私の尊敬する人について書きます。この人は、 幼少の頃、家が貧しかったために、小学校に一年しか行けませんでした。以下、この人の歩んだ人生のハイライトです。

9歳の時、母親を病気で亡くす。
13歳の時、姉を病気で亡くす。
22歳の時、ビジネスで失敗、倒産。(2年後にまた失敗。)
26歳の時、婚約者を病気で亡くす。その後、精神衰弱を経験する。極度の鬱状態になり、何度も自殺の衝動にかられる。    

その後、世の中を良くしようと何度も政治運動に関わるが、
議員の座を8度も失う。
33歳で結婚し、子供を4人もうけるが、そのうちの3人を
病気などで亡くす。

この人物、誰だかわかりますか?

これが、アメリカ16代大統領アブラハム・リンカーンの生涯です。

リンカーンは、辛い時がやってくる度に、生前お母さんが何度も言っていた
言葉を思い出したそうです。

「アブラハム。神様の約束の言葉を忘れてはいけないよ。神を愛する人々、神のご計画にしたがって召された人達のためには、神がすべてのことを働かせて、益(プラス)としてくださるんだよ...。」
(新約聖書ローマ人への手紙 8章28節)

大きなことに用いられる人は、大きな問題にぶつかります。

問題に勝る神の大きな計画を信じる人は、大いなる人生を生きます。

目の前の失敗や悲しみで、これからの自分の人生を決めないでください。
今、あなたは練られているのです。

そして、充分に練られたら、まるで「金太郎飴」のように、どこを切られても同じ顔が出てくるキリストのように、あなたも変えられていくと信じています。
漢字
「おはようございます」、「ありがとう」、「すみません」...。
日本語科の一年生のクラスに元気な声が響きます。大学生とはいっても、まだ緊張のとれない”ピカピカの大学一年生”です。
はじめの2週間でひらがなを習いますが、少しずつ漢字も紹介します。簡単なところでは、「一」、「二」、「三」、「人」、「大きい」など。そして、日本人がよく使う「大丈夫」の語源は「大きな子ども、Big boyだったんだよ」と説明すると「大笑い」してくれます。

でも、やっぱり漢字は難関です。日本人にとっても覚えにくいのに、アメリカ人にとっては「超」難しいのです。そんな時、「漢字の中に聖書の話が入っているんだよ」と言うと、みんな興味を持ちます。「ほんとうか?」という顔をしている人もいますが、少しずつ説明していくと、「ほんとうかも...」という顔になっていきます。

Dr.KangとDr.Nelsonという人が"The Discovery of Genesis"という本を書きました。漢字の中に、聖書の話が盛り込まれているとしか思えないような漢字が200ほどあるというのです。(日本語でも同じような本がでています。ティモシー・ボイルという物理学の博士号を持っている人が「漢字に秘められた聖書物語」という本をマルコーシュ・パブリケーションから出しています。)
聖書のはじめが書かれたのが今から約3500年前ですから、漢字の始まりと言われている契文・金文が書かれた紀元前1500年とほぼ同じ時期です。この頃、シルクロード(絹の道)の元となった「玉の道」がすでに存在していて、中国と中近東は貿易で結ばれていたようです。

では、どんな例があるのでしょう。たとえば、「造」という漢字ですが、この漢字は「土」「口」「ノ」と「しんにょう」から成っています。ここでDr.Kangが説明しているのは、2千数百年前に書かれた「詩経」には「口」が「人」の意味で書かれていることがあり、この説を採用すると、この漢字は最初の人間アダムの造られ方と同じだというのです。そして、カタカナの「ノ」のようなものには、「力や息や気を入れる」という意味があると説明しています。確かに「アダムは土から造られ、神に息を入れられ、人となり、歩き始めた」と聖書にあります。

「船」という漢字がありますが、「舟」と「口」と「八」からできています。でも、なぜ「舟」に「八人の人」が乗っていると大型の船になるのでしょうか? 聖書の創世記を見ると、「ノアの箱船には、ノアとノアの妻と、3人の息子達と息子達の妻の合計8人が乗っていた」とあります。「え! 単なる偶然じゃないか? ノアの大洪水なんて非科学的だ!」と思われる方は、「世界の洪水伝説」を調べてみられるとよいと思います。世界中には昔から、ノアの洪水伝承が120ほどの地域で類似した形で伝わっています。

