どんな大人になりたかったか。

 

子供のころ、また高校・大学時代、どんな大人になりたかったか。

小学生のころに総理大臣か自転車屋になりたいと思ったことは書いた。

 

では職業ではなく、どんな人に、どんな大人になりたかったのだろうか。

 

高校のころは、東京に行くと決めていたと思う。

成績が良ければ地元の国立大学に進学することも考えただろう。

だが数学がダメだったし、共通一次は通らないだろうと思った。

そこで私立。だから東京へ行くと思っていた。

そこでどんな生活が待っていると思っていたか。

あまりイメージしていなかったというのが正直なところ。

なぜなら東京に行ったことがなかったから。

どんなところかわからなかったのだ。

 

そこでどんな生活をし、どんな大人になっていくつもりだったのか。

ちょっとオシャレで、時代の先端的なものを感じさせつつ、芸術や本、音楽を愛し、「やっぱり東京の人は違うわね」と地元の仲間に言われるような存在になる。そんなつもりだった。

有名画家の展覧会があれば美術館へ足を運び、クラシックや趣味のいいロックやポップスを愛し、東京育ちの仲間やガールフレンドに囲まれ……。

テレビや雑誌で見た知識から、自分の生活をイメージするしかなかった。

きっと芸術関係、ジャーナリズム関係、思想関係の仕事に就くのではないか。

そしてそれなりに出世したり、認められたりするんだろうな。

すごく漠然とだが、そう思っていた。

 

今思えばそこには、物質的な夢や想像ばかりで、精神的なものはちっともなかった。

心の中に、物質的な欲望しかなかったのだ。

目の前に広がっていたのは、もちろん希望に満ちた世界だったが、そこにはお金と物が転がっていただけだった。愛はただセックスだったし、夢は出世と名誉と金だった。

 

正直な人になるとか、人に感謝されるような行いをしたいとか、世の中の役に立ちたいとか、人間ならそういう気持ちを持ってもよさそうなものだが、そういうものはみじんもなかった。

自分がそんなに悪い人になるとは、まったく思わなかった。

自分の自己中心さや、多重人格、同一性障害などには、まったく気づいていなかった。だからそういうことは積極的に考えることはなかった。

 

このころに、そういうことに気づいていれば、自分の人生はどんなに違ったものになっていただろう。

きっとまわりの人たち、妻や家族、友人を傷つけることなく、愛に満たされた人生を送っていただろう。ほんとうに周りの人たちを傷つけてしまった。ひどいことをした。

 

自分の人生を後悔している。

この数十年間を、無駄に生きてしまった。

 

家族の関係を修復したい。

 

 

 

コレクション癖

 

自分にはコレクション癖があると妻に言われる。

言われてみれば雑誌は捨てられなかったし、CDもたくさん持っているし、服も捨てずにたくさん持っている。靴もそうだし、変態的な下着の趣味もそうだといえる。

 

それぞれ理由があって、決して自分ではコレクションだとは思っていない面もあるのだが、言われてみれば物を捨てられない性格だ。

さらに女性の写真や手紙を捨てずに持っていたり、古い免許証とかパスポートとか、それ用に撮影した写真など、捨てられないものがある。持っていてもどうしようもないと思うのだが、捨てられない。

 

これはどういうことなのか。

自分に関するものが捨てられない、というのは確かにあった。

自分が生きてきた証となるようなもの、その記録、記念品的なものが捨てられない、ということだ。自分がかかわってきた仕事の雑誌が捨てられなかったのも、そのせいだ。

知り合いで、やはり自分がかかわった本をすべて自宅にストックしてある、という人がいて、それをどうするつもりなのか、と聞いたら「将来、SY男(自分)記念館が建ったら、そこに収蔵するんだ」と言っていた。すごく気持ちがわかる。

 

自分でもそういう妄想をしていた。将来自分がすごく有名になったら、昔使っていた品々、書いた作文、描いた絵など、すごく貴重な資料になるのだろうと。それは保存しておかなければならない、と。

