さあ!元気出して行きましょう!
震災後、色々な物が手に入りにくいのですが、
震災直後、とにかくパンが食べたくて仕方なかったのです。
なので、パン屋のトラックを見つけると、猛ダッシュで追いかけて行き、
二時間並んででもなんとかパンをゲットしていました。
ところが今度はジャムが一向に入ってこない。
郵便がようやく復旧したのを機に、妹に即、ジャムを送ってくれ!とメールしました。
お隣の娘さんが神奈川からパンを送ってくれたのをいただいたり、
名古屋の叔母が長持ちするパンを送ってくれたり・・
(↑これ、親戚や知人が送ってくださった食べ物やお菓子等の一部。ありがたい!)
ちなみに市場にパンが並び始めたのは本当につい最近。
だから今でも
『まだパン食べてないーー!』
って人もいるくらい。
だから、パンを食べて行ったモナ子は毎日先生方に人気でした。
バターとパンの匂いって、ホント、
最高ですもんね。
毎日色々あるけれど、
ちょっとでも楽しい事を見つけて、
毎日面白い事しか書かないぞ!
と始めたこのブログ。
さすがに今回はそうも行かず、まだまだ気持ちも落ち着きませんが、
そろそろ元気出して行く事にします。![]()
先生とお別れ。
地震後、小学校も保育所も臨時休校となりました。
ラジオからの情報では、再開の見込みがまだつかないとのことで
しばらく子供達は家で過ごすことになりました。
震災から四日目の朝。
ピンポーーンと家のチャイムが鳴りました。
訪ねて来てくれたのは、ぼんの担任の先生。
一人ひとりの家を歩いて周り、無事を確認をしてくれた先生でした。
モナ子の保育所からも一週間後に連絡がありました。
どうしても預けて働かなくてはいけない家もあるので、水も出ないし暖房も無いが来週から再開するとのこと。
aneも仕事に行っていましたが、母が家にいてくれたので、モナ子はしばらくお休みさせることにしました。
お休みの間、ぼんとモナ子と先生に渡すお礼の品を作りました。
四月には今の先生とお別れして、新しいクラスになるからです。
10日ほど経って、強い余震がまだ続いていましたが、小学校では避難所が解除され、
終業式と離任式が時間短縮で行われることになりました。
絶対、一生教師を辞めないだろうな~と思っていたぼんの担任の先生は、
退職されました。
ちょっと恐くて、でも子供達をお母さんのように見守ってくれた先生。子供達同様、親にも叱咤激励してくれた先生。
『ぼん君!お母さん、こんな夜になるまで歩いて迎えに来たんだよ!どんなに心配したかわかる?お母さんには一生頭上げられないんだからね。大人になっても絶対忘れちゃいけないよ!』
先生がぼんに最後にかけた言葉だそうです。
先生のお子さんも無事だったそうで、本当に良かった。
手がかかるぼんを一生懸命教えて下さった先生に、感謝します。
モナ子が保育所に登所したのは三月最終週。
『先生に会いたい。先生ね、もうすぐバイバイなの。』
モナ子がポツリとつぶやいたからでした。
モナ子の大好きな先生二人は三月いっぱいで退任が決まっていました。
なので、せめて最後の四日間は会わせてあげたいと思いました。
不自由な環境の中でもお友達や先生としっかり遊んだ様子でしたが、
ついに最終日が来てしまいました。
夕方迎えに行くと先生も待っていてくれて、クラスの子供達一人ひとりを見送ってくれました。
モナ子はわりとケロっとしているように見えたのですが、所長先生が近寄って来て、
『モナ子ちゃんね。今日いっぱい我慢したの。おうちでたくさん抱っこしてあげてね。』
と言いました。
『今日、全員集まってお別れ会をしたのね。モナ子ちゃん、座ってじーーーっと舞台であいさつする先生を見てたんだけど、横で見てたら、そのうち目から涙がつーーって流れてね。それでもじーっと先生を見てたの。それで私の方がたまらなくなっちゃって、手を広げて、おいで!ってしたら、お膝にきたんだけどね、ワンワン泣くわけじゃなくて、黙ってギューってしがみつくから、またそれで泣けてきちゃって・・。しばらく抱いてたら落ち着いてまた座ってみてたけどね、小さいのに、泣いちゃいけないってとても我慢したんだと思うよ。』
そっか。モナ子、我慢したのか。
最後に先生にプレゼントを渡して、
『先生、明日から別のホークショ(保育所)に行くの。また会いに来てくれる?』
と、ちゃんと自分の気持ちを言えたのでした。
ぼんの先生もモナ子の先生も、
本当に子供達を大事にしてくれました。
子供達にとっても、私にとっても、きっと忘れられない先生になると思います。
本当に、ありがとうございました。
水が出た!
