月丘 和果

つきおか のどか です照れ

 

ずっと自分が嫌いでした。

 

何で生まれてきちゃったんだろうって、

自分を責めてました。

 

子供の頃から自殺願望を抱えていた理由

 

何が一番辛かったかというと、

辛い、苦しいと思う本音の自分を見せてはいけない。

 

必死で笑顔を作らなきゃ、ますます自分は愛されないって、

頑張り続けるのが辛かったんだ。

 

けれど、当時は、

それすらも自分でわからなかった。

 

 

ただ、生き辛い。

自分の居場所がない。

自分なんか消えていなくなればいいのに。

 

 

それが私にとって真実にしか、

思えなかったのに、

 

それを誰にも

見せてはいけないと罰していた。

 

自分すら、

見ないように無視してきた。

 

 

心の空虚な穴を埋めるために、

勉強頑張ったり、仕事頑張ったり、資格取ったり、幹事やったり、

 

何か、何か、何か、

自分の価値となるものを得なければと、

必死で頑張って走ってきた。

 

自分が標準的に

「足りない」「欠けている」「愛されない」

 

そう信じていることを、

埋めるものがないと、

 

自分がこの世界に存在することすら、

許されないと無意識に感じていたから必死でした。

 

私のような者が、

この世に存在するためには、何かがなくては、

 

気を許したら、

潰されてしまう。。。

 

自分の中の弱い部分、

辛くて、寂しくて、悲しい部分には、

 

頑丈な扉を閉めて、自分で、それを蹴り上げて、

その存在がないようにして突っ走ってきたんです。

 

 

『人生を変える聖地』

 

この言葉に惹かれて、

シャスタを初めて訪れた時。

 

聖地パンサーメドウズで、

今まで感じたことのない何かを感じた。

 

ただ、ただ、

涙が溢れて止まらなかった。

 

自分の内側から、

何かが湧き上がってきて、

 

その感覚を信じて、

これから生きていくと決めた。

 

その感覚が一体何なのか…?

あの時、一体、何が起こったのか?

 

それの謎が知りたくて、

シャスタ通いが始まりました。

 

 

シャスタのどこまでも

青くてクリアな空。

 

清らかな水、

澄んだフレッシュな空気と、

森の木々の匂い。

 

シャスタでは、

何もかもがキラキラして見えました。

 

 

空気吸っているだけで、

楽しい!

 

きっと地球上に生きている動物や植物たちは、

そんな気持ちで生きているんだ!

 

人間も同じ。

地球にただ生きる生き物なんだ!

 

 

そんな気持ちが湧き上がったのは、

生まれて初めてでした。

 

生きているだけで楽しいという感覚を

シャスタで初めて受け取れました。

 

 

シャスタで出会った人たちは、

私のバックグラウンドも全く関係なし、

 

お金もないし、何の役にも立たない、

ただのちっぽけな私をそのまんま受け入れて、

 

お家に泊めてくれて、

ご飯を食べさせてくれて、

 

丸ごと、

愛してくれました。

 

ホントに私は

何にも持っていなかったので、

 

強がったり、

遠慮もすることも出来ず、

 

ただ、ただ、彼らの愛を

受け取るしかできなかった。

 

何のお返しもできないのに、

受け取るだけなんて、申し訳なさすぎる。

 

ある意味、これは、

生まれて初めての試練でした。

 

本当は、ずっと寂しかった。

 

そもそも彼らは、ちっぽけな私からのお返しなんて、

ちっとも気にしない。

 

お返しできることと言えば、

笑顔で「ありがとう!」と受け取るだけ。

 

それでオッケー。

何の見返りも求められなかった。

 

シャスタで、私は、

何にも持っていない私でも、

 

丸ごと愛を受け取っていいんだという

感覚を受け取れたのです。

 

私は、生まれて初めて、

自分の居場所を見つけることができました。

 

 

やっとやっと見つけた

大好きな私の居場所。

 

私にとっての生きる希望。

 

シャスタさえあれば、

何も要らない。

 

本気でそう

思っていました。

 

それなのに、

アメリカに住む術は見つからず、

 

出入国を繰り返していたために、

アメリカ行きを自粛するハメになり、

 

私は、夢遊病状態で

5年を過ごしてきました。

 

シャスタを手放します!

 

シャスタに代わる何かを求めて、

沖縄に移住してみたけれど、

 

更に孤独と、苦しみで

ひとりぽっちで泣き暮らしました。

 

シャスタで、あんなに強い光と希望を見せておいて、

こんな絶望に落とされるなんて、

 

私は、そんなに神様にイジワルされるような

罪深い人間なのだろうか。。。

 

毎日、死にたいという声で

目が覚めました。

 

その声と感覚が怖くて、

怯えて暮らしていました。

 

その辛さは誰にも言えず、

そうなってしまう自分を自分で責めていました。

 

 

そこで、

あんまり辛すぎたので。

 

全部を認めることにしたんです。

 

否定しないで、

受け止めることにしたんです。

 

諦めて、嫌な感情も

感じることにしたんです。

 

ネガティブで世間的には正しくない声でも

自分の内側から湧き上がってくる声に耳を傾けて、認めることにしたんです。

 

だって、自分にとっては、

そうなのだろうから。

 

 

蓋をして、

見なかったようにしていた自分の苦しさを。

 

蓋をして見なかったようにしていた

自分の弱さを。

 

 

そうだったね。

辛かったね。

苦しかったよね。

 

死にたいんだね。

それほど、辛いんだよね。

苦しいよね。

 

 

自分にとっての本音の辛さ。

その辛さに寄り添い続けました。

 

 

そんなんじゃダメだよ。

もっと前向きに考えなよ。

気持ちを切り替えたら?

