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Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

この記事は2002年11月に書いたものです。


アメリカで起きたテロ事件以来、ニュースを見るためにケーブルテレビのNHKを見るようになり、それが習慣になり、惰性でときどきお料理番組から"ちゅらさん"まで見てしまっていました。"虹を織る(再)"はさすがに見なかったけど。

私はテレビっ子ではないので、日本ではニュースくらいしか見ていませんでしたが、日本と昼夜がまったく反対なので、おもしろい番組に出会うこともよくあります。久しぶりに見るNHKアナウンサーの方々に"痩せたねー""うわっ 薄くなったねー"などと思わず話しかけてしまい、"なに?もう一度お願いします。"と、日本語勉強中の愛する旦那様にリピートを強いられる今日この頃です。

皆様はいかがお過ごしですか?このペルー通信を日本で読んでいますか?それとも外国で読んでいますか?今回のテロ事件関連で亡くなられた方、その人をとても大切に思っていた方々はいったい何人いるんでしょう。その悲しみは時間がたっても消えません。どの国においても、そういう人たちがこれ以上増えないようにお祈りします。今回は病院事情を書きます。



その1.保険制度



健康保険の制度がペルーはちょっと変わっています。国民健康保険みたいな国の保険と、民間の保険があります。そう聞くと"2種類なのか"と思われるかもしれませんが、その他にもうひとつ保険無しという選択肢があります。日本のように健康保険が必須で、会社を辞めて社会保険がなくなってから次に病気になるまで国民健康保険の手続きをしないとさかのぼって払わされる、などということはなく、自己責任で選択の自由がある点はいいですね。


保険無しと聞くと超貧乏人のように聞こえますが、ふつうの若者で健康な人、自営業の人などは病院なんて行った事もなく、たぶん保険無しの人が世の中一番多いと思われます。簡単な病気なら町医者や大きな国立病院ならそんなに高くないので、丈夫で何年かに一度しか病院に行かないような人には保険無しのほうが割が合うのかもしれません。ただ重病になったらほんとに終わりだけど・・・。ハイリスクハイリターンというか、損益分岐点が人によってだいぶ違いそう。


民間の保険会社は生命保険や健康保険や損保、雇用保険にいたるまで、とにかく保険各種取り揃えています。保険会社の数はあまり多くなく、有名なのは2社のみ、一般的に一流企業に勤めていると、会社が保険会社と契約していて、もれなく保険がもらえます。


アンドレアの勤める会社では、費用は給料天引きではなく100%会社負担なので、いったい毎月会社がいくら払ってくれてるのか知りませんが、福利厚生としては素晴らしいですね。その保険に入る条件は、日本で生命保険に入るときといっしょで、簡単な健康状態に関するアンケートに答えるだけ。そして、プラスアルファのお金など一切かからず、一親等までカバーされます。ただし家族に重い病気の人がいる場合は入れません。私の場合結婚したので、主人の保険もついてきましたが、頑丈で民間療法と荒療治の好きな彼より、お義母さんとかおばあちゃんのぶんを国民健康保険から切り替えられないかなと思いましたが、それはとうぜんダメでした。


私の入っている保険は、無料で受けられるサービスが年1回の健康診断、一部検査、妊娠した場合産婦人科でかかるお金すべて。他にも検査内容や、いくつかある提携病院のカテゴリーによって、100%カバー、70%カバー、からまったくカバーされないものまでいろいろです。今通っている会社と家の間にある有名私立病院は、診察料が1回10ドル。お薬は約3割負担。検査は内容によってタダか3割負担。その他のサービスとして、24時間いつでも電話すれば往診に来くれて、代金はやはり10ドル。その後その往診のお医者様の指示で薬がバイク便で届けられるそうです。その制度はまだ利用したことはありませんが、家に検査にも来てくれるそうです。病院に行くのさえつらいときにはいいですね。


