兄妹関係。

 

妻の兄妹というか姉妹は、関係が密接だと思う。

小さいころから仲がいいのか悪いのか、あれこれ一緒に遊んだり、ケンカしたりして育ってきたようだ。3人とも女だということもあり、助け合ったり、ライバル視しあったり、かなり一緒に遊んできた、生活をともにしてきたようだ。それは密度の濃い関係だったと思う。

 

対して自分の兄妹にはそれがあまりない。前にも書いたが、関係性が希薄な感じがする。自分のすぐ下に妹がいて、その下に歳の離れた弟がいたので、一緒に遊ぶということがあまりなかったのだ。

 

だから結婚して妻の姉妹関係をいろいろ聞いたとき、どうしてそんなに姉妹でケンカしたり遊んだりしてきたのか、ちょっと不思議な気もした。

また妻は現在の妹たちについても、あれこれ性格や行動に関して、ことあるごとに話題にしていた。妹たちの娘や息子のこと、自分の母親とのかかわり方などなど。

それも不思議だった。自分は兄妹のことをそれほど話題にしない。あまり興味がないのだと思う。弟の子供の名前など、いまだに覚えられない。

そういう環境で育ってきたので、つまりは関心がないのだろう。

 

要はアドラーのいう共同体意識が兄妹に対してまるでなかったということだろう。

自分といっしょに幸せになる対象として、兄弟を見ていなかった。自分だけでも妹や弟だけでもなく、みんなで幸せになる、生きていくという感覚がなかったのだ。

兄妹の人生は自分にとって関係ないものだったのだ。

おそらく妹や弟に対して、腹を立てたりすることもほとんどなかったのではないか。忘れているだけかもしれないが、思い出せるものはほとんどない。どうでもいいもののことで、腹を立てたりはしないのだ。

 

対して妻の姉妹は、意識してはいなかったろうが、姉妹として愛し合い、憎しみ合い、競争しあい、助け合いして生きてきた。そこには姉妹という絆というか関係性が、確実に存在していた。それぞれのなかに、妹が、姉が、しっかり存在していた。だからそういう密度の高い関係になったのだ。

 

妻はその関係性のなかで、人と人が共同体として生きることを学んできたといえる。対して自分はそれがなかった。だから今も共同体感覚が希薄なのではないか。

 

この共同体感覚の欠如は、妻や息子との関係にも、表れていたと思う。

妻も息子も、いっしょに幸せになるという、自分と同じ目的をもつ存在として見ることができていなかったのだ。

だが妻は違った。いっしょに暮していっしょに生きていく、そしてともに幸せになる存在として見てくれていた。

 

誤解のないように言っておくと、自分だってそういう気持ちがまるでなかったわけではない。一緒に幸せになりたかったし、息子もかわいいし、愛している。だがそのレベルが違ったということだ。

 

共同体感覚をもつ妻は、いつも自分を気にかけ、愛情を注ぎ、そしてその反応のなさにイライラしてきた。だが自分はその妻のイライラが理解できなかった。

元来もっている、人と人との関わり方の根本が違う。だからすれ違っていたのではないか。