Andreaのペルー通信パート2 -11ページ目

Andreaのペルー通信パート2

リマでアロマテラピーサロンをしております。大好きなペルーの現実を日本に伝えます。コメント大歓迎ですが、ネットエチケット上不適切なものは、承認しませんのでご了承ください。

私の親友リマでのコンセルジュ のママ、昨日手術をしました。

そして彼女は人のお見舞いにすら行けないほどの病院嫌い。

検査に行くまでにも、経験者の私が何度説得を試みたことか・・・。

自覚症状があるのに、病院嫌いが災いして1年以上放っておいたので、検査をしたら当然クロ。

かなり進行したガンです。そして彼女はその事実を知りません。


保険の関係で、病院の選択肢が少ない中、あらゆるコネを駆使して、やっとある病院に救急扱いで入る予定が、書類の不備であえなく却下。付き添いという重要な任務を任された私まで、なんだか非があるような気持ち。

この病院に勤める知人であるお医者様の紹介で、なんとか別の病院へ入院し、何日も待たされ、手術の日も延期され、やっと昨日手術。検査の結果が出てから手術に至るまで、1ヶ月もかかりました。


この1ヶ月間、ママ、一連の展開について行かれず、いちいちパニックを起こしていました。

彼女の宗教の牧師さんや、なんだか体の中が見える魔女のような人を家に呼んだり、

話すと突然泣きだしたり、1人で違う世界にいってしまって話しかけても気づかなかったり・・・。

彼女が特別なわけではなく、病院嫌いな人、ペルーにはけっこう多いです。


紹介された先生がいらっしゃる病院は、治安のとっても悪いところにあります。

野戦病院みたいです。さすがのAndreaもかなりびびりました。

私はもちろん、ペルー人でさえなかなか1人では行けない場所です。


そんな治安の地域にあること、救急病室なことも重なり、患者さんにはかなり豊かな人生経験が・・・。

ママの仲良くなった、前のベッドのロシータ。30代前半と思われます。

彼女は道で、流れ弾にあたり、それがお腹を横に貫通。

弾が大腸近辺に残っている・・・という若くしてすごい人生経験の持ち主。

でも、彼女と仲良くなったおかげで、ママも少し気分が和らぎました。

手術前の日に飲むお腹を綺麗にするお水をいっしょに乾杯しながら飲もうね、とか・・・。

お互いに時間外のお見舞い許可証を都合しあったりとか・・・もうすっかり親せきづきあい。

たぶんかなり脚色はされてるだろうけど、私の人生も、同じお部屋の入院患者さんたちは、

すでに半生くらいまでは知ってるみたいです。

聞いたこともない難しいはずの外国人の私の名前をみんなしっかりと呼んでくれるし、私への質問もピンポイントで的を得ている・・・。かなりの確率で登場しているようです。


家族間の意見の衝突や、ママの態度、病院の対応にムカついて、頭から煙が出そうなくらい毎日怒って機嫌の悪いコンセルジュ。運転中は、マナー不在のペルーの公道で、他の車への文句とスラングも日に日にヒートアップしています。一般的に女性がいるところではスラングは言わないのがジェントルマン。彼もそうだったはずですが、私に向かって言わない、1人毒を吐いている分にはよし、ということで協定を結びました。ある夜病院を出たあと、ちょっと気分をほぐそうと

 ”ねえねえ、寒くなってきたし、あそこの中華料理屋で、今度スープ飲んで帰ろっか~”

と目の前のお店をさして冗談で言ってみたら、

 ”馬鹿野郎、てめえ、食べたらここの病院そのまま直行だぞ!!!この田舎もんが!!”

と、スラング満載で怒られてヤツアタリされて、

 ”ごめん”

田舎もんていうか、外国人なんですけど・・・と、心の中で突っ込みながらも、悪くも無いのに謝り、涙も滲むかわいそうなAndreaでした。治安的にも衛生的にもここでご飯を食べるのはもちろんNGです。いつも爆笑してくれる私の冗談も、病気には太刀打ちできません・・・がまん、がまん。


コンセルジュ家の電子レンジが、私が使った直後に偶然にも壊れました。

温め不可能なので、翌日料理をしたところ、鍋も焦がしました。

弱り目にたたり目です。

病気は周囲の気分も重くしますね。重くなると失敗も増えます?!


