兄妹関係。

 

妻の兄妹というか姉妹は、関係が密接だと思う。

小さいころから仲がいいのか悪いのか、あれこれ一緒に遊んだり、ケンカしたりして育ってきたようだ。3人とも女だということもあり、助け合ったり、ライバル視しあったり、かなり一緒に遊んできた、生活をともにしてきたようだ。それは密度の濃い関係だったと思う。

 

対して自分の兄妹にはそれがあまりない。前にも書いたが、関係性が希薄な感じがする。自分のすぐ下に妹がいて、その下に歳の離れた弟がいたので、一緒に遊ぶということがあまりなかったのだ。

 

だから結婚して妻の姉妹関係をいろいろ聞いたとき、どうしてそんなに姉妹でケンカしたり遊んだりしてきたのか、ちょっと不思議な気もした。

また妻は現在の妹たちについても、あれこれ性格や行動に関して、ことあるごとに話題にしていた。妹たちの娘や息子のこと、自分の母親とのかかわり方などなど。

それも不思議だった。自分は兄妹のことをそれほど話題にしない。あまり興味がないのだと思う。弟の子供の名前など、いまだに覚えられない。

そういう環境で育ってきたので、つまりは関心がないのだろう。

 

要はアドラーのいう共同体意識が兄妹に対してまるでなかったということだろう。

自分といっしょに幸せになる対象として、兄弟を見ていなかった。自分だけでも妹や弟だけでもなく、みんなで幸せになる、生きていくという感覚がなかったのだ。

兄妹の人生は自分にとって関係ないものだったのだ。

おそらく妹や弟に対して、腹を立てたりすることもほとんどなかったのではないか。忘れているだけかもしれないが、思い出せるものはほとんどない。どうでもいいもののことで、腹を立てたりはしないのだ。

 

対して妻の姉妹は、意識してはいなかったろうが、姉妹として愛し合い、憎しみ合い、競争しあい、助け合いして生きてきた。そこには姉妹という絆というか関係性が、確実に存在していた。それぞれのなかに、妹が、姉が、しっかり存在していた。だからそういう密度の高い関係になったのだ。

 

妻はその関係性のなかで、人と人が共同体として生きることを学んできたといえる。対して自分はそれがなかった。だから今も共同体感覚が希薄なのではないか。

 

この共同体感覚の欠如は、妻や息子との関係にも、表れていたと思う。

妻も息子も、いっしょに幸せになるという、自分と同じ目的をもつ存在として見ることができていなかったのだ。

だが妻は違った。いっしょに暮していっしょに生きていく、そしてともに幸せになる存在として見てくれていた。

 

誤解のないように言っておくと、自分だってそういう気持ちがまるでなかったわけではない。一緒に幸せになりたかったし、息子もかわいいし、愛している。だがそのレベルが違ったということだ。

 

共同体感覚をもつ妻は、いつも自分を気にかけ、愛情を注ぎ、そしてその反応のなさにイライラしてきた。だが自分はその妻のイライラが理解できなかった。

元来もっている、人と人との関わり方の根本が違う。だからすれ違っていたのではないか。

 

とんでもないことをしてしまった。

 

妻とは恋愛結婚だ。妻が24歳、自分が25歳のときに結婚した。

今の平均と比べると早い結婚だった気もするが、当時はそのくらいが平均だった。

自分の友達も次々結婚していたし、妻と同い年の自分の妹も前の年に結婚していた。

 

そのときは、これまで付き合った、知り合った女性のなかで、いちばんの人と結婚できたと思った。とにかく可愛くて、ルックスが自分の好みだったし、性格も可愛かった。よくメソメソ泣いていたが、それは自分が悪いことをしたためで、それがなくなれば悲しませることはなくなるので問題ないと思った。妹の親友だったから、昔から知っていて、素行に問題がないこともわかっていた。これまで出会った人のなかで、いちばん自分のことを真剣に考えてくれ、あれこれアドバイスや支援をしてくれる。自分の人生にはこの人が必要だ。そう真剣に思った。だからこのチャンスを逃したくなかった。ここで躊躇して、別れるようなことがあれば、もうこんな人とは出会えないだろう。自分が結婚するなんて、どうも実感がわかなかったし、どういう根拠で結婚に踏み切るかはその人次第だと思うが、そうか、これが結婚するという踏ん切りなんだな、こうやってみんな結婚を決めるんだな、自分にもそのときが来たってことだ。そう思った。