次に「義」という漢字ですが、元の漢字は「羲」です。聖書では「正しい、赦された」ということを「義とされた」と表現します。でも、どうして赦されたことが「羲」という漢字で表されるのでしょうか。この漢字は「羊」「秀」「戈(ほこ)」からできています。

いつもKangの本からの引用だと偏ってしまいますので、立命館大学名誉教授の白川静先生のお書きになった「常用字解」の説明を引用しながら説明します。「義 ー 羊と我とを組み合わせた形。我はのこぎりの形。羊をのこぎりで切り、犠牲(いけにえ)とすることをいう。儀式のときに供えるいけにえには、羊を使うことが多く、のこぎりで二つに切り離して供えた。それは羊の内臓をも含めて、すべて犠牲として完全であることを示すためで...神などに供える犠牲としての条件においてすべて欠陥がないことを義しい(正しい)という。義は犠牲の羊のことである。」

旧約聖書のレビ記を読んだことがある方なら、目玉が飛び出るぐらい驚かれたと思いますが、これはまさに、旧約聖書時代に行われていた犠牲の捧げ方です。完全な(秀でた)動物を二つに切り裂き、その間を通ることによって「義」と認められました。「血に命がある」というのが犠牲の理由ですから、血が流されなければ罪の赦しがなかったのです。そして、「羊」は「神の子羊」として犠牲となったイエス・キリストを表しているのは想像に難くないと思います。

これは200ほどある漢字の一部だけですが、いかがでしたか。いつか、白川静先生にお会いして「漢字に秘められた聖書物語」について話し合えたらと願っています。

最後に漢字クイズで終わります。「禁」の漢字はどこから来たと思いますか?
これで日記シリーズは終わりますが、実は私は日記のようなものを3つ付けています。ひとつはこのブログで、ほぼ毎日つけています。もうひとつは、自分が聖書を読んだり、牧師の話を聞いて学んだことを書き留める「学びのノート」です。そしてもうひとつは、毎日つけている「わが家の娘達日記」です。

あきっぽい私が、毎日成長する娘の変化を記録しておきたいと思って書き始めました。今日までどうにかこうにか続けてこられました。上の娘が誕生して、今日で2068日目です。(日付のとなりに生まれてからの日数を記録しています。ちなみに、下の娘のは1483日目です。)いつか、デジカメで撮った写真をいっぱい入れて、娘達が結婚するときにプレゼントしようと思っています。

この日記には、娘達がしたことや言ったことなどが主に書いてありますが、私が悩んでいること、うれしかったこと、聖書で学んだことなども入っています。もし自分に何かがあっても、こうすれば娘達に大事なことを伝えられるんじゃないかと思ったからです。

毎日いろんなことを書くようになりましたが、実は、文章を書くのは得意な方ではありませんでした。5年前に書き始めたときの日記は、とても読めたものではありません。1,2行しか書けない日もたくさんありました。しかし、今、2000日ぐらいの練習の成果でしょうか、書くことが苦ではなくなりました。いや、楽しくなってきたと言ってもいいかもしれません。

そして、自分の中の変化に気付きました。
3年前よりも去年、去年よりも今の自分の方が、もっといろんなことに感謝できるようになってきたのです。聖書の中に「創造主がしてくださったことを何ひとつ忘れるな」とありますが、日記をつける前の私は、毎日の神の祝福をすぐ忘れていました。そして、問題が起こると「助けてくださ~い!」と叫んでいたように思います。

しかし今は、日記を読んでふり返り、「神はあの時も助けてくださったから、今回もだいじょうぶだろう!」と、前よりも強く信じることができるようになりました。聖書の原語のヘブル語で、「過去」のことを「ケデム」と言いますが、「前に置くもの」という意味があるそうです。過去をふり返って学んだことを前に置いて前進するのが人生なのでしょうね。

 今、娘がとなりに座っていますが、私が書いている内容に興味津々のようです。「このブログを、いつか読んでくれますように」と祈りつつ、ペンを置きます。
<子どもに作文を書かせる具体的な方法の要略>(やっときました!)

