シベリアの夜長を古代史に夢を馳せて〜その109〜 |  アンドロゴス生涯学習研究所

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昨日書いた記事がよっぽど受け入れられなかったようで、うちのヱが怒り狂っています。

曰く「支離滅裂じゃないか、なんでこんな記事を書くんだ」と。

困ったもんで、おまえはソフトウェア脳トレーニングを否定しているから、このメソッドの対象外だ、と言ってやるしかないのです。
そこで、私の元気のあるうちに図解します。



個別の知識から思考クラスタを導くのは、ハード脳でもソフト脳でもさほどの違いは有りませんが、その作業に価値を見出すかどうかはまったく別の問題で、強度のハード脳では事前に拒否するというのが普通なのです。

最初から連続した行を読む(シナリオ解読)は、どちらのモデル脳でも変わりなく起こるので、トンデモカルトに陥る可能性が高いのです。
この図を見ても、なるほど!と思わなかった頑固な人は、「サイバネティクス応用」の記事を全部読み直してください。
ホツマツタヱのような、複雑な仕掛けのある文を自然に読み取るには、それなりの知識を準備しなくてはならないのです。

もともと、

6510 このふみお やしろにおくハ 28 111
6511 ゐつこのためか       28 111

とあるように、ホツマツタヱはイジワルな教材なのです。

獣の数字666ではないですが、「智者はこの数字を解いてみよ」とばかりの要求があるわけです。
アマツヒツギを受け継ぐなら、これくらいは読み解いてくれよ、と王子達に示すのですね。

もちろん、キミでないオオタタネコもさまざまに誤解していると考えられますが、別の問題提起もあったりして、今の所、後半を読み解く必要は感じられません。

私がホツマツタヱを重視するのは、中華帝国の野蛮さから逃れて他文化と融合し、平和に文化生活を送りたい、という思想に感化されたからにほかなりません。
つまり、私自身が野蛮なままでは、どうにもならないのです。

しかしながら、ホツマツタヱを聖典のごとく捉えるのは間違いです。
そこには高度なプロテクションがかかっており、野蛮な思想しか持ち合わせていない(オオタタネコにみられるような、ほぼ、大中華の君主主義者)、そんな人は間違った読み方をするようにプログラムされているのです。

ホツマツタヱは偽書だぁ!と騒ぐ人には罪はありません。
彼らには読み取る意志が欠落しているのですから。
そこで、普通の人は「神話」だ、と捉えるわけです。
神話なら無害ですから、ね。

さて、前置きはこのぐらいにして、ミヤの話をしましょう。


1アヤから28アヤまで、建物にタチという言葉をあてはめた例は無いのです。
そして、オオタタネコの部分には多く出てきますので、「舘」という表現は古墳時代のものだと考えられるのです。

しかしながら、最近書いた話で、タチニオワレバという表現がありましたが、これは「太刀に終われば」に間違いはないと思いますが、「舘に終われば」とも読める、つまり、そんなひっかけができるということは、「舘」という意味のタチも知っていたことになります。
クシミカタマの時代、つまり紀元前後の時期には舘があったのかもしれないのです。

では、それまでの建物はなんと呼んでいたかといえば、それは「トノ(殿)」という表現です。
他に「ムロヤ(室屋)」というのがあります。
さらには「ヤシロ」ですが、これは「屋代」とでも字を当てるのがよいのでしょうか。
後世になって神社などのように、ヤシロに「社」という字を当てるようになったのはいつからなのでしょうか?
逆に、家という字には「エ」という音が対応していると考えられています。
現代でも、家船(えぶね)などという少数民族が残っているそうです。(実に、船に住んでいるのですね)

私が恐れずに漢字を当てるのは、徐福が来訪したのは漢字成立普及以前だったからです。
しかも、篆(てん)などという書体は速書性が無く、タミメにも向かないからです。

さて、ではヤシロに「屋城」というじを当ててよいか、というと良くないと言いきれます。
ここでは深く追求せず、城という概念は戦につながり私の趣味に合わない、とだけ言っておきましょう。(研究したい人は止めません)

これは後世の、根古屋城(ねこやじょう)などに対応する概念になりますので、寝・小屋から転じたものだと考えられます。
クシミカタマの時代にも「小屋」は有ったようです。(「イミコヤ(忌小屋)」一箇所のみ)

同様に、根城(ねじろ)なんていうのはタラチネとかハタレネなどという言葉が出てきますので、「根」がふさわしいと考えられます。
ヤネ(屋根)というのも出てきますが、屋の峰なのかもしれません。
「イラカ」という言葉も見られますが、後世でも家の峰を表すといわれており、「屋根」というのがふさわしいかどうかは分かっていません。

話が建物中心になってしまいました。
ミヤの定義として考えられるのは一定の広さを持った空間で、いくつかの建物があり、生活用水が確保されており、周囲をミツカキ(瑞垣)で取り巡ったもので、周囲に田畑を伴ったプロパティということになりましょうか。
内部に住んでいるのは経済主体である自作農民、商工業者、役人、プロパティの所有者、ないしは管理者と考えられます。
漁村でミヤというのはどういう形態になるのでしょうか?やはり半農半漁なのでしょうか?



