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Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

この記事は、2001年11月に書いたものです。


その6 痛み


驚いたときとか日本語では

"うわっ!" "あっ!"

となるけど、スペイン語では

"あい!"

これは私の中でグループ化されてプログラミングされてしまったらしく、日本語とかスペイン語に関係なくどっちかの小さな叫びが出るけど、本当に感情が頂点に達したときは日本語が出るということがよくわかりました。

激痛とともに

"痛あーーー"

と日本語で叫んでいた。叫んだあともう一度スペイン語で

"メ ドゥエレ(痛い)"

とさきほどより控えめに叫びなおすと

"ちょっと痛みますけどがまんしてね、リラックス、リラックス"

さらに激痛

"うわーーーーーーーーー"

嘘つきー 今さっき痛くないって言ったばっかりじゃないかー みんなでグルになってアンドレアをだましたな!まさに白衣の天使って感じのベテランっぽいさっきまで優しかったきれいな看護婦さんも

"緊張するともっと痛くなりますよ!"

と鬼のようなお言葉!涙がこぼれそう。泣いてもキャンディも風船ももらえないし、もっと怒られそうなのでぐっと我慢。私の愛するだんなさまを部屋から追い出したのはこんなに痛いのに痛くないと嘘をついたのがばれたら困るからだったんだな。


私の性格上、痛いなら初めから痛いと言ってほしかった。心の準備ってものがあるじゃない。

いや、百歩ゆずって痛いことは言わないまでも嘘をついてまで痛くないとは言ってほしくなかったよ。

このへんが、最悪の状況をいちおう考えてからことに望む日本人の私としては、痛いだけでも十分なのに、痛くないって言ってたのに痛いことでびっくりさせられた上、その後もしかしたら痛いのは私がとってもどっかが悪いからなのかという不安にまで陥るという、精神的にかなり追い詰められた状態にさせられる。

ペルー人は痛いですよって最初に言われたら逃げちゃうのかな。そういえば、日本人のベテランのお医者さんでさえ、不治の病の場合宣告してほしいと言っていたくせに、それじゃあと宣告されたら屋上から飛び降りて自殺しちゃったって話も聞いたので、人間ほんとに自分の危機を感じたらどういう行動にでるのかわかりませんが・・・。


検査が終わって検査着から自分の服に着替え終わると検査医の口笛先生はもういなくて、看護婦さんももとの白衣の天使に戻っていて後片付けをしていて、レントゲン技師の人も

"結果がいつでるか受付で聞いてから帰ってくださいねー。"

と私の身に起きた激痛、グルになってみんなで嘘をついたことなどが嘘のように、まるで何事もなかったような空気が流れていた。


診察室を出たら愛するだんなさまが心配顔で待っていました。顔を見て泣いては、転んだときに親がいないと知ると泣くのを保留にし、親をみつけたとたんに泣き出す子どもといっしょなので、いちおうものすごく痛かったんだけどがまんして偉かった自分をPRし、ロスキータとマニドゥルセの他に本日はもう一品買ってもらうことで同意し、なんとか泣くのは我慢。


翌週、おとなしくて優しい御姉さんという感じの、やはり日系人のウエハラ先生のところに検査結果を持って診察してもらいに行くと、

"あの検査、ちょっと不愉快だったでしょ"

"不愉快どころかものすごーーーーーーーーーーーーーく痛かったですー!"


先生爆笑。ウエハラ先生、信じていたのにおまえまでグルだったとは、ペルー人はやっぱり嘘つきだぞ!!!
嘘も方便とは言うけれど、方便の方向と具合がちょっとアンドレアとは違います。

まだまだペルーでの修行が足りないようだ。


続く



この記事は2001年11月に書いたものです。


その5 嘘も方便


いつも日本と違うなあと思うのが、ネガティブなことに対する知らせ方の習慣。

我々日本人が最悪の状況を予想してことを進める人種だとすれば、ペルー人は常に最高とは言わなくても、かなりそれに近い状態を想定してことを進める。

なんでかっていうと、我々はネガティブ要素が勃発したときに受ける精神的ショックが大きくて、病気になったりしちゃうから心の準備をしとく。

でもペルー人はうまく行かなかったら"いやあ まいった まいった"で、立ち直りが早いから・・・というのが私なりの分析。ま、今の景気がそこの状況では何をやってもうまくいかないので、せめてちょっと夢見ようかってところもあるのかもしれないけど・・・。


