「ズルい」という便利な言葉 | ヒーリングルーム Angel touch

ヒーリングルーム Angel touch

ヒーリングルームAngel touchのブログです。
【より善く生きるためのヒント】
として、
癒しのステップに役立つヒントを綴っていきます。



誰かに対して
『ずるい』という指摘をする人がいますよね。

今回はその奥に潜んでいるものを見ていきたいと思います。

そもそも「ずるい」とは、一体何なのでしょうか?


「ずるい」とは、
自分に有利にするために、
汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。

自分の利益のためにごまかして上手く立ち回るさま。


―辞書より―



本当に汚い手を使ったり、ごまかしたり、
だましたりして何かを得ている人を見たら、
確かに「ずるいな」と感じるかもしれません。

ところが、
この意味に合っていない状態でも、
「ずるい」という言葉を使っている人を、多く見かけます。


私自身も、
「ズルい」と言われた経験は子どもの頃から何度もありました。

ところが私はそのように言われた時に、
「汚い手を使ったり、ごまかしたり、
 だましたりして何かを得た」
わけではなかったのです。

当然ですが、
なぜ「ずるい」と言われなければならないのかがわからず、

「私って何かずるいことをしたの?」
 
と困惑する経験が何度もありました。

「あなたはズルい」とぶつけてくる人は、
こちらが悪いという意識でぶつけてきますので、
私にとっては、身に覚えがないのにいきなり
「お前が悪いことをした」と言われて
殴りつけられるような感覚と同じようなものでした。
 
そのためこれは、人が怖くなっていった要因でもありましたし、
そうに思われることに対してはかなり敏感になっていた時期がありました。
 



(白黒の毛だなんて、ズルいニャ!!)
 



さて、
人はどういう時に『ずるい』と感じるのでしょうか?

私が『ずるい』と言われた経験は、
例えば良い成績を取ったとか、
何かが人よりうまくできた時などでしたが、

何度も言いますが
「汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたり」
したわけではないのです。

でも、とある人から見れば、
私は、「ずるい」と感じる状況なわけです。

そのため、
自分が誰かより何かができてしまったり、
誰かよりも何かを得てしまうことは
「ズルいこと」になるのだ、
と思ってしまっていた時期がありました。
(他人が自分より秀でていることは構わない、
 むしろそれならぶつけられなくて済むから良いと思っていたので、当時はとても自己肯定感が低かったといえます)


冷静に考えれば、
ずるいと言われるようなことはなにもしておらず、
もっと言わせてもらえば
それなりの努力を費やして得た結果であるにもかかわらず、
そんな言葉をぶつけらるのであれば、
これは誤解ですし、単なる嫉妬です。
(今ならわかりますが、当時は理解できませんでした)


自分が欲しい結果や現実がうまく手に入らず、
フラストレーションがたまっている中で、
目の前の人がそれを手にしているので非常に気に入らない。
 
だから「ずるい」ということにするのです。

自分の現実は自分の責任であることを受け入れられないがために、
嫉妬している相手に自分の状況の責任を押し付けて、
その不満を相手にぶつけることを正当化しているのです。

だからこそ、当時の私も
まるで私が責められるのが当然であるかのような態度を取られたことがありました。

「ずるい」と誰かを責める時、
その人は苦労や努力をしないで容易くそれを得た、
と思い込んでいます。

でもそれは勝手な思い込みです。
知らないところでものすごく努力をしていたかもしれないのに、

自分がそれを得られなかったのは自分の努力が足らなかったり、
やり方や姿勢が間違っていたからかもしれないのに、

目の前に見えているものだけで物事を判断し、
責任の軸を相手に移して、
「私よりあの人が持っている(得ている)のはズルい」
ということにするのです。

こういう状況は、多くあると思います。

みなさんも、
ズルいと言って誰かを責める側、
不当に責められる側、
どちらも経験があるのではないでしょうか?