 

だが今になって思えば、ここで結婚せずに別れてしまっていたほうが、妻のためにはよかったのかもしれない。その25年後、自分は妻を裏切り、最大の罪を犯してしまったのだから。

 

すべては自分のせいだ。相手を操ろうと恒常的にウソをつき、自分を大きく見せようとする。共感性に乏しく、自己中心。そして人をだましても両親の呵責がない。

そんな自分は仕事に没頭してそのなかで自己実現して満足を得て、家庭を顧みない人になっていた。妻にいろいろ言われても、反論したり無視したり、ときには激怒することで妻を操ろうとし、自分の言いなりにしようとした。妻の気持ちをまったく考えていなかった。

そして自分を手放しでほめてくれる、都合のいい女に手を出した。

そのことがバレなければ、いまでもその関係を続けていたかもしれない。もし別れていたとしても、そのことを隠して夫婦生活を続けていただろう。

 

だがそれは明るみに出て、すべては妻の知るところとなった。

そして自分はキリスト教や振り返りによって、自分の本性を知ることになった。

そこからの立ち直りは苦しい道だが、立ち直るという希望のある道だ。

だが妻はどんなにつらいだろうか。

キリスト教も、振り返りも、最近ではアドラー心理学も、すべて妻が自分のために用意してくれたものだ。それらを通じて自分は自分を理解することができ、神様の存在を知った。

妻が自分を立ち直らせようと、必死でがんばってくれた。だから今の自分がある。

 

そんな妻に、自分はとんでもないことをしてしまった。後悔してもしきれない。自分の生涯で最高の人だったのに。その妻を裏切ってしまった。そればかりか、そのあともウソをつき、その場をとりつくろい、自分を守ろうとした。妻は崩れ落ちそうになりながらも、それも受け止めて、立ち直るチャンスをくれた。自立していない自分をあきらめず、それでも一緒にいてくれる。

自分と結婚していなければ、もっと幸せになっていただろう。ほんとうに申し訳ない。

 

 

自分を立て直したい。こんな自分にここまで付き合ってくれる妻に、自分の立ち直りを見せたい。

 

まだまだ道は遠いのかもしれない。

早く自分を立て直し、そして妻の心からの笑顔を見たい。

 

 

ビデオを撮る。

 

息子が生まれたとき、ビデオカメラを買った。

その成長記録を撮るためだ。だが同時に、妻の裸を撮るという目的もあった。

自分たちの行為や、妻の恥ずかしい姿態を撮影して、それをあとで見て楽しもうというわけだ。若いころはもう二度とこない。妻の若い体を残しておきたいという気持ちがあった。

それと妻がアメリカに行ってからは、妻のいない寂しさを、そのビデオを見て紛らわすという意味が大きくなった。たまに会ったときに、撮影しておいて、離れているときはそれを見て自分でオナニーする。

 

妻はそれに協力してくれていたが、内心はどんな思いだっただろう。きっと嫌だったに違いない。そんなビデオを撮られて、それが外に漏れたら。ほかの人に見られたらどうしよう。でも夫が言うので、従わなければ。離れ離れになってつらい思いをしているのはわかる、だからそのくらいのことは協力しなければ。そんな気持ちがあったと思う。市販のエロビデオを見るくらいなら、私の裸を見てもらったほうが、まだましかという思いもあったかもしれない。

 

自分はコレクション癖もあったので、そういう妻のビデオをコレクションしていくという気持ちもあったのだろう。いつしかビデオはかなりの本数にのぼり、かわいい下着を着せたり、制服を着せたりと、自分の偏った性癖丸出しの、変態的コレクションとなった。

そんなテープを見て、妻はきっといやな気持ちだったに違いない。もっとほかの方法で、自分を愛してもらえないのか。自分たちの夫婦関係は、こんなビデオを見て気持ちを晴らさないと、途切れてしまうようなものなのか。どこかが間違っていると思っていただろう。

 

だが自分はそれをやめなかった。増えていくコレクションを何度も見返し、オナニーした。

そしてさらに撮影していった。

 