ママ本人が病名を知らないので、周囲も大変です。

大学生の彼女のバカ孫が、腕に彼女の名前のタトゥーをしてきて、

 ”私死ぬの?何の病気?”

と本人から質問されるというヒヤヒヤ場面もありました。


ママがちょうど入院をしぶっている頃、夫の従弟に赤ちゃんが生まれました。

手術に耐えられる体力もなく、生後3日で亡くなりました。聞いただけで涙が出ました。

日本の大地震からも1ヶ月。

今ある命は、自分のためにも、愛する人たちのためにも、大切にしなくちゃね。

そろそろ知人に新しい命が授かるはず。私も心待ちにしています。

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この記事は2001年7月に書いたものです。



その2 昼休みパートI

役職者は全員自家用車通勤で会社持ちでビル内の駐車場使用。一般社員で車を持ってる人は路駐。その他ほとんどは家族の送迎か、バス、遅れそうなときのみタクシー通勤という感じです。いちおう勤務時間は全員85時のはずなのに、課長は8時半、部長は9時半、社長は10時出勤しています。昼休みも45分のはずなのに、自家用車通勤者は家に帰ってごはんを食べるので1時から2時半くらいまで。社長は2時から4時、と変な習慣があります。

一般社員は半分が外食、半分がお弁当持ちあるいはデリバリーのお弁当です。お弁当を食べる部屋には、日本のファーストフードのように、テーブルをはさんで2人がけのつながった硬い椅子2つ。それが4セットあります。座席がいっぱいになることはありませんが、電子レンジ暖め待ちの列は毎日できます。45分間の休憩と言っても、電子レンジの番が1番だった人から最後だった人が食べ終わるまで4テーブルがひとつのテーマで盛り上がるので、結局12時半から2時前くらいまではおしゃべり。そのあとよっこら立ち上がりまたみんなで銀行に行ったりして、自分のボスが戻ってくるまでに席についときゃいいや・・・という感じの超ラテン系時間な昼休みです。日曜日は女中さんがお休みなので、月曜日にお弁当を持ってくる人は少なくなる傾向。

お弁当も一口頂戴があたりまえ。果物やデザートはまずみんなで分け合うのがあたりまえ、という感じ。だけど、自分の物はみかんひとかけらですら人にはあげないのに、みんなのお弁当を毎日必ずつつくという、意地汚いどケチ女が約1名います。コイツは本当に確信犯で、必ずちょっと遅めのみんなが席に着いたあたりの時間にこの部屋にやってきて、電子レンジに自分のお弁当を入れて、温め待ちの間に各テーブルをまわり、だいたい4人がけのテーブルに3人ずつ座っているので、自分が食べたいものがあるテーブルを見極め、そのテーブルの残り1つの席をまずお弁当袋をおいて確保します。次にフォークを持って各テーブルをまわり、一口頂戴と言って誰もいいよとは言っていないのに食べて回り、チンを合図に自分のお弁当を持って着席、自分のお弁当をを食べる前に今日のメインディッシュとして選んだ人のお弁当をつつきます。

現在ヤツは妊娠5ヶ月なのでさらに食欲旺盛、みんなもそういう事情で断りきれないので、最近は空席を作らないように4人で座り、空席のあるテーブルの人は速攻で食べ、サラダはヤツが来る前にあらかじめ分け合い、ヤツが電子レンジにお弁当を入れている瞬間に、テーブルの下でみかんを分け合うという対策をとっています。私の会社は人の悪口を言わないいい人ばかりなので、悪口抜き、打ち合わせぬきでのこの連携プレーを見ると、会社の将来もかなり期待できそうです。昨日はそれを忘れていたら、遅めに来て誰のお弁当もつつけなかったヤツが"誰かみかん持ってる人頂戴!"と直接的なリクエスト。みかんをゲットし落ち着いてちょっと離席し部屋から出て行った間に、今度はケーキを配ったら、帰ってきたヤツは、ほぼ怒りの状態で"私のケーキはないの!"。みんな唖然としていたら、1番気の弱い人が"よかったら半分食べる?"。ケーキを配ってくれた人に"アンタのぶんもあるから、彼女の盗らないの!"と言われていました。

会社では誕生日の日は有志でお金を集めてケーキを買ってハピーバスデーを歌うのですが、これが人気のバロメーター。通常2個になるデコレーションケーキも、ヤツの誕生日は参加者も少なくケーキ1個。ケーキを分ける人もいない状態。こういうとこ、こっちの人ははっきりしています。私も参加しなかったけどね。

リストラがまた始まり、仲良しの子が3人やめちゃうことになりました。ごますりとどケチといっしょのテーブルで食事だけは嫌だよー!

