『夢は叶う!』
1995年
20代で独立!
たった女1人で
パリを舞台に仕事を始めた
波瀾万丈物語り
Bonjour〜(^。^)
パリからのお届けしている
皆さまお元気でしょうか?
いつもご訪問ありがとうございます🙏
今日は、私のポンコツから始まった
波瀾万丈人生を綴ります。
「自分の人生のシュマン」を
生きてますか?
また長文ですが、
読んでいただけると嬉しいです😃🙇♀️
『26歳でたった女1人‼️
パリを舞台に決意し仕事を始めた!』ポンコツ!
私の波瀾万丈物語の始まり・・・
『人生』って、頭で考え過ぎないで、
自分の想うように、
魂の感じるまま『chemin シュマン(道)』へ進むことが、私達のホントの生き方です(^-^)
本当は!結婚を夢見て銀行員に
1980年代、学生時代から、私がずっと夢見ていたことがある。「南仏の大自然のラベンダー畑に行ってみたい! パリの素敵なファッションを装うお洒落なマダムたちを、この目で見てみたい!」ずっとずっと、そんな思いを寄せ、雑誌を切り抜き抜いては、マイブックを作って、それを毎夜寝る前に眺めていた。
短大卒業後、20歳!結婚を夢見てお固い仕事の銀行員をセレクトしたけど、辞職。 銀行の融資のお客様に、スカウトされて渋々ブティックで働くこととなる
そして、私は予期もなく、全く畑違いのファッションの世界に飛び込むことに‼️
服屋で商売なんて、これっぽっちの経験もない私は、接客もできない!ディスプレイも変えれない!ファッションの事なんてさっぱりわからない!にっちもさっちも行かず、店内にお客様が入ってこないことを願うばかりの毎日だったのを、今でもよく覚えている😅
その時のお客様が、なんと今現在も、ずっとアンジェルにいらしてくれるから、これは奇跡としか言いようがない!
そのころ、唯一私の得意だったのは、銀行で修行したお札を バッサバッサッ!数得る事。
そろばんを弾く事。それだけは‼️ 誰よりも、正確にそれも早く得意な事だった😅
あとは、お洒落をすることに興味があるだけの、ただの平凡な若者だったように思う。
始めて出逢う私のパリ!
そんな私が銀行を辞めて、ファッション業界に入ったのは、21歳の時。
ブティックの店長として任され、バブル崩壊後、全く売り上げのなかったお店を、改善していくこととなった。それから、5年間で売り上げを伸ばし、そこの会社の社長に承諾を得て、『本場パリの都!』 リアルなファッション界で、勉強しに行くことを決意した!その時、私は26歳だった‼️
忘れもしない、大自然の恐怖に晒された阪神大震災、1995年1月17日の直後に出発。
この時!私の人生の全ては、このパリへの出発の決意で、新たな幕開けとなったように思う。
まるでタイムマシーンに乗って、ミラクルな時代に辿り着いたかように、「私は異質な国にきたな〜」と思った。実は、初めてのパリにあまり興味がなかった。真っ暗でどんよりしていて、幽霊が出てきそうなアンティークのプチホテルに泊まらされ、毎日が雨の連続。。。心も暗くなりそうだった。
建物にも、食事にも、ワインにも、特に興味は全くなくて!それでも私のパッションを熱くさせたのモノがあった。
それが、ファッション界の「服」だった*\(^o^)/*
「きゃー素敵すぎる❣️ 」 私は、日本語で悲鳴を上げた! 始めて買い付けをするパリのメーカーを紹介されて、まるで飢えていた犬じゃないけれど、服を貪るように見入ったのを今でも忘れない。それは、ストレッチ入りの革の素敵なパンツだった。
この時!まさに、日本の某雑誌に取り上げられたヒット商品に出会った!あまりにも、胸がドキドキ高鳴って、まるで恋愛しているかのように、私の全身が昂って、女性ホルモンがキュンキュンしていった!
独立を決意!26歳で腹を括る!
パリ帰国後!自分でブティックをやりたいと思った。
「こんなに、素敵な商品がいっぱあるなんて信じられない! 日本でじっと留まって、仕事をしている訳にはやっぱり行かないわ! 私!もう一度行きたい!」そして、その数ヶ月後、辞職、独立することを決意した!
この時代は、まだ会社を作るのに、資本金と保証人が必要だった。6年間働いて貯金してきた、ありったけの私の資金を全てアンジェルに投資して、会社を作ってみた。 私は一文なしになったけれど、将来先のことは何も考えないような性格で、一斎の心配をしていなかった。
この頃は、特に将来のことより!今!今!今!の毎日に一生懸命だった‼️
ただ親の保証人に手小津った。なぜなら!
「早く結婚してちょうだい!会社なんか、作ったら結婚できないじゃないの。」そんなことを言う母親は、案の定、保証人のハンコを押してくれなかったのだ!
ここで親との無口生活が始まったが、最終的には親が断念し、事業を展開することに。。。
ただ、今に至るまで親の反対を押し切って、運営してきたから、親からの援助はゼロ!私も頑固たり、未だ資金については一切話したことが無い。
一銭も援助なしで、国民金融公庫から借入を起こし事業を少しずつ始めることとなった。
自分の腹を括った‼️
まさか!普通の女の子だった銀行員の私が!
突如!人生が急変、『波瀾の道』を自ら選ぶなんて思ってもなったこと。
私は、若かったから、周りに、Kaoriはパトロンがいるなんて噂が立ち込めたが、全ては自分の足で立っていた。後にどんなことが巻き起こるかも予期せぬ、26歳の時!独立独歩の道を選択したのたった・・・
今思えば、「あの時は波瀾だったのかな〜」思うこともあるけれど、その時は、目の前のことに全力投球だったから、波瀾のハの字も感じてなかったように思う。人生って、道中は一生懸命だから、自分を客観視なんてできないもの。
今、その時を
必死で生きている‼️
パッションをもって生きよう!夢は叶う!
学生時代に思っていた「プロヴァンスのハーブ畑に行ってみたい!パリに行きたい!」そんな思いは、いつの間にか!ビジネスとして叶っていた。
私の熱いパッションは、27年以上経つ、今も変わらず続いている。だからこそ!コロナ下でも、わざわざパリまで仕事に出向こうと思えるのかも知れない。
それは、こうして書面に書いて、改めて自分に気づかされてます。
20代の時のストーリーを筆頭に、これから本番の人生ドラマが始まる。。。。💕
また、読んでくださったら嬉しいです(^_−)−☆
皆さまも、いくつになっても夢を持って生きてほしい、そう思います。夢は叶います。
La vie est belle 💕
そして、今のお客様方々に感謝の気持ちが込み上げます🙏本当に、皆さまのお陰様で、今の私は存在するんだと思っていますから。
いつも本当に有難うございます^ ^❤️
そして、今日も最後までありがとうございます♫
続きは
YouTube美の学び舎
で語ったので
見てください❤️🥰
26歳の時に飛び立った✈️
決意した運命の日
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2021年 毎日新聞に日本文化伝承を伝授するAngelが掲載されました。
2022年 7月 繊研新聞に掲載されました。
2023 5月 東京ポップアップ開催記事
繊研新聞に掲載されました。
以下は、おすすめブログ記事です( ◠‿◠ )
読んで見てくださいね🥰
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