最近、SNSでのネガティブコメントや誹謗中傷が話題となることが増えていますね。
今回は、
その根底にある「嫉妬」についてのお話です。
私たちは、
誰もが心の中に、
何かしらのネガティブな感情を抱えています。
人生の中でうまくいかなかったこと、
やりたいのにやれなかったこと、
望んだ結果が得られなかったこと、
当たり前ですが、誰にでも色々あるわけです。
そこに対してどうにか折り合いをつけて、
自分なりに受け入れていくのが魂の成長…
なはずなのですが、
実際にはあまり折り合いをつけられないままで、
気持ちを片付けられずにいる方も多いといえます。
SNSというのは、便利で楽しいツールですが、
他人の「キラキラしている側面」ばかりが目につくものでもあります。
悩みやネガティブなことよりも、そういう投稿をする人の方が多い性質のものだからです。
単純に楽しんで見られるならよいのですが、
そうもいかない方も多く、それを悩んでいる方もいます。
私からは、
「SNSを見ると嫌な気持ちになる、
暗い気持ちになるなら、見るのをやめる」
ことをお勧めしていますが、
辞められない方も多いようです。
「気になって仕方がない」のです。
それは
キラキラしていてまぶしいから。
(私たちは光があればそちらに目が行くようになっています)
そうなのであれば、
自分の中には「嫉妬」が隠れている、
ということを知る必要があります。
一般的に、光が強ければ強いほど、
光の当たっていない暗い部分もコントラストとして目立つようになりますよね。
キラキラ輝いている人を見れば見るほど、
実際には自分の中の「闇」「暗さ」がクローズアップされてしまいます。
つまり、
「自分はうまくいっていない」
という想いの強い人であるほど、
他人の「キラキラ」が気になるのです。
すると、なんだか無性にイライラしたり、
気分が悪くなってきてしまい、
何とかその嫌な気分を消してしまいたくなります。
その原因を「自分の内側の問題」として捉えられずに、
外側にあるその「キラキラ」の問題にしてしまいます。
「キラキラしてるのが悪いんだ!」
という理屈です。(苦笑)
その理屈により、攻撃することを正当化してしまうわけです。
正当化されているのでどんなに酷い言葉を投げつけても、
悪いことをしているという意識がありません。
(何せ、「キラキラしてるのが悪い」のですから)
SNSは使い方によって、
光のツールにもなれば闇のツールにもなります。
ネガティブな使い方をしようと思えばいくらでもそうできます。
そして、匿名だからこそブレーキが効かなくなるという、危険な側面を持っています。
とはいえ、
そのような行為が本当は正当化されるものではないことは、
実際には自分が一番良くわかっています。
だからこそ、自分の名前や顔がさらされる状態でそれをやる人はいないのです。
簡単に言えば、これは
「嫉妬」が生み出す感情を「他人のせい」にして、
相手を貶めることで自分を正当化している行為
です。
匿名であろうとなかろうと、
誰かに対してその人を貶めたり、傷つけたりする言葉を投げつけてよいはずはありません。
何故そういうことをしてしまうのか、
したくなってしまうのか、
私たちはまず、
自分の内側で何が起きているかを見つめる必要があります。
(光が強ければ強いほど、
影はくっきりと浮かび上がる)
過去に一度このブログ内でご紹介したことがありますが(末尾参照)、
以下は今は亡き立川談志さんが嫉妬について語った言葉です。
「己が努力、行動を起こさずに
対象となる人間の弱みを口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、
これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば
更に自分は安定する。
本来なら相手に並び、抜くための行動、
生活を送ればそれで解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。
嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩のかたまりみたいなもんだ。
だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、
世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う 」
この言葉の中にもあるように、
「嫉妬をしている方が楽」なのです。
でも、
「そんなことでは状況は何も変わらない」
のです。
むしろ、
結果としては自分をより追い詰めることになってしまいます。
もし、誰かに対してネガティブな発言をしたくなったり、
意地悪な感情が芽生えてきたりしたら、
それはまず、
「嫉妬が原因となっているかもしれない」
ということ、
そしてそれは
自分自身がうまくいっていない、
自分に満足できていないという感情が原因で生まれてくるものであり、
そんなことをしていても状況は何も変わらないにもかかわらず、
そうやっている方が楽だからこそ自分はそこから動こうとしないのだ、
ということに気づく必要があります。
揺さぶられるのは、
どこかで「本当は自分もそれが欲しい」
と思っている事柄についてであり、
興味のないものに対して揺さぶられることはありません。
つまり、なんだか良い気分がしなかったり、
