この記事は2001年9月に書いたものです。
その4 当日
これまでの準備があまりにハードだったのであっという間に当日がきてしまいました。当日は7時半起床。シャワーを浴びて朝食を軽くとり、8時半に彼に送ってもらって美容院へ。花嫁さんとは思えぬ落ち着き払った態度と、となりに座っていたおばあさんのお客さんにびっくりされた私はお顔のパックの間に熟睡。しかしながら睡眠不足だったので、この仮眠でいっきに復活。さらに起きたらお腹がグー。"サンドイッチを買って来ましょうか"という美容師さんのお言葉に"いや、家帰ってなんか食べるからいいです"と言ったら"お化粧したらもう何も食べないでください"と怒られて、サンドイッチを美容院で食べました。ここで食べないと夜9時ごろまで食べられないからね。
全部終わって頭に花までつけて、ブーケを持って、しかし下はジャージといういでたちでタクシーで家に到着。午後12時。私の部屋は3階ですが、新郎は教会までウエディングドレスを見てはいけないという迷信があるので、彼のいる3階には行かれず、1階のお母さんの部屋へ。手伝ってくれるはずの彼の女性家族は全員美容院から帰ってきておらず、甥姪は手伝いたいものの手伝えないので仕方なく市民結婚式の時に写真に写りまくった女中さんに手伝ってもらってウエディングドレスにお召しかえ。
12時半に写真屋さん到着。電気やらバックになる垂れ幕やらいろいろ持ってきて応接間で撮影。1時半に母と弟、ビデオ屋さん到着。いっしょに撮影。その間贈り物が配達されたり、美容院からバラバラと家族が帰ってきたり、電話は鳴りっぱなし、もう大騒ぎ。まずは一人で写真とビデオを撮るのですが、母弟、甥姪の野次馬がうるさい!この一人で撮るのがくせもので、カメラマンのポーズや視線の要求が厳しく、モデルを生業としてるわけじゃない私としては途中で嫌になってしまいました。日本では花嫁は奥ゆかしく微笑むものなので歯を出して笑うのに抵抗があり、カメラマンに"幸せな笑顔で!"と、言われれば言われるほど笑顔のひきつっていくアンドレアでした。
さて、野次馬たちも写真とビデオに納まりご満悦、2時間にわたる撮影会が終了したところで出発。姿を見せないように私が隠れたところで、まずは彼が教会式の代母役のお母さんと出発。その後他の家族全員が出発。そして私と父の代役で代父役の弟が、白いクラシックカーに乗って出発。このクラシックカー、中にシャンパンなど用意され乗り心地はなかなかよく、最高時速は80kmとのことですが、たぶん嘘。花嫁衣裳は半袖なのでとても寒くて"すいません、窓閉めてください"と言ったら、窓がなかった。
現在ペルーでは夏でも冬でも半袖か袖なしで長袖は一切着ないとのことですが、日本はどうなんでしょうかね。上に着るわけにはいかないし、途中でトイレに行くこともできないので、とにかく下には沢山着込み、ホカロンも仕込みました。家から教会までの約20分の窓が開いたままの道のりを、雅子様ばりに民衆の皆様の祝福に手を降って答えながら教会へ。
新郎と代母は15分前に祭壇の前でまっていなければならず、また招待客は例によって遅れてくるので、新婦はミサが始まる3時ちょうどに教会につかなければなりません。なので、新婦の乗った車は時間調整のためにそこらへんを何周かしたりすると聞いておりました。教会まで行くいつもの道から多少それた道に入っていったので、時間つぶしかーと思っていたら、知らない教会の前で
"ここですよね"。
勘弁してよー 違うよー!!私が道がわかっていたので、なんとか通りだけどあそこは一通だから反対からしか行かれないよとちゃんと道を説明して最終的には式をあげる教会に着きましたが、まったくペルーらしい一面。地図も持ってるくせにあんた、間違えないでよねー。いっしょに乗っていた弟はびっくり。でもほんと、これでスペイン語も道もわからない花嫁が乗っていたらどうなっていたことでしょう。
長いベールとペチコートと格闘しながらなんとか車から降りて、結婚行進曲とともに弟とバージンロードを歩きました。友達や、特に親に反対されてたいきさつから最後認めてくれるまでを知ってる人の顔なんかが目にはいると、むこうも泣きそうでこっちも泣きそうでしたが、彼のお母さんに"ペルーでは花嫁は泣かない"と念をおされていたのでなんとかがんばって笑顔で彼の待つ祭壇の前に到着。
