こんにちはキラキラ


月丘 和果

つきおか のどか です照れ

 

 

そのまんまの私で良かったんだ。

 

 

やっと、やっと、

自分を認められた気がしました。

 

そのまんまの自分で

ここに居ていい。

 

何かができる人でなくちゃいけない。

そのまんまの私では役に立たない。

 

自分は、いつも足りない。

欠けている。

 

そんな無言の焦燥感に

いつも襲われて駆り立てられていた。

 

自分の居場所はどこにもなかったし。

 

どこに行っても、

自分は受け入れられていない気がしていた。

 

「私が居てごめんなさい。」

 

幼少期から、いつも

そう思ってしまう私の癖。

 

 

スピリチュアルや心理学を学んで、

思考や言葉では、「そのまんまでいい」って、

 

自分に言い聞かせ続けて来て、

もう何年も経つ。

 

何にもやる気がおきなくても、

グータラで何の生産性もなくても、

 

落ち込んでばかりで、

夢遊病状態でも。

 

人に合わせられなくて、

人付き合いが苦手でも。

 

 

「そのまんまでいい」

 

 

何にも出来ない自分に

許可し続けてきた。

 

 

「そのまんまでいいんだ。」

 

 

やっと。

とうとう、今。

 

自分の身体が、

心が納得できた。

 

「そのまんまの私でいい」

 

今までは、無意識で

受けいられられていなかった言葉が、

 

やっと、すんなり

それを受け入れられるようになった。

 

長年、苦しんできた

魔の巣窟である実家で、

 

その言葉が、

自然に身体から聞こえたということは、

 

長年の癒やしの修行が実った

大きな変化と発見。

 

2024年5月。

おめでとうキラキラわたし。

 

 

気がついたのは、

ちょうど1年前でした。

 

自分の症状が

心的外傷後ストレス障害(PTSD)なのだと

 

実家に居ると、

過去に抑え込んだストレスを

 

同じように身体が感じて、

軽くパニック状態になっていたのですショボーン

 

閉じ込めてきてしまった自分自身を解き放ち、抱きしめて、愛してあげること。

 

幼少期から、

父に怒鳴られたり、

母に責められたり。

 

感情的な両親の鬱憤を

ぜーんぶまっすぐにぶつけられて、

 

「お前が悪い」という

エネルギーを浴び続けていたので、

 

私にとっての

トラウマになっていたのです。

 

子供の頃から自殺願望を抱えていた理由

 

 

本当に私が悪かったのなら、

どこがいけないのか?どうしたら良いのか?

 

改善策を

教えてもらいたかった。

 

けれど、大抵は、

 

怒られている内容は、

私にとっては理不尽なものだらけ。

 

いつも混乱していたし、

振り回されてきました。

 

両親の機嫌次第で、

私は、どうしようもできなかった。

 

 

私は、私の存在自体が世界にとって悪なのだと

信じ込んできてしまいましたぐすん

 

自分をいつも責めてきた。

 

「生まれてきてごめんなさい」と。

 

 

怒鳴られるんじゃないか。

責められるんじゃないか。

 

心の中では、

いつもビクビクして、

 

無意識に、身構えて

防御の姿勢が体に染み付いていた。

 

世界は、敵だらけの戦場だったし、

私にとって、安全な場所はなかったぐすん

 

両親の攻撃を受けない解決方法は、

唯一、自分自身の存在を消すこと。

 

子どもの私にとって、

両親と暮らす実家ですら、

 

安心できる居場所でなかったら、

一体、どこで生きていけるというのでしょうか?

