200209  自然状態  ロック『統治二論』 | 思蓮亭雑録

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政治権力を正しく理解し、それをその起源から引き出すためには、われわれは、すべての人間が自然にはどんな状態にあるかを考察しなければならない。それは、人それぞれが、他人の許可を求めたり、他人の意志に依存することなく、自然法の範囲内で、自分の行動を律し、自らが適当と思うままに自分の所有物や自分の身体を処理することができる完全に自由な状態である。396

TO understand political power right, and derive it from its original, we must consider, what state all men are naturally in, and that is, a state of perfect freedom to order their actions, and dispose of their possessions and persons, as they think fit, within the bounds of the law of nature, without asking leave, or depending upon the will of any other man. §. 4.

 

それはまた、平等な状態であり、そこでは、権力と支配権とは相互的であって、誰も他人以上にそれらをもつことはない。396

A state also of equality, wherein all the power and jurisdiction is reciprocal, no one having more than another;  Ⅱ§. 4.

 

しかし、この自然状態は、自由の状態ではあっても、放縦の状態ではない。この状態において人は、自分の身体と自分の所有物を処理する何の制約も受けない自由をもっているにしても、彼は、自分自身を、また、自分が所有するいかなる被造物をも、単にその保全ということが要求する以上のより高貴な用途がある場合を除いて破壊する自由をもたないからである。自然状態はそれを支配する自然法をもち、すべての人間がそれに拘束される。そして、その自然法たる理性は、それに耳を傾けようとしさえすれば、全人類に対して、すべての人間は平等で独立しているのだから、何人も他人の生命、健康、自由、あるいは所有物を侵害すべきではないということを教えるのである。298

But though this be a state of liberty, yet it is not a state of licence: though man in that state have an uncontroulable liberty to dispose of his person or possessions, yet he has not liberty to destroy himself, or so much as any creature in his possession, but where some nobler use than its bare preservation calls for it. The state of nature has a law of nature to govern it, which obliges every one: and reason, which is that law, teaches all mankind, who will but consult it, that being all equal and independent, no one ought to harm another in his life, health, liberty, or possessions: Ⅱ§. 6.

 自然状態(the State of Nature)が政治権力とその起源の理解の基礎にある。そして、自然状態を人間の本性の状態と考えるならば、人間或いは人間としての自分自身をどのように理解するかによってその政治の理解は大きく変化するだろう。その自己理解を良心と言うことができるならば、政治権力の正統な起源はその良心にあることになるのではないだろうか。ロックにおいてはそれはキリスト者としての良心であって、その限りでロックはその良心に絶対の信頼を置くことができたのではないだろうか。それ故、人間の自然状態即ち本性的状態は自由で平等な状態であるし、またそうでなければならない。しかし、信頼できるのは良心であって良心をもつはずの人間ではないだろう。というのは、人間は自由であるが故にその良心に背く自由を有しているあらである。これは厄介な問題となるように思われる。自由は人間を他の被造物と区別する卓越性であろう。その卓越性の故に人間はその自己保存のために他の利用することが許されるが、同等の神与の卓越性を持つ他の人間の固有権を侵害することは許されないのではないだろうか。それぞれの固有権が神に由来するものであればその侵害は悪であり、そればやはり神に由来する自由によるとすれば、神は自ら被造物の世界に悪の原因を創ったことになるのではないだろうか。そこで人間には自己の固有権の破壊の自由を持たないという制限が設けられる。自己の固有権が神に由来するものであれば、個人はその良心に従う限りそのをそれを破壊することができないだろう。ただ、そこにロックはその保全より高貴な用途がある場合を除いてと付言している。逆に言えば高貴な用途のためには個人は自己の固有権を破壊する自由を持ち得るということある。ここに公共の成立する場所があるのではないだろうか。高貴な用途とは神の意に適う用途であろう。そして、神は個々人それぞれに等しく自己保存の欲求とその固有権を与えたとするならば、他者の固有権の保全のためには場合によっては自己の自由に依って自己の固有権を犠牲にすることは寧ろ神の意に適うことではないだろうか。他者の固有権の保全のためには自己の固有権をも犠牲にし得るということは、他者の固有権の保全は個々人にとって自己の固有権の保全を超えた至高の使命となるのではないだろうか。そうだとすると、個々人には他者の固有権を破壊する者の固有権は破壊し得る自由が与えられているということになるのではないか。自由は全きものになると同時に、その自由が存立するのは公共という空間だということになるように思われる。従って、固有権を破壊する自由は本来自由の名に値しない恣意ということになる。尤も、固有権の侵害即ち悪は現実に生じているのであり、少なくとも神学的には大きな問題が残るだろう。

 

Paris sewer workers march through the streets of Paris on the 9th inter-professional day of strikes and demonstration against President Macron’s controversial pension reform on February 06, 2020, in Paris, France. President Macron is facing his biggest test since the Gilet Jaune or “Yellow Vest” movement as railway, transportation workers, teachers, students, hospital employees, firemen, lawyers, garbage collectors are continuing the strike called in protest to changes to France’s pension system, currently being debated in parliament, which aims to merge 42 different pension schemes into a single, points-based system, to have everyone in France retire at the same time. (Photo by Kiran Ridley/Getty Images)