この記事は、2001年5月に書いたものです。
日本の皆様は、ゴールデンウィークぼけから復活しつつある体に、季節的においしくなってきた生ビールを流し込み、次は夏休みの予定を考えていることでしょう。
こちらはまったく休み無し、日本が夏を迎える準備に入る今、ペルーは今年は秋がなく、いきなり冬がきてしまった感じです。
その1 嘘つき領事
こちらに来て早いもので5ヶ月目に突入です。楽しそうにやってる私も実はビザのことでは大変でした。
来る前に、在日ペルー領事本人が、観光ビザで入っても、3ヶ月ごとに好きなだけ更新できるよ、と言ってくれたのと、日系ペルー社会ではけっこうな実力者である知人が、労働ビザは日本だと時間がかかるし、向こうですぐとってあげるから・・・と言ってくれたので、その2人の言葉を信じて来ました。最初に面接に行った会社では、
"観光ビザじゃ働けませんので、それを前提にお話しますが・・・"
って観光ビザで働けないのは知ってるけど、何もしてくれる気がないならアンタ、なんでわざわざ呼んだわけ?という疑問を抱えたまま、例のそでまくり刑事に取調べを受ける羽目になったことはご報告したとおりです。
その後いろいろ調べてみたのですが、役所に行く度に違うことを言われ、紙に書いたものもない。結局最終的には、ビザは最初の3ヶ月が過ぎたら次の3ヶ月間は毎月出頭して更新、おまけにそのたんびに20$ぼったくられ、その後は国外に出なきゃならないということ、国内にいたまま観光ビザからは労働ビザには変えられない、というダブルショックな事実が発覚しました。 不法滞在・・・偽装結婚・・・強制送還・・・などという不吉な四文字熟語が頭をよぎり、髪の毛も抜けてしまうほどのストレス。かわいそうな私の婚約者は、やつあたりされても、毎日根拠のない励ましをしてくれて、さらにやつあたりされておりました。現在働いてる会社の面接も、そんな理由で面接のときはほとんど期待はしていませんでしたが、婚約者の"今度は絶対大丈夫。君が働いてる夢を見た。"などというさらに何の根拠もない励ましが幸いしてか、本当に雇ってくれることが決まって、労働ビザをとるための大変面倒な手続きをしてくれることに。大統領の一件で経済不安、失業率も高い中、こんなことまでしてもらえるなんて私は本当にラッキーで、とっても感謝しています。ただ会社が書類を回してくれれば終わりというのではなく、そこまでたどり着くのには、私のほうも大変でした。
その2 国境を越えて
最初の観光ビザが切れるまさにちょうど3ヶ月目のその日3月10日に、国境タクナからペルーを出国しチリに入国しました。日本でいうところの高速バスで。何でバスにしたかというと、もちろん節約のため。飛行機だと片道90ドル。バスだと片道30ドル。しかしこっちの超てきとー、今日できることは明日、明日できることはあさって、という国民性だと、一日あればとれると言われているビザも何日かかるかわからないのでホテル代も確保しておかなければならない。
バスといってもただのバスではなくリクライニングがベットに近い状態になる2階建てバス。うーん快適と思ったのですが、タクナまでは南北に長いペルーの地図上でいう下半分くらいの距離の旅だったので、16時間。長かったです。会社から直行して夜の7時ごろ出発して、タクナに着いたのがお昼頃。トイレは"小"のみ。"小"用以外の方はお知らせください・・・って言われてもねえ・・・みんなよく我慢しました。
終点タクナはチリとの国境の町。そこからまたさらに乗合タクシーでチリのアリカという町まで1時間。チリはペルーとの時差が2時間なのですが、12時半だったのに陸続きで入国したとたん"はい、午後2時半です"。島国に生まれ育った私には大陸を感じた瞬間でした。びっくりしたのはペルー人はパスポートじゃなくてIDカードで入国できること。
私の婚約者は今回の同行のために、わざわざ真夏の暑い中丸1日並んで新しいパスポートをとってきたのに、逆に新しいパスポートだと偽造や、そのまま逃亡する疑いがあるのでダメなんですって。国境の町って感じでしょー! なんかアメリカからメキシコへ逃亡していくアクション映画の主役気分。何も悪いことしてないのに、イミグレーションっていつもどきどきしてしまう。昔は、アントニオ・バンデラスみたいな人とメキシコに逃げて、アカプルコのビーチでドン・タコスみたいなでっかい帽子をかぶったマリアッチバンドに一日中演奏してもらいながらピニャコラーダを飲むという夢もあったんだけど、逃げるためには銀行強盗かなんかしてお金持ちにならなきゃいけないので、今回は気分だけ。