震災から二週間。
仕事中のaneに、母からメールが届きました。
『水が出たよ!お湯も!水が出るって幸せだね~』
思わず、
ヤッター!!って、言いました。
水が大事だって分かっていたはずなのに、
それは言葉だけのことであって、
本当は全然分かってなかったんですね。
今回こんな苦労をして、ようやく水の大切さが身にしみてわかったのでした。
水が出ない生活はとても大変です。
ごはんを作るにも水は当然必要ですが、野菜を洗ったりするにも水がいります。
蛇口から水は出ないので、ペットボトルに移した水を注いだり、ボウルに水を張って洗います。
食べた食器や鍋、フライパンを洗うのも一苦労。
紙コップや割り箸は捨てられるけど、調理したものは洗うしかない。
これも脇にペットボトルを挟んで水を流したり、誰かに水を注いでもらいながら洗います。
冬でとても水が冷たいので、手が痛いです。
トイレも困ります。
水が流せないので、使ったトイレットペーパーは便器に入れないで、ビニール袋に入れて捨てます。
たらいに残っていた風呂水を汲んで便器に流し込み、手動で流します。
お風呂の水はだいたい一週間で使い果たしました。
お風呂は当然入れないので、時々髪だけ洗いました。
でも子供達は肌が弱くて、お湯で拭いてあげてもどうしてもただれてしまうので、
断水から一週間目に思い立って、何度も水汲みに行き、お風呂に水を張って
追い炊きでお風呂を沸かしました。
人生でこんなにお風呂に入らなかったのは今回が初めてです。
ちなみに、ペットボトル6本入りのケース6箱の水を四回運んでようやくお風呂八分目まで水が入ります。
毎日、これだけの水を使っていたなんて。
これにシャワーも使っていたわけですから、贅沢な生活をしていたんですね。
驚きです。
洗い物、顔を洗ったりする水等は一日でだいたいこのダンボールで3~4箱使用しました。
水は夫が毎日職場から汲んで帰ってきました。
実家でも水が復旧するのが早かったので運びにいきましたが、ガソリンが無いので毎日は行けませんでした。
近くの小学校や公園に来てくれた給水車にもお世話になりました。
北海道から岡山までのナンバーの給水車を見ました。
水が出た後の話ですが、まだ給水車が来ているのか見に行ったら、まだ待機してくれていました。
『もうずいぶん人が来なくなりましたね。』
塀にポツンとこしかけている作業員の方に声をかけたら
『よかったです。』
と笑っておっしゃってくれました。
数日後、もう給水車は来なくなりましたが、
冷たい水を次々来る人たちのために入れてくれた作業員の方に本当に感謝します。
水が出たら、子供たちがいつでも手を洗えます。
お風呂に入れて、肌もキレイになります。
清潔でいられれば、風邪も予防できるし、その他の病気も防げます。
衛生面で、水はとても必要です。
少し振り返って。
これ。
緑部分を歩いていました。
真っ暗だったので、こんな段差は全然見えず、見事に落っこちました。
骨を折らなかったのが幸い。
あちこちで波打っている道路や、陥没した状態でした。
信号もついていないので、さすがに四車線の右折なんかはドキドキしました。
現在もダンボールだらけです。
主に水。
カップラーメンや、ドリンクは夫の会社等からいただいた支援物資です。
奥に大根が見えますね。
意外にも野菜は震災後もわりと手に入りました。果物も。
肉・魚類、パンはなかなか入ってきませんでした。
玉子、牛乳、豆腐も入手困難でした。
ヨーグルト、バター等の乳製品は未だ手に入りません。
最近街は修理が進みだしました。
我が家はまだしばらくダンボールの山に囲まれて過ごすことになりそうです。
インテリアとか、全然気にしていられないですね。