しかしこのからくりを理解すれば、
「ズルい」という言葉そのものが
間違って使われていることがよくわかると思います。




(言葉ってムズカシイニャ。。。)
 



百歩譲って、
本当にズルいことをして何か利益を得ている人がいたとして。

でも、

「だから一体何なのか?」

ということ。


それはその人の問題であり、私やあなたの問題ではありません。

犯罪ならばそれは警察官がどうにかする案件であり、
犯罪ではないなら倫理や良心の問題になります。

倫理的に自分には理解できないような姑息なことをしている人がいたとしても、私たちがそこに直接関係があるわけではありません。
(もし直接関係があるならばそこから一刻も早く離れなければなりませんので、不満を言っている場合ではありません)


それなのにもかかわらず、
「あの人はズルい」と不満や怒りを持つのは、

感じる側の勝手な妄想、エゴです。

そこに怒りや嫉妬を感じるならば、
それは「私たち自身の問題」なのです。


しかし、先ほどと同じで、
「ズルい」という言葉にすり替えることで、
悪いのはズルいことをした方だ、
ということにできてしまいます。

だから自分はそれを責めても良いのだ、と。

その結果、
「自分の感情の問題から目をそらすことができてしまう」
ということになります。

「私」が感じるこの怒りや不満を、
「正当なもの」にできるからです。

「ズルい」という言葉は、こんな風に使える、
とても便利な言葉であるといえます。
 



(人間はワシを運んでくれるので便利だニャ)
 



さて。

誰かが本当に『ずるいこと』をしたとして、
あなたも同じように「ずる」をして、同じものを得たいのでしょうか?

そんなことはないはずです。

だったらそこに怒りや不満を覚える必要はないのです。
「やったことは自分に還ってくる」のですから、
本当にズルいことをやったのだとしたら、
その報いはやがてその人が自分で受けることになるのですから。
 
私たちが関知する必要はありません。

一方で、
その人がなんの苦労もなく『良い思い』をしていたり、
『良い境遇』にいるように見えてしまっていて、
それを「ずるい」と感じるならば、

それは勝手な思い込みに過ぎない、
ということを理解しなければなりません。

なんの苦労もなく、かどうかはわからないことです。
もしかしたら、
あなたには全く見えないところで、
相当の努力をしていたかもしれません。

或いは生まれつき持っている才能などで
一定の地位や結果を得ているのかもしれませんが、
努力を伴っていない人はいませんし、
少なくともそれは「ズルい」とは言いません。

誰もが自分なりのそういうものは持っているはずであり、
それを活かすか活かさないかは、自分次第ですよね。
努力をしていない人はいないし、
自分の魂が選択してきた環境の中で、
どのように成長していくかはその人次第。

「ずるいことをして」得ているわけではありません。

「ズルい」という言葉を使っている時、
多くの場合、そこには
本当は「別の言葉」が正しい状況があります。

私たちは言葉の使い方にもっと気をつけなければなりません。

努めて真実の言葉を使いましょう。




もし、「あの人はずるい」と感じてしまうなら、

『私はあの人が羨ましいのだ』

と素直に認めましょう。

そこに潜んでいるのは、嫉妬であり、羨望なのです。

あなたがモヤモヤするのは、
あの人が自分が欲しい物を持っていて、自分は持っていない、
と思ってしまっているから。
そしてそれを「いともたやすく」手に入れたように見えてしまっているから。


でもそれは、真実ではないし、
「ズルい」
とは言いません。

もう一度言います。

真実の言葉を使いましょう。



言葉の使い方を間違えると、
真実が見えにくくなり、歪んでしまいます。


間違った言葉を使っているままでは、
いつまでたっても自分が欲しいものは手に入りません。

「自分が持っているもの」
「自分が得ているもの」
に目を向けましょう。


もしかしたらあなたも誰かから、
「ズルい」と思われているかもしれません。
 
もしそうだとして、
あなたは「そうだね。私はズルいね」と同意するでしょうか…?
 
そんなことはありませんよね。

真実に目を向けることを意識しましょう。

覆い隠された感情(嫉妬や羨望)を認めることができれば、
自分の現実は変わっていくはずです。

 

 

 

 

 

 

///////////////////////////////////////////////////

 

~いつもお読みくださる皆さま、

  シェアしてくださる皆さま、

    本当にありがとうございます~

 

【過去記事】

ヘルスケアコラム

https://angeltouch-healing.jp/healthcare_column.html

 

ヒーリングコラム

https://angeltouch-healing.jp/healing_column.html

 


 

 
(夏バテ注意。)