エイミー・カーマイケルという名前、聞いたことがありますか?
インドの孤児ために心を尽くした19世紀のイギリスの宣教師です。

でも、このエイミー・カーマイケル、実は最初の宣教地は日本
だったって知ってました? 

今日はエイミー・カーマイケルの「むだではなかった」という
祈りを紹介します。

人目につかない土の上で

苦しみ流した汗はむだではなかった

さまざまの望みも失せたかに見え

ひそかに涙に泣きぬれて

気落ちしたあなたの心は言った

「すべてはむだであった」と

しかし 主は答えて言われるのだ

「むだではない

どんな大きなことでもよい 信じなさい

信じたことが実現に至るのだ」

あなたの労苦はちりに帰したのか

苦しみは あのさびのようになり

鋭いやいばの上に住みついて

あなたの切れ味を鈍らせたのか

あなたの報いは ちりとさびなのか

そんな考えを捨てなさい

 そして主を信じなさい

 あなたのたましいが悩みにあるとき

 主のご忠実さを思いみなさい
もうひとつ、心に響く詩をお届けします...。

  私が大切に思っていたものを
  主は一つ一つ取り去って行かれる。
  とうとう私の手は空っぽになり
  美しく輝く大切なものは
  みんな、なくなってしまった。

  ボロと貧しさをまとって
  嘆きながら地上を歩いると
  主の呼ばれる声が聞こえてきた。
 「空っぽの手を差し出してごらん」と。

  私が両手を天に向かって差し出すと
  主はご自身の限りない豊かさを
  私の両手があふれるほどに
  注いで満たしてくださった。

  私の愚かで鈍い心でも
  ようやくはっきり悟ることができたのは
  私の両手が空っぽでなければ
  主は注ぐことがおできにならない、
  ということだった。
 
 (マーサ・S・ニコルソン『宝物』より)
みなさん、こんにちは! 亜希子さんの証はいかがでしたか?

私もブログに載せながら、また新たに励まされました。キリストはいつも私達に触れていてくださることを実感できるような証だったと思います。

亜希子さんは今、以前にも増して希望に笑顔が輝いています。

亜希子さんの話を聞いて思い出したのが、マーガレット・パワーズという人の書いた「フット・プリント(足跡)」という詩です。こんな詩です。

... ある夜、その人は夢を見た。
主イエスと一緒に浜辺を歩いている夢だった。
空には、人生のいろいろな場面が写し出され、
二組の足跡が砂の上についていた。

ひとつはその人の足跡、もう一つは主イエスの足跡だった。

夢の最後の場面が写し出された時、振り返って浜辺を見ると
ところどころで足跡は一組しか残っていなかった。
それは、人生でいちばん辛く悲しい時だった。

その人は驚いて主イエスにたずねた。
「主よ、あなたに従っていくなら、どこまでも一緒に歩いて
くださる とおっしゃったじゃないですか。なのに、私がいち
ばん辛い目にあっていた時に、浜辺には一組の足跡しか残って
いませんでした。あなたを最も必要としていた時に、どうして
あなたは私から離れてしまわれたのですか...。」

 主は答えて言われた。

「私の愛する子よ。私はあなたを愛している。私はけっして
あなたから離れたりはしない。あなたが試練と苦難の最中に
あった時、浜辺に一組の足跡しかついていなかったあの時、
 私は、あなたを、背負っていたのだよ...。」と。


この詩はクリスチャンの人達には馴染み深い詩ですが、人生の曲がり
角に差しかかる度に、噛みしめて読んでもらいたい詩です。

なぜなら、この詩が人生に馴染んでくるのには時間がかかるからです。
実際に苦しみを通過し、振り返った時にはじめてわかる(自分のものと
なる)詩だからです。

今までの人生で、イエス様に背負われた(抱っこされた)経験が、
あなたには何度ありますか...?
<前回からの続き> ... クリスチャンに なってからの人生、相変わらず山あり、谷ありです。クリスチャンになったから、神様に救われたからといって、それは人生に起こる困難の数が減るわけでもなんでもありません、むしろ困難は増えるといっていいのかもしれません。