こういう状況になって、今まで自分がどれだけお気楽な生活を送って来ていたのか気付かされています。
忘れないようにしなくては。
用意しておけばよかったもの。用意していて良かったもの。
今回、用意しておいてよかったものと、用意しておけばよかったなと感じたものがあったので、記しておきたいと思います。あくまでも、我が家の状況で・・ですが。
■用意しておいてよかったもの
〇ペットボトルの水・・・四ケースありました。
〇お風呂の水・・・溜めてありました。トイレを流すのに必要です。
〇ガスコンロ・・・パックのお米をおかゆにしたり、鍋をしたりできました。フライパンも使えます。
〇乾麺・・・お中元にいただいたソーメンがありました。保存がきくのでとても助かります。
〇ラップ・アルミホイル・・・お皿に敷いて使います。水が出ないので、洗わなくて済みます。
〇紙皿・割り箸・紙コップ・・・洗わずに使えます。
〇トイレットペーパー、ティシュ・・・3ケースずつありました。最初の頃はどこのお店でも売り切れでした。
〇おむつ・・・なかなか手に入りません。在庫しておいてよかったです。
〇おしりふき・・・子供のお尻だけでなく、大人も体など拭けます。
〇除菌ティシュ・・・手が洗えないので、よく使います。
〇油性ペン、紙・・・伝言や、どこでもメモが取れます。
〇カイロ・・・電気が無い時、さむいので役に立ちました。
〇パックのお米
〇小麦粉・・・すいとん、パウンドケーキができます。
〇各種調味料
〇乾電池
〇薬・・・特に子供の薬は常備薬。
〇マスク・・・感染症予防にもなりますし、しばらくは街がほこりっぽいので使っています。
〇ガソリン・灯油・・・満タンにしてありました。しばらくは安心できます。
〇ゴミ袋、ビニール袋
〇旅行用カート・・・買い出しに便利です。一度に大量持ち帰れます。
〇自転車・・・ガソリンがないので、フル活用しました。
■用意しておけばよかったもの
〇ガスコンロのガスボンベ・・・最低でも3本は必要でした。一週間くらいしてお店に入ってきました。
〇ポリタンク・・・水が運べます。3個は欲しいです。
〇バーベキューセット・炭・・・料理にも、暖を取るにも役立ちます。
〇冷凍のものを入れられるボックス・・・すみません。正式名称がわかりません。冷蔵庫が使えなくなった時、保冷剤を入れて冷凍庫のものが保存できます。
〇カップラーメン
〇ラジオ
〇懐中電灯・・・一人一個あると便利です。
〇ソーラーライト・・・電池の節約になります。
〇ヘルメット・・・子供の分だけでも欲しいなと思いました。
少しでも。
ガソリンがありません。
どこに並んでも、手に入りません。
夫は勤務場所が遠いため出社がままならず、二日に一日は休んだり、近くの営業所へ出社したりしていましたが、子供達は久しぶりにパパがいる生活にとても安心したようにしていました。
夫が被災地に近い場所へ出社した時のことです。
帰宅するなり、『三歳くらいの子の服、ある?』と聞かれました。
会社の同僚の知人が避難所で生活をしているらしく、洋服が足りないとのことでした。
残念ながら新品の服は無かったので、モナ子やぼんのお古を用意しました。
実際に子供が居て、震災にあって、洋服もですが靴下や下着が必要だと感じていたので、下着はありませんでしたがせめてと靴下とタイツも袋に詰めました。
お古だと人によっては不快に思うかもしれません。
もし不快に感じたら、ストーブの燃料にしてもらっても構わないと言って夫に渡しました。
子供の着た服を焼かれるのはなんだか寂しい気もしましたが、それでも何かの役に立てればいいのではないかと心底思いました。
毎日被災地の様子を見て、まだ連絡の取れない友人がいる中で、何かできることはないかと思っていましたが、こうやって自分ができる事が見つかる事があるんだな・・と思いました。