だから千葉の家を建てた。

自分の作った雑誌を保存し、いつかI田A雄記念館にするためだ。

 

ここが自分中心で、自分を過大評価している部分だ。

 

そんなことはあるわけはない、とは思えなかったのだ。

将来は総理大臣になる、と夢想していたほどだから、

自分の記念館が建つと思ってもしょうがない。

 

 

子供のころは、ちゃんとしたコレクションもしていた。

といっても切手を集めたり、マッチ箱を集めたりという程度。

そのうち飽きて、そのままになってしまった。

でも、そういう集めたものを捨てない性格なので、先日実家の押入れを整理したら、当時集めていたマッチ箱のスクラップが出てきた。

大切に(?)段ボール箱に入れてとってあった小学校時代の絵や作文、プリントなどもあった。

 

女性からのファンレター的な手紙が捨てられなかったのは、それが自分の評価であり、それを自分で記録しておきたかったからだと思う。手紙は、自分はモテたんだ、ということを証明する書類だった。

 

これも自分が大好き、という証拠だ。

 

 

Y原に寿司をおごったことは覚えている。

高級な寿司ではないと思う。

 

どういう抱きつき方をしたのか覚えていない。自分としてはそんなに激しいものではなかったのかと思うが、他人が見てそう思うなら、そうだったのだろう。かなり酔っていたので覚えていない。

 

それにしてもやったことを隠そうとして工作するあたりが、俺らしい。サイコパスだ。

そんなことをしたっていつか現れる。隠されたもので表に出ないものはない。今はそう思う。

でも当時はまったく違った。最低だ。自分のモラルの低さ(問題隠蔽)を、E子だけでなく、他人にまでさらして、平気でいる。

いかにその場限りの人間だったことか。

 

前に送ってくれた過去の誓いの文章を見ても、ほんとうにそう思う。同じことを20年以上前から繰り返している。いや30年以上前か。

 

それでもE子が俺のそばにいてくれたのは、神様のあわれみとしか思えない。

E子にはほんとうに悪かった。こんなに長い時間、こんな男のために人生を使わせた。

何と言っていいかわからないほど申し訳ないと思う。

 

俺のことをいろいろ考えてくれて、サイコパスや人格障害、自己中心といった心理学的な気づきも与えてくれた。自分では絶対に調べなかっただろう。そして自分の深層心理を知ることもなく、同じ状態で生きていたと思う。今ここに立てているのは、すべてE子のおかげだ。

 

やっと酒を辞めた。

たばこをやめたこともよかった。

Mがたばこで健康を害している。自分も辞めてなかったら、そうなっていただろう。

食事もそうだ。俺の家族は肥満が多い、

A雄は、Eちゃんのおかげて、健康優良児だと言われた。

 

E子に感謝している。

 

デブに抱きついた。

酒を飲みすぎると、自分でも思わぬ行動に出ることがある。

デブに抱きついたこともそのひとつだ。

 

昔から酒をたくさん飲むと、攻撃的になったり、モラルがゆるんだりした。

傘の先で駐車してあるスクーターのシートをブスブス刺して穴をあけたり、自動販売機にキックしたりしていた。自分の中にある抑圧されたものが噴き出す感じだった。きっとふだんいい子にしているから、その反動が、実際の自分が出るのだ。

 

 

会社の友人のY原とスナックみたいなところに飲みに行った。Y原はそのあたりの店をよく知っていて、その店でも常連らしかった。

 

その店はこじんまりとした女性が何人かいて接客していた。テーブル席で、客テーブルに女性が付く、田舎のクラブ(?)みたいな店だった。

 

どんな話をしたのか、まったく覚えていない。おそらく仕事の話などをして、「雑誌に出る人なんだ、すごーい」とか言われて悦に入っていたのだろう。

 

