精神科の主治医は私の診療計画書にうつ病と記入しました。

「私、うつ病じゃないです。ただ眠れないだけです」抗議したものの 

「使う薬は同じですから、まぁあまり気にしないで」   そう宥められ薬を飲み始めました。


 院内は明るく、清潔です。

 看護師さんはみんな優しくて、フワリとした丸く柔らかい言葉しか遣わない。 

「ずっとゆっくりしてて良いんですよ。こういう時間は必要なんです。好きなだけ甘えてくださいね」って。

 世の中に、こんな環境があるなんて…… 

「ずいぶん明るい病棟ですね?」職員の方に問いかけると、 

「ここは比較的軽症の人。やべぇのは他の階にいるから」と、ぺろりと舌を出しました。口が悪いのではなく、私をリラックスさせようとしたのだと思います。


 院内に認知症病棟も有り、高齢の患者さんに看護師さん達が優しく接しているのを観て安心しました。

 精神科に親を預けるなんて、と最初は自分を責めましたが、みんなカラオケしたり体操をしたり、和やかに話を楽しんだりして決して悪い場所ではないと感じました。

 新しく入院したお婆ちゃんは、夜中寂しいとシクシク泣いていたけど、隣のベッドのお婆さんが一緒に編み物やろうと誘ったりして、ちゃんと小さな社会が成り立ってます。 


  私はひたすら眠りました。最初の1週間はほぼ1日眠って過ごしました。 

 私はわりと自由が許されていたので、コンビニでお菓子を買ったり、ちょっとした散歩もOK。 

 毎日バスタブを溜めて長時間の入浴も出来たし、子供の頃以来、夢中になって塗り絵をしたり、本も1日一冊は読みました。 

 アマプラも観尽くしたくらい。 


 病院食は大好きです。 

 あの、薄味のクタクタに煮たキャベツとか、3切れ程のチキンを大事に味わって食べたり。 

 朝のパンとチョコレートスプレッドを取っておいて、バナナが出た日に、チョコバナナパンを作っておやつにしたり(本当は衛生上ダメだよね?)、カーテンの中でこっそり食べるカップラーメンの背徳感もたまらない。

 個室では無いけど、アパホテルのシングル程のスペースがあり、まさに三食昼寝生活。 

 快適すぎる! 精神病棟、まるで楽園じゃないですか!

 身体と頭に溜まった澱を、看護師さんの笑顔と清潔なベッドがすぅーっと吸いとってくれる。 

 何しろ、プライベートは保たれていて、何かあれば誰かが駆けつけてくれる安心感。


 なんて世界を知ってしまったんだろう。 

 あのギスギスした職場は、やっぱり地獄だったんだな。 


 母の見舞いに来てくれた親戚が、テレビ電話で繋いでくれたり、母のベッドにメッセージを送ることも出来たりで、コミュニケーションは取れていました。

「一緒に入院してるんだもんねー」と、なぜか母もご機嫌。

「お母さん、今日カレーなの?私もお昼カレーだったよ!」同じ環境にいることで心細さが和らいだようです。


 あまりにも快適過ぎて、2週間のつもりが、しれっと1ヶ月住み着いてしまいました。 

 ちなみに入院費は、高額医療の限度額と食事、差額ベッド代合わせて1ヶ月17万円程。

 安くはないけど、アパホテルに薬代と3食付けたらもっと高いしね。

 何より、ぐっすり眠れます。 


 さて、そろそろ退院しなきゃ。家のポストがパンクしちゃう! 主治医に退院を打診したところ 

「まだ、早い。治療は終わってないよ」 

「え?」 

 自由に退院できないの? 

 私まだここに拘束されるの? 

 家に帰っちゃいけないの? 

 すぐに状況が飲み込めなかったけど、つまり…… 

「やったぁー!まだここにいていいのねっ?」 

 私の入院生活はまだ続きます。


 遡って、私が仕事を辞めた経緯を記します。醜い愚痴ですが、書くことでこの悔しさを消化したいんです。 

 

 私は辞めた職場の上司と、プライベートでも仲良しでした。配属されていた店舗は違いましたが、上司の希望で同じ店舗に異動となったのです。 

 その職場にはもう一人、問題児のAさんがいました。

●上司に対して命令口調 

●1時間の休憩も2時間帰ってこない

●毎回堂々と遅刻 

●周りに挨拶もしない 

●仕事中一言も喋らない。かと思うと、いきなり怒鳴り散らす 

●レジのお金は2人で確認しなきゃなのに、自分1人でやるから触るなと言う 

 他にもたくさん…… 

 上司は私が異動してくる前から、Aさんのことで悩んでいました。 

 一緒に働いてみて、私も『うざい!』とまで罵られたし。確かに酷い。 


 Aさん曰く、

『私は気が強いから、人に媚びたくない!』だから、誰にも

『おはようございますとは言わない!』そうです。 

 聴いてる方が恥ずかしいよ。

 上司と私は、もうちょっと厳しく接しようと話し合いました。 


 上司は私と会えば必ずと言う程、Aさんの家庭の話を持ち出し、彼女の生活ぶりをバカにしたり、Aさんの子供のことまで揶揄してました。 

『あいつ、早く辞めねぇかな』とか、

『何かやらかしてクビになればいいのに』と散々言っていたのです。 

 もちろん、私もAさんから、数々の暴言を浴びせられていたので共感していました。 


 でも、上司は結局いつもAさんの言いなりなんです。 

 私の前でどんなに彼女を厳しく教育すると言っていても、年上のAさんには逆らえないんです。 

『注意しても、どうせ聞いてくれないから』と諦めてました。 

  パワハラと言われるのを恐れていた上司は、 

『どんどん粥子さんから注意してやって!私を助けて』と煽りました。 

  私はAさんに、非常識で自分勝手だと、強い口調で伝えたんです。 

 Aさんは最初食ってかかって来ました。

 ずいっと私の首元まで顔を近づけ、必死に眉間にシワを寄せると上目遣いでぱちぱちと瞬きをし、昔で言う「メンチ切る」ってヤツをかましてきます。明らかに慣れてないんだけどね、本人は頑張ってみたんだと思います。