何故なら、もっ と自分の罪深さに気づくからです。しかし、何が起こっても神様は共に歩いてくださり、一緒に重荷を背負ってくださるということはとても、心強いものです。神様はいつも話しかけてくださっています。いつも私達のことを見守っていて下さいます。神様は決して私達の元を離れることはありません。神様を感じる事ができないときそれは、どちらかというと、私達の方に原因がある(?)ときのことが多いようです。つい 最近それを思い知らされる経験をしました。

母がなくなって から、神様は私に何人もの素晴らしい人を送り込んでくれました。カウンセラー、ミズーリのホストファミリー、ミズーリ時代の大学の友達、スタッフ、ホーランドに来てからもそうです。私は神様に感謝し続けていました。「神様、こんなにも素晴らしい人たちを私の人生に送り込んでくださってありがとうございます」と。何度何度となく、神様に感謝の祈りを捧げているのにもかかわらず、最近、とくに夏休みの後半から私は、神様の声を聞くことが少ないように感じられました。私には何故だかわかりませんでした。

3週間ほど前わたしは発作を起こし病院に運ばれました。医者は寝不足と ストレスであろうと私に告げました。そのとき私には神が「ペースを落としなさい、 休みなさい」と言っているように感じられました。発作を起こしてから数日間、私は家でゆっくりとした時を過ごしました。

私は自分自身のこの夏を振り返ってみることにしました。思えば、この夏私はいろいろな事を経験しました。5月には日本の旅行プログラムに参加し、6月は日本の家で過ごし、7 月にはホーランドに戻り、ベビーシッターの仕事と病院でのインターン、その間をはかってカナダとミズーリに旅行にも行きました。 確かにどれも素晴らしい経験でした。しかし、私はふと、もしかして、自分の感情に直面することから逃げるために自分自身を忙しくしていたのではないのかと思い始めました。

私は勇気を出して自分の気持ちを見つめてみる事にしました。

私がこの夏、いやもしかして母を亡くしてから思っていたことは、「母がとても恋しい。どこにいても自分の母親になってくれる人を探してしまう。でも、母親になってくれる人、なれる人はどこにもいないのだ」ということでした。「母親のように慕える人はたくさんいても、母親は逝ってしまったのだ。そして、母親がいなくなった家はまるで自分の家ではないようなのだ」ということを...。

私はこれらすべてを神の元に持っていきました。私は神様に告白しました。「神様、あなたが私のために素晴らしい人々を送り込んでくださっている事を感謝します。だけど主よ、私は悲しいです、母親という存在を失ってさびしいです。自分の家さえも失ってしまった 気がして寂しいです」と。

その瞬間、なんともいえない暖かさが私を襲いました。そして、私には見えました。主が私の心臓に手を伸ばす姿が。私には聞こえました。主が私に「お帰り」と言っている声が。

私は感動のあまり震えました。私をつつんでくれた暖かさは、私がイエスキリストを信じた時のと同じ暖かさでした。それは主の私に対する愛でした。主が私に「私はここにいるよ」と言っておられるようでした。

私は気づきました。私は神の前でさえ、いい子ぶろうとしていたんだと。神の前でさえ、自分が特別に祝福されていることに感謝をし続け、自分の惨めな気持ちを認めようとしなかった ということを。そして、神はその全てを見ておられたということを。しかし、私が直ちに、自分の弱さ、辛さを分かち合ったら神は私の中にまた戻ってこられました。神様は私の弱さ、もろさも分かち合いたい、そして助けの手を差し伸べ、意義のあることに用いられたいと思っているのだと感じました。

神はあなたの全てを知りたいのです。そして、主にはあなたの弱さ、強さ、全てを受け入れられる、全てを用いることのできる力を持っています。ただ、神はあなたに正直に告白してほしいのです。神様と正直に対話しているとき、それは私がもっとも神の存在を近くに 感じるときです。神様のことを話しているとき、私は喜びにあふれます。神様の喜ぶ姿が目に浮かぶからです。