町医者に行った場合、保険会社の提携病院ではありませんが、薬は保険でカバーされます。

ただ提携病院ではないお医者さんが出した処方箋で買った薬なので、自己負担の割合は逆転し高くなり7割くらいになります。この薬代もいったん立て替えて、裏に先生にいろいろと書いてもらった保険の申請書と、診察料の領収書を保険会社に提出、次の月に会社に小切手が送られてくる、その小切手の換金に銀行に行かなければいけないというシステムなので、かなり面倒くさいです。これは直接保険会社に提出するか、会社経由でまとめて送ってもらうかの2つの選択肢があります。


例の総務のごますり野郎は同時におしゃべり野郎でもあるので、同僚のほとんどはヤツに家族の病気の内容まで逐一知られるのが嫌で会社経由にはしていないみたいです。ごますり野郎も自分の性格が悪いことが、ヤツにとってのめんどうな仕事を減らす効果を出してることはまさか気づいてないだろう。なかなかあなどれないヤツ。



続く

○○の日が大好きなペルー。


毎年新しい○○の日ができているような気がします。


ホワイトデーとか、良い夫婦の日とか、


日本もモチベーション需要商戦というものが存在しますが、


ここペルーでは、商店やレストランからお巡りさんまで


(わかる人だけ笑ってください・・・ブラックです)


ものすごい営業をかけます。



そしてクリスマスに続きそれが大きいのは、何と言っても、母の日でしょう。


そして母の日は、子供から自分の母へ、だけではなくて、


”母”である人へ、誰でもプレゼントしていいんです。


そして、母の日には、知らない人からも”おめでとう”と言われます。


ペルーでは、物では無いプレゼントをあげるのも、流行っているというか、


そういう習慣が根付いています。




そんなことで、ペルーリマにいらっしゃる皆さま、


日頃お疲れのお母さまたちへのプレゼントに


アロマテラピーのトリートメントはいかがですか?


いろいろとご相談に応じます。



Andreaのペルー通信パート2     ← 私の アロマテラピーサロン@リマ です。 



そして父の日のためにも、素敵なコラボレーション企画を考え中です!!


お楽しみに。

この記事は2001年9月に書いたものです。


その4 当日


これまでの準備があまりにハードだったのであっという間に当日がきてしまいました。当日は7時半起床。シャワーを浴びて朝食を軽くとり、8時半に彼に送ってもらって美容院へ。花嫁さんとは思えぬ落ち着き払った態度と、となりに座っていたおばあさんのお客さんにびっくりされた私はお顔のパックの間に熟睡。しかしながら睡眠不足だったので、この仮眠でいっきに復活。さらに起きたらお腹がグー。"サンドイッチを買って来ましょうか"という美容師さんのお言葉に"いや、家帰ってなんか食べるからいいです"と言ったら"お化粧したらもう何も食べないでください"と怒られて、サンドイッチを美容院で食べました。ここで食べないと夜9時ごろまで食べられないからね。

全部終わって頭に花までつけて、ブーケを持って、しかし下はジャージといういでたちでタクシーで家に到着。午後12時。私の部屋は3階ですが、新郎は教会までウエディングドレスを見てはいけないという迷信があるので、彼のいる3階には行かれず、1階のお母さんの部屋へ。手伝ってくれるはずの彼の女性家族は全員美容院から帰ってきておらず、甥姪は手伝いたいものの手伝えないので仕方なく市民結婚式の時に写真に写りまくった女中さんに手伝ってもらってウエディングドレスにお召しかえ。

12時半に写真屋さん到着。電気やらバックになる垂れ幕やらいろいろ持ってきて応接間で撮影。1時半に母と弟、ビデオ屋さん到着。いっしょに撮影。その間贈り物が配達されたり、美容院からバラバラと家族が帰ってきたり、電話は鳴りっぱなし、もう大騒ぎ。まずは一人で写真とビデオを撮るのですが、母弟、甥姪の野次馬がうるさい!この一人で撮るのがくせもので、カメラマンのポーズや視線の要求が厳しく、モデルを生業としてるわけじゃない私としては途中で嫌になってしまいました。日本では花嫁は奥ゆかしく微笑むものなので歯を出して笑うのに抵抗があり、カメラマンに"幸せな笑顔で!"と、言われれば言われるほど笑顔のひきつっていくアンドレアでした。