 怒鳴り喚いていたものも、徐々に反論しなくなりました。 そして、虚勢を張るもムダと解ると、今度はストレスで突発性難聴になったと言い出したんです。


 それを知った上司は、 

『粥子さんが苛めるから、Aさんが病気になった』と。

 あんなにAさんを罵っていたのも、 

『粥子さんに合わせて言っていただけ』 

『本当はAさんって良い人だし好き、粥子さんを癒すために彼女の悪口を一緒に言ってあげていた』と掌を返しました。 

 Aさんはこれ幸いと、『粥子さんが仕事中トイレも行かせてくれない』と上司に泣きつきました。 

 やるか、そんな小学生みたいなこと(・・;)

 全く身に覚えがないので否定しましたが、上司は 

『それ、苛めだから!!』と、一方的にAさんの言葉を鵜呑みにしたのです。 

 上司はAさんに取り込まれちゃったのね。

 私の苛立ちも伝わっていたのでしょう。

 上司はAさんを選んだんです。 


 『私とAさんには信頼関係が芽生えた』と上司は言ってました。それに比べて 

『どうしてAさんと仲良くできないの?粥子さんって、寂しい人ね』と。 

そりゃ、良かったね。せいぜい友情を育み、未来永劫Aさんの掌でころころ転がされていたらいい。 

 教育出来ないことを、なぁなぁにして、『信頼関係』なんて薄っぺらな言葉で問題を解決したつもり、結局は丸め込まれてる。 

 あー、バカバカしい。


辞めると言った途端、上司は

『Aさんが辞めればいいのに!あいつ、切ってやる』と、また翻してきました。 

 ブレブレじゃん?『切ってやる』なんて笑っちゃう。自分だって非正規なのに。 


 仕事を辞めるのに迷いはなかった。 

でも、本当に虚しかった。

 サラリーマンなら、こんなこと日常茶飯事なんだろうな。


 母が穏やかになるにつれ、私は張り詰めていた気がすっかり緩んだのか、転んで足の指を骨折したり、二度も脚立から落ちて腰を打ったり、ボロボロでした。 

 顔面神経麻痺発症から半年、毎日が目まぐるしく過ぎて気がついたら定期検診すら忘れていたし。 

 

 ある時母から「あんた、入院はどうしたの?」と言われたんです。 

 そっか、そう言えば私も入院する予定だったんだ。よく覚えていたね。もう、自分の事なんて何も考えてなかったから忘れていた。 

 正直、初めての独り暮らしもあって長いこと熟睡もしてないし。なんだかどっと疲れが襲ってきて、キャンセルした病院に電話してみました。今ならベッドが空いていると言うので、コロナも落ち着き、母にお見舞いが続々と来てくれている今のうちに、私もひと休みしようと思いました。 

 もし母が回復して家に戻るようになったら、私には当分自由な時間はないだろうし。まだまだ先の事は何も解決してないけど、今だけ、ただベッドに埋もれて何も考えたくないと思って。

 母と親戚、病院に事情を伝え、私も2週間程別の精神科に入院することになりました。 


 部屋中を掃除して、留守中の害虫対策にホイホイをたくさん仕掛け、排水口を全て塞ぎます。

 大好きなコーンスープに、節約の為の麦茶のパックと水筒、味気無い病院食に添えるしそ昆布。携帯は持ち込めるそうですが、退屈しのぎにファイナンシャルプランナーのテキストを持っていきます。資格を取りたい訳じゃないけど、これから税金、保健、相続、年金、投資、不動産と覚えておくべきことがたくさん載っています。

 お金はないけど、無駄に搾取されないためにね。

 旅行気分で荷造りもなぜかワクワク。

 朝早くに大荷物を持って満員電車に乗るのは大変なので、前日の夜から病院の最寄り駅にあるビジネスホテルに泊まることにしました。

 大浴場で寛ぎ、大きなエビフライ定食にビール!

「うぃー!」

 一人、休息の前夜祭を満喫して、心地良いベッドに潜り込みました。


 2019年、母の心臓手術前日にも、二人で日本青年館ホテルに泊まりました。ガーリックシュリンプを食べて、温泉みたいな大浴場でゆっくりして、眼下に神宮球場を望む部屋で、試合の臨場感に大興奮!

 この頃はまだ、東京オリンピックに向けて新国立競技場を建設している途中でした。

 母は、これから手術なんて嘘みたい。最後にこんな楽しい思いができるなんて!と、大喜びでした。

 命にかかわる手術だったので、死を覚悟していたそうです。

 今思えば、その手術の2日前に、私は初めての顔面神経麻痺を発症してました。


 あれから数年、母は脳梗塞で倒れるも再び命を取り留め、私は二度目の顔面神経麻痺……。

 母の命と私の神経は、やっぱり繋がってるのかな?