だがそのテープは、あるとき妻に、もうこんなものは捨てましょうということで、全部捨てた。

 

今振り返って思うのは、そこに愛はあったのか、ということだ。

撮影することに夢中になり、それをコレクションすることに夢中になり、それを見てオナニーすることに夢中になった。

それはただの、セックスの代用品ではなかったか。しかも愛のないセックス。自分の性的欲求を満たせればそれでいいという考え。まったく自分勝手な行動だ。

ほんとうに愛があれば、そんな妻が嫌がるようなことはしなかっただろう。

自分の欲求を優先させ、もっともらしい言い訳をつけて、妻を性的にねじ伏せた。

自分の性の道具にした。それが実態だ。

 

今、そのことを心から妻に詫びたい。ほんとうにすまなかった。

自分の罪の矯正に向かい合い、時間と労力を使ってくれている妻に感謝している。

 

 

隠れてタバコを吸っていた。

 

18歳で大学に入ったときからタバコを吸いはじめた。

高校のときも少し喫ったことはあったが、いたずら程度だった。

大学に入ると、親元を離れた解放感から、毎日のように1箱程度吸うようになった。

当時はそれが大人っぽく見えて、かっこよかったというのもある。

中毒性があるので、タバコを喫わないではいられなくなるのに時間はいらなかった。

 

それをやめることにしたのは、25歳のとき。結婚して半年くらいしてクルマを買うことにしたときだったと思う。けっこう高いクルマを買うので、その代わりにタバコをやめることにしたんだったと思う。お小遣いの減額もあったので、ひょっとしたら別のときだったかもしれないけど。

 

とにかくやめることにした。健康にもいいし、経済的にもいいし、火事の心配もないし。

妻と約束したのだ。タバコをやめると。

最初は真面目に守っていた。だが1カ月したときだったか、1カ月禁煙記念とかいって、1本だけ吸ってみた。そしたらあっという間にもとの喫煙習慣に戻ってしまった。

そこから妻に対してウソをつく日々が始まった。

また吸い始めてしまったとは言い出せなかった。だから妻には黙って会社で吸っていた。家ではすっかりやめたふりをしていた。

 

どうして隠れて吸ったのか。

吸ったのがわかったら、妻に怒られるからだ。

妻は自分の健康を気遣って、タバコをやめることを提案してくれたのだ。それを踏みにじることになる。そして、約束を破ることになる。

でも、今考えれば、吸ってしまったことを正直に話し、その場で怒られておけばよかったのだ。

でもそういうとき、自分の選択はいつも、隠れてする、だ。

隠れて吸っても、言わなければわからない。わからなければ大丈夫。

自分に素直になり、正直にしてしまったことを告げることができなかった。

正直に自分の罪を告白することができなかった。

これは、タバコの件だけではなく、すべてのことに対してそうだった。

陰でこそこそ悪いことをする。わからなければ、それでいい。

 

ずっとそうやって育ってきたからだろう。悪事が少しくらいばれても、なんとかごまかせてきたし、人生がひっくり返るようなことにはならなかった。だいたいのことはバレずにすんだのだから、隠れてやっていても結局は大丈夫。ずっとそういう生き方だったのだ。何か悪事を働いても、それが悪いことだとも思わなくなってきていた。

これはその後の人生でも続き、とうとう取り返しのつかないほどの大きなあやまちを犯すことになってしまった。

 

自己中心とか、そういうことではなく、それ以前に頭が悪いとしかいいようがない。

自分は頭がいいつもりで、何でも思いどおりになると思っている。だが、実際はそうでなく、浅はかな考えしかなく、すぐばれるようなウソをつく。かなり知能が低い。先のことを考えられない。その罪が、先々何を引き起こすかを考える力がない。そして、それを反省することもない。

 

 

 

学歴自慢。

 

すごく学歴を気にしている。あまりそう思ったことはなかったが、思い返すとそうだ。

いちど、自分のいとこたちのことを、こう言っているのを聞いた。

「〇〇家(自分の兄弟の家族)は優秀だからね。長男は〇〇大を出て医者になったし、長女は東大出てるし、末の子も今東大狙ってるんだよ」

 