翌日、夫が帰宅して、お古を喜んで受け取ってもらえたと言っていました。
この日を機に、aneはなんだか気持の切り替えができたように思います。
毎日ニュースを見ては涙が出て、悲しい気持ちがずっと続いていました。
その気持ちは変わりませんが、できることをやって、今は頑張ってやっていくぞ!という気持ちが強くなったような気がします。
食べ物を探しに。
電気が通ったのを機に、携帯の電波も通るようになってきました。
そして、充電ができるので乾電池の心配は必要なくなりました。
後は食材のみ。
14日は会社が休みなのか勤務なのか分かりませんでしたが、とりあえず出社することにしました。
幸いにもバスが不定期ではありますが走っていたので、子供達を母に託して街へ出ました。
会社はまだ電気が復旧しておらず、事務所まで長い長い階段を上りました。
出社している社員が数名。
結局その日は安否確認のみで解散となりました。
帰り道。
あちこちのお店に列ができていました。
どのお店も、在庫があるだけのものを売り切っていました。
この列に並んだら何時間で買えるんだろう?並んだとして自分の番まで物が残っているのだろうか?
なんとなく路地にまわろうと感じました。
いつもは通らない、街から外れた場所を歩いていると、不意に小さな行列を見つけました。
そこは、先ほどシャッターを開けたばかりの小さな商店でした。
運が良かったのです。
やさいや果物、玉子がたくさん買えました。
知らないおばあさんが買いたいけれど一人で買っても多すぎるし・・と悩んでいたので、声をかけ、半分こにして帰りました。
翌日も職場へ行きましたが、その日はビルがガス臭くなっていてすぐに解散になりました。
またも帰り道。
今度は中心街を歩きましたが、相変わらず長い列があちこちでできていました。
商店だけでなく、ドラッグストアや百均にも。
この日も街を外れ、しばらく歩いて行くと、予想もしていなかった良いにおいがしました。
匂いを辿っていくと・・・
小さな中華料理店でした。
なんと、唐揚げやチャーハン、春巻きなど、個数限定ではありますが販売していたのです。
こんな状況で作れるお店があったんだ!
子供達の喜ぶ顔が目に浮かびます。
少し並んだだけで、人数分の惣菜を手に入れることができました。
その日の夕食は久しぶりにぞうすいではなく、ちゃんとしたおかずがありました。
子供達は『唐揚げ?どうして?!やったー!』と大喜びでした。
それから、aneは道でお店のトラックが走っていたら、追いかけてみることにしました。
走っていった先にお店があり、ちょうど物資が届けられて開店になるケースが多いのです。
タイミングが良いと、並ばず、なかなか手に入らないパンやお肉、牛乳などが買えました。
ちまちまと食材を集め、なんとか一週間分くらいの備蓄ができました。
たくさん買ってはご近所にあげたり、いただいたり・・。お互い協力しあいます。
この後5日間ほど会社は休みになり、ぼんを連れて街の列に並んだりもしましたが、有に二時間は並ぶし、その間放射線も浴びることになるので、結局ぼんと長々と並んだのは2回だけでした。
最初の一週間はとても苦労しましたが、日に日に開店する店が増えて来ました。
がらんとしていた街はだんだん活気が出てきました。
路上で有志で豚汁やラーメンを無料で配るお店もあれば、最近ではどこで作ってきたか分からない個人で作ったようなお弁当を販売している人も出てきました。
一度、冷凍のおはぎを売っている列を見つけて並びました。
母が好きなので買って帰ってあげようと思ったのですが、並んでいるときに販売している人同士が笑って
