三井記念美術館と東京十社巡り② | ぴねこんのぷくぷくしてらんない日々

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2017年3月半ばにツレが脳出血で倒れ、ドタバタが始まり
2020年春に自分が糖尿病だということが確定、治療に乗り出しドタバタ中
2023年1月半ば、ツレ父が急に旅立ってしまった日にツレの大腸がん発覚で
去年は年明けから秋口の相続税申告までドタバタしてました~!

写真をアップできなくなって②がちと遅れました~。

 

 

東京十社巡り、スタートになった王子権現を訪れたきっかけは

もともとは落語を聞きに行くのが目的で王子を訪れたこと。

初めて王子駅を降りたときは脇目も振らず会場へ行ったので、権現様には寄らなかった。

といっても、卵焼きの扇屋さんには寄ったけど(笑)。

 

2回目はちょっと心の余裕もあって、時間より早めに出て調べておいた王子権現へ行くことにし

そこで東京十社巡りというのを知りました。

(王子には飛鳥山もあるし、都電もあるので再訪したいと思ってるけど)

十社巡り、面白そうだなって思ったけれど、十社のうち半分は知らない神社~

もちろんどこにあるかも知らない(笑)。

調べてみたら、ちゃんと案内サイトが存在してた。

 

亀戸天神と根津権現は、それぞれ藤とツツジが有名神社なのので

早々に一緒に訪れる機会があった。

それから1年以上経過。。。まだ半分以上残ってる。。。

それで、美術館だけじゃなく十社巡りの神社へ行ってみようと思ったわけです。

 

一番に向かったのが、この日のルート的にちょっと外れにある深川の富岡八幡宮

地下鉄の門前仲町駅からわりと近かった。

まだ朝早めの時間だから人がいないのかと思ったけれど、この後に寄った深川不動は

たくさんの参拝客が居たから、時間が早いとかそういう問題じゃなさそう(笑)。

やっぱりあの事件のせいもあるのかしらねぇ。。。

 

 

 
鳥居をくぐったら伊能忠敬さんの像があった。
なんで?と思ったら、この近くに住居があったそうで、測量の旅に出る前には
この八幡さまを必ずお参りしていたそう。
この像の横には三角点があって、伊能忠敬といえば測量ってことで
単なるモニュメントかと思ったら、ちゃんと機能してた。
新地球座標系に準拠した国内第1号の三等三角点「富岡八幡宮」なんだって。
 

 
そして、この神社は勧進相撲発祥の地ということで、大関力士の碑と横綱力士の碑があります。
鳥居入ってすぐのところに大関、本殿の裏の方に横綱。
 

 
ちょっと横の方に回り込んでみてみたら
中曽根元首相の名前とともに若乃花や貴乃花の名前も刻まれてた。
現在、稀勢の里の名前まで刻まれているそうです。
 

 

 

手水舎の像が鳳凰だったんだけれど、なんだか鳳凰の涎で手を洗っている気分になり

清められている気が薄かったよ~えーん

龍の口から出てるときは平気なのに、何故かな~。。。やっぱりこのチューブかしらん(笑)。

 

 

十社巡りとは関係ないけれど、すぐ近くなので深川不動に寄り道。

途中、漬物屋さんがあって店先におたふく大根(亀戸大根)が飾られてた。

 

 

深川不動って成田山の別院だったんだよ~、知らんかったわ。

鳥居の左横のお店、お団子やらおにぎりや御赤飯、惣菜なんかも売ってるお店だったんだけれど

店先が人だかっていてびっくりした。

帰りに味噌餡の柏餅を買おうと思ったら、売り切れて欠品になってた。

醤油味のお団子一本買ってツレと分けて食べたけれど、美味しかったラブ

 

 

こちらは、富ケ岡八幡宮とは違ってわんさか参拝客がいた。

もちろん外国からの観光客もわんさかいた。

 

本堂、この写真の中央かと思ったら、左手側の黒と金色の梵字で囲まれた怪しい建物だった。

新しい本堂らしく、外壁は不動明王の真言で囲まれた『真言梵字壁』というものらしい。

初めて訪れると、怪しさしか感じられない建物だったけれど(笑)。

 

 

ここも、千葉の成田山と一緒で出世稲荷の荼枳尼天をお祀りした社もあった。

成田山で寄ったときも、ここ神社じゃないですからって言われたんでした。

そういや、豊川稲荷もお寺だったな。

 

お不動産寄って、日本橋まで地下鉄で移動。

地上から日本橋を渡って三井記念美術館へ。

日本の道路の基準になる道路元標は橋の中央、道路の真ん中にあるのだよねぇ

ついつい橋の袂のレプリカに目が行っちゃうけど。

首都高の外壁にまたがって掛けられている街灯の柱に道路元標地点って文字がある。

 

 