ここで、ちょっと気になる部分がありました。
これまではちゃんと読めていない部分ですが、

 181    きしゐくに アヒのまゑみや 宮 1 22 名詞   元皇居、トヨクンヌの宮か?
 182    たまつみや つくれハやすむ 宮 1 22 名詞   霊の宮(=トヨクンヌのサコクシロ?)
 183    アヒみやお くにかけとなす 宮 1 22 名詞   ミヤのトミタミを安堵し、国幣とした
 184    わかひめの こゝろおとゝむ   1 22
 185    たまつみや かれたるいねの 宮 1 23 固有名詞 玉津宮
 186    わかゝえる わかのうたより   1 23
 187    わかのくに たまつのヲしか   1 23
 188    あちヒこお みれバこがるゝ   1 23


ここまで読めた人は少ないと思われますが、私はこれまで、このタマツミヤというのは那智大社と考えていました。
ウビチニから見て前のアマカミというと、トヨクンヌであり、その時代が紀元前220年と考えると、そのミヤは徐福の一団が日本列島内で集結した頃に出来たミヤか、などと思ったのです。
タマツミヤ、ということで、御霊を祀ったミヤですので、トミ・タミの奉り言を聞く、通常のタカマがあるミヤとは少し違いそうです。
それは天と繋がるサコクシロであると考えれば話がつながります。
何にしても、そんなミヤをクニカケ(国懸)とした、というわけですから国幣、つまり国営の宮と考えればよいでしょう。

調べているうちにズバリ該当する神社がありました。

日前神宮(ひのくまじんぐう)
国懸神宮(くにかかすじんぐう)
和歌山県和歌山市秋月365
この神社が二つに別れているのは、社伝等により、すこし下ってタケヒトの時代と想定されているようです。
音より漢字のほうが元の意味に近いのは後世の文化汚染と考えられます。

さらに、そこから5kmほど離れた、
玉津島神社(たまつしまじんじゃ)
和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26
ここは祭神を稚日女尊(わかひるめのみこと)としており、ワカヒメのミヤであることがわかります。

つまり、朝廷(おそらくセオリツヒメの直言)は、ワカヒメにミヤを与えるために、アヒノマエミヤを国幣社に指定し、いにしえの皇居を守っていたトミ・タミのうち、余剰になった生産人口をワカヒメに与え、新たに玉津宮を開いたのでしょう。



国幣社になるということは、運営に必要な掛かりは支給されるので、生産関係は大幅に縮小されることになります。
この図では田畑はそれなりにしか縮小されていませんが、田畑は休耕させておくだけで地力を回復しますので、無理に労力をつぎ込む必要は無いのです。
しかし、下っ端のタミを住まわせていたムロヤなどは見た目もショボいので、大きめのヤシロ(社)に変わるでしょう。
「シラス」というのは「知らす」ですが、知らせるという意味だけでなく、「統治する」という意味も含んでいるのです。
この時代では、政治というのは、トミ・タミの奉り言を聞くのが重要なことなので、「知らす」も「命令する」というよりは、「告げる」と大差ないのです。
武力で従わせることは「ムケル(向ける)」と言います。
そして問題を解決することを「タス(治す)」と表現しているようです。
ただ、ヲシラスのヲは中央の点の無い「ヲ」なので、「神聖な宣言」となってしまいます。
まあ、後の時代のお白州ですか、ね。

オウ、申開きがあるんならお白州で言いなッ!
遠山左衛門尉金四郎様、ご出座〜♪ などと。



構造はあまり変らないのですが、ミヤの主(あるじ)が亡くなったとき、神上がりの儀式では柱(はしら)を用いるようです。
これは、ナカハシラと呼ばれ、現代では心御柱(しんのみはしら)として知られていますが、通常のミヤを造るときには必要ではないのかもしれませんが、ミヤコ(都)では「創立の意義」のようなものが必要とされ、その時立てる柱を依代(よりしろ)として天(てん)との約束のように作用すると考えられていたのでしょうか。(古代の儀式は良くわかっていません)
なぜかは解りませんが、主の神上り(かみあがり)のときまでは柱が必要なのです。
柱に沿って神上がるのでしょうか。
もしかして、御霊を数えるのに柱という表現を使うのはこんなところから来ているのかもしれません。

神上りの儀式を済ませたあとにカガミ(鏡)を設置して霊界交信機のように作用させるのです。
もちろん、霊界交信機など無いのですが、昔の人がそう信じていた宗教なのです。
以前「〜その26〜古代人の信仰とカガミのレジュメ」で解説しています。
その後は現代の神社と大差ない使い方をしていたようです。
ミツエシロ(見つ会代)というシャーマンを介すれば、天(霊界)からの御神託を聞くことができます。
ミツエシロは現代の「巫女」と思ってよいでしょう。
御杖代(みつえしろ)は不適切な当て字と考えられます。

さて、「シベリアシリーズ「〜その15〜」で紹介した話を読めば当時のトミ・タミの喜びは大変なものだった、ということがわかるでしょう。

ワカのウタからワカノクニ、というのが実に当然のように理解できます。
このあたりの海は和歌浦です。
蛇足ながら、タマツノヲシカ アチヒコオは場所を表す「の」、「玉津宮で」ヲシカ(=勅使)であるアチヒコをひと目見て、と訳すのが良いですね。
これは、「〜その13〜」でやった話かな。
これを書いた頃は、おおっぴらに中華文明との交流があったとは思ってなかったもんなぁ。

しかし、私が「トヨクンヌの皇居じゃね、えらく古い話だ」、と思ったのはあまりうまく説明できません、いずれ正確に解説できると思います。