そのなかの一人にデブがいた。いまとなってはデブだったとしか覚えていない。記憶はデブに抱きついた、ということだけが鮮明だ。おそらくだが、時間が来てそのデブが退店する時間になったか、あるいはテーブルを変わるタイミングだったと思う。それが寂しい、という意味でハグをした。ハグより強い感じで、ぎゅっと抱きしめた。たぶん。

 

きっと話が盛り上がっていたのだろう。それでお別れが悲しいよ、と。

 

デブなので、きっとまったく好みではなかったと思う。いまだにデブは女性として好きじゃない。

だから安心したのだろう。どうでもいいから、そんなことができたのだ。

 

酒で理性のたがが外れた。

 

それを「女房に言わないでくれ」と言っておいたのに、言われた。

しかも「言わないでおいてくれと言われた」というとこまでつけて。

 

Y原が奥さんに話し、それでE子に激しく怒られた。当然だ。

心の中には、こういう、バレなければ大丈夫という心がいつもあった。

ばれないように工作する、ずるがしさも。

 

今もそういう心が自分のなかに眠っているはずだ。それはもう直らないかもしれない。

でも今は、それをすごく恥ずかしいと思う。

 

 

私が聞いた話は、君が酔った勢いでホステスに抱きついた。

周りで見ている人が、それはないだろう、というような ひどい有様だったらしい。

 

だいたい、ホステスさんを「デブ」と言うこと自体、相手を卑下した言い方。

人を見下げるようなひどい態度があったんじゃない?  

 

とにかく、一抹の不始末を隠すため、

君は寿司屋でY原にごちそうした。

 

「おいしい寿司をおごってもらった」とY原がMに話したそうだ。

あら、なんでおごってもらえたの?と聞いたら、

ホステスに抱き着いたことへのEちゃんへの口止め料だった とY原が言ったとのこと。

 

 Mは君のモラルの低さにびっくりした。

正義感の強いMは黙っていられなかった。

 

「Eちゃん、ちょっとびっくりしたことがあるんだけど、、XXがね、酔っぱらってホステスにすごい勢いで抱きついて大変だったらしいよ。それもひどいけどね、もっとひどいと思ったのは、うちの旦那にEちゃんへの口止め料としてお寿司をおごったことだよ。」

その先、どんな言い方をされたか覚えていないけど、 モラルの低い人と結婚したんだね、、こんな風に隠しごとするなんて信じられない。こういう人だっていうこと知ってたの? 大丈夫なの?というようなことを言われた。  

 

「かなり人間性に問題のある側面を持った人」

そんな人と結婚している私を、心底心配してくれている言い方だった。

 

自分のやってきたこと、やっていることを ことごとく「正当化する」けど、

それを世間の人はどう思うか。わかってないのは君だけだ。  

 

だから、外で飲むときのお酒の量を制限してきたよね。

でも、いつも口先だけで、守ったことなかった。

 

私たちはけんかばかりしてきたと、君はあちこちで言いふらしている。

でも、過去の日記を読む限りでは、けんかの原因は

ほぼ君の嘘、ごまかし、酒、女問題ばかり。

 

 

私にいくら言われても、

自分は正しいと言い訳をし、決して自分の非を認めない。

自分勝手な理論で全部正当化してきた。

一度も罪悪感をもったり、真から反省しなかった。

 

君は今まで、傷つけた相手の気持ちを考えて胸が苦しくなったことあるの?

 

ブス専とは、ブスに安堵と性欲を抱きやすい嗜好を持った人。

 

ブスはブスでブスだとわかってるから

超ラクショー感漂わせてるんで、男がイケそうって思いやすい。

 

でも一緒にいるところを人に見られたくない。

隠してつきあうことが多い。

だってブスの彼女といたら自分が低くみられる。

 

ブスとは気楽に話ができて、 

楽しい雰囲気作りができて 簡単に打ち解ける事ができる。

 

なぜブスとばかりつきあってしまうのか、

99%の確率で、このような男性は、自尊心が低い。

 

