今週にはいって早々、
ふだんどおり妻のサマンサより早く起きる私は一人で朝食を食べていました。この朝は起きる時刻が遅かった分、いつもなら私が食べ終えてからサマンサが起きてくるところ、この日は半分ほど食べたところで彼女が起きてきました。
朝のあいさつを交わしたあとで、事件が起きました。
サマンサが話しかけてきた朝一番の話題が私の食欲を削ぎ、私は黙って箸を置いてしまいました。こんなことは初めてです。
話題に反応がないばかりか食事を止めてしまった私の様子に、サマンサはすぐに事情を察して涙を浮かべながら謝り、私に食事を続けるよう促しました。
謝罪する彼女に、私はもう怒っていないけれど食事を終えたいと伝えましたが、彼女の気持ちは回復しません。
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偶発的な小競り合いは出会いがしらの事故のようなものです。
でもいつもと違うのは、サマンサがこぼれんばかりの涙を浮かべていたことです。
いつになく深い彼女のダメージを修復しなければなりません。
時おりあるいつもの小競り合いの時と同じように、少し時間をおいていくらかぎこちない会話をきっかけに会話が自然回復しそうもありません。
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サマンサは不安で仕方がないところに起きた、この朝の偶発事故でした。
彼女は入院をひかえています。
命に係わるものではありません。それでも、
手術をしても全治するとは限らないし、
病院食から、好き嫌いで給食で苦労した記憶を連想するし、
同室の患者さんとうまくやっていけるか心配だし、
退院後の生活にしばらく制約されそうだし・・・・ etc.
さらに、私は入院中の彼女に面会できないし。
心配性のサマンサからすれば不安の渦の真っ只中です。
「どうせわたしの不安は誰にもわかってもらえない」
彼女は心中ひとりで孤立を深めているのかもしれません。実際に彼女の不安を彼女と同じ水準ではわかりません。
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そうだとしたら、
この朝の小競り合いの整理や謝罪など、
彼女のダメージ修復には何の足しにもなりません。
かといって、
根っこにある彼女の不安を
私が肩代わりすることができるわけでもなければ、
同じように感じることすらできません。
できることといえば、サマンサの不安を想像して、
彼女が不安で仕方がないことを感じて、
同じ不安を感じられないまでも、脇でともに不安に思うこと、
そしてそれを伝えることくらいです。
孤立感には、激励より共感の方がいくらか援けになるかもしれません。
「・・・・手術、こわいよね・・・・」
サマンサの横にすわってつぶやくと、
彼女はこくりとうなずきました。
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小競り合いのあったその日の午後には、だいぶたがいに寄り添えるようになりました。
このさき私を彼女の気持ちの受けとめ手と認めてもらえる時がきたら、そっと彼女の背中を押そうかと。
その頃には、体や生活の機能的な手助けにくわえて、
ひとつふたつサマンサと一緒に感じられることができるかもしれません。
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