1)読んでもらう相手を決める(おじいちゃんやおばあちゃんなど)
2)書くテーマを見つける手伝いをする(1日をふり返らせる)
3)「したこと作文」ではなく、「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」「言ったこと」「思ったこと」の「五感作文」を心がける
4)色、形、数、オノマトペなど、情景を思い浮かべられる言葉を入れる
5)「~みたいだ」という比喩を入れる
6)子どもの言い足りないところ、物足りないところを補ってあげる
7)絵を描かせてから、親子で一緒に読む
(小学生なら、自分で書かせたほうがいいですが、小さい子なら、親が代筆してあげるのがいいと思います。また、以上の方法は、外国語として学ぶ日本語の作文教育にも役立つ内容だと思います。)

以上のようなことをふまえて、5歳の娘と作文を書きました。書きたいことを代筆して書いたものの一部ですが、ごらんください。(継続して書き始めてから5日目の日記です。どう思われるかは皆さんの判断にお任せします。私には、娘の心が見えたようで、思わずホロッときました。涙)

「... きょう、パパはけっこんしきにいきました。わたしは、しんぱいしました。パパがだいすきだからです。こころがかなしくなりました。
 わたしは、パパがほかのひとと、けっこんするとおもいました。でも、ほんとうは、パパはけっこんしきをあげただけでした。とってもあんしんしました。... 」
前回、構文力ということを話しましたが、神戸のある小学校で「構文力のある子ども達はどんな家庭で育っているか」という調査をしたそうです。

すると、できる子を育てている家庭では、家人の言葉が丁寧で長いのに対し、できない子どもの家庭では、親が子にかける言葉に、主語もなければ、述語もないの「ないないづくし」だったそうです。よく使う言葉は、「早うしい」「勉強しい」「アホ」「どたばたするな」「早う寝え」だったそうです。(ん~。これを聞いてウチも反省ですが、これではさすがに子どもの構文力は伸びませんよね。)

次に、「語彙力」について調査したところでは、学校でトップクラスだった子ども達はテレビをほとんど見ず、月に30冊ぐらい本を読んでいたそうです。(とは言っても、この子たちはガリ勉ではなく、遊びの中でもリーダー格だったそうです。読めば読むほど、スピードが速くなり、短い時間でたくさんの本を読めるようになったのだそうです。)そして、気になるテレビの時間は30分以下だったそうです。もちろん良い番組もありますが、テレビの弊害は、子どもの「イメージ力」を低下させることにありそうです。テレビを見ていると、すべてを絵にしてくれるので、自分で想像する必要がなくなってしまいます。

最近、日本では「ドラゴン桜」という東大入学ドラマのマンガがはやっているそうですが、その中で紹介されている勉強方法のひとつが「知識をイメージ化する訓練」です。イメージ力を使って、科学の法則などを覚えていくのです。

しかし、与えられたイメージを覚えるだけでは暗記と何の変わりもありません。むしろ、自分でイメージを考え、ふくらませると、頭の中の情報機関が手をつないで、記憶がより鮮明になってきます。

子どもの右脳を鍛えるためのカギは、子どもの語彙数と構文力を増やしてやること、そのためには読書能力を高めてあげることになりそうです。そして、毎日、継続して本を読み聞かせることが大事だと七田氏は言います。そのうえで「作文というアウトプット」をさせるなら、効果は大ということになります。

「なんか受験対策みた~い」と思っている方、ちがいますぞ。神様がその子に与えて下さった才能を開花させるお手伝いを親が与えられていることをお忘れなく。そして、「なんか作文の売り込みばかりで、具体策がな~い」と思っている方、いよいよ次回です!

追伸、
これは別の本で読んだことですが、同じ本を読みたがる子どもに、「その本、もう読んだでしょ」と、別の本を与えるのはあまり賢いやり方ではないそうです。大人もそうですが、子どもはとくに、自分の知っている本を暗記してしまうほど読むことによって、構文力と語彙力と本の内容を記憶の底に植え付けるからだそうです。「本をそらんじる」ことができたらいいですね。(聖書を何度も読むことも同じです。ちなみに私は、斉藤孝式に声に出して音読することが多いです。)
七田先生のところには、いろんな国のテレビ局が取材に来るそうです。その中で必ずきかれるのは、「七田教育法とIQの高さ」についてだそうです。子ども達の具体的なIQの数値はわかりませんが、七田教育を受けた子どものIQが高いのは納得できます。彼らの書いた作文があまりにも素晴らしいからです。6歳ぐらいでも、小学校高学年の書くような文章を書いています。

なぜそんなにIQが高くなるのか。また、そのような文章が書けるのでしょうか。

それには、七田教育の3つの信念が元になっています。
1)教育とは、子どもが本来持つ高い能力を引き出してあげること
2)書くことに、IQを高める秘密があること
3)子どもを認めて、褒めて、愛して育てることの大切さを信じていること