一見、自分の親族を自慢しているような言い方にも聞こえるが、じつはその裏に妬みの気持ちがにじみ出ている。

「お母さん、ほかの家のことはどうでもいいよ。べつにいい大学を出たり、いい職業につくことだけが人生の目的じゃないから」

思わずそんな言葉が自分の口から出た。ただ聞き流すことができないくらいの話し方だった。そのくらい、その家族のことをうらやんでした。

 

自分は行きたかったのに大学に行かせてもらえなかった。兄弟が多かったし、女性に学問は必要ないと言われ。そのコンプレックスみたいなものが、心の中にうず巻いていて、いまでもそういう気持ちになってしまうのだろう。兄弟のなかでの競争というか、嫉妬のようなものもあったかもしれない。母自身もそういうなかで育ってきたのかもしれない。いい成績をとらなければ親に振り向いてもらえない。兄弟が多いと、そうなのかも。

 

もちろん、学歴なんてどうでもいいよね、と言えるのは、じつは高学歴の人たちだ。

仕事に貴賤はないなんて言えるのも、いい仕事に就いている人だけ。

だから、学歴にコンプレックスのある母としては、心に妬みの気持ちがあるのは当然なのかもしれない。

 

そんな母に育てられた自分は、やはりそういう目で見られてきたんだと思う。

いい成績をとらなくては褒められなかったし、いい学校に行くことを期待された。

そして自分もそれに応えようとした。

 

そして成績はそれほどよくなかったが、なんとか浪人もせずに「東京の大学」に進学した自分を、母はじつは誇らしく思っていたのかも。だから私立大学の高額な学費を、文句も言わず出してくれたのか。そして小さな会社に就職した自分だったが、初任給がわりとよかったので、それもまた自慢になったかもしれない。

「うちのAは東京で就職してね。小さな〇〇の会社なんだけどお給料がよくてびっくりしたわ」

そんなふうに親戚に自慢していたのではないか。あくまで想像だが。

 

そんな母の気分や態度が自分にも感じられ、さらに自分の王様体質が磨かれていったのだ。

自分としてはけっして成功したとは思っていなかった。大学も二流の私大だし、就職も小さな会社だった。それは自分のコンプレックスになっている。自分の理想としていた自分にはなれなかったのだ。

だがそういうコンプレックスは、自分が作ったものではなく、きっと母から植え付けられたものなのだ。二流私大といえども東京6大学だし、小さな会社だとはいえ、かっこいい横文字職業で給料もまあまあいい。誇りに思うこともできたはずだ。でも、そうは思えなかった。

皮肉なもので、母から植え付けられたコンプレックスにより、自分は自分を誇りに思うことができないのに、母はそれを誇りに思っていたのかもしれない、ということだ。

 

いい大学を出ている人、いい会社で高い給料をもらっている人がうらやましかった。というか嫉妬していた。

 

 

母の仕事

 

小さいころから母は内職していた。

 

小学校の高学年になると、近所の会社にパートに行った。

事務の仕事だと思う。毎日昼間はそこで仕事をしていた。

それから高校か大学のころになると、競馬場のチケット払い戻しの窓口業務を始めた。

 

このことに関して、自分は何も感じていなかった。

家計が苦しいから仕事をしていたのだということを、まったく考えたことがなかった。

そんなあたりまえのことを、なぜ思わなかったのだろう。

家にいても暇なので、暇つぶしに仕事をしている、くらいに思っていたのだ。

 

考えてみれば3人の子供がいて、自分は私立の大学に行かせてもらい、妹も弟もそれぞれお金がかかったはずだ。父の給料だけではまかなえなかっただろうことは、いまになってみればわかる。でも当時はそんなことをまったく思わなかった。

自分の家にお金がないなんて思ってもみなかったのだ。

 

自分は王様だった。まわりのことは何も気にしなくてよかった。

母が働きに出ようが、自分や兄弟にお金がかかろうが、まったく気にしなかった。

そんなことに興味がなかったのだろう。

普通に暮らせてあたりまえ。学校に行かせてもらってあたりまえ。お小遣いをもらってあたりまえ。まわりの苦労なんてみじんも考えなかった。

どんな思いで自分を育ててくれたか、なんてまったく気にしなかったのだ。

 

今でもその気質は残っていて、自分の家族に対しても、同じことをしている。

妻がいくら自分のことを心配して、あれこれ助言したりしてくれても、その場限り。

子供が自分を見放して口もきかなくても、我関せず。

まわりの気持ちや感情に、まったく無関心だ。

 