 

 

思考がもっともな正義論を言って、

感情に蓋をしようとします。

 

その方が正しそうに

聞こえる。

 

けれど。

 

その正しい声に散々振り回されて、

いろいろ行動をしてきて、結局同じところに戻ってくる。

 

生きているのが辛いと、

意味不明な苦しみに翻弄される自分に戻ってしまうのを繰り返してきた。

 

 

だから。

 

今度は、行動を

しないことにしたんです。

 

行動すれば、

一時期は楽になる。

 

けれど、

また同じことの繰り返しにきっとなる。

 

苦しくても、久米島に留まり続けた。

止まって、その苦しさをひとりで感じ続けた。

 

苦しくても、

自分自身に寄り添い続けた。

 

それからしばらくして。

 

毎朝聞こえていた「死にたい」の声が

聞こえなくなりました。

 

久米島でひとりの時間を耐えてきたことで、

心の闇が少しずつ明けてきたような気がしました。

 

 

3年実家を離れて、

久しぶりに実家に戻ってきて。

 

過去の自分が

全然、癒されてないことに気がついた。

 

父の劣等感と、母の罪悪感に

挟まれて育ち、

 

父にはいきなり怒鳴られ、

母にはいきなりヒステリックに責められ、

 

両親とも、

その理由を説明してくれないので、

 

いきなりやってくる雷に

ビクビクして、ただ怯える日々だった。

 

つい先日も、意味不明に母に責められて、

幼少期の自分の苦しさが吹き出したぐすん

私が、私の尊厳を守る。

 

父と母が発する言葉の節々には、

劣等感や罪悪感のエネルギーが含まれていて、

 

それに反応して、苦しなって、

息ができなくなる。。。ぐすん

 

特に罪悪感が酷い。

 

自分の存在していること自体が

苦しくていたたまれなくなる。

 

 

お父さん、お母さん、ごめん。

こんな私が存在してて、ごめんなさい。

 

私なんか、生まれてこなかったら良かったのにね。

 

そしたら、お父さんもお母さんも、

私を育てるのにお金も使わず楽に生きられたのにね。

 

 

この感覚に囚われて、

動けなくなってしまう。

 

自分がふわふわして、空っぽになってしまい、

何もできない。

 

荷物を片付けたいと思っても、

ずっと放置したまんま。。。

 

何もできない自分を

また自分で責める。。。

 

 

そうやって、ずっと

苦しいながらも生きてきたんだった。

 

当時は、これを言語化できなかったから、

全部自分が悪いんだと思って、自分を責めてたから辛かった。

 

感情のことなんか、全くわからなかったし、

体で感じる苦しい・辛いっていう感覚が、

 

一体、どうして、

何から来てるのか。

 

どうしたら、

楽になれるのか?

 

この苦しみを抱えたまま生きるなんて、

苦しすぎる。

 

エネルギーのつながりまで、

わからなかったから、

 

ひたすら、感情に蓋をして、

見ないことにするしか出来なかったんだ。

 

 

私にとって、実家は、

負のエネルギーの巣窟なのだ。

 

なので、

帰ってきたくなかった。

 

ほんのしばらくと思って戻ったら、

思っていた以上に、

 

過去の辛かった自分の記憶の残骸が

エネルギーとして在りすぎる。

 

昔の自分に

逆戻りしてしまったと思った。

 

ある意味、それは、

真実だったのだけれども。

 

それを癒しに、今は、

実家に留まることになっているのだと思う。

 

だって、やっぱり

私の生まれてきた原点だから。

 

まだ苦しいけれども。

 

苦しくて、何にも出来ない自分を

受け入れる。

 

 

そうなんだね。

今は辛いよね。

苦しかったよね。

頑張って生きてきたんだよね。

 

 

かつて、

 

受け入れられなくて、

足蹴にしてきた自分自身を

 

今の私は、

受け入れる術を知っている。

 

過去の自分の感情がまだ苦しくて、

息ができなくなったり、焦ったり、落ち込んだりするけれど。

 

還るところは。

 

そうなんだね。

今は辛いよね。

苦しかったよね。

頑張って生きてきたんだよね。

 

 

そのまんまでいいよ。

無理して動かなくってもいいよ。

休みたかったら、休んでもいいよ。

 

大丈夫だよ。

もういじめないよ。今までごめんね。

 

 

自分だけは、自分を見捨てない。

私は、私を大切にする。

 

今の私が、

過去に見捨てた自分自身を救いにいく。

 

助けたかったのは、

他の誰でもない、幼少期の閉じ込められたわたし。

 

そのわたしと、本当のありのまんまの私で

これからを生きていきたいから。

 

今まで私が見ることができなかったわたしも

ぜんぶ連れいていく。

 

弱い自分も、感じすぎてしまう自分も、

ポジティブな自分も、パワフルな自分も。

 

全部、わたし。

愛しいわたし。

 

その全部をひっくるめて、

わたしとして生きる。

 

そのための時間を

実家で過ごしている。

 

 

やっと。

 

ここまで言語化できるようなれた。

今までの道のりと、頑張って生きてきた私のお陰照れ

 

 

あの頃の私にはわからなくて、

ただ、苦しさに耐えていたことが、

 

今、やっと

わかるようになってきた。

 

そのためには、

全部のプロセスと出会いが必要だったんだ。

 

初めてシャスタを訪れて、

シャスタの本を書くと決めたシャスタとの約束。

 

何で、できないんだと

ずっと自分を責めてたけれど、

 

これを知るために。

言語化できるようになるために。

 

全ての道のりがあったんだなって今思うよ。

 

ありがとう星