今日このようにして、神様のことを話す機会が与えられたことに感謝します。主の素晴らしさ、主の計り知れない愛、そしてあなたの全てを包みこむ主の懐の深さ。そんな主の偉大さを少しでも多くの人々が知ることができますようにとお祈りして、この証を終わります。
<前回からの続き> ... 自分にとって大事な人を2人も立て続けに亡くしたことは本当にショックでした。
しかし、クリスチャンの友達がふとこんなことを言ってくれました。「亜希子もこれで神様に頼らざる得なくなったね」と。そのときはそこまで深く考えることはしませんでしたが、これは段々と真実味を帯びてきたのでした。私が気づいた事、それはこの世の中には、絶対的なものは何もないということです。
誰がこの2年の間で母親、そして第2の母のようなカウンセラーを亡くすことが想像できたでしょう。私は、母は長生きするだろうと信じていました。私の結婚を見て、私の子供を見て、ずっと私のことを助けてくれる存在だと信じていました。
カウンセラーにしても同じです。カウンセラーとクライエントという関係が終ったにしてもずっと交流が続くと信じていました。しかし、現実に起こったのは、二人とも私をおいてこの世を去ってしまったのです。神様だけが絶対的、神様の愛だけが絶対的なのだという確信に至ったのでした。

しかし、この確信も、私をすぐにクリスチャンには導きませんでした。次に私が思ったことは、「クリスチャンになりたい。でも、私にそんな権利、資格はあるのだろうか」ということでした。クリスチャンになるのには、私は悪すぎるんじゃないんだろうか。」そんな思いが私の頭を駆け巡っていたのです。
聖書の教えはどれも素晴らしいものばかり、私が模範にしたいと思うものばかり、しかし、それらのことを私が出来ているのかといえば… そう思うとクリスチャンになるといった大決心をすることができずにいました。そのうえ、クリスチャンになるという決心を父親にどう話していいものかとも思いました。私が生まれ育った日本ではキリスト教は、さらには宗教そのものがあまり認めてられていないからです。

そんなふうに悩んでいたある日、私はまた「日本語礼拝」へと出かけていきました。その日、Andy先生が話してくれたのは、「クリスチャンになる資格」についてでした。先生は、「親が親になるのに資格がいらないのと同じように、クリスチャンになるのに資格はいりません」と説かれました。そして、「もしクリスチャンになりたいと思っているのなら、それは神があなたに望んでいる事でもあるのです。あなたはイエスキリストの弟子になれると同時に、あなたの周りの人をもイエスキリストの弟子にできるのです」と。

稲妻が体を駆け抜けたようでした。今神様が私に手招きをしてくださってると感じました、こっちにおいでと言っていると感じました。私は神様を信じてる、神様を信じることによって私の心には平和、そして希望があふれている、それが一番大事なことなのだと。神様を信じてる、ただそれだけでいいのだと。その日、私はイエスキリストを受け入れて、クリスチャンになりました…。
<前回からの続き> ... そんなある日、一人の看護婦が私のベッドのもとを訪れてこう言いました。「亜希子、大丈夫、またきっと幸せになれるから、なぜって、すべてには理由があって起こっているの。神様はあなたが背負いきれない荷物は与えないわ。」とても救われた気がしました。暗い暗闇の中に一筋の希望の光を見た気がしました。「もし、これは私だから起こっているのだとしたら、乗り越えられると信じて、起こされているのだとしたら。。。ならば、私はきっとこれを乗り越えることが出来る。」そう強く思えることができました。絶望の中に見えるそれが唯一すがれる言葉でした。

その日を境に私は病院でもっと積極的にカウンセリングやディスカッションに参加できるようになりました。もちろん、それからも辛い感情にぶちあたることは度々ありました。でも、その度に、この看護婦が言ってくれた、「起こる全ての事には理由があって、神様は背負いきれない荷物は与えない」という言葉が私を支え続けてくれました。

病院を出た後の私には忙しい毎日が待っていました。ミズーリの学校での最後の学期、病院にいてその前の学期を休んだため、たくさんやることが残されていました。そして、この学校を卒業した後に編入する学校を決めなければいけませんでした。病院に入り、人間の複雑な感情を自分で経験した私は、心理学をもっと学んでみたいという気持ちになっていました。そして、ちょうど私が行っていた学校の心理学のクラスでホープカレッジのデイビット・マイヤーのテキストを使っていたのです。これが、私がHope Collegeに編入することに決めたきっかけです。