 

 

コットンの肌触り

 

コットンの肌触りというか、手触りというか、触った時の温かみが好きだ。

これは女性の下着を集めるのが好きなこととも密接に関係している。

自分だけの不思議な嗜好だ。

 

コットンのパンツが好きだった。

同じパンツでもナイロンのテカテカしたやつには興味がなくて、コットンのものが好きだった。もしデザインや色が好みのナイロン製と、ダサいコットン製があったら、文句なしでコットン製をとる。同じコットンでもできるだけスムーズで、その布地を通して肌のぬくもりが伝わるような薄いもの、とこだわりは続くが、とにかくコットンだった。

同じコットンでも、硬い綿のものはダメだ。ハンカチみたいな生地はダメなのだ。Tシャツのような柔らかいコットンでなければならない。

 

だから、ブラジャーには興味がない。硬いしコットンではないからだ。触っても気持ちよくない。もしパンツみたいな柔らかいコットンのブラがあったら、それは好きかもしれない。

もっと言えば、パンツである必要もないかもしれない。Tシャツでもいい、それを触っているだけで幸せになれる。

 

これはいったいなんなんだろう。

唇を吸ったりする癖があることは前に書いた。赤ちゃんのおしゃぶりみたいなもんで、自分を慰めたりストレスを発散する行動なのだと思う。妹や母親の下着を自分の部屋に持ち込んでいた。下着の肌さわりが好きだった。この異常なコットン好き。しかし、なぜコットンなんかが好きなんだろう。

 

パンツが好きだからコットンが好きになった、という説。

コットンがパンツを連想させるから好きなのだということ。

だがナイロンやサテンのパンツではダメなのだ。

パンツである必要はない。

 

その肌触りにある種のぬくもりを感じるから、という説。

でも同じぬくもりを感じるフリースなどではダメだ。

タオル地にも興味はない。

触っていたいという気持ちにはならない。

 

この違いは何なのか。

そのあたりはわからないが、この「肌触り説」のほうがあたっている気がする。

子供のころ寝るときに一人でさびしいとき、自分のコットンの下着(シャツでもパンツでも)を触りながら寝た。そうするしかなかったのだろう。与えられなかった愛情に変わり、自分の肌着の手触りは、自分を安心させてくれるもの、自分を裏切らないもの、に変わっていったのではないか。

優しくて温かくて柔らかい。その手触りは母親の愛情の代わりだった。

本来それらは母親から与えられる精神的な安心感であるべきもの。

だが与えられない愛情の代わりに、その温かな布切れを必死で握りしめていた。

心の代わりを物に求めたのだ。

 

ここまで書いて泣けてきた。きっとこれがほんとうのことだからだろう。

自分の記憶の奥底がよみがえってきたのかもしれない。

自分は愛されなかったのだ。だからコットンはその代わりだった、というわけだ。

 

 

児童会長選挙

 

小学校6年生のとき、児童会長に立候補した。

児童会は前期と後期に分かれており、自分は後期に立候補した。

それは後期のほうが当選しやすいと言われていたからだと思うが、理由は忘れた。

だが同学年のライバル(?)が前期の児童会長になり、彼とは争わずに選挙に臨めるというメリットはあったと思う。

 

なぜそんなに児童会長になりたかったのか。

やはり人の上に立ちたかったからだ。前にも書いたが、人よりも自分がすぐれていると思っていたし、その証としてリーダーシップをとるなら児童会長だ、という思いがあった。

児童会長は、図書委員会、保健委員会といったすべての委員会の委員長よりも、各クラスの代表であるすべての学級委員長よりも「偉い」のだった。つまり児童会長になるということは、その学校の生徒の中のトップに立つことを意味した。

 

今考えると全然そんなことはなく、単なる役回りのひとつとしか思えないが、当時はそう思っていた。

6年生になる前にも書記(だったかな?)などの役職に立候補して、当選していた。

着々と会長になるための地固めをしていた、という感じだ。

 

