あるてみすてんぷるの沙羅です。
息子が無事飛行機に乗ったようで^^
後は中国に入国でき、出国でき、アメリカに入国できたら良いな^^と思う母。
色々と面白いことを起こす子なので。
全てが力と経験になっているようなので重畳重畳。
さて、私たちは肉体を持って生まれてきています。
肉体を持って生まれてきて、感情というものも持ちます。
その感情は、今世につけてしまったものだけでなく前世・過去世から、
もっと言うなら私たち魂が誕生した時からずっと付けてしまった感情があるのです。
その感情で喜ばしいものはいいのですが、その逆のものもあるのです。
この逆のものが厄介でして。
自分の一部となっているために、あたかも自分であるかのように正当化して
語り始めます。
それが毎日毎瞬暗示となって自分で言い続けているわけです。
言い続けることにより、これは私にとって理である、と思うわけです。
ある意味、信念となっている場合もあります。
そこを自分で気付ければいいのですが、自分で気付けないことが多いものです。
気付くコツとしては、人に指摘された時にモヤっとする、とか、
すぐにそれは違います!と反論したい時などは注意が必要です。
また、私たちの邪な感情というものは、上記書きましたように自分の一部となっている
訳です。すると、取られてなるものか!とばかりになかったかのように
カモフラージュをし始めます。
自分にはない、と流してしまうんですね。
ここに気付くには相当注意が必要です。
また、この感情に気付きました。
気付いて終わり、ではなくて、それからどうするのか?
と細かく目標設定が必要なわけです。
それは聖書によく出てくるのですが、特に私が好きなのは創世記の13章、
「ロトとの別れ」のところ^^
聖書は読んだだけで私たちを何ものかに変える魔法の書ではなく、
実践の書でもあります^^
ご一緒に霊学の実践をしませんか^^