いつ頃だったろうか、「セックス特集」というようなタイトルの、下品極まりない記事が『ぴあ』に出たことがある。何回か続いたはずだ(今もだろうか)。それを見て、「この雑誌はもうダメだな」と確信した次第である。


なにしろ、刺激を高める手段として、「彼氏に挿入されたままの状態でお蕎麦屋さんに電話し、出前を注文してみよう! ちゃんとできるかどうか、スリル満点だよ!」などといったアイデアが提示されていたのである。まともな読者なら、「ふざけるなよ?(怒)」以外の言葉は出てこなかったはずだ。


たかが情報誌の分際でセックスのような私生活の大事な秘め事に踏み込むとは何ごとか。しかも、ふざけ半分に。話題づくりの目的だけでそういうことを書いていることが見え見え。商業的に苦戦しているんだな、ということはもちろん伝わってきたが、ここまで堕ちた真似をする雑誌だったのか、と深く失望したことを覚えている。


編集部が網羅的で確実な文化情報を提示したり、はみだしぴあのようなところで読者に投稿の場を提供したりするだけの慎ましい黒子に徹していれば、そこそこ上品なイメージが保てたはずの雑誌だった。それが、あの一事でダーティなイメージがついてしまった。それは拭い去れるものではない。


今や、極くたまに立ち読みするだけの雑誌である。『シティロード』廃刊のあと、その誇り高い文化人精神を継承した情報誌はないといえる。『ぴあ』は慢心して読者(そこに蕎麦屋の人が含まれることはいうまでもない)をなめた真似をしたから、なおのこと腹が立つのである。ある意味、サブカル雑誌の『宝島』がビジネス誌(?)に鞍替えしたより悪質だったと感じる。売れなくなったら見苦しく生き残りを図るより、潔く廃刊するという選択がどうしてとれないのか。その方が読者のなかではよほど永く生き続けられるのだということが、どうしてわからないのか。


早く及川某が老衰で表紙を描けなくなり、事実上の廃刊の日が来ればいいと願っている。そうしたら、やむをえず情報誌を買う必要が生じたとき、腐敗した老舗『ぴあ』などではなく、他の新興泡沫雑誌を躊躇なく選べる日が来るだろう。


・・・いや、別に、どんな情報も今やネットで見られるのだから、そんな機会は訪れないだろうか。実際、情報誌など、ここ10年ほど一冊も買ったことがない。カラー20ページくらいの佐々木希特集が組まれなどすれば別だが、さもなければ、情報誌など全部なくなってもいいね、その方がよっぽどスッキリするね、というような話題を、今夜連れ合いに振ってみるとするか。

たまたま見たクルマ情報誌グーのCMで歌っている娘が異常な可愛さのオーラを放っていたので検索したところ、やはり佐々木希ちゃんであった。


どうしたらああいう輝きがもてるのか、造化の神がいたら聞いてみたいものである。

思えば80年代初頭からすでに、やれ「ネクラだと生きていけない」だの、やれ「彼女いない歴○年は恥」だの、やれ「バック・トゥ・ザ・フューチャー3部作を全部一人で観た奴は人生考え直した方がいい」だの、生き方への差別的で脅迫的なマスコミによる干渉が五月蝿いこと甚だしかったのである。それが今の非モテをめぐるあれやこれやに繋がっているのである。軽佻浮薄な生き方が推奨された結果、社会に問題意識を抱いて行動したりするのはダサいということになったのである。


これは誰かが計画的に仕込んだことではないのか。さもなければ、あれだけ挙国一致のキャンペーンが張られたわけがないのではないか。タモリに「ネクラ/ネアカ」という言葉を流行らせるよう、吹き込んだ人間がいるのではないか。


これだけ閉鎖的な島国である。マスコミが一致団結したら、国民はひとたまりもなく洗脳されてしまうのである。それを見越して、電通とか日テレとかフジテレビに指示を出した人間がいるに違いないと睨んでいる。


ま、それが誰かは知ったことではないが・・・。それに、あのキャンペーンが張られて悪かったことばかりではないし。問題はメインストリームに乗れない若者が、私も含めてずいぶん苦しんできたことである。社会を変える手立てなど、考え付きもしなかった。しかし今やブログなどで人と人との繋がりが生まれやすくなったし、本田由紀さんなどの行動する学者や、彼らの言葉を聞いて政策に生かす政治家もたくさん生まれている。


