あるてみすてんぷるの沙羅です。
「出る杭は打たれる」という言葉は、この世に生きる私たちの心に深く染みついています。
目立てば叩かれる、前に出れば傷つく。
そうした経験や恐れが、できないオーラや自信がないオーラとなって、
無意識のうちに自分を覆い隠す隠れ蓑となることがあります。
一見それは、賢い生き方のようにも見えるでしょう。
波風を立てず、安全な場所に身を置く。しかし霊的な観点から見た時、その在り方は成長を止める選択に他なりません。
霊学において、人はただ安定の中に留まるために存在しているのではなく、自分が決めてきた可能性を現し、
現実世界で実践していくために存在しています。
内に宿るものを外に現していく、その過程こそが霊的成長なのです。
にもかかわらず、自ら光を弱め「私はできません」「私はその器ではありません」
と演じるとき、何が起きているのでしょうか。
本来、魂は知っています。自分が何を為し得るのか、自分がどこまで広がれるのかを。
しかし、過去の経験や周囲の目を理由に、それを押し込めてしまいます。
その瞬間、外側では守られているように見えても、内側では力が滞り停滞が始まります。
霊的成長とは、決して安全な場所に留まることではありません。
むしろ、恐れを感じながらも一歩を踏み出す勇気の中にこそあります。
出る杭は打たれるかもしれない。しかし霊的に見るならば、その打たれる経験すらも
また、魂を磨くための踏み石となるのです。避け続けることによって失うものと、向き合うことで得るもの。
その差はあまりにも大きいとは思いませんか^^
ここで大切なのは、自信があるかどうかではありません。
自信がないままでもいいのです。
ただ偽ることをやめることです。
できないふりをすること、自分を小さく見せること、その習慣を手放すことです。
たとえ怖れていても、自分の内にあるものをそのまま差し出す。
その姿勢こそが、霊的には真実であり成長への扉を開く鍵となります。
本当の意味で守られるとは隠れることではなく、自分の本質に一致して生きることです。
そのとき人は、たとえ外側で何が起きようとも内側の軸を失わなくなります。
もし今、自分ができないオーラをまとっていることに気付いたなら、それはすでに大きな一歩です。
その気付きは、魂が次の段階へ進もうとしている証だからです。
どうか、その気付きを無駄にしないでください^^
小さくてもいい、一歩でいい。
隠れることをやめる選択をしてみることです。
その一歩がやがてあなた自身を、そして周囲をも照らす光となっていくのです^^v








