立ち入ってはいけない領域ってあると思う。
セッションでもそうだし、人間関係においても。
人との距離感とか境界線、というのも昨日友達と話になりました。
時々セッションとか講座で話すんだけど、例えば新しく引っ越してきたお隣さん家の草むしりの話。
最初はどんな人かわからないからある程度距離を置きつつ、段々と仲も良くなっていくと、時々お世話になったりお世話したりの関係になっていったとします。
それでも、どんなに仲良くなったとしても、やっぱり入ってはいけない領域ってありますよね。
人の庭に勝手に入っていったりしないですよね。
いくら良かれと思っても、その人がやってといってもいないのに人の家の草むしりをしたりってしないですよね。
人の家の問題は人の家の問題で、頼まれていないのに「どうしたの?」とお隣さんちに入っていったり、アドバイスを求められていないのに「これこれが問題だと思いますよ」とか言ったりしないですよね。
(共依存だとお互いが同じ感じなので、違和感に気付かない事もあるかもだけど)
自分は良かれと思ってやっていたとしても、相手が本当にそれを望んでいるかわからないですよね。
相手は今それを望んでいないかもしれないですよね。
自分でじっくりタイミングを待っているかもしれないし、自分で何とかしようとしているところかもしれない。
自分で答えを見つけたいと思っているかもしれない。
それはその人の課題かもしれない。
「やってあげる」「教えてあげる」って、いいことのようだけど実はその人がそれを自分で乗り越える過程や、その人が自分で調べる過程を奪ってしまうことにもなるということ。
で、こういう境界線を乗り越えて「やりすぎてしまう」というのは、これまた私的にみると、インナーチャイルドやバーストラウマが影響していたりするのではないかなと思ってしまいます。
これはよくバーストラウマ再誕生セッションとか講座で話すことが多いのですが、無意識に
「嫌われたらどうしよう」
「自分は必要とされているか不安」
「誰かの役に立っていないか常に心配」
「自分に自信が無い」
というような強い思いが、無意識に「やりすぎの行為」になってしまうことがある。
境界線というものに気付かないで。
人に尽くしすぎてしまったり。
頼まれていないのに、相手が望んでいないのにあれこれやってしまったり。
人に必要以上に喜ばれようとしたり。
自分を犠牲にしても人のためにと考えてしまったり。
でもそれは親切のようにみえて実は自分の恐れから来ていたりする。
そして相手も同じようにしてくれるとは限らないから、自分が期待していた反応とか返しが無いと突然ブチ切れたり、「ひどい」とか「どうせ私は」とすねたりしてトラブルが起きたり。
「私はあんなにやってやったのに!」
と怒ったり。
でも、相手からしたら「え?そんなにやってと頼んだわけじゃないのに・・・」となったりする。
人との境界線はみえないけれど大切なものだから。
そして、知らず知らずのうちに近くなったり、踏み込み過ぎてしまうことがあるから。
いい距離感を保つよう心掛ける。
入り込みすぎない。
近づきすぎない。
仲良くなればなるほど、親しくなればなるほど、これって大事なんだと思う。
ほどほどの距離が一番いい関係を築ける。
・・・・・
うーん、これ昔まさに、
私友達と共依存の時こういう感じでした^^;
後になってわかる。
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