私が精神科を退院して2週間。 

 母の心臓の定期検診で、他の病院まで一緒に移動です。 

 母は転院して4ヶ月ぶりの外気。私とお揃いのカーディガンを着て、介護タクシーの中ご機嫌でした。

 いつもはすっかり穏やかな母ですが、やはり待合室で長時間待たされるとソワソワとして目を吊り上げ、「早くしてよ!」と怒鳴り出します。 

 認知症特有の表情です。


 血液検査の結果が出て、診察室へ入りました。

 母の大好きだった循環器科の主治医が、 

「粥ママさぁーん!久しぶり。どう?俺のこと覚えてる?」 

 先生には母の症状を事前に話してあります。母は 

「あなた誰?覚えてない」 

 にべもなくツンと顔を背けます。 

 でも、検査の結果は驚くほど良好でした。

 毎年血管の手術をしていたくらいなのに、病院食が良かったのか血管がとてもキレイだと言ってくれました。

「すごく良くなってるよ!どこも悪くない」

 嬉しそうな主治医に 

「この人何言ってるの?全然わかんない」 

 母はつっけんどんに返します。

 ありゃりゃ、私は苦笑い。 


 脳梗塞を起こしてから、健康になるなんて……。

 何百人もこういう皮肉を診てきてるから、先生は口酸っぱく食事の制限をするのでしょう。 


  ランチをする場所も近くに無かったので、院内のコンビニで買い物をしました。 

 母が楽しそうに選んだのは、天ぷら蕎麦です。

 確かに病院で蕎麦は出ないからね。 

 看護師さんからは、食が細いと聞いてましたが、なんのなんの、テーブル席で「美味しいよ!」と、汁一滴残さずペロリと完食しました。

 外に出られて嬉しかったんだね。

 お寿司とか、鰻とか食べさせてあげたいな。

 それから暫くは、会いに行く度に「この前は楽しかったね」とお蕎麦の味を思い出してました。


3ヶ月ぶりに帰った家はどれ程ホコリだらけかと思いきや、殆ど汚れてなかったです。 

 ホイホイも一匹もかかっておらず、排水の匂いもカビも全くありませんでした。 

 一通り空気を入れ替え、軽く掃除をして、入院中の荷物の片付け。それから食材の買い出しへ。 

3ヶ月ぶりのビール!一人でささやかな退院祝いです。 


 でも翌日、目が覚めると身体が動かないんです。起き上がれない。

  何が起きたのか自分でも解らなかったけど、四つん這いになって膝を進めようにも、一歩も前に出せない。

 3ヶ月もベッドの生活をしていたせいか、筋力が衰えていて足が動かなかったのです。 

 前日に買い物掃除と駆け回ったせいか、まともに歩けなくなってました。 

 体力ってこんなに落ちるのね? 

 こんなんで私、働けるのかな?新たな不安に襲われました。 


 ショッピングカートを支えに、母の病院へ向かいます。駅まで何度も足を止め休み休み、大袈裟ではなく本当に自分の力で身体を支えられない。

 タクシーを使いたいけど、入院費で50万遣っちゃったし、節約しないと。 


 3ヶ月ぶりに会う母はすごく痩せていました。車椅子生活で、私ですら筋力が落ちるのだから、70代ともなれば立ち上がるのがやっとです。 

 でも、情緒はかなり落ち着いていて穏やかでした。

 ラスボス先生とバッタリ会うも『もう大丈夫なの?本当に大丈夫?』と気にかけてくれて。

 本当だったら母を放置して怒られてもいいくらいなのに。 


  私は早速診断書を書いて貰い、○○ぽ生命と自分で入っていた医療保険に給付金を請求しました。

  驚いたことに1週間後には、粥子の極貧底辺生活2年分に価する給付金が振り込まれました。

 そもそも口座にこんな大金入っていたことが無いから、銀行から確認のメールがきた程です。 

 良かった、これでしばらく生活の心配しなくていいし、母にも頻繁に会いに行ける。


 顔面神経麻痺再発から9ヶ月、仕事を辞めたり、母が倒れたり、一時は八方塞がりだったけど、人生って何がどう好転するかわからない。 

 この頃の私は、心と懐に余裕ができて、少し舞い上がっていました。


 入院、2ヶ月目に突入。 

 私はふと疑問を感じたんです。ベッドの空きがけっこうあるなって。 

 顔面神経麻痺の時は、コロナが蔓延してるから8日のところを5日で退院してくれないか?と言われたくらいなのに。 

 もしかして、ベッドを埋めるために入院を延ばしてるのかな?とか、憶測を巡らしたりして……。 

 でもある日、病室の外から先生と患者さんの話してる声が聞こえてきたのです。 

「貴女はね、本当は入院する必要ないんですよ!それは精神的な問題じゃなくて、性格に問題があるんです!」

 患者さんは「でも、でも」と言い返していたけど、先生はかなり強く、きっぱりとした口調でした。

 そりゃそうだよね?限度額以上は、大切な血税から賄って頂いてるわけだし、仮病やらベッドの都合で入退院を決めたりはしないか。 

どうかなぁー。 

うん、しない、しない。 

きっと、しないね。 


 患者同士の交流は禁じられていたので、あまり会話はありませんでした。ただ、1人同年代の方がいて「そろそろ保険の請求しなきゃ」と、言うんです。

「精神科でも保険って下りるの?」

「もちろん!私何回も貰ってるよ」

 知らなかった。だってうつ病とかって、保険入れないし。 

 じゃあ、母を誑かし私に乗せ替えさせた○○ぽ生命も請求できるのね? 


 時間が経つのはあっという間で、60日を過ぎようという頃、さすがに私も母に会いたいし、家の様子も気になるので退院したいと告げました。 

「いや、まだ早いよ」主治医からは相変わらずの反応。

 17万円の支払いを2ヶ月ともなると、懐も心細くなるし。そして結局、3ヶ月お世話になり「もう入院費が払えません」と告げ退院しました。


 本当にただ寛いで過ごしていただけ。怠けていただけ。 

 でも、退院してみて気付いたんです。

 入院前は、何か考えると深く陥って朝まで眠れなかったのに、退院する頃には何か悩んでも、10分も経つと『チーズの蕩けたピザ食べたいな』とか、もう別のことを考えているんです。 

 職場の辛い記憶も、毎日フラッシュバックしてくるけど、やっぱり10分経つと、今度どこへ行こうかな?とか。 

 嘘みたいに、気持ちの切り替えが出来るようになってました。 

 今まで、精神科の治療ってフワッとしたメンタルケアだとばかり思ってましたが、実はとても緻密で高度な医療なんだなって意識が変わりました。