さて、野次馬たちも写真とビデオに納まりご満悦、2時間にわたる撮影会が終了したところで出発。姿を見せないように私が隠れたところで、まずは彼が教会式の代母役のお母さんと出発。その後他の家族全員が出発。そして私と父の代役で代父役の弟が、白いクラシックカーに乗って出発。このクラシックカー、中にシャンパンなど用意され乗り心地はなかなかよく、最高時速は80kmとのことですが、たぶん嘘。花嫁衣裳は半袖なのでとても寒くて"すいません、窓閉めてください"と言ったら、窓がなかった。

現在ペルーでは夏でも冬でも半袖か袖なしで長袖は一切着ないとのことですが、日本はどうなんでしょうかね。上に着るわけにはいかないし、途中でトイレに行くこともできないので、とにかく下には沢山着込み、ホカロンも仕込みました。家から教会までの約20分の窓が開いたままの道のりを、雅子様ばりに民衆の皆様の祝福に手を降って答えながら教会へ。

新郎と代母は15分前に祭壇の前でまっていなければならず、また招待客は例によって遅れてくるので、新婦はミサが始まる3時ちょうどに教会につかなければなりません。なので、新婦の乗った車は時間調整のためにそこらへんを何周かしたりすると聞いておりました。教会まで行くいつもの道から多少それた道に入っていったので、時間つぶしかーと思っていたら、知らない教会の前で

"ここですよね"

勘弁してよー 違うよー!!私が道がわかっていたので、なんとか通りだけどあそこは一通だから反対からしか行かれないよとちゃんと道を説明して最終的には式をあげる教会に着きましたが、まったくペルーらしい一面。地図も持ってるくせにあんた、間違えないでよねー。いっしょに乗っていた弟はびっくり。でもほんと、これでスペイン語も道もわからない花嫁が乗っていたらどうなっていたことでしょう。

長いベールとペチコートと格闘しながらなんとか車から降りて、結婚行進曲とともに弟とバージンロードを歩きました。友達や、特に親に反対されてたいきさつから最後認めてくれるまでを知ってる人の顔なんかが目にはいると、むこうも泣きそうでこっちも泣きそうでしたが、彼のお母さんに"ペルーでは花嫁は泣かない"と念をおされていたのでなんとかがんばって笑顔で彼の待つ祭壇の前に到着。 

ミサは神父様のお人柄もあり、アットホームな温かい雰囲気で最初から最後まで行われました。最初に"新婦は日本人で、今日はご家族やお友達も遠く日本から来てくれましたね、"と言ってくださったこと、最後に"新郎、やっと花嫁が来てよかったですね"では彼の家族一同大爆笑。私のだんな様はペルーでは多少晩婚の部類に入るのかもしれません。ミサが始まってすぐ誰かのケイタイ電話が鳴ったのですが、2度目に鳴ったときにはさすがに温和な神父様もマイクで注意していました。私もケイタイ電話の音が大嫌いですが、ペルーは騒音がすごいので、呼び出し音は日本よりさらに大音量に設定してある。おまけに教会は天井がものすごく高いので響くのなんの。私も"そんなにお忙しいならアンドレアの結婚式なんていらしてくださらなくてもいいのよ"と思いましたが、みなさま、公共の場所や神聖な場所では電源は切りましょう。コンサートで鳴ったときもムカついたよなーそういえば。