Hope Collegeに実際に来るまで、私はこの学校にたくさんクリスチャンの生徒がいるということを知りませんでした。この学校で、たくさんの大事な人に出会いましたが、その中の重要な一人であったのが、Andy先生です。Andy先生は新しい学校に来て不安だろうといろいろと私をサポートしてくださいました。先生が牧師さんであるということを知り、先生が月に1回説教しているという「日本語礼拝」というものにいってみることにしました。

そこで、先生は「誰しもが神から与えられた使命というものを持っている」とお話されました。それを聞いたときに、ちょうどミズーリで入院していた時の看護婦の言葉が思い出されました。もっと神様のことについて知りたいなと思いました。そして、聖書を読み始めました。私は聖書にとても感銘を受けました。聖書は私がこういう人間でありたいと思っていることをまさに表していたからです。「人を裁いてはならない、何故ならあなたが他の人を裁いたのと同じ基準であなたは神に裁かれる、敵をも愛しな さい、もし誰かがあなたの左頬をうちつけるのなら、右頬もむけなさい…」聖書は私 がこうでありたいなぁと思う理想像を言葉で具体的に表していました。私は徐々にですが、確実にキリスト教へと惹かれていきました。

Hopeでの初めての学期が終わり、2学期目に突入しました。ちょっとずつですが、ようやく新しい学校に慣れてきた矢先でした。1月のある日、私はミズーリにいるホストマザーから電話をもらいました。彼女は私に、私のミズーリ時代のカウンセラーが乳がんで亡くなったと伝えました。言い表せないほどのショックが私を襲いました。

私のカウンセラー、、、彼女は私が母をなくした際に一番頼りにしていた存在であり、一番私の支えになってくれた人物でした。彼女は素晴らしい人でした。乳がんと5年以上戦っていながら、そんな事は微塵も見せずに、私のために、私がまた元気になれるようにと全力以上を尽くしてくれました。彼女の前ではすべてをさらけだすことができました。どんな感情もたとえ醜い感情であっても彼女は受けとめてくれたからです。彼女は私を励まし続けてくれました。「もし、あなたが勇気をもって、問題に立ち向 かうなら、あなたはまたきっと元気になれる」と言ってくれていました…。
<前回からの続き> ... そんな精神状態を見たカウンセラーは私を精神病院に入院させることに決めました。

病院での私はとても惨めなものでした。まるで、囚人のように取り扱われていると感じました。私物は取り上げられ、ペンや、はさみや、そういうものを自由に取り扱えない毎日、シャワーに入るのに許可を取らなければならない毎日、私は同じ人間ながらにこのように、自由をとりあげられたことに動揺しました。毎日いろいろなセミナーに参加させられました、集 団カウンセリング、個人カウンセリング、ストレスと怒りのマネージメント。入院したころの私はそれらに参加することが苦痛でたまりませんでした。なぜなら私はまだ自分の感情を認めることができずにいたからです。

それが、ある日を境に大きく変わりました。その日、私はいつものように精神科医のオフィスを訪ねていきました。彼は「そう、今日は何を発見したかな?」と聞きました。私はなんて恵まれているんだろうということに気づいたと彼に伝えました。病院に入院したとき私は、生まれて初めてアルコール中毒や麻薬中毒の人々を目の当たりにしました。それは、私が今まで出会ったことのない、学校に行っている限りでは出会うことのない、いわゆるアメリカの低所得者の人々でした。彼らは毎日の生活でさえ、ぎりぎりでした。病院の入院費さえ払えるかもわからない、そして病院を出た後の仕事が保障されているわけでもない。教育さえも満足に受けることが出来ない彼ら。彼らを見て、私はなんて恵まれているのだろうと実感しました。私には、やりたいことを勉強する時間、そしてそれを援助してくれる両親がいる。私には食べるもの、きる服がある。それに 比べてこの人達は。。。 私は、私の痛みなんて、彼らの苦しさに比べたら。。と思わず言いかけていました。