その信念の具体化が、前回書いた「親のガイド的質問」です。
そして、作文を書く時だけではなく、こういう質問をふだんの会話の中でもします。

すると、どうなるか。 会話と文章に「構文力、段落で話す力」がついてきます。

今どきの高校生(日本人とアメリカ人)と話していると、心配になる時があります。「構文力」と「段落で話す力」が弱くなっているように感じるられるからです。何かを質問したら、単語ばかり出てきます。「別に」、「それ、ビミョー」、「わかんない」などなど。こういう表現をばかりだと「単語人間」になってしまいます。それだけではなく、考える力、伝える力、人生を深める力が失われてしまいます。

七田教育法とユダヤ人の教育法につながりを見ることができますが、そのひとつは、5W1H的な質問をたくさんすることです。「だれがしたの?」「いつしたの?」「どこでしたの?」「どうしてしたの?」「その時、どう思ったの?」「そうしなかったのは、なぜ?」「その時、本当は何をしたかったの?」などなど。

そして、ノーベル賞を輩出しているユダヤ人教育は、こういう質問をグループになってさせます。しかも、質問はまず、小さい子どもから始めます。そして、年長の子どもに移っていきます。とくに、いろんな答え方ができる質問をたくさんするのです。たとえば、「神様は愛の方だと思う?」というような質問をします。「愛の方だと思う」と答えると。「そうだね。よくわかったね。でも、どうしてそう思う?」ときいてあげます。そして、どんな答えも受けとめてあげてから、今度は、子どもが気付かないような側面について、また質問してあげるのです。

作文力は、まず「質問力」です。そして、自分自身で質問をたくさんできるようになったら、しめたものです。そして、質問力と表現力がついたら、人と付き合う力、自信と内省力につながっていきます。

聖書の中でも、創造主なる神はたくさんの質問をしました。例えば、エレミヤに対して、「マー・アタ・ローエー・エレミヤフー(エレミヤくん、君は何を見ているのかね?)」という質問を何度かしました。それは、エレミヤが将来の召命を自ら見据えていくことができるようになるためでした。

次回は、作文についてのもう少し具体的な内容を見てみましょう。
「わかんない。」 "I don't know..."

これが、「今日、何が一番楽しいことだった?」に対する、5歳の娘の答えでした。「幼少期は、毎日、元気に楽しく過ごしてくれればいい」と思って育てていましたが、いつのまにか、いろんなことを漫然と受け止めるようになってしまったのです。「わかんない」をいくら日本語と英語で上手に発音できても、これではバイリンガルの意味はないと危機感を覚えたわけです。

そんなとき出会ったのが、前回お話した「子どもの右脳を鍛える作文練習帳」でした。たくさん良いアイデアが書かれているのですが、まず認識として大切なのは、作文というのは、”心の中を文字にして人に伝えるという行為”であるということです。

「書いていれば、何か浮かんでくるだろう」というのは、よっぽどの物書きでなければ起こりえないことです。ましてや子どもの場合、何を書いていいのかわからない、まちがったらいやだ、思っていることを書いたらどう思われるだろうという気持ちが錯綜します。ですから、「今日は~をした。楽しかった。」という事実と決まり文句で終わってしまうのだと思います。(これは日本語を外国語として学ぶ人にとっても同じです。)

この本を読んでから、一週間ほど毎日、5歳の娘と絵日記を書いていますが、早くも違いが見えてきました。

何が違いを産んだのか? 
... それは、親としての私の質問が変わったからです。

今までの私の質問は「一番楽しかったことを書きなさい」だけでしたが、これでは頭の交通整理ができなくて当然です。大人に同じ質問をしても、3秒内で答えられる人は、芸能人ぐらいしかいないでしょう。ですから、こういう質問で始めます。

「今日、いろんなことをしたね。何をした? 覚えていること教えて。」
「そうか。そうそう、公園で遊んだよね。お友達も遊びに来たよね。」
  (ここではまだ書き始めません。)

「公園で遊んだとき、何を見た? だれか知っている人に会った?」
「え、転んだの? 泣いた? え、くやしかったの。どうして?」
  (ここでもまだ待ちます。)