ある検査はとっても痛みを伴う検査。
でも直接検査をする担当医ではなく、レントゲン技師のような人が最初に、



"この検査は初めてですか?異物が体内にはいるわけですからもちろんなんだか変な感じがしますが、全然痛くないので心配しないでください。万が一痛かったとしてもほんの一瞬ですから。"

その後検査の担当医と看護婦さんにバトンタッチ。先生は

"どうしてこの検査をするんですか?"

知らねーよ。検査して来いって先生に言われたからのほかにどんな理由があるのか、こっちが聞きたいんですけど・・・。クマがきたときの死んだフリ状態で、めんどくさいときはまたガイジン状態になり


"外国人でよくわかんないので、外にいる主人に聞いてください"

でもこれはその検査がちょっと怖くなったアンドレアが、愛するだんなさまに脇にいてもらおうという魂胆が半分。先生ははひととおり話し終わると愛するだんなだまを追い出してしまいました。ま、痛くないってこの先生も言ってるんで、アンドレアも安心して検査にのぞむことにしました。

で、その先生と看護婦さんは私に検査を受けるポーズを説明するんだけど、たとえば


"仰向けで左半身だけ浮かせて右手は曲げて頭のほうに"


なんて、そんなの日本語だったとしても口で説明されてもなんだかさっぱりだよね。そりゃ先生と看護婦さんは人生において何百回と説明してきたかもしれないけどさ。で、わけがわからなくて悩んでいると、ヤツらは私がスペイン語が全然わからないと思ったらしく、私の体に先ほど"異物"と表現された検査の器具を入れたまま2人でペルーの大石油会社の偉い人である患者からのクレームについておしゃべり。


おいおい、守秘義務を守れよー君たちー。もう私はペトロペルーの偉い人らその人の秘書の人の名前も何の検査をしたかも知ってしまったぞ。で、その後おしゃべりが止まったと思ったら先生は口笛とともに"異物"を駆使して何かやっている。口笛は私をリラックスさせるための作戦か?しかし、このあと激痛発生。


続く


この記事は2001年11月に書いたものです。



検査のシステムは、診療した先生が必要検査項目にチェックした検査票を持って検査のフロアーに行き、必要なものは予約をとり、そうでないものはその場で済ませるのですが、その前にまずその検査の管轄の会計でお金を払ってから。時間ぎりぎりに行ったりして会計で"まだ大丈夫ですか"と聞くと、"係の人に聞いてきてください"と病人を使って自分たちは何もしない。で、そこの"係の人"のところにちょっと列があったりするとタイムアウト。
こっちは日本とは意識が違うので、連携プレーや"私どもは"の意識はなく、とにかく"私は"関係ありませんてな調子。ある日の午前中に、診察室に行くと先生が

 "こないだの検査結果は?"

と聞くので、

 "さっきとりにいったんですけど、まだできてなくて、今日の夜って言われました"

と、まさに先生に言いつけてる子ども状態の返答をすると、先生はすぐさま受話器をとり直接電話

 "あ、検査?サノだけど。なんとかドクターいる?この患者の検査結果出てないみたい だけど今口頭で言ってくれる?"

で、ちゃんと検査結果が出てる。またある日は、この診察後すぐ検査をして、その検査結果を持って水曜日にまた来て下さいと言われたのに、検査室に行ったら結果が出るのは木曜日ですと言われ、先生の診療日は水曜日を逃すと金曜日になっちゃうし、じゃ今検査したほうがいいのか、今日もらった薬を飲んじゃってから明日検査に来たほうがいいのか、いったいどうすりゃいいのかわからず、

 "すいません、先生に電話して聞いてもらえませんか。"

と、受付のお姉ちゃんに言ったら

 "診察室に行って聞いてきてください"