選挙は体育館で、全校児童の前で行われた。

各候補者が方針演説(?)をして、そのあとで投票により選ばれる。

俺の作戦は「登壇するときに転ぶ」ことだった。

名前を呼ばれてスピーチのためにマイクの前に進む。そのときに、わざと転ぶのだ。

これは自分が4年生(?)のときに先輩がやった手で、わざとかどうかわからないが、登壇時に転んで大うけ。当然その人はトップ当選した。

それが鮮烈に印象に残っていた。自分が会長に立候補するときは、これをやろうと心に決めていた。

いよいよ名前を呼ばれて首尾よく転び、会場は大爆笑。話の内容などより、面白い人が選ばれる傾向(とくに低学年はそれでいい)なので、当然自分が当選した。

 

すべてに関してあざとい。

人の上に立って自己顕示欲を満足させようという心も醜いが、この「作戦」を思いつき、そして実行した自分が、とんでもなく恥ずかしい。しかもオリジナルではなく、人まねだ。人の注目を浴びたいがために、浅智恵を働かせ、臆面もなくそれをやってのける。先生方も恥ずかしかったのではないだろうか。大人にはよくわかったはずだ。よくこんなことが、しゃあしゃあとできるものだと。浅はかな行為で、何の意味もない行動だと。

だが自分はそんなことはつゆ思わず、得意満面だった。作戦大成功、だったからだ。

 

自分の考えることはなんでもすごくて、それは世の中に受け入れられる。自分が一番で、ほかの人たちよりも優れている。その傲慢さをまわりがどう見ているかには気づかず、ただただ自己満足にひたる。

これを読んでいる人は、背中がぞわぞわっとしているのではないだろうか。自分でもそうだ。浅知恵、猿芝居。みんなが気づいているのに、自分だけが気づいていない。もし今、こんな人が自分のまわりにいたら、「おいおいい、オマエ痛すぎるよ」と言ってやりたいくらい。そう、自分は痛い子供だったのだ。

 

小さいころからそういう小さな自己顕示を積み重ねてきて、そういう人格になってしまっていたのだ。その傾向はそのまま大人になっても続き、ものごとを面白く見せたりとか、誇張して話したり、話をもったりとか、そういうことにつながっている。自分で自分を演出してしまう部分だ。

 

なぜこんな自己顕示欲の強い子供になってしまったのか。

それは小さいころから、自分を認めてほしかったからだ。

「いい子」でいること、つまり人よりも優れた子供であることで、自分に親の注目を集めようとした。自己顕示は「どうだ、自分を見てくれ」という思いの表れだ。

 

母親の愛情を求めていたのだ。

ということはつまり、自分は親に愛されていなかったのだ。

それに気づいていながら、気づかないふりをしていた。

気づくのが怖かった。気づく必要はなかった。

それよりもすごい自分に気づいてもらうのが先だった。

 

このふりかえりに感謝する。

E子、ありがとう。

 

U田さんのこと。

 

U田さんは中学と高校の同級生だった女性だ。

太っていた。とても。

学年の女子のなかでいちばん太っていたのではないだろうか。

もうひとり、太った子がいたが、とにかく学年で、いや学校でトップクラスのデブだった。

だが、とても気持ちのいい子で、しかも頭がよかった。

成績も中学のときトップクラスだった。

クラスの男子からは、名前で「M先輩」などと呼ばれていた。

つまり人気者だった。その容姿ゆえ、モテることはなかったと思うが、友達として人気があった。女子にも好かれていたと思う。自分も普通に友人として接していた。わりと仲がよかったほうだと思う。

 

自分とU田さんは同じ高校に進学した。その中学からは3人だけがその高校に通うことになった。入学のオリエンテーションのときなどは、3人でいっしょに話をしていた。初めての環境で、知り合いがいるというのは心強いものだ。U田さんといっしょでよかったと思った。

 

だがすぐにクラスに友達ができるようになると、自分の態度は一変した。

U田さんを敬遠するようになったのだ。

口をきかなくなった。クラスが別になったので、口をきく機会がなくなったといえばそれまでだが、そうではなかった。U田さんから廊下などで話しかけられても、無視するようになったのだ。明らかにU田さんを遠ざけるようになった。

 

恥ずかしかったのだ。こんなデブな女の子と同じ中学で、しかも仲がよかったということが。

高校は都市部から通う、ちょっとおしゃれな感じの生徒が多く、自分のような者はちょっと仲間に入りづらい雰囲気があった。そこに入っていくときに、U田さんのような存在がじゃまだったのだ。こんなデブな子と仲がよかったというのは、消してしまいたい過去だったのだ。