ギチギチしたものが胸の中から持ち上がってくるのであれば、
そこには
「自分が欲しいと思っているもの」がある、
ということです。
ネガティブな感情が強ければ強いほど、
本当は「自分もそれが欲しかった」ということを表明しているということでもあります。
残念だけど自分はそれを得られなかった。
そんな風にはなれなかった。
それを目の当たりにさせられるからこそ、
その事実を見ないでいられるようにするために、
談志さんが言っているように
「相手を自分の位置まで下げようとする」
わけです。
例えるならば、
自分よりきれいに咲いている(と感じる)花に泥水をかけて、
自分と同じくらいに汚してしまえ、
ということです。
でもそれをすればするほど、
実際にはより自分がみじめになっていきます。
心の中ではそれがわかっているので、
余計に負の感情が増し、相手をもっとディスりたくなるという
「負のループ」に入ってしまいます。
自分のやっていることが
「そういう行為なのだ」と気づくまで、
それはやめられません。
(光に当たってキラキラしているお花は、
きれいだよね。
うらやましいよね、うん。)
多くの場合には身近な人に対して嫉妬することが多いでしょう。
自分と似たような立場や、似たような境遇だからこそ、
「私は持っていなくて、あの人は持っている」
という比較がしやすいからです。
一方で芸能人やアーティストに対して嫉妬をする場合もあります。
冒頭で書いたように最近はネットで芸能人のSNSなどに心無いコメントをする人が多いですが、
才能が飛びぬけているようなアーティストより、
少し身近に感じるような人の方が誹謗中傷を受けやすいといえます。
今の時代は芸能人といえども一般人との距離が近くなってしまったため、ぶつけやすくなっているのだと思われます。
でも、ある程度以上の才能がなければ一定の成功はできません。
少なくともその部分に関しては、
その人は私やあなたよりは、何らかの才能や運を持っているからこそ、その立場にいるわけです。
そして何の苦労もなくそれを手にしているわけではありません。
身近な人も同様です。
自分にはなかったものを手にしているということは、
談志さんの言われているように「何かが違った(原因があった)」
のです。
自分にはできなかった努力をしてきたのかもしれません。
その部分に対する才能を、自分よりも持っていたのかもしれません。
そういった「違い」は客観的に認める必要があるでしょう。
「自分との違い」を客観的に見つめられるようにすることは
自分のためにも大事なことです。
そして、
ないものをいつまでも「欲しい」と言っていても、
自分の人生にそれが勝手にやってくることはないのであり、
自分の今いる位置から、自分の人生に対して前進する努力をするしか、やれることはないのです。
そういう意味では、人生は「平等」ではありません。
でもそれは不幸なことではなく、
人それぞれ、持っているものが違う
というだけのことです。
自分にはそれがないのだからダメなんだ、
と考える必要はないのです。
誰でも、
人から見たら「いいな」と思われるものを持っています。
「なんにもない」人なんていませんし、
自分なりの才能や幸せや「これでよかった」と思うことがあるはずなのです。
それはもしかしたら、
自分からすると「こんなもの」と思うような、
大した価値のないものに見えるかもしれません。
でもそれは、
「既に持っているものに対しては客観的な価値を認めない」
という傾向からきています。
自分に自信がない、
自分の状況に満足できないために、
結果として「あるもの」は認めず、
「ないものねだり」をしてしまうのです。
もし、自分のような人が身近に「友達として」そこにいたら、
どこをどんな風に認めてあげられるでしょうか…?
それと同じように、
自分が持っているものを客観的に評価できるようになりましょう。
もう一つ。
幸せな人は
人を蔑むようなことは絶対にしませんし、
言いません。
余計な文句を言うこともありません。
人にわざわざネガティブなことを言う必要なんてないからです。
つまり、誰かを蔑んだりする人は、
当然ですが「幸せではない」のです。
それを人にぶつけることでしか対処できない、
「気の毒な人」であるといえます。
自分が何かをされたわけでもないのに、
誰かを攻撃したくなるのだとしたら、
「自分はなぜそんなことをしたくなるほど、
幸せではないのだろうか?」
と考えてみてください。
外側に見えている景色にいくら泥を投げつけても、
自分の世界が変わってくれるわけではありません。
幸せが訪れてくれるわけでもありません。
私たちは自分の幸せのためにエネルギーを使う必要があり、
そうではないこと(他人をディスるようなこと)をやっている暇は
人生の中には一秒たりともないのです。
自分の心に、
きれいで幸せな花が咲くようにするためには何ができるのか
それを探していきましょう。
すでに掌の上にあるかもしれないよ)
参考記事
~いつもシェアしてくださる方々、ありがとうございます~
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【過去記事】
ヘルスケアコラム
https://angeltouch-healing.jp/healthcare_column.html
ヒーリングコラム
https://angeltouch-healing.jp/healing_column.html