ブスの前ならリラックスして、自信を持って話できるのに、

美人を前にすると緊張して、相手の顔色や反応を伺ってしまう。

 

自分がこんな美人と付き合えるわけがないと、はなから自分を卑下している。

だからきれいな女性に、自分から声をかけない。

ただでさえ自尊心が低いのに、相手にされなかったら、自分が壊れそうだからだ。

 

その点ブスは、自分を拒否しない。

だれからも声をかけられたことのないようなブスが狙い目。

 

たとえブスに振られることがあったとしても、落ち込んだりしない。

もともと俺様が相手にしてやってあげてるんだと、上から目線でみているから。

俺の誘いを断れば、その先誰からも声をかけられず不幸になることは目に見えている。

 

自分に好意をもってくれていることがわかっている女ばかりを狙う。

顔なんてどうでもいい。

自分を好きなら、拒否される確率が低いからだ。

 

ブスにばかりとなぜ付き合うのか?

それは、心の内側の問題。

 

ちょっと押せば簡単に落ちそうな女で満足する。

甘い言葉に浮かれるから簡単に落とせる。

自尊心の低い俺の話をとことん聞いてくれる。

金もかからない。

多少冷たくあしらっても怒らないことが多い。

そういう風に扱われることに慣れているからだ。

美人は気位が高いし気を使う。

ブスは簡単で楽なんだ。

 

ブス専というのはわかる。
「落とせそうな女にしか声をかけない」のだ。
男とはそういうものだ、という『話を、誰かとしたことがある。
俺も当然そうだ。
 
ブス専の俺が、それまでに出会った女性のなかでいちばん
かわいかったというのは本当。
外見だけで選んだといわれてもしかたない。
ほかのことは結婚すればなんとかなると思っていた。
 
自尊心がかなり低い。
綺麗な服、靴、りっぱな仕事、学歴、そういうもので固めて、自分を高くみせることに必死だった。
 
ブス専なんて言葉、初めて知った。
キープ君、アッシー君、知ってるけど。
こんなことしてる人、私のまわりにはいなかったな~。
 
いかにももてないの人に、わざと近づいて、
歯の浮くような言葉で、舞い上がらせ、
自分のことを好きにさせておいて、搾取するの?
今、実際にそういうことをしてる人を想像してみたけど、
できない、、絶対できない、、。
最低だよ
 
それをなんの悪びれもなく、誰もがやってるとか、男なんてみんなそうだとか、
自分がしていていることを、すべて正当化して信じて疑わないところ、
変だよ。
 
 

M子。

 

クルマ雑誌のバイトで来ていた子。

俺より10歳くらい年下。

若かったがそんなにかわいいとは思わなかった。

でも元気があって、まわりからは好かれる女の子だった。

おじさんが好きなのか、なぜか俺のことをかっこいいとまわりにいいふらしていた。

それはほかの人から聞いていた。

でも結婚していたし、会社の関係者に手を出すのはいけないと思っていた。

 

M子ちゃん、Iさんのことが好きみたいよ。と言われても、

「商売ものには手を出すな、っていうだろ」と言っていた。

 

直接言われたことはない。すべて人づてで聞いた話。

なぜ直接言わなかったのか。

それが作戦だったのかもしれない。

何年もずっと無視していたら、そのうち誰かと結婚したと聞いた。

そのときにはもうバイトをやめていた。

 

そうか、主婦になったかと思っていたら、また会社に来だした。

別の編集部でバイトを始めた。とくに何も起こらなった。

飲みに行ったことも、プライベートなことを話したこともなかった。

 

ある日、昼時に会社の前にいたら、その子がほかの女性スタッフと昼食に出ていくところだった。そのとき、「M子、今日が誕生日なのよ」ほかの女性に言われた。

へえ、何歳になったの?と聞くと、38歳になりました!と元気よく答えた。

M子ももうそんな歳なのか、と驚いた。

そのとき「じゃあ今晩いっしょに飲みに行くか?」と言ってしまった。

「はい、喜んで!」という返事だった。

 

