こんにちはキラキラ

 

月丘 和果

つきおか のどか です照れ

 

やんばるでの恵まれた

平和な暮らしの中で。

 

人生で一番、叶えたかったことに。

とうとう気がついてしまいました。

 

それは。

 

お金を稼ぐことでも、

 

海外に旅行に行くことでも、

 

インスタのフォロワーを何万人

獲得することでもありませんでした。

 

ああ。

 

私が一番欲しかったこと。

 

それでいて、

一番怖いこと。

 

それは、

これだったんだなぁ。

 

 

念願叶って、沖縄の自然に恵まれた

やんばる暮らしとなり、半年。

 

このブログでも色々と書いてきましたが、

すったもんだネタ満載の私の半生は、

 

やんばるにたどり着いて、

かなり平和になりました照れ

 

過去の私にとっては、冬至と言えば、パワハラシーズンでした。

 

自然の風景の近くに住んで、

お家からは海も山も見えて、夜は満点の星。

 

こんなに恵まれている暮らしができるなんて、

こんなにありがたいことはない。

 

けれど。

 

「あれ?何かが足りないチュー

 

満たされていない自分に、

気がつくのですチュー

 

次に私が

やらなきゃいけないことは、

 

作家になることなのか、

 

発酵研究家になることなのか、

 

古民家をDIYすることなのか…?

 

そんな風に

答えを探していたこの頃。

 

ふと、この言葉が降りてきた。

愕然としながらも、

 

やっぱりね…と、

正直思う自分も居たので、

 

それを残しておこうと、

今、ブログを書いています。

 

 

私が一番欲しかったもの。

 

それは、

 

母との和解でした。

 

 

ケンカした訳ではありません。

 

やんばるに引っ越してからは、

ほぼ連絡をとっていないので。

 

私は、心の中では、

母を許せていないのです。。。

 

 

母について思う時、

脳裏に焼き付いているのは、私を睨みつける母の目。

 

母と目を合わせて会話した記憶はほぼありません。

 

私に何かを言うときは、

母は、何か別のことをやりながらで、

 

どうしたらいいのかは、

教えてくれないまま、

 

母の思う通りに私が出来ていないと、

いきなりヒステリックに怒鳴られて、責められる。

 

私が、私の尊厳を守る。

 

それが、怖くて、

私は、実家では息ができず、

 

いつもビクビクして、

心を閉ざすしかできませんでした。

 

父からは、

モラハラ、

 

母には、

ヒステリックに責められて、

 

自分の存在は、

両親にとっては、邪魔な悪な存在なんだと

幼少期から思っていた。

 

なので、

自分を消してしまいたかった。

 

どこに居ても、

両親に責められないかと気を使い、

 

常に戦場に居て、

世界に居場所がどこにもなかった。

 

私は、どこにも

誰にも、受け入れられていない。

 

この概念が

相変わらず、根強い上に、

 

愛している人に

私は、嫌われる。

 

この思い込みが強固にあることに

気がついたのも、ここ最近のこと。

 

嫌われる前提ですから、

怖くて好きな人に近づけないワケですよチュー

 

私の過去の恋愛が

上手くいかなかった理由は、

 

この概念を持ってたからなのでは?!びっくり

と、やっと気がついた。

 

(それで、当時の私は、シャスタ山と結婚する!と本気で決めて、

 恋愛対象を人間から山にシフトしたのでしたチュー

 

 

私は、母を愛していたし、

母に愛されたかった。


邪険にされてきた母との幼少期の記憶が、

好きな人に近づこうとする度に、蘇り、

 

のたうち回るほど、

苦しむのです汗

 

 

寂しかった自分。

 

悲しかった自分。

 

辛かった自分。

 

インナーチャイルドの声に蓋をせずに受け入れて、

閉じ込めてきたネガティブな感情を受け入れてきました。

 

行動するより大事なこと。全部をひっくるめて、わたしとして生きる。

 

そうして、

自分自身を癒やしていくことで、

 

当時の若い頃の未熟な父と母が、

貨幣経済の高度成長の急激な変化の中、

 

世の中に取り残されないように

必死に家族を守り生きる中で、

 

家庭の中で、感情むき出しになり、

第一子の私に八つ当たりしなければならなかった状況もあったのだろうと、

 

今の私は、

頭では理解ができるようになれました。

 

が、しかし。

 

 

やっぱり、今の母親と

本音で話す気にはなれないのです。

 

本当は、本音で話したい。

 

けれど、

母と対峙すると、

私の心がフリーズしてしまうのです。

 

幼少期の子どもの頃のように。

 

何を言ったらいいのか?

どう近づいたらいいいのか?も、

 

わからなくなってしまうのです。

自分の親なのにショボーン

 

ただ、怖い。

 

 

性格なのか「ごめんなさい」

を言うことができない両親は、

 

自分自身を振り返ることなく、

相手のせいにしてなじりあっていた家族の記憶が強いせいか、

 

その光景をリピートしたくない。

どうせまた嫌な思いをするから。

 

近づかなければ、

それを見る必要はない。

 

なので。

 

 

私は、

シャスタや、沖縄へと、

 

両親と遠く離れた場所に

行く必要があった。

 

それは、

自分自身を取り戻すためだった。

 

 

あまりに両親と癒着しすぎていた私は、

両親から物理的に離れなければ、

 

自分を取り戻すということが

力学的に難しかったからです。

 

 

母を許さないでいることで、

自分のこれからの人生の幸せを止めているのも自分自身。

 

 

とっとと過去の母との確執を手放して、

次のステージに進みたい。

 

そう思考の私は言うのですが、

こういうのってね。

 

 

「はい!もう許しました!

 もう気にしてませんよ!真顔

 

 

頭では、そうやってただ言うのは、

簡単なのですけれどチュー

 

 

自分の本音の、本音の、本音の、本音の

深い自分は、本当にどうなのか?

 

自分の心根から、

そこを癒せているのか?は、

 

私にとって、

あまりに深くて人生の原点すぎることなので、

 

すぐには、結論がでないかもしれないなと、

思っています。

 

ちゃんと、自分が肚から納得して

腑に落ちないと、人生も変わらない汗

 

 

本音の自分にちゃんとつながろうと、

決めたから。

 

 

「もう自分に嘘はつかない」シャスタで受け取ったメッセージは、ずっと深いものだった。

 

 

ただね。

 

急がなくても、いいのです。

(急ぐのは、エゴの思考)

 

 

今日やっと。

ここに気がつけた。

 

母を許せなくてもいい。

いい子でいなくてもいい。

 

母を憎んでいる自分がいることも許す。

 

 

それに気がつけたのは、

今のやんばるの暮らしのお陰ですキラキラ

 

沖縄に流れる癒やしの

祈りエネルギーのお陰星

 

 

長い間、自分を責め続けて、

何で、こんなに生きるのが苦しいのか?

 

ずっと苦しんできた自分の癒やしが、

ここまで来れたんだな思えます照れ

 

 

これは、私の乳がんの

根っこのひとつにもなっていると思うから、

 

癒やしが

進んでいるということ星

 

 

ここまで頑張って生きてきた過去の私に、

ありがとう星

 

 

1年後の自分が「あの時、決めて良かったな。」と思えるように。

 

 

それでも。

 

よく生きてきたよね。

 

子供の頃から自殺願望を抱えていた理由

 

行動するより大事なこと。全部をひっくるめて、わたしとして生きる。

 

 

私のインスタは、ほとんど青と緑の

自然の写真ばかりですがにやり

 

インスタグラム

楽しんでくださいねウインクドキドキ