いわゆるマーケティングを学んでいたとき
「こういうふうに書きなさい」、
という「型」を学んだこともある。
今も、その方法を使って
いや、それが自然に身について
活用されている方もいます。
「その人」として
「その道の専門家」として。
私は、今、というと
だいぶ
「あるがまま」です。
「私らしく」ではないんです。
「私のまま」です。
体の痛み故。
ネガティブな発想がやってきて
人との交流が適切にできる気がしない時間が
1日の大半を占めていたりします。
だいぶ、回復はしてきましたが
自分を見つめる日々が長く
いわゆる心の中の美しさと醜さを
いやというほど、見つけてしまいました。
美しいのも私。
醜いのも私。
取り憑かれたように
ブログを書いていますが
心の中での問答はものすごく
今までは、何かのために、
誰かに良い人と思われたくて
してきただけなんだ、と
(その時の階層では本気で世の中のためと思っていたのですが、今の位置から見直すと本当にそう思えてしまい)
意識まで人に預ける危うい状態を体験して
おそらく、大きく気が付いたのです。
みなさんが「シゴト」として活動をはじめる
動機にはいくつか種類があると思います。
(親や社会の洗脳は除外しますが)
ひとつは、
人のため、世界のため、という大義名分。
もちろん、「自分」を見つける前の状態。
多くの成功者は、この中に入るのかもしれません。
ふたつめは、
「愛」とかそういうもののために生きること。
これも大義名分ですが、愛情と愛とその本質にはきっとほど遠いでしょう。
「愛」をささやくほど、
「愛」を語るほど、それは偽物になっていく。
偽物と気が付いて、気がつかされて、次の段階へいく。
哲学的ですが、なんとなくそんな気がします
きっと、生まれてきたから、
世界の役に立ちたい。命を輝かせたい。
その状態に、エゴがまだたくさんひっついている状態、のイメージでしょうか。
三つ目は
本来の自分、真実の自分とつながり、
そのままあるがままの自分を生きる。
そのこと自体が、新しい世界をつくっていく。
それには、
ひとつめと二つ目の経過が必要なのね。
もちろん、
一つ目、二つ目を生きることが
魂の約束の方もいるようです。
だから、それはどの段階でも、自由なのですよね。
それでも、ブログやメルマガを書く形式は
相手に伝わらないとしょうもないので
形式にこだわって書くことよろし。