以前は俺のことを好きだと言っていたが、今はどうなのか気になった。

飲みに行くと楽しいだろうと思った。

嫁のことは頭をよぎったが、まあバレなければ大丈夫だと思った。飲みに行くだけだし。

 

会社の近くの居酒屋で飲んだ。

会話は会社の人たちの噂話がほとんどだった。

妻が海外にいることを話した。

会社には妻がのことを言ってなかったので、それを聞いて驚いていた。

「だったらこうやって飲んでも大丈夫なんだね」みたいなことを言われた気がする。

相当飲んだ。M子はすごく酒に強かった。

俺はかなり酔って、今度飲んだららエッチしようと言った。

冗談めかしたが、そういう気になっていた。

むこうも拒否はしなかった。

だからイエスなんだなと、勝手に思い込んだ。

 

それから何度もメールして誘ったが、いい返事はもらえなかった。

やはりその気はないのか。でもきっと俺のことを好きなはずだ。

いろんな思いが交錯して、なかなかメールの返事がこないことにイライラし、それがもとでさらに気持ちがのめり込んでいった。

 

でも何度さそっても飲みに行ってはくれなかった。

行けばそういうことになる、というのがわかってるからだろう。

そうなりたくないと思ったのだろう。あたりまえだ。

でも俺はそれが受け入れられず、何度も誘った。

でもダメだった

自分がどんなことをしているか、わかってなかった。

妻の気持ちを考えたこともなかった。

 

そのうちMと不倫するようになり、M子とはそのままになった。

M子にメールしているころに、同時にMにも声をかけていたと思う。

 

しばらくしてモーターショーで偶然ひさしぶりに会った。

その話にはならず、他愛のない話をして別れた。

 

いまさらどうこうしようという気持ちもなかった。

 

それ以来音信不通だ。

に風穴。

 

看護婦のN子?に振られたとき、心に風穴が開いたような気持になった。

それ以来、女性に振られることを極度に恐れるようになった。

そのため、常に自分が傷つかないように準備するようになった。

別れるなんていう話になる前から、次の女に目星をつけておいたり、

同時に何人もの人と交際したり、ということをするようになった。

そうすれば、もし振られても、自分は傷つかない。

 

しかし傷つかなければいいのか、とも思う。

自分にとって女性とは、恋人とは何だったんだろう。

 

それはお互いを尊敬しあうような関係ではなく、

ただ便利で、性的な欲求を満たすための道具だった。

 

だから適当にきれいな子であればだれでもよかったかというと、そうでもない。

そこには好き嫌いはあった。

好みでない子じゃいやだ。

でもかなりレベルは低かった。

 

おそらく自分にとって女性は、心の風穴をふさぐための道具だったんじゃないか。

誰もいないとたまらなく寂しい。

だから彼女が必要。

だけど付き合っているからといって、とくに大切にするわけでも、

いとおしく思うわけでもなかった。

自分にとって一番大切なものではなかったから。

 

手に入らなければ追いかける。

でも手に入ってしまえば、もうそれで終わり。

それに対して手をかけることはしない。

愛情がないからだ。

心の風穴がふさがりさえすればいい。

だからいつも付き合っている子に対して冷淡だった。

笑わない冷たい人だと言われていた。

 

俺は自己中心だ

 

 

妹かわいいじゃん

 

中学生のころ。

妹はもちろん1学年下で、同じ中学に通っていた。

小学生のころからデブで太っていた

デブで太っていたし、顔が嫌いだった

 

思春期に入っていたので、ほとんど話はしなかった。

家で、必要なことは話していたと思うが。

ある日、クラスの浅野というやつが、「2年に妹いるんだって?かわいいじゃん」と聞いてきた。

 

俺としてはすごく意外だった。あんな妹なのに。

かわいい? 全然かわいくないよ。

 

もともと妹は嫌いだった。

理由はない。

妹だから助けてやらなければとかも思わなかった。

ただ自分とずっと一緒に暮らしていたというだけだった。

 

