昨日、Oさんにメールを返信した。
我と同じくご家族持ちで、書道教室を開いているOさんには本心を隠すことなく、
「気忙しい年末年始は大嫌い、心から日常の日々に戻ることを欲する」とメールに書いた。
昨年、上の子も下の子も家を出て、寂しいと言ってはみたものの、
突如として目の前に自分の部屋が登場して急に世界が開けた。
それまでは、
リビングの机の一角がわたしの居場所で、パソコンとプリンターを前にした極小空間を楽しんでいた。
テレビに背を向け、キッチンに向かって座っているため、
甲骨文や金文の資料を作りながら、コトコト料理が出来た。
カレーの人参は薄く切らずとも大きいままで良く、
分厚い大根の出汁煮だってなんてことはなく調理ができた。
ただし、大音響で流れるYouTubeをイヤホンで聞いてテレビの音を遮断し、夫がテレビを見て爆笑しているさまを冷たい目で一瞥していたが・・・。
今年、リビングと離れてしまったのは玉に瑕だが、部屋の獲得によって、
静かな中で甲骨文と向き合うことができるようになった。
たった一文字を調べて、調べて、調べるのが普通で、1時間などあっという間である。
洗濯の30分など、「え~と、これは、どんなだったかな」と文字とにらめっこしているうちに、ピー、ピーと洗濯機から終了のお知らせが発せられる。
まさに牛歩の歩みで甲骨文を調べている。いつでも無我夢中で一人ただ楽しく調べている。
それなのに、年末年始はなんだ。
帰ってくる息子のために布団を乾し、掛布団、敷布団カバーを洗い、
息子夫婦がやってくるために、掃除をし続けているような気がする。
夫は
座っては立ち、立っては動いて、
窓を吹き、電気を変えて、掃除をして、車を洗い、買い物に行っては、年賀状を書いてせわしなく動き回っている。
そして入れ代わり立ち代わり、家族や親戚がやってくる。
もちろん楽しい。
祖先神に感謝である。
ただ、わたしの世界だった部屋には息子が陣取り、再びリビングの一角にいるが、
なぜか追いやられた感にさいなまれる。
気忙しい。
平常心が失われると思考がうまく働かない。
非日常の年末年始は嫌いだ。
日常を心から欲する、甲骨文オタク、金文マニアの安東麟でした。