私の親友リマでのコンセルジュ のママ、昨日手術をしました。
そして彼女は人のお見舞いにすら行けないほどの病院嫌い。
検査に行くまでにも、経験者の私が何度説得を試みたことか・・・。
自覚症状があるのに、病院嫌いが災いして1年以上放っておいたので、検査をしたら当然クロ。
かなり進行したガンです。そして彼女はその事実を知りません。
保険の関係で、病院の選択肢が少ない中、あらゆるコネを駆使して、やっとある病院に救急扱いで入る予定が、書類の不備であえなく却下。付き添いという重要な任務を任された私まで、なんだか非があるような気持ち。
この病院に勤める知人であるお医者様の紹介で、なんとか別の病院へ入院し、何日も待たされ、手術の日も延期され、やっと昨日手術。検査の結果が出てから手術に至るまで、1ヶ月もかかりました。
この1ヶ月間、ママ、一連の展開について行かれず、いちいちパニックを起こしていました。
彼女の宗教の牧師さんや、なんだか体の中が見える魔女のような人を家に呼んだり、
話すと突然泣きだしたり、1人で違う世界にいってしまって話しかけても気づかなかったり・・・。
彼女が特別なわけではなく、病院嫌いな人、ペルーにはけっこう多いです。
紹介された先生がいらっしゃる病院は、治安のとっても悪いところにあります。
野戦病院みたいです。さすがのAndreaもかなりびびりました。
私はもちろん、ペルー人でさえなかなか1人では行けない場所です。
そんな治安の地域にあること、救急病室なことも重なり、患者さんにはかなり豊かな人生経験が・・・。
ママの仲良くなった、前のベッドのロシータ。30代前半と思われます。
彼女は道で、流れ弾にあたり、それがお腹を横に貫通。
弾が大腸近辺に残っている・・・という若くしてすごい人生経験の持ち主。
でも、彼女と仲良くなったおかげで、ママも少し気分が和らぎました。
手術前の日に飲むお腹を綺麗にするお水をいっしょに乾杯しながら飲もうね、とか・・・。
お互いに時間外のお見舞い許可証を都合しあったりとか・・・もうすっかり親せきづきあい。
たぶんかなり脚色はされてるだろうけど、私の人生も、同じお部屋の入院患者さんたちは、
すでに半生くらいまでは知ってるみたいです。
聞いたこともない難しいはずの外国人の私の名前をみんなしっかりと呼んでくれるし、私への質問もピンポイントで的を得ている・・・。かなりの確率で登場しているようです。
家族間の意見の衝突や、ママの態度、病院の対応にムカついて、頭から煙が出そうなくらい毎日怒って機嫌の悪いコンセルジュ。運転中は、マナー不在のペルーの公道で、他の車への文句とスラングも日に日にヒートアップしています。一般的に女性がいるところではスラングは言わないのがジェントルマン。彼もそうだったはずですが、私に向かって言わない、1人毒を吐いている分にはよし、ということで協定を結びました。ある夜病院を出たあと、ちょっと気分をほぐそうと
”ねえねえ、寒くなってきたし、あそこの中華料理屋で、今度スープ飲んで帰ろっか~”
と目の前のお店をさして冗談で言ってみたら、
”馬鹿野郎、てめえ、食べたらここの病院そのまま直行だぞ!!!この田舎もんが!!”
と、スラング満載で怒られてヤツアタリされて、
”ごめん”
田舎もんていうか、外国人なんですけど・・・と、心の中で突っ込みながらも、悪くも無いのに謝り、涙も滲むかわいそうなAndreaでした。治安的にも衛生的にもここでご飯を食べるのはもちろんNGです。いつも爆笑してくれる私の冗談も、病気には太刀打ちできません・・・がまん、がまん。
コンセルジュ家の電子レンジが、私が使った直後に偶然にも壊れました。
温め不可能なので、翌日料理をしたところ、鍋も焦がしました。
弱り目にたたり目です。
病気は周囲の気分も重くしますね。重くなると失敗も増えます?!
ママ本人が病名を知らないので、周囲も大変です。
大学生の彼女のバカ孫が、腕に彼女の名前のタトゥーをしてきて、
”私死ぬの?何の病気?”
と本人から質問されるというヒヤヒヤ場面もありました。
ママがちょうど入院をしぶっている頃、夫の従弟に赤ちゃんが生まれました。
手術に耐えられる体力もなく、生後3日で亡くなりました。聞いただけで涙が出ました。
日本の大地震からも1ヶ月。
今ある命は、自分のためにも、愛する人たちのためにも、大切にしなくちゃね。
そろそろ知人に新しい命が授かるはず。私も心待ちにしています。