その3 昼休みパートII

私が仲良くしてる営業部長秘書の女の子はムードメーカー。彼女が以前勤めていた外資の製薬会社でのお話。

その会社は社内にシャワールームもあって、自由に使うことができて、仕事が終わった後はひとっ風呂浴びて帰る人も多かったそうです。こちらの女の子たちは流行にあわせて髪を染める人が多いのですが、美容院に行くと高いのでおうちで染める人が多いようです。彼女はある日の昼休み、女性社員全員でお弁当を10分で食べたあと、みんなでケープを肩からかけ、新聞紙を床にしきつめ、右隣の人の背中を見るかっこうで輪になって座り、一人が前の人の髪を染め、その人はその前に座ってる人の髪を、という要領で女性社員全員で髪を染めたそうです。その後大急ぎでシャワールームで髪を洗い流しドライヤーをかけて、男性社員たちがのんびりとした昼休みを終えて帰ってきたときにはみんな違う髪の色。でも"なんか朝と違うねえ"と、誰も気づかなかったそうです。そりゃそうだ。誰が女性社員全員が髪を昼休みに染めてると想像するだろうか。

そういえば彼女は犬をもらうときも会社に連れてきてもらって、ダンボールに入れて机の下において仕事をしていたこともあったっけ。彼女や他の派遣社員の人々もほとんどが来月末で派遣終了。辞める前にぜひ、なんかおもしろいことをやってから辞めてほしいと思っています。

その4 訪問者

私の勤めている会社のビルには他にも沢山の会社が入っています。1階の受付でまずセキュリティチェック。アポ無しではそこから先には一歩も入れません。唯一アポ無しで5階の我々の会社の受付まで入れる人はプライベートなお客様。そうです。会社の受付には奥さん、だんなさん、子どもはもちろんのこと、彼氏、彼女や友達、宝石やさんやら洋服やさん、いろんな人が来ています。誕生日や"セクレタリーの日""母の日""父の日"などあらゆる記念日には花やチョコレートや大きな風船が、それらの人々から届きます。

ある日ある部長の誕生日に大きな風船が届きました。セキュリティ上、誰から来たのかチェックしなければいけません。風船の中に小型爆弾や催涙ガスがはいているかもしれないので・・・。カードを見たら"私の愛する人へ、すべての愛を込めて。"どうも愛人さんからだったようで・・・。オープンというかなんというか・・・。

そんなわけで忘れ物をしたとき、ちょっといっしょにお昼が食べたくなったとき、夕方でかけるときとか、しょっちゅう誰かしら会社の受付に来ています。あとはお使いの人。こっちは大手の会社にはお使いの係りの人がいます。銀行に行ったり、郵便局に行ったり、何かを持っていったり持ってきたりメッセンジャーとして外とのすべての仕事をやっています。中のメッセンジャーはお掃除の係の男の子がやっていて、郵便物をもってきたり、フロアからフロアへの書類の移動や、コーヒー買って来てなどのほんとのおつかいまで。ふつうのお掃除の人にはそこまではやらせないようですが、彼はとてもいい子なので、受付の人がいないときの留守番や電話応対、コピーとりなどもやってもらっています。日本の会社のOLさんはコピーから始まり、オヤジのお弁当やタバコを買いに行かされたり、子どもの学校の月謝まで振り込みに行かされたり、ひどい会社はお茶くみはもちろんトイレ掃除まであるそう。そんなOLたちにはこのメッセンジャー制度はうらやましい話かも。私も彼女たちと同じようにへんなことでコキ使われた経験もあるので、そのお掃除の男の子は、仕事以外では絶対つかわないようにしています。