ミサは神父様のお人柄もあり、アットホームな温かい雰囲気で最初から最後まで行われました。最初に"新婦は日本人で、今日はご家族やお友達も遠く日本から来てくれましたね、"と言ってくださったこと、最後に"新郎、やっと花嫁が来てよかったですね"では彼の家族一同大爆笑。私のだんな様はペルーでは多少晩婚の部類に入るのかもしれません。ミサが始まってすぐ誰かのケイタイ電話が鳴ったのですが、2度目に鳴ったときにはさすがに温和な神父様もマイクで注意していました。私もケイタイ電話の音が大嫌いですが、ペルーは騒音がすごいので、呼び出し音は日本よりさらに大音量に設定してある。おまけに教会は天井がものすごく高いので響くのなんの。私も"そんなにお忙しいならアンドレアの結婚式なんていらしてくださらなくてもいいのよ"と思いましたが、みなさま、公共の場所や神聖な場所では電源は切りましょう。コンサートで鳴ったときもムカついたよなーそういえば。
ミサが終わった後は教会内の例のサロンで乾杯、ご挨拶、写真撮影。そのあと彼と私はクラシックカーでリマ散策・・・というと聞こえがいいのですが、今度は2人の写真とビデオ撮影。まずはカメラマンのスタジオ、それから2人が泊まる予定になっているホテル、有名な公園と約2時間半にわたる撮影。アンドレアは早くみんなの待つ披露宴会場に行きたくて、"公園はやっぱりいいです"と言ったらまた怒られた。でも公園は本当に寒かったので、写真だけでビデオは"ほんとにほんとにもういいです"と、途中でやめてもらいました。
披露宴パーティー会場は"春天酒家"という中華料理。なんだか縁起のいい名前でしょ。ペルーにはものすごく沢山中華料理屋さんがあるのです。日本でラーメン屋さんを含めた中華料理屋の数とこっちの中華料理屋は同じかそれ以上の数。でも日本よりすごいのは、それをやっているのが全員中国人あるいは中国系ペルー人だってこと。アジア系はペルー人口の1%っていうけど、もっといそうな気がします。ただ料理は日本人の私の口に合うところは本当に数少なくて、というのもこっちはしょうゆ味ばかりやけに濃い。この春天酒家は数少ないお気に入りの味。
午後8時近くになり、美容院でのサンドイッチ以降何も食べてないアンドレアは腹ぺこ。しかし、なかなか食べ物にありつくまでは時間がかかるのです。まず入場後新郎新婦がワルツを一曲踊り、その後新郎はお母さんと、アンドレアは弟と、その後新郎はアンドレアのお母さんと、アンドレアは新郎の御姉さんのだんなさんと、ここまでが一曲。そのあとさらに新郎は女性の家族全員と、新婦は男性の家族全員と順番に踊ります。これはどこまでの家族が踊るかによって何曲になるか決まってくるのですが、我々は最低限のを二曲にしてもらいました。それが終わってやっと乾杯。乾杯の温度は新郎自らとります。
彼のお父さんが何年か前に亡くなってる事、私の父は健康上の理由で長旅ができず来られなかったことなどを彼は挨拶の中にとりいれると言っていましたが、真っ白になってしまったようで、簡単に挨拶が終わり乾杯。
プロダンサーであるアンドレア弟 のダンスショーのあとやっとお食事。ペルーではとにかくみんなが踊るので、それを待っているお客様にきっかけをあたえるのも我々の役目。ウエディングドレスでサルサを踊りました。そのあとは無礼講・・・というかダンス大会。私たちが退散したのが午前2時。ラストまでいたお客様方は3時半ごろまで。新婚旅行おあずけの我々は、その日はホテルに泊まりましたが、次の日夜7時ごろ家に帰ると、綺麗にお化粧した彼のお母さんが出てきました。"お義母さんどこ行くの?"と聞いたら、"あの後家にお客さんが来てまた踊って盛り上がって、さっき帰ったとこなんで、たった今ちょっと横になって起きたところよ。"とのこと。さすがペルーだ!
残すところは日本側への結婚の届。アンドレアもとうとう戸籍筆頭者になるぞ!詳しくはまた次回ペルー通信で。
続く