「そうか、クツをはくと、いつも転んじゃうんだ。どうしてかな?」
「じゃあ、このクツに、なんか言ってやりたいことあるかな?」

こんな感じで、子どもの心の中で感じている「物足りなさ」をうめてやります。そして、「じゃあ、今言ったことを”一緒に”書いてみようか」となるわけです。

今日は「何を書くか」まででした。次回は、「どう書くか」に移ります。

余談ですが、私が作文に興味があるのは、子どもと日本語学習者の言葉の発達のためでもありますが、実は、ここ5年ほど、自分でも日記を書いているからです。素晴らしい世界が広がりますよ。 それでは、また!
最近読んで感動した本は、「子供の右脳を鍛える作文練習帳」です。

この本を書いた七田眞氏は、全国に400教室を持つ「七田教育研究所」の所長さんです。著書は、知育教材も入れると、なんと100冊もあります。国内外の教育文化関係で優秀賞も数々受賞されています。

この本を読もうと思ったきっかけは、大学の日本語クラスの作文の授業に役立てようと思ったからですが、読んでみて、「目からうろこ」ものでした。

「子供にとって、作文は大事」と思っていても、何をどう書かせるのかなどはなかなか悩むところ。でも、この本を読んでから「なぜもっと早く読まなかったんだ!」と思ってしまいました。作文だけでなく、速読、多読にもつながりそうです。日本だけでなく、アメリカやヨーロッパやユダヤ的教育にも造詣が深いようで、ユダヤ人の教育について、こんなことが書いてありました。

”ユダヤのタルムードには、父親がトーラーの教育を任されていると書かれてあった。「子供は、産ませた者ではなく、子供を教育する者こそ父と呼ばれる」という格言が心に響く。やはり弟子教育は父親にあるのだと再認識する。「ナトウーラ(自然)」に育つのではなく、「トーラー(律法・神の教え)」によって子供は育つのだ。”

次回からはその内容の”おすそわけ”をしたいと思います。日本語教育や子どもの作文に関心のある方は必読の書ですぞ! お楽しみに!
「祈りは聞かれるか」ということについて、アイビーリーグを含めたアメリカの大学や医療機関で昨今、様々な調査がなされています。そして、120以上もの調査結果をまとめたところ、「Yes! 確かに聞かれる」という答えだったそうです。

そして、ある科学者が同じ病名を持った患者二人に脳波計を付け、どれだけの電波を発しているかを調べたそうです。一人は無宗教で否定的なことばかりを考えている人、もう一人はクリスチャンでいつも感謝の祈りを捧げている人でした。

無宗教の人が否定的なことをつぶやいている時、脳波計は強いマイナスの値を示しました。
しかし、クリスチャンの人が感謝の祈りを祈っていると、脳波計はプラスの値を指しただけではなく、メーターが振り切れたそうです。その値を私のような素人でもわかるように教えてもらいましたので、そのままをお伝えします。
なんと、ラジオ局が電波を発する25倍の威力があったそうです。具体的には、地球を5周するほどのエネルギーがあるのだそうです。

祈る時、ただ空気に向かってつぶやいているように感じる時がありますが、実は地球を5周するほどのエネルギーを発しているんですね。どうりで神様のところにも届くはずです...
遺伝子オン

この前日本に帰った時に、面白い本を見つけてしまいました。
読んで、思わず笑いがこみあげてきました。と言っても、吉本系のお笑いの本ではありません。

筑波大学名誉教授でDNA解明の世界的権威者の村上和雄先生がお書きになった「遺伝子オンで生きる」という本です。

DNAを調べてみると、人間が永く豊かに幸せに生きる法則が見えてくるそうです。たくさんありますが、その一部をあげると...
1)前向き肯定的に生きていると良い遺伝子がオンになり、元気になる。
2)「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」の方が遺伝子がオンになる。
3)感謝し、喜んで祈るときに、遺伝子がオンになる。
4)辛いことも「天からの試練」である。
5)偶然というものはない。なぜなら人は進化の過程で生まれたのではなく、サムシング・グレートという存在が人に目的を与えデザインしたからである。

なぜ「思わず笑ったか」というと、まさしく聖書のパクリではないかと思うほど、書いてあることが聖書的だったからです。科学者の立場から客観的に調べた結果がこの本に書かれているそうですが、「ついに遺伝科学が聖書の真理を解明できるようになってきたか~」と、文系の私が不遜にも思うほど、的をついていると思いました。

不遜ながら、村上先生にもう一つ。「サムシング・グレート(偉大なる何か)」ではなく、「サムワン・グレート(偉大なる誰か)」を遺伝子科学から、ぜひ解明していただければうれしいです。

次回は、「祈りは聞かれる」ということについて最近の科学者が言っていることをご紹介します。