直木賞作品「月の満ち欠け」から7年、この作品を
なんだそれでこれか。
なるほど、これなら7年間がかかっても仕方ない。
評価や好みが真っ二つに分かれそうです。私は後者です。
読み終える直前まで、心をざわつき続けました。
とにかく肝心なことが登場人物たちにもよくわからないのです。
目撃、共有した体験、かわした約束、記憶、人に抱く気持ち etc.
自分のなかにあるはずのものに対して、主要登場人物が確信が持てていません。
そのざわつきをラストシーンである人物がおさめてくれました。
でも、ある人物が感情と思考の走馬灯を巡らせながら流す涙が放つスペクトラムを解析しようとやっきです。
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冬に子供が生まれる / 佐藤正午 (小学館)
2024年刊
お気にいりレベル★★★★☆
夏の夜38歳の丸田君がひとりで観ていたTV番組にでていた、
音楽界でカリスマ的存在になった友人のバンドから途中で抜けた、「マルユウ」のことを高校の同級生たちが噂しています。
「マルユウ」は丸田君のニックネームですが、彼はそのバンドに属していたことはありません。
その時、丸田君のスマホに知らない番号からのショートメールを受信します。
今年の冬、彼女はおまえの子を産む
この予言めいたメッセージの差出人にも内容にも丸田君は心当たりがないばかりか、彼女もいません。
彼に事実と異なる過去と起こり得ない未来が同時にふりかかってきました。
それなら、TVもショートメールも無視すればよさそうなものを、丸田君はこう感じました。
丸田君は自分の記憶に、いまひとつ自信が持てていません。
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30年前に「マルユウ」「マルセイ」と呼ばれた二人ともう一人の友人が体験した出来事と彼らに起きた変化。
その10年後に起きた事故。
今年の夏におきた事件。
物語が進むにつれ、徐々に明かされる、マルユウとマルセイともう一人の友人、そしてもう一人中学時代から仲間入りする女性たちが、徐々にばらばらになっていく高校時代、大学時代、そして今。
いずれも彼らの周りも巻き込んで、さまざまな憶測がまことしやかにあちこちで語られ、広げられます。
推測や噂ばかりでなく、真相も当事者の4人まで翻弄します。
なかなか正体が明かされない、語り手「私」の語り口も気になります。
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章だてや作中の会話を使って時間軸を前後しながら、同時に、
マルユウ、マルセイら主要な4人の周辺を行き来しながら、
転換点となる場面の描写は何もないまま、
30年前、その10年後、現在におきた出来事にかかるモヤが、
ほんの少しずつ晴れて、周辺情報がみえてきます。
そう、あくまでも周辺情報です。
物語は読み手が何かを断定する手がかりを与えてくれません。
じつに手間暇をかけた小説づくりです。
それでいて、この小説は単なる謎解きでもSFでもありません。
ふと気づけば、登場人物の一部に、そして読者にも問いを投げかけています。
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最終章で、いろいろとあった主要登場人物たちの居場所が落ち着きをみせます。
たとえマルユウのものでも、こんな言葉は聞き流してしまいます。
メモの余白に書き加えられた2行の走り書きが、
一つひとつ小さくても物語に積った鬱憤を爆発させます。
この爆発という形の解放で流される涙を分析するより、解き放たれた感情や過去とそこで起きた諸々を、落涙の当事者の横ですべてそのまま感じる方がよさそうです。
こんな切ない物語になっているとは。
やるね、マルユウ、マルセイ。
[end]
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