『すごいっすね!売れまくりですね!』と嬉しそうにコソコソ話していました。
県外のちゃんとしたお店だったのですが、とても嫌な気分になりました。
今は悔しい思いをしても食べ物を手に入れなくてはいけないのでした。
電気がついた夜。
ラジオと携帯のTVでようやく被害の大きさを知りました。
2日目あたりで小学校かどこかで子供には乾パンなど支給してもらえるかも・・という考えは甘すぎる事がわかりました。
2日目でさえ、まだ被害の全体すらつかめていない状態だったのです。
家にある食材とガスボンベでは持ってもあと二日。
どうしようか・・・。
二建隣の奥さんがガスボンベを一本分けてくれました。
本当に助かります。
食材は・・
とにかくお店を探すしかありませんでした。
近所のスーパーに行くとすでに長蛇の列。
買える商品は限定されていて、それでもなんとかお茶数本と、パックのお米、缶詰、果物、お菓子が手に入りました。
いつまで・・・という先が見えない状況。これで足りるのかどうかなんて分かりません。
三日目の夜の事は忘れられません。
真っ暗な寒い部屋。余震の度に懐中電灯を照らしていたのですが、急にパッ!と光が射しました。
真夜中の2時。
電気が復旧したのです。
思わず大人たちは歓声を上げましたが、子供達は熟睡していました。
我が家は幸いにも半分電化の家なので、電気さえ通れば、暖房と料理もつくれます。
前日からモナ子が微熱があり、風邪の悪化を心配していたので、これはもう本当にありがたかったです。
できること。
電気もガスも止まり、水も出ませんでした。
翌日、いったん母のマンションへ移動し、ラジオ・懐中電灯・電池・食糧等必要な物を持って家に戻りました。
余震が続くしばらくは我が家に居てもらうことにします。
何をするにも子供がいると手間取ります。人手が必要なのです。
ラジオでようやく情報を入手しました。
親戚、友人達に連絡を取りたくても、携帯は圏外になってしまい全く使い物になりません。
幸いにも我が家には買い置きの水が4ケースと、紙コップや紙皿がありました。
ガスコンロになべをかけ、パックのお米を入れて皆でおかゆを作って食べました。
懐中電灯は天井に向かって照らすと光が広がって、部屋全体がすこしだけ明るくなりました。
お隣の奥さんがバーベキュー用の炭で冷蔵庫の中の魚や肉を焼いて持ってきてくれました。
この家に引っ越すとき、あまり使わないからとまだ使えたアウトドア用品を捨てた事を思い出して後悔しました。
お隣のご主人はとても行動派で、その夜は食べ物がない老人のためにと、地域の幼馴染たちと近くの公園で炊き出しをしてあげていました。
我が夫は・・というと、携帯がつながらないので何もできないと言い、部屋に居ました。
炊き出しの手伝いに行ったら?と言っても、誘われてないから・・と動く気はなく。
じゃあ、せめて周りの状況でも見てきなよ!とぼんと二人、外へ出しました。
夫はいつも受け身な人です。
要求すればしてくれますが、自分からなにかしようとしないその態度に腹が立ちました。
ぼんには、そういう大人になってほしくないのです。
aneは公園に行って、炊き出しの準備をしているお隣のご主人を見つけました。
うちにも冷凍庫にあった肉があり、焼く術がないので、よかったら炊き出しにつかってくださいと言いました。
でも、少ない量では食べた人と食べない人で不公平が出るので、焼いてあげるから子供達に食べさせなさいと言われました。
自分にできることは、何もないんだな・・と思いました。
夜が来て暗くなるのがとても恐く感じました。
子供たちが恐がるので、懐中電灯をまた天井に照らし、手で影絵をしてやりました。
天井にキツネや犬の影絵が大きく写って、子供たちが笑いました。