そこで、私のカウンセラーは、私を制し、こういいました。「どうして君はいつもそうなんだい?君の痛みは、彼らの痛みとくらべてどうこうという問題ではない。確かに彼らの痛みは辛い。お金がなくて、毎日の生活に困っている。彼らの痛みは目に見えているものだ。けどね、たくさんの子供が21歳の若さで母親を亡くすとは思えない。君がお母さんを自殺で亡くした痛みは心の痛みだ。君の痛みは目に見えないものかもしれない、けど、君は傷ついている。君の痛みだって彼らの貧しさの痛みと同じくらい痛いんだよ。」

そういわれたとき、私は気づきました。私がしていたこと、それは自分より傷ついている人たちを見つけて、自分の痛みの価値を下げようとしていた、もしくはその存在さえも否定しようとしていたのかもしれません。しかし、私はそのお医者さんの言葉によって、気づきました。私の母を亡くした痛みだって、とても深いものなのだ、辛いといっていいものなのだと...。

私はその時はじめて自分が母を亡くしてとても傷ついている、どうしていいかわからない、助けてほしいと認めることができたのです。自分の中に存在している感情を認めることができたのはよいのですが、それはまだ長い旅路の始まりにたどり着いただけのことでした。母を恋しいと思う気持ち、母を救えなかったと自分を責める気持ち、母は私たちのことを愛していなかったのかという疑いの気持ち、これから母なしでどのように生きていけばいいのかと思う気持ち。これらの気持ちが私を一気に襲ってきました。私は毎日、毎時間のように泣き続けていました…。
日本語礼拝

私はアメリカの大学で日本語を教えるのが本業ですが、副業として、日本語教会の牧師もしています。よくいろんな方々の話を聞きますが、「これはぜひ皆さんに聞いてもらいたい」と思った体験談がありましたので、ご紹介いたします。

実は、私の勤めている大学で勉強している「亜希子さん」という4年生の方の体験談ですが、いろいろな経験を通ってクリスチャンになった人です。亜希子さんに承諾を得て、人生の歩みを話してもらうことにしました。(教会用語では「証」といいます。)内容の濃い証ですので、今日から5回に分けて、毎日お届けします。

... 私がイエスキリスト受け入れたのは日本語礼拝に出席した4月の事でした。あれから早くも5ヶ月あまりが過ぎようとして います。「クリスチャンになって何が変わったの?」と聞かれることがあります。そのたびに返答にこまります。なぜなら、変化はすぐ外側から見えるものではないと思うからです。でも、クリスチャンになって一つだけ確かなことがあります。それは表現できないくらいの、平和、暖かい気持ちになれることです。神様の事を考えるとき、どんな小さな こと一つ一つにも神様の確かな意志、計画があることを知るとき、そしてその計画が 自分にも降り注がれていると知るとき、神様のことを考えるとき、私の心は平和と感謝で満たされます。

「どうしてクリスチャンになったの? 何が 決めてだったの?」と聞かれると、これも困ってしまいます。というのは、ここ2年、私の人生には大きい事件がいくつもあって、その積み重ねとして、私には神様が必要だという結論に至ったからです。

私がアメリカにやってきたのは2003年1月のことです。今から2年半ほど前のことです。わたしが最初に住んだ場所はミズーリ州のネバダという小さい町でした。人口8000人という、ここホーランド市よりも小さい町で、私はそこの2年制の女子大に通っていました。家族と離れて初めて暮らし、しかも外国でしたから、不安がありました。しかしそれよりも、ずっと来たかったアメリカに来れたという興奮の方が大きかったのを今でも覚えています。

私のネバダでの生活は順調そのものでした。2003年10月24日までは。

この日、 私 は日本にいる兄から電話をもらいました。電話を取った早々、兄はものすごく落ち着いた声で、こう言いました。「驚かないでくれよ。母さんが死んだ。自殺したんだ。。」言葉になりませんでした。兄の声が頭の中でこだましていました。

何回も頭の中で繰り返していくうちに、だんだんそれは現実味をおびてきました。そのとき、思ったのは「重荷を背負ったんだ」ということでした。母親の自殺、 私はこれを一生背負っていかなければならないんだと感じました。それからすぐ、お葬式に出るために日本に帰ることになりました。日本でのことは、あまり覚えていません。母の死がただただ信じられなくて呆然とするばかりでした。しかし、お葬式にお客さんを迎えるという立場でしたから、気を強くもたなければと必死で自分に言い聞かせていました。

