これは、日本文学を愛したひとりの編集者の人生を静かにたどる小説です。
彼の人生で事件といえならば、グアム勤務時代のアメリカ軍人の父の死でしょうか。
定年すこし前に会社を辞め、念願の小説執筆をはじめようと、
車で房総半島の外房を南下し、終の棲家とする別荘に向かうシーンからこの小説はじまります。
クニオ・バンプルーセン / 乙川優三郎 (新潮社)
2023年刊
お気にいりレベル★★★★★
クニオ・バンプルーセン。
これが、色の濃い肌を持つ大柄の主人公の名前です。
アメリカ英語を母語とし、
ベトナム戦争に参戦したパイロットを父に、
作家の代表作は読む読書家を母にもった編集者です。
父の死後、母と日本にもどり、奨学金を得て、
作家か批評家を夢みて大学で近現代文学と文芸批評を学びます。
東京の小さな出版社に就職し、彼の編集人生ははじまります。
とはいえ、そう簡単に希望どおり小説の編集につけません。
この出発点と、冒頭のシーンで小説の執筆を始めるまでの間に、
どのようなストーリーが編まれるのでしょうか。
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作者はある雑誌で「これが最後の本になるかもしれない」との思いを語っています(*1)。
編集者を主人公にすることによって、
日本文学界、つまり作家、出版社、編集者、文学賞 etc.に
こうあって欲しいというメッセージを本書に託しています。
少数派の言い分に多数派の耳を傾けさせるには、自然な形で
日本文学界のもつ枠を壊してみせなければなりません。
外国語を母語とし、アメリカ人と日本人を両親にもつ文学青年、
社長以下数人できりもりする小さな出版社の面々、
少々扱いがめんどうな老作家、
長年ひとつの作品の和訳と格闘する翻訳家、
学生時代から同人誌に投稿し作家を目指す若者・・・・・・
作者はずいぶんと枠を壊す役割を必要としました。
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さらに、主人公は容貌からも異端視されます。
差別されながら命懸けで任務を終えた父親が、基地内に帰宅する家庭で育ちました。
父の死後、横田基地近くにもどった母親は、自分一人の生活費を稼ぐのも一苦労です。
争いや苦労が
平和や安定は行動の結果として手にできるもの、
という価値観を主人公はもっていそうです。
フィクションである小説づくりには、
そういう人こそふさわしいのではないでしょうか。
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ひとつまちがえば、読み手を暗く重い気持ちに誘いがちな、
そんな暗いものがたりの背景を背負っているにもかかわらず、
この小説に登場する、
挑んでいる人たち、行動している人たちの生きざまに、
どこか確信にうらづけられたような明るさがあります。
この明るさが私を気分よく読み進めさせてくれました。
そして、この明るさこそ、
次代の日本文学の担い手たちへの
作者の期待にちがいありません。
[end]
*1:月刊『波』2023年11月号掲載「あやしい胸底のあれこれ」
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