とにかくこっちは階級がきまっているので、階級を超えると話をすることもあまりないのです。見ていると本当に女中さんや使用人は、あまり優しくしていると図に乗るし、なめられて、さぼったり、物を盗ったりする人も多いんだけど、この会社のお掃除の彼のようないい子には必要以上には威張らず、同じように接すればいいのになと思います。習慣なんでしょうけど。コーヒーやお茶は自分のちょうどの好みがあるし、私は自分でいれるのがいちばんおいしいので自分でいれるけど、そうそう、社長室の洗い場には洗剤とスポンジがない!お掃除の人が洗い物をするからなのです。お弁当の部屋にはあるけど、みんな洗うのは自分のタッパーだけ。会社のコーヒーカップ、ナイフやフォークは洗わない。お掃除の人たちが洗うから。

でももしかしたら、いろいろ頼まれても嫌な顔ひとつせずいつもにこにこしているお掃除の人たちも、心の中では"自分でちっとはやれよーおまえら、動かないから太るんだよ!"って思ってるかもしれない。

アンドレアの家の通いの女中さんも、ある日プロの写真家に家族写真を頼んだら、1番に写ろうとして、結局家族だけの写真がとれず。その後私は挨拶以外では口を聞いていません。家族がみんな優しいからなめられちゃったんだろうね。

まだ階級社会の難しさにちょっぴり馴染めないアンドレアです。

続く

この記事は2001年7月に書いたものです



日本は熱中病で亡くなる方が出るほどの暑さのうようですが、皆様お元気ですか?

アレキパ地方の地震のときはご心配いただきありがとうございました。おかげさまで私の住んでいるリマは何の影響もありませんでしたが、被害のあった地域はまだ復興しておらず、心が痛みます。神戸の地震を思い出します。

新しい変人総理大臣が誕生して、日本はどんな調子ですか?ペルーも先月、どっちがなってもなあ・・・という選びようのない大統領決選投票があり、7月28日の独立記念日には新しい大統領が就任しました。

私の勤めている会社でも、突然の人事異動で社長交代。これからはいったい誰がお寿司をごちそうしてくれるんだろう・・・じゃなくていったい誰が仕事を教えてくれるんだろうと途方にくれながらも社長不在も中唯一の日本人の私は大忙し。ペルー通信もすっかりごぶさたしておりました。やっと新社長は先週着任したところ。新大統領、新社長政権が安定するまでは、ちょっぴり不安な毎日です。今回はお仕事のことを書きます。

その1 人はみかけ?

今私は日本の自動車メーカーの現地法人で働いています。大変な不景気のため、正社員を164人から40人まで1年間で減らすという大リストラを去年やって、40人プラス派遣の人20人がコアメンバー。その他にシステムの外注の人がいます。以前は完全分業制だったのが、今はその人数なのでみんないろいろと兼務しています。

私が働く社長室は、日本人の社長、日系人のセクレタリー、謎の日本人の私、計3名です。セクレタリーの人の仕事は通常の秘書業務から、媒体発表へのスピーチなどを考える広報の仕事、社長や駐在員の家の不動産屋との交渉、ビザの手続き、メイドさんや運転手の管理まで、本当に尊敬に値する仕事ぶりです。彼女はなんと勤続25年。社長の他にもう1人日本人駐在員がいたのですが、彼の駐在期間が終わったところで本社からの駐在員ポストが廃止され、その代わりに私が現地採用されたわけです。主な仕事は、毎月の各部署のレポートを日本語に翻訳して本社に報告することと、社長が行うプレゼン資料の作成、輸入業務、社内外のすべてのコーディネートです。わかりやすく言うと何でも屋さんです。

ある日勉強のために、工場のエンジニアの人が、ディーラーの板金塗装工場見学に連れて行ってくれました。現場の人にいろいろと話を聞いていたら、部長クラスの人が通りかかったので名刺交換したところ態度一変。社長から部長から何やかんや、すべての役職者が、まるで消防自動車の出動のときのような速さでからどこからともなく集まってきて、説明する人も現場の係長から社長にバトンタッチ。

何で?それは私の名刺の肩書きが社長アシスタントだから。社長がいないときはすべての業務を代行して行うのが私だと思われたのです。前にいた社長以外の唯一の日本人駐在員がそういう立場だったのと、こっちでは大手は社長の右腕番頭さんポストみたいなのがが必ずあることかららしいのです。実務は確かに前の駐在員と一部いっしょだけど、私はまったくの現地採用扱いで、そんな責任をとるような立場でもなければ、当然それに値する給料ももらっておりません。