 

中学の担任の先生に、

「感情のない子ども」と言われたのを覚えています。

 

自分の心に鍵をかけて、

自分を消してしまわなければ、

 

HSPで感性の高い私は、

生きてくることができなかったのです。

 

 

しんどかったし、

悲しかったなぐすん

 

苦しかったな。

 

一番、しんどかったのは、

その苦しい理由が、今までわからなかったことぐすん

 

自分が悪いんだと。

自分がおかしな人間だからだと。

 

頭で理解できない不安や焦燥感や、

罪悪感、無価値感、自殺願望を

 

どうしようもできず、

誰にも相談できず、

 

ただ、押しつぶされるだけ。

 

生きるので、

精一杯でしたぐすん

 

 

今回、東京に用事があったので、

実家に3日間滞在しています。

 

最初、母に電話するのも、

正直、億劫で、怖くて、憂鬱だったのですが。

 

今回。

 

母と日常会話が

できるようになりました。

 

PTSDも、

起きていません。

 

腰が痛いと言う母と、

一緒にストレッチ体操をしました。

 

どの整体や鍼灸院を勧めても

「行かない」と言い張る母は、

 

新しい環境や、見知らぬ人の場所に

行くのは難しい。

 

インスタで良さそうと思った、

ストレッチ動画を見ながら、

 

私の説明を素直に聞いて、

一緒に体操をする母との時間が

 

とても嬉しくて、

愛おしいと思いました。

 

やっと気を使わず、

緊張せずに、

 

素の母と娘で

同じ空間に居られるようになれました。

 

私にとって、人生で

何より一番叶えたかった時間でした。

 

人生で一番叶えたかったことに。とうとう気がついてしまいました。

 

やっと、幼少期からの

夢が叶いました。

 

母に、今の私を

受け入れられた。

 

認めてほしかったのは、

褒めてほしかった訳ではなく、

 

ただ、そのまんまの、

素の私の存在を受け入れて欲しかった。

 

 

 

そのまんまの私で、

生きて良かったんだ。

 

 

わたしは、ずっと、

この感覚が欲しかった。

 

「生まれてきてごめんなさい」

「私が居てごめんなさい」

 

どうしても消せなかった

無意識に自分の中にある観念。

 

世界のどこに居ようとも、

自分の居場所がなかった私にとって、

 

今回の気付きは、

大きな変化のギフトになるような気がします。

 

 

過去の悲しかった恨みつらみを

母に言う必要もなければ、理解してもらう必要もない。

 

ただ、今。

 

そのままの母と、そのままの私で、

お互いを尊重して、同じ空間に居たかった。

 

一緒に平和な空間を

体感したかった。

 

欲しかったのは。

 

ただ。それだけ。

やっと、願いが叶いました。

 

 

 

【トラウマのギフト番外編】

 

 

実の親なのに汗

 

世界で一番気を使う相手だったし、

世界で一番、怖い生きモノでしたぐすん

 

でも、私にとっては、

その親子関係・人間関係しか知らなかった汗

 

 

それがあんまりにもシンドいもので、

私は、いつも旅に出ていました。

 

実家に居たくないが故に、

私は、天才的な旅の才能を発揮し、

 

旅先で稼いで暮らすノマドな生き方を

10年以上も続けてきたのでしたチュー

 

 

旅は、楽しい。

 

去年の今頃の無職の3ヶ月間も、

アッパレな天才的旅の才能で、

 

仙台・新潟・長野・金沢を行ったり来たりして、

バイトして遊んでいたのでしたニコニコ

 

苦しかった経験も、

今は、感謝キラキラ

 

きっとどんなものにも、

ギフトの側面もあるはず。

 

旅のサバイバル能力は、

私にとっては才能なのだけれど。

 

さまよい続けて、

自分に向き合い続けて、

 

被害者意識や恨みつらみの

エネルギーを漂わせず、

 

ここまで言語化できるように

なれた自分の成長が、嬉しいです。

 

やっと人生の

新しいフェーズを迎える気がします星

 

行動するより大事なこと。全部をひっくるめて、わたしとして生きる。

 

 

シャスタを手放してから、

夢遊病状態で、

 

ずっと自分の溜め込んだ感情・インナーチャイルドに

向き合い続けてきた努力の上に、

 

今回の大転換の気づきに

つながったきっかけが、2つありましたキラキラ

 

感謝の思いと共に、

残しておきたいので、

 

次回のブログで

ご報告しますウインク

 

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楽しんでくださいねウインクドキドキ