だからU田さんを無視した。

 

自分は外見で人を判断していた。

その心を見ることなく、見てくれで人を評価していた。

またその心が素晴らしいものであって、それに気づいていても、それを無視した。

心のきれいさを評価するより、デブな女性と親しかった自分を隠蔽するほうが優先だった。

 

自分のアクセサリーとして、そういう友人は不要だったのだ。

自分の歴史として、そういう過去は不要だったのだ。

自分中心の表れだ。

自分がカッコよければいい。

ほかの人の気持ちなど考えていない。

 

無視されたU田さんは、どういう気持ちだったろう。手のひらを返したように、ある日突然無視されるようになって。わけがわからなかったのではないだろうか。

人に無視される、しかもあからさまに無視されるのは、とてもつらいことだと思う。

じゃあこっちも無視してやれ、なんて思うかもしれない。

 

だがU田さんはそういうこともなく、普通にしていた。

とくに俺に構うことはなくなった

 

 

 

 

友達がいない。

少ないだけかと思っていたが、どうもそうではなく、自分には友達がいないようだ。

妻にそう指摘されるまでは、そんなことは思いもしなかった。

そのときどきで、親友と呼べる仲間はいた。

小学校から大学まで、親密に付き合った友達がいた。

 

小学校のときは近所のSやクラスのN

中学ではクラブの仲間のO

高校ではクラスのOT

大学ではクラスのYNH

それとサークルのIS

みんなその後も付き合いがあり、ずっと年賀状のやりとりもしていた。

 

だが大学を出て就職すると、身近に友達と呼べる人がいなくなった。

仕事の付き合いで親しい人はいる。相談できる人もいる。

だがそれは友達ではない。あくまで仕事の関係だ。

だからその人が仕事から離れると、または自分がそこからいなくなると、疎遠になった。

電話番号は知っているし、いつでも連絡して「どう、元気?」と言える。

でも用事はない。仕事仲間だったわけだから、仕事の用事しかないのだ。

だから連絡しなくなる。必然的に疎遠になる。

 

イラストを描いているMとは、仕事の関係だけではなく、プライベートでも仲がよかった。

学生時代からの仲間で、そのまま仕事にもつれ込んだので、ずっと仲がいい。

今もたまに仕事を頼んでいる。彼が引っ越しをするときも、大変な思いをして手伝った。だから彼にも頼られていると思う。

自分のなかでは、今いちばん親しい「仲間」だと思う。

だが、むこうはどう思っているのか。

用事のあるときだけ、ちょっと仕事を振ってくる。都合のいい人だと思われている、と感じているかもしれない。でも仕事をくれるので、しかたなく付き合っているのか。

事実、都合がいい。いつも暇なので、急な仕事も受けてくれる。

だがそれは彼の弱みに付け込んでいるだけかも。俺の仕事は断らない、無理してでもやってくれるという、自分の思い込みで付き合っているのかも。つまり打算だ。

彼がお金に困っているのを知っていて、だから仕事を振ってやっているつもりだ。

この「振ってやっている」という言い方もひどい。俺は何様のつもりだ。

 

このMは友達なのか。今は親友ではないだろう。もう引っ越し以来会っていないし。

会わなくても、心の中でつながっている。ずっとそう思っていた。

小学校の友達も、中学の友達も。もう何十年も会っていなくても、いつも心に彼らがいる。そう思っていた。だから今でも親友なのだと。

だがそうではないのだろう。

彼らにとってはただの「年賀状の付き合い」でしかないのだ。

親友だった記憶が、彼らをつなぎとめているだけだ。

いや、もうつながってはいないのかもしれない。

 

それはいいとして、この歳で友達がいないのは異常なんだろうか。

ほかの人はどうなんだろう。

仕事以外のコミュニティは教会しか参加していない。

だから教会のおやじの会の人たちとは、会えば話をする。

だが友達という感じではない。

 

 

自分にとって一番大切なことを語りあえるのは、妻しかいない。

 

E子がいてくれてよかった。ありがとう。

なのに悲しませてばかりで、本当に申し訳ない。