とにかくこっちは肩書き重視。恐ろしいほどはっきりしてます。高級レストランに行っても、社用かプライベートかで対応は天と地の差。そんなとこで威張るのは、田舎議員のおっちゃんみたいでこっぱずかしいけど、そんな対応じゃ名刺を出さざるを得ない。日本の外資系企業でも、社長が部長に威張る以上に社長秘書が部長秘書にいばったりする傾向があって、"ばっかじゃねーの?"と思っていましたが、ペルーでは社長秘書の給料は部長秘書の給料よりだんぜん高いそうです。ペルーに限らず諸外国はけっこうそういうところ、あるみたいですね。私といっしょに働いてる秘書の人は偉そうなところは微塵もなく、つつましい人で、役職者会議のお茶くみまで、営業部長コーヒー砂糖1ミルク入り、総務課長紅茶ぬるめ、など全員の好みに合わせてやってるし、"手伝おっかー?"と言っても"大丈夫ですよ"とほんとに謙虚。

次に学歴。こっちは"あなたのプロフェッショナルは何ですか?"と聞かれたら私は経済学部卒なので"エコノミストです。"と胸を張って言わなければなりません。でも日本のバブリー時代に普通のバカ学生生活を送っていた私としては、大学は主にクラブ活動と社交の場であったので"プロフェッショナルと言われても、いえいえ、そんなたいそうなものではございません、ただの町娘でございます・・・"などと答えたくなってしまいます。こっちの大学は会社に入ったらすぐに働けるような実践にあわせた講義も多いらしく、日本のように化学を勉強したけど銀行に勤めてるなんて人はいないみたいです。大学在学中に研修生の形で企業にバイトにも来ています。給料も職種も学歴によってはっきり別れていて、お互いに誤解や衝突が生じることもなく、逆に働きやすい部分もあります。

その差は服装にも顕著にあらわれていて、有名企業はどこの会社も課長以上は男女ともに100%スーツ、一般の女性社員はみんなとってもカッコイイ制服があって、世界的なカジュアル化傾向の流れに逆行し、独自にエレガンスラインを爆走しています。私の会社は制服はないので、みんな会社用の服を買う出費に悩まされており、今制服ほしいよ運動が起きています。カジュアルでいいのにと思いますが、習慣はなかなか変わらないみたいです。先週の土曜日、どうしても会社に行かなければならず、カジュアルだけどかなりいい服を着てタクシーに乗りました。"今日はほんとは休みなのに仕事でまいっちゃうよー"と言ったら、運ちゃんに"どこの中華料理屋?"と聞かれました。唐突な質問だったので一瞬""でしたが、そんな感じで人は見掛け通りに判断されます。町でも変な人が来るとすぐわかるので防犯にはなるけどね。

今の会社で働き始めたとき、ずいぶんみんなきっちりした服装をしてる会社だなあ・・・と思い、数だけはそろってる昔のスーツなどをとっかえひっかえ着て会社に行っておりましたが、それが逆に役職者の印象を与えたらしく、"社長アシスタントでエコノミストなのにもかかわらず、全然いばらずフランクに誰とでも話してくれる人"という変に良い印象をもたれてしまっています。かん違いして近づいてくるごますり人間も沢山います。これは万国共通なんですね。

いろいろとめんどくさいので、現在名刺の肩書きは変更に向けて検討してもらっています。今の名刺は今後、レストランとかでお店の人の態度が悪くなったときに水戸黄門の印籠代わりに使おうと思っています。

続く

この記事は、2001年5月に書いたものです。


その3 アンドレア喧嘩


タクナは国境の町なので、いろいろと安く手に入るものも多くて、長距離バスの発着所では免税手続き書類の作成をしてはんこを押してもらわなきゃいけないのですが、そこで何度も横入りする婆あ出現。書類をもらうだけの窓口に横入りしたときはま、いっかーと思いましたが、ちょっぴり待たされる申請の窓口でも何回も横入りして順番を早くしようとしている!ここは窓口は2つだけど列は1列、列の先頭に係の人がいて、空いたほうから順番に案内していく方式だったのですが、また横入りしたので
"並んでます。"
と言ったらしぶしぶ私の少し後ろの列の最後に移動。次が私の番になったとき、前の人が終わったのに係の人も私も気づかなかったら、横入り婆あはいきなり5人くらい抜かして走って窓口へ。私は

"ちょっとー"

と大きな声を出し、もちろん断固許しませんでした。係の人に列に戻された横入り婆あは、

"早く進みなさいよねー こっちは時間がないんだよー"

とギャク切れ。横入り婆あの仲間たちもなんだかんだ加勢している。私が

"もうさっきから何度言ってもわかんないんだから!この田舎もんが!"

