[映画] 脱二項対立 / 悪は存在しない | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

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大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

世が「善意」で溢れていたらよい社会になるか、と問われたら、
私は"No"と答えます。
「善意」といっても、それが独りよがりであれば、他の人にとってもよい行為とは限りません。

さらに、独善的な「善意」を持つ人が、自分がもつ善意に対して異を唱える人を、ただちに「悪意」の持ち主と考える未熟な二項対立的な思考をもつ人が増えれば、分断ばかりが生まれます。

さて、「善意」に何を加えれば、社会はよくなるのでしょう。

逆からみたタイトルをつけたこの映画にヒントがありました。


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『悪は存在しない』は、そのまま言葉通りに受け取っていいのでしょうか?

どのような経緯でついたものであれ、
監督がタイトルとしたのなら、と言葉を信じて作品を観ました。

大上段にふりかぶったタイトルを危惧しながら臨んだのですが、
意外なラストシーンにとても動揺して戸惑った後、
じわじわとシーンの意味と作品の問いかけを理解し、
遅ればせながら、映画館を出て駅に向かう川沿いの道で
心のなかで独りスタンディング・オベーションしました。



悪は存在しない』("Evil does not exist")
監督:浜口竜介
音楽:石橋英子
出演:大美賀均("安村匠"役)、西川玲("安村花"役)、小坂竜士("高橋"役)、渋谷采郁("黛"役)
撮影:北川喜雄
録音・整音:松野泉
制作:NEOPA、fictive
上映時間:1時間46分

舞台となる長野県水挽町みずびきちょう (架空)は、様々な樹木に囲まれ、鹿の親子を見かけるような自然豊かな高原です。
開拓農民の末裔である匠は小学生の娘・花と二人で、そこで便利屋を稼業に慎ましく暮らしています。
そこの区長のもとに急に連絡が入り、芸能事務所が事業主体となるグランピング施設を建設する住民説明会が急に催されました。
計画内容は、水の浄化設備や運営計画・組織など、町の暮らしを脅かす課題があることが明らかになり町民はそれぞれの立場や考え方から動揺します。

説明会の説明者だった高橋と黛は、町民から示された課題を会社に持ち帰ったものの、社長から計画の実現を急ぐよう促され、水挽町に舞いもどります。

そこで匠を通じて町民の暮らしの一端に触れ、ここの暮らしを知ろうと考え始めます。
そんな折に、匠の周りで事件が起きます。


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映画はふたつの側面から展開されます。
ひとつは水挽町の自然の一部として暮らす住民の姿や、そこで育まれた知恵や価値観。
もうひとつは、グランピング計画を いとぐち に顕在化する考えの違いです。

事業主体である芸能事務所が催した、住民に対するグランピング計画の説明会では、さまざまな立場の見方が示されます。

あくまで説明者で権限を持たない芸能事務所の社員高橋&黛、
住民のまとめ役である区長、
戦後開拓移住者の子孫
最近移住してきたうどん店の夫婦
喧嘩っ早い若者 etc,

端から芸能事務所のグランピング計画を信用しない者もいれば、
まずは話を聴こうという者も、
計画の問題点とその背景を説明者に理解させようと努める者など・・・・。


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事件は、町の暮らしや自然を背景に一瞬で意外な展開を見せ、ラストシーンとなります。
不幸な事象が起きますが、そこに悪意が存在するか、が観客として考えどころではないでしょうか。

余分な場面や台詞が削ぎ落された作品には、短めでもラストシーンで起きたことの意味を考える材料をきちんと提供してくれています。


私の眼には、台詞のある登場人物たちは全員、それぞれ自分の正しさがあるように映りました。
台詞のない鹿の親子にも、彼らにとっての正しさがあるように。


帽子をとる仕草がある場面が印象的です。


[end]


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