美術館の展示を楽しんだ後は、ランチへ。

どこに行くかは決めてなかったけれどコレド室町があるから

食べるところには困らないだろうって思って、レストラン街の案内パネルを見て

肉の写真に惹かれて、コレド室町テラスへ行ってみることにした。

クラフトロックブリューパブアンドライブ

 

 
ランチのローストポークの飲み物をビールにして
追加でアイスコーヒーとソーセージの盛り合わせを頼んでツレとシェアした。
ローストポークはすっごく美味しかったけれど
ソーセージの盛り合わせがイマイチでがっかり。
 

 

 


お腹がいっぱいになったので、千疋屋でちょっとデザートでもって思って行ってみたら

パーラーは上の階に移動していて、並んでいるのが見えたので断念笑い泣き

さっさと移動しようってことで、まだ日本橋まで歩いて地下鉄で大門まで移動。

目的は、芝大神宮。

増上寺のすぐ近くで、びっくりした。

大神宮って付いてるから、さぞかし大きな宮かと思ったらめっちゃこじんまり。

鳥居の横に生姜塚があり、なんで?と思ったら、このあたり生姜畑がたくさんあり

生姜の産地だったそう。

 

 

 

急な階段を登り、お参りしてから御朱印を頂く。

ぷちおまけなのか、御朱印を求めると生姜飴が1つ付いて来る(笑)。

ここは、直接書いてくれなくて紙で用意されてたので、十社巡り専用の御朱印帳に挟んで

ついでに神社の説明を読んでいると、東京の郷土玩具としても知られる千木筥が授与品にある

という記述があり、思わず社務所に戻って聞いちゃった。

 

御朱印をお願いしたときには全く気づかなかったけれど

窓口の左側の小さな透明の箱の中に飾られておいてあった。

\1,500とちょっとお高めだったんだけれど、東京の郷土玩具というので連れ帰った。

手にひらぐらいのサイズで中に豆が入っていて、振るとガラガラ音がする素朴なおもちゃ。

千木を千着と読ませて、タンスに入れておくと服が増えるんだってさ(笑)。

ついでに、生姜塚の話もしてくれました~。

 

でも、この玩具の形と千木がどう繋がるはてなマークはてなマークはてなマーク

千木といえば、神社の社殿の屋根の稜線にぶっ違いに乗ってる棒

何がどうしてこれが千木筥って名前なのか意味はさっぱりだったわ。

 

©神社検定

 

 

境内の案内に、歌舞伎の『め組の喧嘩』の舞台でもあるって書いてあって

その歌舞伎の演目は知っていても、舞台がここだったとは知らなかったわ~。

最も、その頃はもっとブイブイ言わせてた頃で社域ももっと広かったんだと思うけど。

平成17年に鎮座一千年を迎えているので、古い歴史があるのね。

 

裏から見た芝大神宮。

 

 

芝大神宮のサイトを見に行ったら、やたら男性用の強運(ごううん)御守の

交付の休止と再開の案内がずらずら並んでるんだけど、そんなに人気なの!?

でも、行った日は男性用の強運御守は欠品中だったけど。

 

ちょっと増上寺に寄り道って思ったけれど、まだ品川神社が残っているので断念しました。

品川神社の最寄り駅の新馬場まで移動。

電車を降りて、さてどの辺りだろうとプラットフォームから外を見るとこんもりとした緑

たぶんあの辺りかな?と思ったらその通りでした~。

駅からすぐ。

ちょっと小高い高台になってるばしょで、左側に鯉のぼり。

小さな塚みたいなものがあるので、富士塚かなぁと思ったら、そうだった。

 

 

龍が巻き付いているなかなか立派な鳥居。

 

 

品川神社も、芝大神宮同様これまた急な階段なのだよねぇ。

 

 

この鳥居、3代将軍家光の側近、堀田正盛が奉納したものだそうで

上野の東照宮の鳥居の次に古い鳥居らしい。

 

 

 

立派な神楽殿があった。

 

 

本殿に向かって右にある朱色の鳥居を下っていくと、一粒万倍の泉

ペットボトルに水を汲んでいる人がいた。

 

 

境内に浅間社があったので、やっぱりあれは富士塚でした~。


 

浅間社の裏側に富士塚の登り口

 

 

トップには鯉のぼり

 

 

境内にいはいろいろ興味深い石碑があった。

包丁塚

 

 

東海七福神、ここは大黒様らしい。

 

 

それと、なにやら火消しのまといの絵が彫られて石碑

 

 

京急の北品川駅から青物横丁まであたりが、かつての品川宿の範囲らしく

この新馬場は、関所で使う馬のための馬場があったからの名前らしい。

 

 

品川といえば、かつては岡場所、色街のあったところ

北の吉原南の品川といわれ時代小説にはよく登場する場所、そして、東海道の最初の宿場町

この日巡った神社の中で一番江戸を感じてしまった。

 

もうちょっと品川神社への参道の通りをブラブラしてくれば良かったかも。