イミグレーションを通過して、チリに入国すると、何にもない砂漠の中をずーっとさらに乗合タクシーですすんで、アリカに着きました。伊東とか熱海みたいな、海の近くに山があるとってものんびりしたところ。国際便タクシーの発着所みたいなところまでその乗合タクシーで行くと、そこからは今度チリの国内便タクシーにお乗換え。
リマの喧騒からは夢のような車は徐行、歩行者優先。泥棒もいないそうです。
アリカで見たチリ人はとにかく無表情。サモラノ調の人はいなくて、みんな白人系。男の人は萩原流行みたいな(ご存知?)人が多かった。喜怒哀楽が見えない。料理も薄味。そういう意味では日本とちょっと似てるけど、感情的じゃない国って料理も薄味なのかな・・・?何でもかんでもおおげさなペルー(料理の味も濃い目)に慣れてしまった私にはちょっぴり淋しい感じに映りました。とにかく全体的に波がないっていうか静かっていうか、悪く言えば面白みがないっていうか・・・ここではもちろん私はペルー人扱いでしたが、ホント、ペルーの食事とインカコーラが恋しくてたまりませんでした。
結局リマを水曜日の夜に出て、木曜日のお昼にアリカに着いたのですが、時差を計算にいれていなかったので、領事館の営業時間の午前中には間に合わず、ビザの手続きは次の日金曜日。朝一番乗りで並んで手続きをして、海でのんびりビールを飲んでビザ取得前祝い。お昼を食べて午後3時にビザをもらいに行ってホッとしました。ちょっとこっちになじみ(かぶれ)始めてる私は、あまりの嬉しさに、パスポートのビザのはんこのところに何度もキスをしていたら、ちょうど出てきた領事と秘書の人たちに笑われた。でも、ありがとう。もらったビザは、今働いてる会社との"商用ビザ"。なんか観光ビザにくらべてずいぶん偉くなった気分です。
その日もう一泊して土曜日のお昼にアリカを出て、また乗合タクシーで国境を超えたのですが、この帰りのイミグレーションがものすごい混雑。大型バスも乗合タクシーも全部1つの窓口で対応しているので、代表者(運転手)が乗客全員のパスポートやらIDやらを持って並び、係の人がプールの切符を売ってるところのようなプラスチック穴あき窓の中からそれを受取ると、凄まじい速さで出国のハンコを押していく・・・という状態。おもしろかったので私は真横からずっとはんこ押しを見物していました。やっと我々のタクシーの運ちゃんの順番が来たと思ったら、神業に近い速さでハンコを押していた手がふと止まり、手には見覚えのある真っ赤なパスポート。嫌な予感・・・・あ、JAPANて書いてある・・・と気づいた瞬間やっぱり呼ばれました。長蛇の列の観客の大注目を浴び穴あき窓の正面へ。相手が若い男の人だったので、ここはおべっか&お色気作戦だ!ととっさに判断し
"ブエナスタルデス、ヘフェシート"
と内心冷や冷や、しかし満面の笑顔でアンドレア登場。ペルー人は、女・子どもにはとっても甘いので、相手の顔を見た次の瞬間にはもう全然オッケーだということはわかりましたが、敵も馴染みの運ちゃんたちや観客が多いせいかサービス精神を発揮したらしく一言、
"フジモリ関係者じゃないよねー"
で、場内爆笑。一件落着。
ヘフェは上司や何でもボスの総称で使うのですが、シートは様じゃなくて"ちゃん"みたいな親しみを込めた感じ。おべっかの必要があるときはヘフェシート、ドクトルシート・・・と呼びかけてます。別にその人は社長でもドクターでもなくて、郵便局の窓口の人だったり、道で交通整理してるおまわりさんだたりするんだけどね。日本でいうところのよびこみのおじさんの"よっ社長!""大統領!""先生!""先輩!"あるいはみのもんたの"お嬢さん"みたいな感じかな。私も中国人や韓国人のフリをするだけではなく、ペルー人にならって、ギャクやおべっか、お色気作戦の使い分けとコンビネーションでけっこういろいろと切り抜けてます。でも甘い顔ばかりしてはいられません。
続く