ミサが終わった後は教会内の例のサロンで乾杯、ご挨拶、写真撮影。そのあと彼と私はクラシックカーでリマ散策・・・というと聞こえがいいのですが、今度は2人の写真とビデオ撮影。まずはカメラマンのスタジオ、それから2人が泊まる予定になっているホテル、有名な公園と約2時間半にわたる撮影。アンドレアは早くみんなの待つ披露宴会場に行きたくて、"公園はやっぱりいいです"と言ったらまた怒られた。でも公園は本当に寒かったので、写真だけでビデオは"ほんとにほんとにもういいです"と、途中でやめてもらいました。

披露宴パーティー会場は"春天酒家"という中華料理。なんだか縁起のいい名前でしょ。ペルーにはものすごく沢山中華料理屋さんがあるのです。日本でラーメン屋さんを含めた中華料理屋の数とこっちの中華料理屋は同じかそれ以上の数。でも日本よりすごいのは、それをやっているのが全員中国人あるいは中国系ペルー人だってこと。アジア系はペルー人口の1%っていうけど、もっといそうな気がします。ただ料理は日本人の私の口に合うところは本当に数少なくて、というのもこっちはしょうゆ味ばかりやけに濃い。この春天酒家は数少ないお気に入りの味。

午後8時近くになり、美容院でのサンドイッチ以降何も食べてないアンドレアは腹ぺこ。しかし、なかなか食べ物にありつくまでは時間がかかるのです。まず入場後新郎新婦がワルツを一曲踊り、その後新郎はお母さんと、アンドレアは弟と、その後新郎はアンドレアのお母さんと、アンドレアは新郎の御姉さんのだんなさんと、ここまでが一曲。そのあとさらに新郎は女性の家族全員と、新婦は男性の家族全員と順番に踊ります。これはどこまでの家族が踊るかによって何曲になるか決まってくるのですが、我々は最低限のを二曲にしてもらいました。それが終わってやっと乾杯。乾杯の温度は新郎自らとります。

彼のお父さんが何年か前に亡くなってる事、私の父は健康上の理由で長旅ができず来られなかったことなどを彼は挨拶の中にとりいれると言っていましたが、真っ白になってしまったようで、簡単に挨拶が終わり乾杯。

プロダンサーであるアンドレア弟 のダンスショーのあとやっとお食事。ペルーではとにかくみんなが踊るので、それを待っているお客様にきっかけをあたえるのも我々の役目。ウエディングドレスでサルサを踊りました。そのあとは無礼講・・・というかダンス大会。私たちが退散したのが午前2時。ラストまでいたお客様方は3時半ごろまで。新婚旅行おあずけの我々は、その日はホテルに泊まりましたが、次の日夜7時ごろ家に帰ると、綺麗にお化粧した彼のお母さんが出てきました。"お義母さんどこ行くの?"と聞いたら、"あの後家にお客さんが来てまた踊って盛り上がって、さっき帰ったとこなんで、たった今ちょっと横になって起きたところよ。"とのこと。さすがペルーだ!

残すところは日本側への結婚の届。アンドレアもとうとう戸籍筆頭者になるぞ!詳しくはまた次回ペルー通信で。


続く

この記事は2001年9月に書いたものです。


その3 教会宗教式&パーティー準備

教会での結婚式はもちろん教会選びから始まるのですが、これがまた大変。日本のようにカトリック教会の数がそうなければあきらめもついて待つこともできるのですが、こちらは各地域ごとに教会があるので、まずはその沢山の教会の中から1つ教会を選び出さなければいけません。一般的には自分の住所がある管轄の教会でなけれなならず、水道料金か電気料金の領収書を持って行き、そこに住んでいることを証明するか、お金を払って越境して結婚するかのどちらかの方法。ほとんどの人が住んでいる場所に関係なく自分の好きな教会を選びます。ただ相談に行ったときに最初に聞かれるのは住所なので、管轄区域の住所を言わなければなりません。ある教会に下見に行った時、彼が"わかりません。最近ペルーに帰ってきたばかりなので"と言ったときは係の御姉さんに怒られたので、最終的に式を挙げた教会に下見に行ったときはアンドレアが一人で事務所に行き、"そこのスーパーとマクドナルドの間の道からすぐのところに住んでるんですが、私は外国人で来たばかりなので、道の名前がちょっとわかりません"と言ったら大丈夫でした。我々が選んだ教会は偶然彼の叔母さんが近くに住んでいたので越境手続きはしなくて済みました。


