#205  キッチュの世界  江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第2巻』 | 思蓮亭雑録

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 本質的に乱歩は短編作家だとして初期短編しか評価しない向きがあるようだ。確かに本巻に収められた中長編には初期短編のような締まった緊張感がないのは単に長いという量的な問題ばかりではなく乱歩の資質の問題もあるのかもしれない。一般に長編推理小説・探偵小説の作法というものがどういうものなのかは知らないが、少なくとも乱歩は全体の構想を練り上げて執筆するタイプではなかったのではないだろうか。

 何か出発点となるイメージやムードがあって書き始めるのだが、後が続かず締め切りに追いまくられてヒーヒー言う。そして休載、中断。編集者は頭を抱えてしまったかもしれないが、乱歩作品の味わいはまさにそのような作者の苦心惨憺ぶりにあるのではないかと言っては贔屓の引き倒しになってしまうだろうか。つまり、兎に角書き継がねばならないということでご都合主義や辻褄合わせが生じ、それが作品のキッチュ感を高めるのである。

 例えば『闇に蠢く』。主人公がホテルで目撃する不気味な女の顔は何かの伏線となるべきものだったのかもしれないが、充分に生かされることなく、女は死体となって穴倉に横たわることになる。また、進藤の人物造形も歪な感じだし、そもそも主人公たちが穴倉に閉じ込められた時点で作品は破綻をきたし始め、主人公の暗闇での悪戦苦闘はそのまま作者のそれでもある。この作品の連載は中断し、後から結末を書いて兎も角も完結させたが、如何にも「無理やり」感が否めない。しかし、その「無理やり」感が作品の「作り物」性を高めてキッチュな味わいを生んでいる。作品の味わいはその成功失敗とはまた別の次元にある。

 それに対して『パノラマ島奇譚』はスムースに書き進められているように感じられる。乱歩によるとこの代表作は発表時の評判は芳しくなかったようだが、ルードヴィヒ2世の洞窟を思わせる情景描写が退屈だと思われたのだろう。しかし、「今一つの世界」にあこがれる乱歩はこの情景を愉しんで描いたことは間違いないだろう。

 パノラマという19世紀的な装置はあらゆる世界を己が世界に押し込めてしまうという帝国主義的欲望を表現している。実際主人公はパノラマ島で『地獄の黙示録』のカーツ大佐のような帝王として振る舞う。もちろんパノラマの諸世界は作り物のキッチュであるが、『闇に蠢く』の洞窟世界の暗澹たるキッチュではないのはそこに乱歩の分身である主人公という美の司祭の支配があるからだ。とはいえ司祭=帝王は斃されなければならない。この作品に少々憾みがあるとすれば、司祭を斃す北見小五郎にカーツ大佐を前にしてウィラード大尉のような動揺がないことだろうか。そのことで乱歩の「今一つの世界」はやはりキッチュであり続けるのだ。