そのうち妹は万引きをするようになり、親が警察や学校に呼ばれることもあった。

でも親はそのことをあまり俺に言わなかったので、詳しくは知らない。

いつだったか、母が目に涙をためて「妹が万引きをしてね。学校に行ってくるよ」と言っていたことがある。

母としては、人様に相談できないようなことなので、俺に話を聞いてほしかったのかもしれない。父がどう対応したのか、わからない。

俺はそれには無関心だった。自分のことじゃないから。

万引きくらい、悪い友達はしていたし、そんなにたいしたことじゃない。

警察に見つかるほどになれば、反省してしなくなるだろう。

その程度にしか考えていなかった。

 

その後の妹に対する親の苦労は知らない。

妹が高3になると同時に俺は東京で一人暮らしを始めたから。

男関係も派手だった、駆け落ちもしていたらしいが、俺には関係なかった。

 

俺は妹に無関心だったのだ。

テレビのチャンネルのとりあいをすれば「お兄ちゃんなんだからゆずりなさい」。

遊具の順番は「お兄ちゃんなんだから後にしなさい」。

妹は憎しみの対象ではなかったが、愛情の対象でもなかった。

 

無関心は愛情の反対語だという。

 

俺は妹に愛情をもっていなかったのだ。

 

同時にその妹を心配する親にも無関心だった。

つまり親に対する愛情がなかったとうことだ。

親の愛情を求めながらも、その親を愛せない。

そういう子供だったということだ。

 

今もそうだろう。親子の連絡は希薄だし、

妻の家の親子関係ほど濃密ではない。

 

みんなそれぞれ無関心なのだ。愛情のない家庭。

それが自分の育った家庭だ。そしてできたのがこの自分だ。

 

テニス部の先輩

 

今思い出しても怒りがこみあげてくる。

中学1年のとき。テニス部にいた。

まだ1学期だったはずだ。

 

ある日、予防接種があった。

みんな廊下に並んで、保健室に移動しようとしていた。または廊下にならんでいたのか。

俺は何か理由があって、注射をしなくてよかった。

風邪をひいているとか、そういう理由だったと思う。

そこで廊下に並んでいるクラスメイトたちの前に、教室のドアから勢いよく飛び出して、少し腰をかがめて両手を広げてこう言った。

「はーいみなさん頑張ってくださいねー!」

おどけて笑いをとろうとした。

頑張って、まで言ったところで勢いよく平手打ちされた。

すごくきれいに頬をたたいた。

 

すごい痛みだった。

頬を片手で押さえて見ると、殴ったのはテニス部の1年上の先輩だった。

名前は忘れた。小柄でちょっとえばった感じのやつだった。

成績がけっこうよくて、その後いい高校に進学したと聞いた。

「うるさいんだよ」

そう言った。

痛くて涙が出て、何も言えなかった。

そのままそいつは俺にかまうことなく歩いていってしまった。

 

カッコ悪い。みんなの前で。

ちくしょう、なんでビンタするんだ。

先輩だからって、そんなことしていいのか。

俺が何をしたっていうんだ。

カッコ悪い。痛い。ちくしょう。

おどけて飛び出した行為と、その直後の結末のギャップがすごすぎた。

 

しばらく誰もいない教室で痛みに耐えた後、激しく復讐心が沸き上がってきた。

そのころ製図で使う大きなT字型の定規があった。

それを持ってそいつに襲いかかりたかった。

その定規でそいつの頭を真上からハンマーみたいに叩き割ってたりやかった。

そしたらそいつは死ぬかもしれない。

それでもいい、あんなことをされたんだから。

それまでに経験したことのない、すごい怒りだった。

次の授業の間、ずっとその妄想にとりつかれていた。

いまこのまま教室を飛び出して、廊下にかかっているT字定規を持って、そいつの教室に乱入し、頭をかち割ってやりたい。

そんな衝動に耐えていた。

家に帰ってもずっとそのことばかりを考えていた。

たぶんその日は部活を休んだんだと思う。

そいつに会いたくなかったから。

 