ここにたどり着くまでもまた大変。洗礼証明書、堅信証明書の提出で書類が受理された後、今度は4回の必修講義を聴くこと。これが神父様の講義かとおもえば、最初の3回はそこらへんのあんちゃんの"夫婦とは"という精神論と性教育、恐ろしく退屈なものでした。最後の1回は、神父様と個別の面談。神父様は若くて冗談好きで第一声が"まさか君たち、結婚したいなんて言うんじゃないだろうねー"から始まり部屋に通され自己紹介が終わると、"で、この綺麗なお嬢さんとどうしても結婚したいっていうわけ?今から本当に結婚する心の準備ができているか調べるよ"。神父様はポーランド人でペルーに来て6年。インターナショナルな結婚式となります。

教会式を行う人は、そのあとに教会の横にあるサロンで簡単な挨拶をして軽食を振舞うのが一般的。中国系ペルー人の彼と日本人の私は、ペルー、中国、日本の料理を少しずつとりいれたおいしい軽食のビュッフェをたのみ、シャンパンとケーキで振舞う計画でした。で、その後披露宴はしないで、家族だけでゆっくり食事をしようかなと思っていました。ここまでは準備万端、計画どおりに進んでおりました。ところが、また事件発生。どこかのばか者がこのサロンで何かやらかしたらしく、突然サロン内でもビュッフェ禁止のお達しが出てしまったのです。これが結婚式の1ヶ月前を切っていた!さあどうしよう。披露宴パーティーをやるか、やらないか?しかしながら今から会場探しが間に合うか?!


さて、披露宴パーティーといっても、日本のようにご祝儀の習慣はないのでそれでペイできるわけではないので全部持ち出し。しかしながら招待客は結婚してる人は全員カップルで招待せねばならず、言ってみれば親戚を除いた残りの半分は誰かの奥さんかだんなさんという知らない人軍団。大家族の彼と、なんでペルー人でもなく、来たばっかりのくせにそんなに知り合いがこっちにいるんだよ!のアンドレアの招待客を合わせるとすごい数!サロンでのビュッフェが禁止になってもパーティーはしないつもりでしたが、日本やアメリカからもお客さまが来るし、彼のお母さんは根っからのパーティー好き。もちろん私と彼も大のパーティー好き。ホテル、レンタル会場+ビュッフェ、レストラン、とまた聞き込み調査開始。ぎりぎりに何とか気に入った中華レストランがみつかりました。まずは招待状、メニューの選定、飾り付けのお花屋さんとの打ち合わせ、飲み物の買出し、司会、ミュージック、席を決めることなど、結局前の日も夜の11時までこのレストランにいましたが、なんとか間に合いました。


続く

この記事は2001年9月に書いたものです。


その2 市民結婚式

日本は結婚披露宴後に入籍の人が多いようですが、こちらでは一般的には宗教式の少し前に済ませます。

区役所の部屋で区役所のおじさんが法律を読み上げ、それに対して宣誓しサインをすれば終わり。式自体はものの15分で終わるのですが、ここまでが大変。出生届、独身証明書、健康診断証明書、お医者さんからエイズの講習を受けた証明書を各自提出。我々日本人は出生届、独身証明書を戸籍をもとに作成してもらわなければいけません。これが、戸籍自体に外務省のハンコと在日ペルー大使館のハンコをもらったうえに、さらにペルーの内務省のハンコをもらって初めて書類としてみなされる。そのハンコひとつひとつが高い!ぼったくり!おまけにそれに翻訳をつけなければならず、それがオフィシャルな翻訳家がやったものに限るとのこと。その翻訳家もけっこう遠いところに住んでいる。ものすごい時間とお金がかかって書類提出。その書類がインターポールにまわり、私がテロリストや危険人物でない善良な一外国人であることが確認されて、初めて結婚の書類として受理される。受理されてからは新聞に載せなければならず、"この人とこの人がいついつ結婚します。意義のある人は申し出てください"というもの。ここで女の子をだました人や、ストーカー被害にあってる人は、"その結婚ちょっと待ったー"と言われて結婚できなくなってしまう。私たちは無事に結婚式までたどりつきましたが。