地下の検査室から地上に出て他のビルまで歩かなければならず、さらにその日は2機しかない小さなエレベータのうちの1つが止まっていて先生の診察室は6F。"エレベータが止まっていて、熱があってとても6Fまでは上がれません。ワタシガイジン、ヨクワカリマセン、デンワデキイテクダサイ、オネガイシマス"と半分はほんと、半分は演技。とにかく早くことが済むように、アンドレアも貸してもらえる虎の威は借りまくり頑張っていす。
病院も一般社会と同じで、"おかけになって少々お待ちください"と言われたからと言ってそのまま座ってちゃーいつ順番がくるかわかりません。私の検査の紙をどこにパスするわけでもなく持ったまま、絶対にかがめない丈のミニスカートで同僚と立ち話してるか、おやつを食べてるか、長電話してるかのお姉ちゃんたち、他の患者の横入りなど素直に待ってたら、さらに具合が悪くなりそうな状況。



いまや血液検査、尿検査、レントゲン、エコグラフィー、各診察室、薬局など各場所から場所へのショートカットの方法、検査室や薬局はどのお姉ちゃんがノロマでどのお姉ちゃんが早いかなど覚え、検査の係の人や保険の受付のお嬢ちゃんたちに挨拶をされるほどの御用達ぶりです。


そうそう、忘れてはいけないのが、クリニカを出たところでロスキータというクッキーのようなクラッカーのようなものや、ピーナッツにお砂糖がまぶしてあるマニドゥルセ他、自家製袋詰のお菓子を売っているおじさんのクリニカ前での営業時間は4時半から7時半まで。

会社が終わってからクリニカに行き、ちょっと検査に回されたり薬局のレジのレシートの紙がなくなってとりかえてたりすると、このお菓子にはありつけません。

職にあぶれたら私もミニスカートはいてクリニカに案内係として雇ってもらおう。それか、お菓子売りのおじさんに弟子入りしてロスキータの技術を学ぶか。

ま、総合的にはここのクリニカの人たちは比較的みんな親切で優しくて態度も悪くないほうかな。そう思うこと自体がサービス不在のこの国に慣れてしまった証拠なのかもしれないけど。けしてサービスがいいってわけではないもんね。


とにかくヤツら(ペルー人一般)が"私どもは"の意識を持っていない以上、私もその考えは捨て、もはや私とアンタの一騎打ち。

病院の受付だろうが、レストランだろうが、パン屋だろうが、この人に頼む、この人にはぜったい頼まないって感じで、親切な人をみつけたらその人のアテンドを待つほうが早い、間違いがない、結果満足なので、最近はそういう方針にしています。こっちのレストランは絶対にチップ制っていうわけじゃないんだけど、それなりの場所では置く人はけっこうチップを置いて帰ってる。アンドレアもいいアテンドをしたボーイさんなどには、"ご親切にありがとう"とちゃんと帰るときにお礼を言って、ランチメニューだろうが直接手にチップを多めにあげてるよ。他のボーイが盗っちゃったらやだからね。そういえばクリニカ内の軽食喫茶のサンドイッチはなかなかおいしかったな、サービスはよくなかったけど。

続く



この記事は2002年11月に書いたものです。


その3 アンドレア御用達クリニカ

話がそれましたが、私が今通っているクリニカは、リマでは最も有名なクリニカのひとつです。日本でいうところの大学病院のような規模です。でも大学病院というのはペルーにはあまりないので、ここでは医学部の学生も、一般の学生のように就職活動をするそうです。ま、相手先企業は私立病院に限られるんでしょうけど。不景気の今、ドクターのタクシー運転手さんなどにもよく出会います。


アンドレアの勤める会社も、不景気のため来期から保険はどうなるかわからない・・・などという話も聞いたので、民間の保険を利用する人が減ると患者も減って病院も不景気になるでしょう。

先週の新聞の日曜版には病院自ら国民健康保険の人へ、診察料割引パックのキャンペーン広告が出てたから。最初にまとまったお金を払うと、診察料は70ソル、薬や検査も勉強しまっせ、なんと5年間有効!というような内容。我々の1.5倍くらいの負担額だった。