何日かたっても、そのことが頭から離れない。

きっと機嫌が悪かったところに、俺が飛び出し、なんだよと思ってビンタしたら、思いのほかヒットしてしまった、というようなことだったと思う。

でもその結果が許せなかった。

痛かったということはもちろんだが、自分がかっこ悪かったというのが大きかった。

 

1年から2年くらいあとまで、ずっとその怒りが心に残っていた。

今も思い出すと腹が立つ。激しく怒りがわいてくる。

 

今でもあのT字定規で復讐したい。

なんだこのやろうっ!と叫びながら。

虐待・無関心など親から被害を受けた子どもは、解離することでつらい現実を逃れ、「消えたい」「いなくなりたい」という感情を意識から遠ざける。

…彼らは次第に「他者の痛み」にも鈍感な人間―反社会的なパーソナリティ―へと変化していく。筆者から見ると、そのような彼らの共感性や内省の欠如は、慢性解離状態にょってもたらされたものではないかと思う。

悲惨な家庭で育った子どもは、感情や感覚を麻痺させる「解離」という防衛反応を見せます。

「解離」とは、強すぎる刺激から脳を保護するために、極度の感情や感覚、記憶などを切り離し、存在しないかのようにシャットアウトしてしまう脳の仕組みです。

重度の愛着障害を抱えた子どもは、感覚を麻痺させるために薬物依存に陥ったり、悪い仲間と関わって非行に走ります。やがて自分の痛みだけでなく、人の痛みを感じる感覚をも解離させ、反社会性パーソナリティ障害に進展することがあります。幼いころに凄惨な虐待やトラウマを経験したために、感情がシャットダウンしてしまい、凶悪犯罪者になってしまった人たちもいます。

サイコパシー(精神病質者:反社会性パーソナリティ障害に罹患する者のなかでも、特にその肥大した自己愛、虚言癖、操作性、共感性の欠如、冷淡さ、内省の欠如といった特徴が顕著な者)と解離は密接な関連がある。

「だましたことではなく、捕まったことに対する後悔」という特徴的な責任回避の態度(p93)

反社会性パーソナリティ障害とは、遺伝の影響もいくらかあるとはいえ、おもに虐待のような不幸な「環境」のせいで、感情を麻痺させるために解離していくしかなかった人たちの結末です。

神経科学者ジェームズ・ブレアは、凶悪犯用刑務所にいる囚人でその研究を行いました。殺人犯や強姦犯の中にも、はっきりタイプの違いがあって、熱情や誘惑に駆られ、衝動的に犯行に走った人たちと、もともと罪悪感がないサイコパスに分かれていたのです。

サイコパスはうわべは魅力的で口達者、人を操るのも巧みですが、他人を思いやらなければいけないことがわかりません。

サイコパスの場合、愛着システムそのものが切り離されているので、別のものによって満足感を得るしかありません。

そうすると、常に新しく面白いものを探し求めて飽きっぽくなったり、スポーツによるスリルや、奔放な異性関係を追い求めたりします。彼らにとって、ドーパミンを無限に放出してくれる究極のスリルが犯罪であり、法で裁かれないギリギリのところをやってのける快感ほど己を満たしてくれるものはないのです。

「心の理論」が非常に巧みで、自分を魅力的に見せかけたり、心を操ったりすることに長けています。正確にいえば、心の理論には、相手の気持ちを分析する「認知的共感」と、相手の気持ちを自分のことのように感じとる「情緒的共感」があります。サイコパスの人たちは「情緒的共感」が欠落していますが、「認知的共感」は極めて巧みです。

多くの場合、共感的に振る舞える。よい聞き手であり、人々が何に関心をもってるのか聞くことが好きである。でも、そうする理由は、彼らを思い通りにする方法を見つけようとしているからです。