さて、当日は美容院に行った後昼過ぎに近所の区役所に着くと、1階で受け付けした後に3階の別室"結婚式用会議室"みたいなところに通されました。大きな机の横に国旗がある、ちょうどポリスアカデミーの校長先生のデスクみたいな感じのところに区役所の人が男1、アシスタント女1という感じで立ち、新郎新婦と保証人が1番前の席、以下家族が後ろに座りました。私たちは計2列でじゅうぶんでしたが、市役所での結婚式しかやらない人は、ここに大勢の親戚やら友達やらが集まって、5列ある席も足りなくなるとか。私たちは彼の家族と、結婚の保証人新郎新婦の親友各1名と、女中さん、ビデオ屋さん、写真屋さん各1名のみ。スペシャルゲストに、我々の結婚のことを考えすぎて、市民結婚式と宗教式と披露宴が何がなんだかわからなくなり、緊張して具合が悪くなり学校をさぼった甥(6歳)が来ました。式が始まると、スペイン語の法律用語もとっても難しくて、とにかく彼が"はい、誓います"といったら私も"はい、誓います"。リピート、リピート。答えはほとんどが"はい"なのですが、1つだけ、"あなたは誰かに無理やりここに連れてこられたり、結婚を強制されたりしましたか"という質問があって、これに間違って"はい"って言っちゃうとまたここで結婚できなくなっちゃいます。別々に答えるところはリピート、いっしょに答えなければいけないところは奥ゆかしさを装い少し送れてリピートで、なんとかのりきりました。終わった後に、"なんて言ってたかもう一度説明して"と彼に言ったら、"僕もあんまりよくわからなかった"とのこと。緊張していたのでしょうか。ひとつだけ失敗したのはすべての式が終わった後で彼の名字に夫人がついて、区役所の人が呼んでいたとき、私は彼のお母さんを呼んでいるものと思ってぼーっとしていたが、それはたった今ミスからミセス、セニョリータからセニョーラになった私を呼んでいたものでした。


この区役所での結婚も、平日営業時間内いくら、時間外いくら、区長さん別料金、出張別料金、とけっこうぼったくりです。

で、それを払うのは申し込み時点で、その時点ではいつ書類が受理されていつ結婚できるかわからないのです。我々は書類に時間がかかったのと、大統領選挙の決選投票がいつ行われるかわからなかった都合で、おせおせになり、結局休日料金を払っておいたのに、平日になってしまいました。大統領選挙が行われる場合は区役所も投票開場になるので、その土日に予定されていた結婚式は全部翌週に自動的に繰り上げ、嫌じゃない人は他のカップルといっしょに、そのかわりお安くしときますよ!という恐ろしくまたアバウトな段取り。それはちょっと嫌なので平日で妥協しましたが、差額のお金は返してもらえなかった。


とにかく無事に式を終え、その会議室の中で持ってきたシャンパンで乾杯。写真&ビデオ撮影。このときにシャンパンを配る要員できていた女中が誰も声をかけてもいないのに写真に1番に入る、すべての写真に入るという事件発生!それも全員正装の中ジャージで!!彼のお母さんは優しいのと、雰囲気を壊さないために後ろの列に行きなさいと女中さんに言っただけでしたが、家族だけの写真が撮れずじまい。とほほ・・・。おまけにとなりの会議室ではなぜかサルサをがんがんにかけて口喧嘩してる人たちがいた。たぶん、昼休み時間に重なったからでしょう。


続く