1階にある受付は大きな郵便局のような感じで窓口が沢山あります。この窓口は保険会社ごとにわかれていて、A社10B10、他社5、他のインフォメーション2、会計1、その他少々と30くらいの窓口があります。
自分の契約してる保険会社の窓口で、身分証明書、保険のカード、診察券、申請書の紙を提出します。この紙は社判と総務のサイン、私の場合は例のゴマスリ野郎(自称総務課長、でもあくまで自称)のサインが入っていないと受け付けてもらえませんが、その有効期限は1科につき1週間。内科と歯科と皮膚科にかかったら、同じ日でも紙が3枚いるということです。



ゴマスリ野郎はどこまでが心配でどこまでがおしゃべりのネタなのかわかりませんが、紙をもらいに行くたびにどこが悪いのか聞くので、ある日保険会社から紙を一束入手した私は10枚まとめてサインをお願いしますとメモをつけ、ヤツのデスクに置いといたことがあります。

ま、とにかくまずはこの受付で先生を指定し診察料を払って、診察室がどこにあるか説明してもらって、そこの待合室に行きます。待合室の大きさはさまざまで、30人くらい座れる規模のところから、6人くらいしか座れないところまであります。
これはその待合室の奥にある診察室の数によります。12階建てのメインビルディングと、別館、第二別館、それから裏に点在する家屋を改造したと思われる数々の平屋の別館、入院病棟・・・いったいいくつアネックスがあるのか謎ですが、マンションの間取りにたとえれば産婦人科本館43LDK3つの診察室と待合室)、別館平屋に2DK。内科本館各階に2K、という感じです。


待合室に着き、先生の名前が印字された領収書を見せると、受付のお姉さんは"3番目です"とか教えてくれます。保険会社が勤め先と契約しているせいで、この領収書には患者の勤め先も書かれています。

初診のときに先生は誰でもいいですと言ったところ、私が勤めてる会社の商品、しかしペルーでは扱ってないモデルが買いたいというめんどくさい先生に当たってしまいました。その話を同僚の営業担当者に話したところ、ちょうど彼女の叔父さんにあたる日系人の先生がこのクリニカの内科で働いてることがわかり、2回目からこの先生に変えました。


患者が待合室に着くのにちょっと遅れたタイミングで、メッセンジャーが患者のカルテを持って待合室にやってきます。このカルテは各科共通1人の患者につき1つしか存在しないので、今他に何の病気があってどんな薬を飲んでいるか他の先生にもわかるようになっています。


待合室の奥には2つの診察室があるのですが、先生は何人かいてフルタイムではないので、違う曜日や時間に行くと診察室が前回と違うほうのお部屋になってたりします。

私の先生はなかなか人気者らしく、彼が診察室にいるときは、もう一部屋の診察室の先生が誰であろうと、待合室は全員彼の先生の患者さんです。

最初に受付で先生を指定してお金を払ってしまっているので、待合室についた時点でそんなに混んでるならもう一人の先生でいいや、というわけにも行かず、待たなければいけません。

確かにこの先生は最後の最後まで抗生剤は使わないし、診察費稼ぎの様子見のためにもう一度いらっしゃいなどとは言わないし、信頼できる感じです。

先生の名前はサノ先生。スペイン語でサノは"健康"と言う意味なので、人気があるのかもしれません。


このクリニカはほかにもけっこう日系人の先生がいて、産婦人科にも2人、歯科にわたっては5人くらいいて、受付の御姉さんまで日系人だそうです。

続く

この記事は2002年11月に書いたものです。


その2 クリニカとオスピタル


病院のことは少し触れましたが、ペルーの病院は規模で分けると町医者と中くらいの病院と大きな病院、私立病院と国立病院(軍の病院も含む)、など日本とだいたいいっしょですが、オリジナルな区別に"クリニカ"と"オスピタル"があります。

文字通りクリニックとホスピタルなのですが、クリニカはオスピタルよりだんぜん値段が高く、その中にもランクがあり、主に値段で別れています。 "高かろう良かろう"かどうかはわかりませんが"安かろう悪かろう"はあるみたいで、安い病院は人があふれてるので、質以前の問題で対応しきれないみたいです。

さらにちょっと恐ろしいなと思ったのは、日本では医学部の学生は系列の病院で実習をしていますが、こちらは"大学病院"というのが沢山ないようなので、実習生は全員クリニカではなくオスピタルに送られるそうです。

