本に囲まれて育ちながら16歳までに3冊読んだだけの少年が、
ある出逢いから物書きを目指します。
順調に大学在学中に書いた作品が雑誌に掲載されながら、
40歳近くまで次の作品を書き上げられませんでした。
編集の仕事に就いてから書かなくなった理由を、
いろいろつけながらも実は
自分の力不足と気づいていたのです。
後に批評家・文芸評論家となる著者の苦悩に満ちた出発です。
「自伝、信ずべからず、他伝、信ずべからず」
こんな言葉を第一章に引用したうえで、
朝早く、後に妻となる女性の机にメモを添えて一冊の本を置いて始まる半生を描いた自伝です。
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自伝を著すということは、彼にとって
人と、本と、「コトバ」との出会いを、ふつうとは別の時間軸でとらえて「人生からの見えない手紙を受け取り直す」営みです。
藍色の福音 / 若松英輔 (講談社)
2023年刊
お気にいりレベル★★★★★
時おり、高校時代、学生時代の回想をはさみながら、
恩師らとの出会い、著書中に挙げられる数多の本、人や本から発せられた言葉や、言語を超えた表現の「コトバ」を通じて、
著者の人生の機会や分岐点が、
その時に気づけなかったり考えが及ばなかった後悔や自省とともにとらえ直されています。
本や言葉を通じた思索は、時間を越えて
長い年月その語の響きに幾重にも意味を蓄えた言葉による、
実際にはいま体面していない死者との対話から、
あるものをみた産物です。
読む前からその本との出会いが人生を左右すると感じた経験とともに、著者は5冊を例に挙げています。
タイトルにある「福音」とは、喜ばしい知らせ。「藍色」のもつ意味合いとともに、末尾の一節でその含みを披露しています。
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批評家という職業に、自らこんな厳しい使命を課しています。
書けずにいた若い頃に抱いていた不安から脱して、
批評家という職業に、自らこんな厳しい使命を課しています。
こうした姿勢で続々と文章を発表するまでに変わるきっかけをどこから得たのでしょうか。
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妻との死別は、とりわけ死後に著者に多くの彼女との出会いを与えてきました。
あの朝、彼女の机に置いた本の内容、あるいは、
『風立ちぬ』(堀辰雄)の一場面と著者夫婦の散歩中に桜を前にした場面が、
本と現実の違いや時を超えて共振する事実に、
生者と死者があらめてつながり合うあらたな関係を感じます。
死別以外にも、目の前にいない人を強く思う・考える場面がいくつも挙げられています。
そういえば、この著者は、自著で死別についてこんなことを書いていました。
『遠いところにいるからこそ、その存在を強く感じる。姿が見えないから、一層近くにその人を強く認識することがある。』(『悲しみの秘儀』「18 孤独をつかむ」)
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私には多くが未知の本(ブログ末尾に一部紹介)からの引きながらの記述は、
読み手として自分の生きてきた軌跡を問いなおす、機会や視点を得る手がかりになります。
こう書いた著者の自伝を読むということは、読み手にとって、
読む、書く、考える、行動する一連のつらなりを時間を超えてたどる思索の旅でもあります。
[end]
▼本書で引用された本のごく一部の紹介
『深い河』遠藤周作
『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』須賀敦子
『あたりまえのことばかり』池田晶子
『宗教と科学の接点』河合隼雄
『神秘哲学』『意識と本質』『イスラーム哲学の原像』井筒俊彦
『考えるヒント』小林秀雄
『死者・生者 日蓮意識への発想と視点』上原専祿
『偶然性の問題』九鬼周造
『岐路』加賀乙彦
『アウグスティヌスの愛の概念』ハンナ・アーレント
『貧乏物語』河上肇
『風立ちぬ』堀辰雄
『正法眼蔵』道元
『自我と無意識の関係』ユング
『白い木馬』ブッシュ孝子
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