と、スラングもとりいれ、かなり奴らに近いレベルで対抗している中、私の婚約者は

"時間がないなら、早く来て並んだらどうですか。マナーを守らない人が多いから僕たちの国は発展しないんですよ。"

と落ち着いた調子で一言。さっすがー。私も含めてシーン。怒るとすごく疲れるし、怒った後で悲しい気持ちになって一日が台無しになるので、なるべく怒らないようにはしてるんだけど、こっちの人はすぐ怒るがすぐ冷める&忘れる。私も冷める&忘れるを物にしないと、ただのおこりんぼになってしまうので、気をつけなくちゃ。出稼ぎ帰国組みの友人たちに聞くと、1年くらいで慣れる&成れるそうです。こんなふうに自分が悪くないのに不愉快な思いをさせられて怒ってる意味のスラングを直訳すると"胃が出た"って言うんだけど、すごくわかりやすいと思いませんか? 日本人はあんまり外に胃を出さないから胃潰瘍とかになっちゃうんでしょうね。


帰りのバスは、途中の税関で積んだ荷物をぜーんぶ降ろしてチェック。なんで出発前に荷物を積むときに税関チェックしないで、また夕方出発時刻を1時間以上遅れてやっとこ積んだ荷物を最初から全部出して積みなおすんでしょうね。意味なし。

ここでさらに約1時間のロス。日付が変わってからは、エンジンのどっかが壊れて砂漠の真中や、途中の町で何度か立ち往生。エンジントラブルを修理したのもなんとお客さんの中のひとり。運転手とバスガイドはのんびり休憩。

バスの中で本を読むと乗り物酔いしてしまう私は、眠っても、映画を見ても、砂漠の真中で停まったとき後ろの席のおじさんは散歩に行くようなふりをしていたが、あのときはあの岩陰で""をしていたのかー・・・などと考えても、時間が余りに余ってしまいましたが、それもそのはず。結局予定を4時間以上送れて20時間もかかりリマに到着。朝ご飯の後何も出ず、着いたのは日曜の夕方4時。20時間って飛行機だと成田-リマにかかる時間と約いっしょなんだよねー。



その4 刑事取り調べ


リマに帰ったあとは外務省、内務省、労働省、と手続きが山のようにあって、半分は弁護士事務所を通して会社がやってくれたものの、確認はあくまでも本人となので、イミグレーションの手先の外国人担当課の恐ろしい形相の刑事(袖まくりじゃなくて 今度は本物)が調べに来たり、出頭させられていわれのないチップを要求されたりして、何度かまた"胃が出た"場面もありましたが、私がテロリストでも、フジモリ関係者でも、金持ちでもなんでもない、善良な一外国人だということがやっとわかったらしく、一銭のチップも払わずに、チリから戻って2ヶ月たった今、やっと労働ビザがもらえました。

大変だったけど、これで今後は出国する必要もなくなり、バイトではなくやっと正式に働けることに。


しかし、本当にこの国では"胃が出ちゃう"ことはしょっちゅう。そのたびに

"だからペルー嫌い"
と言うと、

"えっ?ペルー嫌いなの?あ、そーお?そりゃあ知らなかった"
とからかわれます。みんな私がこの国が大好きなことを知っているから。日本にはあまりないけれど、"私の国に恋しています""私がペルーです""なんて私の国は美しいんでしょう"などという直接的な表現の歌も多い。私も気がつくとよく鼻歌で歌っています。最近は、フジモリさんとは逆に、私は本当はペルー国籍を初めから持ってるんじゃないのかという疑惑をネタにされています。

ところで胃と言えば、何番目の胃だか知らないけど、牛のハチノスを使ったペルー料理はとてもおいしい。警察に"胃を出されて"帰ってきたら、お昼ご飯が牛ハチノスと小麦のミルクスープだった。消化した分の胃はまた吸収しないとね、とか言っておかわりをして、またどんどん体がペルー仕様になっていくアンドレアでした。