人があふれて先生の手が足りないところを実習生がカバーしてるかと思うとちょっと怖い。

特に実習は地方のオスピタルに多いそうです・・・。


国民健康保険加入者によれば、まずふつうのオスピタルに行って診察後薬をもらい、そこで治ればラッキー、でもそこで出してもらえる薬は安い薬で効かないことが多いから、そのときは保険外の高額治療費を払ってクリニカに行くという話も聞きました。

あるいはクリニカで検査を全部すませて、その結果を持ってホームドクターである町医者に行くという人もいます。このへんは信頼関係の問題でしょう。


ペルーも、眼科だったらこのクリニカの何とか先生、消化器系はあのクリニカの何とか先生、皮膚科は・・・と看板役者が各クリニカにいるところは日本と同じです。でも"お礼"も"紹介"もいらない。早い話、お金さえ払えば見てくれるということ。日本だったら、そんなことだと日本全国から目的の先生のところに患者が押し寄せると思われますが、何しろここペルーは貧富の差が激しいので、クリニカでアンドレアが1回の15分の診察を待ってるとき、脇で掃除してる人の給料は1日働いても1回の診察料にも満たないだろうし、会社から恵まれた福利厚生を受けている人も少ないだろうから、言って見ればクリニカに来てる人は、保険料を自分で支払うことのできるお金持ちと、一流企業に勤めてる人だけってこと。だからそんなに混んでないのでしょう。


実際私の同僚も、派遣社員の人たちは同じ保険は持ってない。待合室での待ち時間は長くて30分。私も観光ビザ時代、つまり保険を持ってないときに病気になったとき、検査にかかるお金を計算してもらったら物価の安いペルーでの検査料が円に換算したら日本の検査料とまったくいっしょだったので検査をしないで帰ってきたという経験があります。


検査料が100$だったら約12000円。日本のふつうのOLの手取りが月24万円なら1日分に相当。でもここではOLの月の手取りの1/3くらいに相当。日本でもし1回の検査料が8万円だったら、誰だって受けないよねー。っていうか、受けられないよね、生活できなくなっちゃうから。こないだ受けたエコグラフィーの検査も、私は1ソルも払っていないけど、147ソルを保険が負担してるって言ってたからね。147ソルは約40$だけど、この検査何回受けても私はタダ。でももし保険がなかったらかなりの負担になるでしょう。


カツカツの生活をしてるOLで思い出したけど、ある日定期を無くして会社に行かれなくなったので、バスの運転手さんに"あ、1万円札しかない。今度払いますうー"と言い、毎日少しずつ時間をずらしてバスに乗って給料日までつないだという豪快な女が名古屋営業所にいたなあ。

彼女は飲食費が必ず営業経費になるように得意先の人と昼食夕食、そうじゃなければ上司におごってもらい、カードも限度額まで使い、ディスコと洋服につぎこんでいた。同期の営業マンが彼女と結婚することになったとき、まだいくらあるか知らされていない借金を背負わされるのが怖いと言っていたなあ・・・そういえば。


アンドレアも、年をとること、仕事がなくなることなど考えたこともなかったその昔は、毎日外食、それもダブル、トリプルヘッダー、残業後まず課の人々と食事をし、そのあと同期が飲んでる店に行き、そのあとプライベートの友達が集まってるところに顔を出し、帰りはタクシー、気に入ったものはその場でお買い上げ、コンサートやライブは行きたいものは全部行き、銀行口座は給料の金額が常にマイナス。給料が入った日だけ残高がゼロになる。ボーナスは海外旅行という暮らしをほんの数年しておりました。バブル崩壊とともにその生活も崩壊して、ドトール以外の喫茶店に入ることもなくなったけど。若気のいたり。

でも、その頃お酒を飲みながら上司や友達や先輩や知らない人やマスターとかママさんとか、いろんな人から聞いたいろんな話は自分の中にしっかり貯金されて私の財産になってる。ホントに自分が困ったときには、そこからいつも貯金を崩して使っているし、若い人や困った人にも還元していますからね。みんなありがとう。


話はそれましたが・・・続く

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