というわけで、未来は明るいだろう。さ、考えていても仕方ないから、ジョギングで汗でも流してくるか。

はてなと迷ったが、あそこは主に高卒非モテメンヘラがやっているという印象があり、それに比べれば華やかで、それでいて深みと陰影に富んだ書き手が多いアメブロにしたのである。連れ合いがトレランとハードロックが好きな伝統仏教徒なので、私はそういう世界から強い影響を受けており、それとうまく調和するようなブログサービスはここしかなかったのである。


はてなの連中はグダグダ机の前で理屈をこねていても、1kmも走れない者がほとんどではないだろうか。それに引きかえ、私はもうすぐフルマラソンに参加できるまでに自分を鍛え上げてきた。もちろん、完走する。


あと、貧しい頃にバック・トゥ・ザ・フューチャーなどといって、伝統的な日本文化を礼賛する連中が多そうなブログサービスも嫌いだ(gooとか)。落語だの歌舞伎だのは封建道徳に立脚した世界を描いているのであり、そういうのに回帰するのは有害なのだ。そういう古典しかもてなかった私たちは、自らの不幸をさっさと認め、西洋文化に宗旨替えすればいい。


などといいつつ、キリスト教は嫌いで、宗教は日本の伝統仏教がいいと思っているのだから、私も困ったものである。かくして、わけのわからない規範にがんじがらめになり、「日常生活自体がすでにSM」であるような日本人の列に、明日の私も再び加わるという次第である。


私のような不遇な人間のためにあると思われるメディア、ブログでせめて束の間だけでも憂さを晴らして・・・。


「直江兼継を心から尊敬する韓国人」や「織田信長をビジネスの模範とする英国人」などありえないことからもわかるとおり、世界でもまれに見るほど孤立した自閉文化を営む日本人のひとりとして・・・。


さ、考えていてもしょうがないから、ジョギングで汗でもかいて来るか。

海外で人気の日本文化は色々あるが、その最も有名な一例がSMである。この分野では世界の最先端を独走中だという。不思議なことは何もない。私たちの日常を少し考えれば、日本人が自分をきつく縛り上げるのがどれほど得意か、よくわかるのである。SMはその延長上にあるにすぎない。おかげで秩序と平穏が保たれるというメリットがある反面、社会の既得権構造にメスがなかなか入りづらい。労働者の組合も正社員だけを守るのに熱心だというから、それを票田とする民主党が政権をとったら、ますます社会が硬直するのではないだろうか。その他の点では民主党支持である私にも一抹の不安がよぎるのである。そんなとき私は、例えば海外ニートさんのブログ『ニートの海外就職日記』などを読んで、あるべきオルタナ社会に夢を馳せる。もっと自由に海外から移住者がやってきて、もっと自由に若者が海外へ雄飛しやすい社会になったらどんなに素晴らしいだろう、などと思うが、いわゆる「特亜」の犯罪者系の移住者が及ぼす害への不安もあり、悩ましいところなのである(恐らく過剰に心配しすぎなのではあろうが)。
原宏一の『床下仙人』は人生の真理を語っている。会社勤めだけが人生だろうか。そんなはずは絶対にないのだ。イッセー尾形が哀感を込めて描くような日本のサラリーマンの苦しみはまさに私のものでもあるが、実は脱出のヒントはすぐ身近にあるかも知れないのである。例えばそう、まさに、自宅の床の下あたりに・・・。2009年は、そんな発見ができる一年であれと思う。
たまにはこういうのもいい。敬虔な気持ちになる。忘れてはならない人としての原点である。
実はそれほど関心があったわけではないが、逆にいうと、そんな人間にも今回の死がショックを与えるくらい、存在感の強い人だったわけである。そこから考えるに、あれは病死。ここぞとばかりにスキャンダラスなことを書く人も多いだろうが、どんなにジタバタしても、あの時代はもう二度と戻らないのである。
最近、特に気に入っている芸能人である。なんか他の人と違う。母子家庭出身?だからだろうか。ともあれ応援したい。