日本に10日ほどいてから、私はアメリカに戻ってきました。アメリカに戻ってきてからの私には学校を休んでいた間取り戻さなければならないことがたくさんありました。けれど、それらのことをやりとげる、肉体的、精神的体力は残っていませんでした。私は今にも泣き出しそうでした。毎日、途方にくれていました。
私にはわかっていました。一度自分を許したら、数え切れないほどいろんな感情があふれだすということを。そして、そのいろんな感情をどう取り扱っていいのかも私にはわからないことも。

私は毎日といっていいほど、ベッドの上に座って、空を見上げ、鳥を見ていました。カーカーと泣きながら彼方へと飛んでいく鳥をみて、私もあんなふうに飛んでいけたらなと思いました。私にはすべてがいっぱいでした。どうしていいかわかりませんでした…。
鹿嶋春平太

「鹿嶋春平太? どこかで聞いたことがあるな...」と思われた方、いらっしゃると思います。「キリスト教のことが面白いほどわかる本」のほか、7冊ほど本をお書きになった先生です。ひょんなことから一緒に働かせていただくことになり、その時から交友が続いています。(実は先生は、ある東京の大学の経済学の先生です。)今回は、その鹿嶋先生の著書とブログで感銘を受けたものをご紹介します。


.... 薬物中毒になって苦しんでる若者が、日本に200万人もいるとは・・・。
覚醒剤、大麻、麻薬・・・。知らなかった・・・。引きこもりが100万いることは知っていたけど・・・。

鹿嶋春平太は、悔い改めたよ。我々大人は、若者の心の傷、むなしさ、悩みに心を向けていなかったんだよね。自分の青春もそうだったのに、その時代が過ぎると忘れていった。 喉元過ぎれば熱さを忘れる。
こうして、若者の苦しみに目を向けなくなってしまうんだね、大人は。
若者の立場は弱いんだよね。青春時代は、いつも土砂降りの中だ。

家庭が安らぎの場になっていない若者がいる。
彼等には、落ち着いた居場所がない。  辛いよね。

さまよい歩けば、人と衝突して傷つく機会が多い。
心が痛いよね。

若者に成長すると、人間は自分を「個」として自覚するようになる。
いわゆる「自我に目覚める」というやつだね。

それまでは、親は自分の一部だった。自分も又、親の一部だった。
ところが、成長すると親が自分とは別の独立の人間に見えてくる。
親を環境だと自覚してしまう。突然、孤独感が襲う。

すると急に、自分と環境世界との関係を知りたいと思えてくるよね。
親との隙間を埋めるイメージ世界が欲しい。親と自分との繋がりをつけるイメージの世界が。自分と環境世界との関係、それに対する考え方~~これいわゆる世界観だ。世界観があると、その中で生きる自分の姿もイメージできてくる。
それすなわち人生観だ。

こういうものがないと、自分がむなしく感じられてくる。
宙ぶらりんな状態になる。

むなしさをごまかす日常的な喜びに恵まれる環境の子もいる。
家庭とか、学校とかで、かろうじてね。
だが、得られない子が沢山いるんだ。
そこに、家庭問題、親子断絶、友人関係で傷つくとこたえるよね。

その苦しさ、心の痛さ、むなしさから一時的にでも逃れたいと思う。
家に帰りたくない。同じ若者たちのいる夜の街角に留まりたい・・・。

ところが、そこは野獣も蛇もいるジャングルでね。
君たちをエサにして、カネを得ようとする悪魔の手先のようなのが
うようよいるんだよね。

彼等だって、もとはといえば、君たちと同じ傷ついた若者だったけどね。
不運にも、害を加える側に取り込まれてしまった。
それで、悪い方の側で働くようになってしまっているんだよね。
自らも、小悪魔となって・・・。世の中って、そういう風に動いている。

 みんな、聖書を知れ! 急いで知れ!