会社での面白いお話はまた次回。


続く








この記事は、2001年5月に書いたものです。

日本の皆様は、ゴールデンウィークぼけから復活しつつある体に、季節的においしくなってきた生ビールを流し込み、次は夏休みの予定を考えていることでしょう。

こちらはまったく休み無し、日本が夏を迎える準備に入る今、ペルーは今年は秋がなく、いきなり冬がきてしまった感じです。



その1 嘘つき領事


こちらに来て早いもので5ヶ月目に突入です。楽しそうにやってる私も実はビザのことでは大変でした。

来る前に、在日ペルー領事本人が、観光ビザで入っても、3ヶ月ごとに好きなだけ更新できるよ、と言ってくれたのと、日系ペルー社会ではけっこうな実力者である知人が、労働ビザは日本だと時間がかかるし、向こうですぐとってあげるから・・・と言ってくれたので、その2人の言葉を信じて来ました。最初に面接に行った会社では、

"観光ビザじゃ働けませんので、それを前提にお話しますが・・・"

って観光ビザで働けないのは知ってるけど、何もしてくれる気がないならアンタ、なんでわざわざ呼んだわけ?という疑問を抱えたまま、例のそでまくり刑事に取調べを受ける羽目になったことはご報告したとおりです。


その後いろいろ調べてみたのですが、役所に行く度に違うことを言われ、紙に書いたものもない。結局最終的には、ビザは最初の3ヶ月が過ぎたら次の3ヶ月間は毎月出頭して更新、おまけにそのたんびに20$ぼったくられ、その後は国外に出なきゃならないということ、国内にいたまま観光ビザからは労働ビザには変えられない、というダブルショックな事実が発覚しました。 不法滞在・・・偽装結婚・・・強制送還・・・などという不吉な四文字熟語が頭をよぎり、髪の毛も抜けてしまうほどのストレス。かわいそうな私の婚約者は、やつあたりされても、毎日根拠のない励ましをしてくれて、さらにやつあたりされておりました。現在働いてる会社の面接も、そんな理由で面接のときはほとんど期待はしていませんでしたが、婚約者の"今度は絶対大丈夫。君が働いてる夢を見た。"などというさらに何の根拠もない励ましが幸いしてか、本当に雇ってくれることが決まって、労働ビザをとるための大変面倒な手続きをしてくれることに。大統領の一件で経済不安、失業率も高い中、こんなことまでしてもらえるなんて私は本当にラッキーで、とっても感謝しています。ただ会社が書類を回してくれれば終わりというのではなく、そこまでたどり着くのには、私のほうも大変でした。



その2 国境を越えて


最初の観光ビザが切れるまさにちょうど3ヶ月目のその日310日に、国境タクナからペルーを出国しチリに入国しました。日本でいうところの高速バスで。何でバスにしたかというと、もちろん節約のため。飛行機だと片道90ドル。バスだと片道30ドル。しかしこっちの超てきとー、今日できることは明日、明日できることはあさって、という国民性だと、一日あればとれると言われているビザも何日かかるかわからないのでホテル代も確保しておかなければならない。

バスといってもただのバスではなくリクライニングがベットに近い状態になる2階建てバス。うーん快適と思ったのですが、タクナまでは南北に長いペルーの地図上でいう下半分くらいの距離の旅だったので、16時間。長かったです。会社から直行して夜の7時ごろ出発して、タクナに着いたのがお昼頃。トイレは""のみ。""用以外の方はお知らせください・・・って言われてもねえ・・・みんなよく我慢しました。

終点タクナはチリとの国境の町。そこからまたさらに乗合タクシーでチリのアリカという町まで1時間。チリはペルーとの時差が2時間なのですが、12時半だったのに陸続きで入国したとたん"はい、午後2時半です"。島国に生まれ育った私には大陸を感じた瞬間でした。びっくりしたのはペルー人はパスポートじゃなくてIDカードで入国できること。 

私の婚約者は今回の同行のために、わざわざ真夏の暑い中丸1日並んで新しいパスポートをとってきたのに、逆に新しいパスポートだと偽造や、そのまま逃亡する疑いがあるのでダメなんですって。国境の町って感じでしょー! なんかアメリカからメキシコへ逃亡していくアクション映画の主役気分。何も悪いことしてないのに、イミグレーションっていつもどきどきしてしまう。昔は、アントニオ・バンデラスみたいな人とメキシコに逃げて、アカプルコのビーチでドン・タコスみたいなでっかい帽子をかぶったマリアッチバンドに一日中演奏してもらいながらピニャコラーダを飲むという夢もあったんだけど、逃げるためには銀行強盗かなんかしてお金持ちにならなきゃいけないので、今回は気分だけ。


