜は傘まで返さない、と言われたそうだ。いつランチできるかもわからないみたい」

 

「朝まで帰さないの打ち間違いか。いずれにせよ、超忙しいってことね」

 

 

ーーーーー

 

 

『不参加』

 

LINEにオケの星座別コンパの出欠確認が送られてきた。

 

即答。

 

4月に新入生が入ってから夏の始まり頃までが、とにかく飲み会が多い。基本、上級生の男子が新入生をはじめとした女の子達と仲良くなりたいから。

夏合宿でのゴールインが当面の目標。そんなもくろみが多い。

 

とにかく、100人を超える大所帯のサークル。大学院生のOBも来て、出身地別、血液型別、星座別などなど、各々飲み会にはそれなりの人数が集まる。多いときには週3回も。

 

1年生の女の子はタダの飲み会が多い。この星座別コンパも新入生の女の子は無料。

 

『正先輩、血液型コンパに続き、星座別コンパも欠席ですか?』

 

こずえちゃんからLINE。

 

返信する。

 

『こずえちゃん、乙女座でしょ。僕は蟹座、どちらにしろ別の店だよ』

 

『あら、乙女座と蟹座は同じ店にしました。私幹事補佐です』

『千葉知った目で見られております。今回は総武線沿線、錦糸町卑猥の店。頑張ります』

 

『錦糸町。卑猥じゃなくて界隈ね。未成年なのに錦糸町界隈の飲み屋さん選び、分かるわけないでしょ? 習志野ごんべいさん。千葉県出身なのは分かるけど』

 

『バレましたか。乳を絞りました』

 

『はいはい。お父さんから聞いたんだね。そろそろ漢字変換の第一候補、父に変わるような文章を沢山打ちなよ』

 

『まあ、僕はキャンセルね』

 

『はぁ、残念です……』

『一応、メンバーには入れておきます』

 

『キャンセルはG千となります』

 

オケの業界用語みたいなもので、お金を千円単位でドレミファソ、英表記でCDEFGで表す。

 

C千が千円、E千が3千円、G千は5千円だ。

 

「もしもし、こずえちゃん?」

 

「はい。こずえだぴょん!」

 

「あのさ、だから、僕は最初から不参加。なんでG千取るの?」

「ね。よろしく」

 

「ソラミミです」

 

「そう、ミミ……。ミの音ということで、スペシャルプライス、E千でいいです」

「来れるなら、来てくださいよっ! 不参加でも、報連相は大事ですからね」

 

「わかった。じゃあE千払うから不参加。それで勘弁して」

 

こずえちゃんからLINEで返事が返ってきた。

 

『連絡は豆にしてくださいね』

 

『どこの豆に?』

 

E千払う対価に、こずえちゃんの変換間違いをおちょくってやろうと返信する。

 

『イヤだ、イヤラシイ! こずえにそれ、そこ、言わせるつもりですか?』

 

しばらくして、

 

『キャンパスで、ゴジラが失言したとの情報が入りました! と、アナウンスいたしました』

『オケのLINEが炎上しております!』

 

下手なおちょくり、やめときゃよかった……。

 

 

ーーーーー

 

 

「正、2’GTの論文、ドラフトできたよ」

 

「おう、早いな」

 

夜9時過ぎの研究室。

 

恵ちゃんも今日は久しぶりに夕方7時の箱入り娘。家に帰った。最近色々と夜遅くが多かったから。大樹はサークルへ。ドラムを叩く格好で出て行ったきり。

 

「義雄よ。イントロダクションとディスカッション、全然甘いよ」

「これじゃダメ」

 

僕は義男の論文の下書きを机に優しく放る。

 

「工学部の教授が、その二つは園芸学研究室の方でまとめて欲しいとのことなんだ」

「園芸学的にって」

 

「こんなレベルじゃ浅野教授には渡せないよ」

 

「うん。少し困ってる」

 

「仕方ない。やるか、僕たちで」

 

「すまんな。正」

 

「三千円で請け負うよ」

 

「三千円?」

 

「冗談だよ」

 

Pigments showing flower colors of yellow and orange, carotenoids, solid xanthine, and yellow flavonoid, chalcones and aurones, they are classified into three groups. But except for the yellow flavonoid pigments, still unsure in many the biosynthetic pathways, genetic knowledge is, of course, also not yet been obtained by chemical synthesis findings. 

 

On the other hand, the yellow flavonoid pigments are known as an intermediate metabolite in the biosynthetic pathway of anthocyanin.

 

Carnation (Dianthus caryophyllus) is on the botanical classification, belonging to the Caryophyllaceae Dianthus. Although varieties with yellow flowers is limited in the carnation, in the vacuole of carnation petals cells with yellow flowers, Calconnaringenin 2'-O- glucoside as a major yellow flavonoid pigments (Chalconnaringenin 2'- O-glucoside; after referred to as Ch 2'G) contains. 

 

And there p- coumaroyl -CoA an intermediate product of anthocyanin biosynthetic pathway, CHS malonyl -CoA as a substrate (chalcon syntase) by chalcone (4,2 ', 4', 6'-tetrahydroxychalcon; after referred to as chalcone) is synthesized is, then, glycoside enzymes (glucosyltransferase; after referred to as GT) is a chalcone 2'-O- glucosyltransferase (Chalcon 2’-O-glucosyltransferase) (after referred 

to as Ch 2'GT) by chalcone 2 'position is glycosylated Ch 2'G next, are believed to be transported to the vacuole is accumulated. However, the presence of Ch 2'GT has not yet been confirmed. 

 

「まあ、イントロダクションはこんな書き出しで行こう。英文法はごちゃごちゃだけど」

 

「正、助かるよ」

 

「あと、ディスカッションだね」

 

By using the DNA encoding the glucosyltransferase of the present study, capable of producing Ch 2'G in plants. 

 

Ch 2'G, since a pigment to be colored flower color of plants to yellow, using the DNA encoding the glucosyltransferase of the present study, can alter the flower color of plants to yellow. The Ch 2'G, in the presence of other pigments, the color is developed flower color of plants in a variety of colors. For example Ch 2'G, in the presence of anthocyanins, the color is developed flower color of plants orange. 

 

Thus, by utilizing the DNA encoding the glucosyltransferase of the present study, it is possible to alter the flower color of plants. The hue of the color after modification, preferably the hue in the range of yellow to orange, and more preferably include a yellow or orange, but is not limited thereto. Further, lightness and saturation of the color after modification is not particularly limited. 

 

「まあ、今日はここまでにしておこう」

「最近、不規則な生活してて、頭もうまく回らない」

 

時計の針も夜11時を回った。

 

『おやすみ、正くん』

 

恵ちゃんからのおやすみメールだ。

 

『まだ義雄と研究室にいるよ』

 

『あらまあ、困った人たちね。遅くなる日は連絡くらい頂戴』

『もうそろそろ帰って、ちゃんとお布団で寝るのよ』

 

『り。連絡は豆にするようにするよ』

 

『豆に?』

 

人のことは言えない。確かに、僕のスマホの漢字変換も、気せずしてこずえちゃんと同じようになっていく……。