 問題の発端は、突然自我に目覚めたことにあるんだ。そこに基盤がある。
それまで自分の一部だった親が、急に自分とは別の独立の人間に見えてきたことにあった。親が環境になった。

 なのに、自分と環境世界との関係のイメージが得られなかった。
   世界観が得られなかった。

 だから、苦しみが、心の痛みが、カミソリで切られるように鋭いものに
なってしまう。
 人生いつでも心は傷つくことあるんだよ。
 だけど、青春時代ほどに鋭くは感じない。
 親が突然他人になったとき、その時に心の傷は、カミソリの痛みになるんだ。絶えられない激痛に。

 だけど、自分と環境世界との関係を映し出してくれるイメージ世界、これが心にいっぱいあると、状態は変わる。自分がむなしく感じられてこないんだよ。宙ぶらりんな状態にならないんだよ。

 すると、辛さも、心の痛さも、むなしさもそのイメージ世界の中で「理解」することが出来る。理解は心の傷を癒す、むなしさを埋める妙薬だ。

 それに、イメージ世界があると、それだけで心は満たされるんだよ。 
 人生観、世界観があると、それを指針にしていつも物事を考えて
いくことが出来るからね。

春平太は悔い改めたよ。このブログで春平太は、聖書のイメージ世界を提示してきた。そのスタンスは、「興味がおありの方は、各々自由に学んでくださいよ、どうぞ・・・」というものだった。「このイメージ世界が、信頼出来るかどうかは、ご自分で判断してくださいね」だった。そのスタンスで知らせていたのだよ。

だけど、もう、そんなことではダメだと悟ったよ。春平太は強く薦めるよ。

若者よ、とにかく聖書を知れ! 他に何かある人はそれでもいいだろう。
だが、これといってないものは、とにかく聖書を知れ!

 そうでないと、危ないんだ。
 それでまずとにかく、心の空洞を埋めるんだ。

 知るだけで、ある程度埋まるんだ。それでいいんだ。
 早く、早く、知れ!

鹿嶋春平太おじさんが、いまこれから、教えていくからね。
読みなさい。学びなさい。それで、心を埋めていきなさい。
いいね・・・。


 新刊!「聖書がわかればアメリカが読める」(PHP研究所)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569616925

 絶賛発売中!!!!わかりやすさ超一級!
 「マーケティングをしっていますか?」(新潮選書)

 聖書研究の新機軸!春平太の本
 「聖書の論理が世界を動かす」
 「誰もが聖書を読むために」
 「神とゴッドはどう違うか」(以上、新潮選書)
 「2時間でわかる-”聖書”」(中経出版)
私の妻はライフガードの資格を持っています。人を救助したこともあるそうです。
そんな妻がおもしろい話をしてくれました。
「ライフガードは人を救えない...」。

一瞬耳を疑いましたが、正確に言うなら、「ライフガードは、そのままでは、人を救えない」のだそうです。 救助するには、溺れている人に自分を信頼させることが必須条件なのだそうです。

相手はパニックになっていますから、”溺れる者は藁をも掴む”勢いで迫ってきます。反対に、ライフガードを溺れさせてしまうこともあるのだそうです。

そこでライフガードは2つの方法を取ります。
ひとつの方法は、相手が疲れ果てて、自分の力で頑張れなくなるまで待つ。
もうひとつは、一瞬、相手を水中に沈め、無力にさせ、ライフガードに身を任せるようにし向けることだそうです。すると、相手はライフガードに頼らざるを得なくなります。(まさに”まな板の上の鯉状態”ですね。)それでやっと、ライフガードが救える状態になるのだそうです。

この話を聞きながら、クリスチャンになる前の自分を思い出しました。
18歳の時でしたが、何とか自分で自分を救おうと、いろんな宗教や哲学に走ったりしました。また、自分を実力以上に良く見せようとしたり、見栄一杯で頑張っていたように思います。

心の中はと言えば、杉良太郎の「すきま風」が吹くようにむなしかった...(古いですね)。何をやっても虚しさが消えない。頑張っても、指の間から砂が落ちてゆくようでした。

そんな時に、「イエス・キリストというライフガード」に救っていただきました。
私が頑張り続けているのを、そばで見守っていてくれたんでしょう。
「もうダメだ...」と沈みかけた時に、手を取ってくれました。
今は、この方に全幅の信頼を置いています。

皆さんはいかがですか? もしかしたらガンバリをやめて、身を委ねる時なのではないでしょうか...?