イミグレーションを通過して、チリに入国すると、何にもない砂漠の中をずーっとさらに乗合タクシーですすんで、アリカに着きました。伊東とか熱海みたいな、海の近くに山があるとってものんびりしたところ。国際便タクシーの発着所みたいなところまでその乗合タクシーで行くと、そこからは今度チリの国内便タクシーにお乗換え。

リマの喧騒からは夢のような車は徐行、歩行者優先。泥棒もいないそうです。

アリカで見たチリ人はとにかく無表情。サモラノ調の人はいなくて、みんな白人系。男の人は萩原流行みたいな(ご存知?)人が多かった。喜怒哀楽が見えない。料理も薄味。そういう意味では日本とちょっと似てるけど、感情的じゃない国って料理も薄味なのかな・・・?何でもかんでもおおげさなペルー(料理の味も濃い目)に慣れてしまった私にはちょっぴり淋しい感じに映りました。とにかく全体的に波がないっていうか静かっていうか、悪く言えば面白みがないっていうか・・・ここではもちろん私はペルー人扱いでしたが、ホント、ペルーの食事とインカコーラが恋しくてたまりませんでした。

結局リマを水曜日の夜に出て、木曜日のお昼にアリカに着いたのですが、時差を計算にいれていなかったので、領事館の営業時間の午前中には間に合わず、ビザの手続きは次の日金曜日。朝一番乗りで並んで手続きをして、海でのんびりビールを飲んでビザ取得前祝い。お昼を食べて午後3時にビザをもらいに行ってホッとしました。ちょっとこっちになじみ(かぶれ)始めてる私は、あまりの嬉しさに、パスポートのビザのはんこのところに何度もキスをしていたら、ちょうど出てきた領事と秘書の人たちに笑われた。でも、ありがとう。もらったビザは、今働いてる会社との"商用ビザ"。なんか観光ビザにくらべてずいぶん偉くなった気分です。


その日もう一泊して土曜日のお昼にアリカを出て、また乗合タクシーで国境を超えたのですが、この帰りのイミグレーションがものすごい混雑。大型バスも乗合タクシーも全部1つの窓口で対応しているので、代表者(運転手)が乗客全員のパスポートやらIDやらを持って並び、係の人がプールの切符を売ってるところのようなプラスチック穴あき窓の中からそれを受取ると、凄まじい速さで出国のハンコを押していく・・・という状態。おもしろかったので私は真横からずっとはんこ押しを見物していました。やっと我々のタクシーの運ちゃんの順番が来たと思ったら、神業に近い速さでハンコを押していた手がふと止まり、手には見覚えのある真っ赤なパスポート。嫌な予感・・・・あ、JAPANて書いてある・・・と気づいた瞬間やっぱり呼ばれました。長蛇の列の観客の大注目を浴び穴あき窓の正面へ。相手が若い男の人だったので、ここはおべっか&お色気作戦だ!ととっさに判断し

"ブエナスタルデス、ヘフェシート"

と内心冷や冷や、しかし満面の笑顔でアンドレア登場。ペルー人は、女・子どもにはとっても甘いので、相手の顔を見た次の瞬間にはもう全然オッケーだということはわかりましたが、敵も馴染みの運ちゃんたちや観客が多いせいかサービス精神を発揮したらしく一言、

"フジモリ関係者じゃないよねー"

で、場内爆笑。一件落着。 

ヘフェは上司や何でもボスの総称で使うのですが、シートは様じゃなくて"ちゃん"みたいな親しみを込めた感じ。おべっかの必要があるときはヘフェシート、ドクトルシート・・・と呼びかけてます。別にその人は社長でもドクターでもなくて、郵便局の窓口の人だったり、道で交通整理してるおまわりさんだたりするんだけどね。日本でいうところのよびこみのおじさんの"よっ社長!""大統領!""先生!""先輩!"あるいはみのもんたの"お嬢さん"みたいな感じかな。私も中国人や韓国人のフリをするだけではなく、ペルー人にならって、ギャクやおべっか、お色気作戦の使い分けとコンビネーションでけっこういろいろと切り抜けてます。でも甘い顔ばかりしてはいられません。 



続く