200211  戦争状態或いは内戦状態  ロック『統治二論』 | 思蓮亭雑録

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戦争状態とは、敵意と破壊との状態である。従って、一時の激情や性急さに駆られてではなく、冷静で確固とした意図をもって他人の生命をねらうことを言葉あるいは行動で宣言すれば、彼は、その意図を宣言した相手と戦争状態に置かれることになり、自分自身の生命を、他人、すなわちその相手や、相手の防衛に加担し相手の言い分を支持する者の力によって奪われる危険にさらすことになる。その場合、私自身が、自分に破壊の脅威を与える者を滅ぼす権利をもつことは合理的であり、正当である。なぜなら、基本的な自然法によって可能な限り人は保存されなければならないが、もし、すべての人間を保存することができない場合には、まず、罪のない者の安全が優先されるべきであるからである。312

THE state of war is a state of enmity and destruction: and therefore declaring by word or action, not a passionate and hasty, but a sedate settled design upon another man’s life, puts him in a state of war with him against whom he has declared such an intention, and so has exposed his life to the other’s power to be taken away by him, or any one that joins with him in his defence, and espouses his quarrel; it being reasonable and just, I should have a right to destroy that which threatens me with destruction: for, by the fundamental law of nature, man being to be preserved as much as possible, when all cannot be preserved, the safety of the innocent is to be preferred: Ⅱ§. 16.

 

従って、他人を自分の絶対的な権力の下に置こうと試みる者は、それによって、自分自身をその相手との戦争状態に置くことになる。それは、相手の生命を奪おうとする意図の宣言と理解されるべきであるからである。313

And hence it is, that he who attempts to get another man into his absolute power, does thereby put himself into a state of war with him; it being to be understood as a declaration of a design upon his life: Ⅱ§. 17.

 

人々が理性に従ってともに生活しながら、しかも、彼らの間を裁く権威を備えた共通の上位者を地上にもたない場合、これこそがまさしく自然状態に他ならない。しかし、実力行使それ自体や、他人の身体に対する実力行使の公然たる企図が存在しながら、それからの救済を訴えるべき共通の上位者が地上にいない場合、それは戦争状態である。そして、そうした訴えをなす場がない場合には、たとえ攻撃を加える者が社会のなかにおり、同胞である臣民であっても、人は戦争の権利をもつことになる。315

Men living together according to reason, without a common superior on earth, with authority to judge between them, is properly the state of nature. But force, or a declared design of force, upon the person of another, where there is no common superior on earth to appeal to for relief, is the state of war: and it is the want of such an appeal gives a man the right of war even against an aggressor, tho’ he be in society and a fellow subject. §. 19.

 

権威をもった共通の裁判官の欠如は、人々を自然状態のうちに置く。他方、権利なしに人の身体に暴力を加えることは、共通の裁判官がいる場合にも、いない場合にも、戦争状態を作り出すのである。316

Want of a common judge with authority, puts all men in a state of nature: force without right, upon a man’s person, makes a state of war, both where there is, and is not, a common judge.  Ⅱ§. 19.

 

(そこでは天以外に訴えるべきところがなく、相争う人々の間を裁定する権威がないために、どんなにささいな仲たがいでも極点に至りがちな)この戦争状態を回避すること、これが、人々が社会のなかに身を置き、自然状態を離れる一つの大きな理由に他ならない。317

To avoid this state of war (wherein there is no appeal but to heaven, and wherein every the least difference is apt to end, where there is no authority to decide between the contenders) is one great reason of men’s putting themselves into society, and quitting the state of nature: Ⅱ§. 21.

 ロックはここでホッブズと自分との相違を強調しているが、加藤節は両者の共通性に注意を促している。確かにロックの自然状態は所謂万人闘争の世界とは異なるようだが、加藤が指摘するようにロックにも自然状態の内にも戦争状態に陥る可能性があり、それ故にまた国家状態が要請されてくる。己の良心に従わず他者の固有権を侵害すること、それはキリスト者としての使命に背くことであるから悪と言えるだろう。自然状態に悪が入り込むことによってそれは戦争状態に移行し得る。その悪の可能性は決して自然状態即ち人間の本性的状態にとって外的な可能性ではなく、内在的なものと考えられるだろう。というのは、他者の固有権の侵害は他者を自己の力の下に置くことであり、言い換えればそれは自己の生存の主張であり、その限りそれは自己保存と繁殖への欲求から来るものであるが、その欲求は神が人間の本性(nature)に植えつけたものだからである。それ故、神与の自己保存の欲求はロックにとって、固有権とその不可侵性の根拠であると共に、その破壊の可能性の事実的根拠であるという両義性を持つことになるのではないだろうか。そしてこの両義性が国家状態、政治の成立の起源ということになるのではないだろか。人間の本性が神から与えられた使命を外れないものであるならば、政治の必要性は生じないだろう。ここで良心の位置づけに注意すべきであると思われる。良心がキリスト者としての使命に忠実に自然法に従って生きることを指示するものであるとすれば、それは法(実定法)的なものではなく道徳的なものであろう。だが、自然状態から戦争状態の可能性を経て成立する国家状態、政治状態は法(実定法)的な状態ではないだろうか。すなわち、国家状態に於いて個人の良心が命じるところと現実の法が命じるところが背馳する可能性は常にあり、その場合には良心が命じるところが優先されるし、優先されねばならないだろう。そこに抵抗権の根拠があるだろう。国家状態に於てもそれが戦争状態に陥る可能性は常にある。それは必ずしも他国による侵略ということではなく、むしろそれ以前に自国の統治権力による個人の固有権の侵害である。戦争状態の可能性とはまず内戦状態の可能性である。国家状態は常にその裏面に内戦状態を持つのであって、そのことが国家の本質をなすのではないだろうか。

 

A protester waves a French flag during clashes with police at a demonstration by the “yellow vests” movement in Paris, France, December 8, 2018. (Photo by Benoit Tessier/Reuters)