『説文解字』序を調べる中で、
一九七六年初版の『書道技法講座』(新装版一九八七年)を借りて、捲った。
『清人篆書三種』で鄧石如、呉譲之、趙之謙の三人の篆書が掲載されている。
別にここで篆書についての小林先生の文言を取り上げて、
あーだこーだ言ったところで、
だいぶ昔の書物なのだから、どうだっていいだろうと言われるだろう。
ただ、長いこと書道を習ってきた我が母のことを思うと、どうも黙っていられない気がしてきた。
母は篆書について、もちろん専門ではなかったという理由があるだろうが、
知識がほとんどない。(常識程度の知識はもちろんある。ただ、これが驚くほど、薄っぺらい)
書道は何年習ったの?と聞くと、「何十年もよ」と威張る。
もちろん、甲骨文や西周金文など知る由もなく、細かい話などは、わたしが作った資料を読んで
はじめてわかったような人である。
実家に帰れば、書道技法講座は書庫に並んでいるのだろう。
書道技法講座を自分の本棚に並べることがステイタスだったと思う。一九七六年初版の『書道技法講座』といえば、私が
小学校に上がるころ。
母と同年代の方はお分かりになると思うが、
家には応接間があり、
子供に綺麗な服を着せて、
車でお買い物をして、
お茶の間では、脚付きの大きなテレビで、テレビ鑑賞をした。
時は、高度経済成長期。
出版された書道の本はもちろん図書館がいまのように充実しているわけはないため、
有難く、有難い気持ちで購入し、
大切に読んだであろう。いまのわたしの取り扱いのように、
見たいものだけ、読みたいものだけをざっと見て読んで、付箋を付けてすぐさま打って、
スキャンして取り込んで、作成資料に添付して、
すぐさま図書館に返却といった作業などするはずもなく、
母のような人は、
この『書道技法講座』をまるで書道のバイブルのように、
応接室で
お紅茶の香りとともに、
篆書とは何か、清の人が書いた篆書を熱いお紅茶とともに味わったのではないだろうか。
この書道技法講座の篆書を学ぶ人たちのためにの1頁に、
「息をころして点画をこしらえ上げる小篆という書体に、二年も三年も取り組むなどということは、
我々日本人の体質に合わない。」
とある。
マジか。小林先生が、この当時、これを言ったら、ダメだろう。
権威の人が、大胆不敵な言葉を言うと、み~んな、この言葉を真似て、言ってしまう。
「篆書はとりつきにくい、むずかしい」
「我々にとっては無味乾燥なこの作業を」「秦篆を現代に復活したのが、」「鄧石如」
「従って篆書を習うには第一に鄧石如、またその系統をふむ呉譲之、趙之謙などを併習せよという。従来常識になっている篆書学習の階梯である」
階梯(かいてい)とは、学問・芸術などの手ほどき。また、それを説いた書物。入門書のことである。(コトバンク)
呉譲之→鄧石如→趙之謙をさぐるのが、「小篆の基本を身につけるのに最高の方法」
「小篆の成立とその特質」
「後世の小篆体のたどった消長」の説明をすると記述している。
1頁の下段には、
臆面もなく書きなぐった迷作が横行している、誤字を書き連ねる、正誤のはっきりわかる楷書、行書の世界では到底考えられない
とあり、いまとそう変わらない、篆書への理解の低さを想像することができる。
2頁 小篆の成立とその特質
ここで小林氏は、小篆以前の文物として、石鼓文などを挙げながら、
秦の孝王の時に商鞅の改革を行って秦の国の政策を強化した『商鞅量』に注目する。
2頁の下段には
「法家の政策によって法令を統一し度量衡を制定したと伝えるが、当然混乱した文字の統一事業にも着手したに違いない」
とある。
戦国時代は、決して混乱してはいない。
遊説家が行ったり来たり、
諸国を回って、どこもそんな文字の混乱などない。
こういった言葉も、後の時代の人が、鵜呑みにするよな~。
そして
秦の始皇帝が統一した時の度量衡と、商鞅量が合致しており、
「小篆の原型がこの器に見出されるのも偶然ではあるまい」と記述する。
始皇帝の刻石の内容を記述し、「始皇帝の堂々たる儀容を象徴するがごとしである」という。
「秦篆は書体の祖として仰がれ、」「縦三横二の比率の長方形」
「肥痩のない無表情な線で左右均斉に構成してゆく」
お~、小林先生は篆書を「無表情」とマイナーな説明をするのか。
「横画は水平に縦画は垂直に安定不動の姿勢」
「儀礼用の書体は」「静止的な姿」「威厳の表出に最もふさわしい様式」
「混乱した戦国時代の書き方は一字多体であった。これが分化の交流伝播発展を非常に阻害した。そこで文字統一に当って造字の原則が樹立された」
だから、秦代になって、統一したのだとして、
㈠~㈣を提示している。
ここでも戦国時代は「混乱」したと理解している。
混乱したから、統一したという理解である。
㈠偏旁確立では、訛変の例として、「㫃(えん)」と「辶(しんにょう)」が提示されている。西周金文や東周代(春秋・戦国時代)などの時代についての記述がなく、字形だけ提示されている。
「以上のような字体構造の固定化は、統一政策からも緊要な作業であったが、他面異体訛体に悩む時代の要請でもあったのである」
として締めくくっている。
あら?
どこで「小篆の成立とその特質」が語られたのだろうか。
戦国時代の、石鼓文(せっこぶん)と商鞅量の拓本と、秦の始皇帝時の、泰山(たいざん)刻石と琅邪台(ろうやだい)刻石の拓本は貼ってあるが。
あ‼2頁の「籀文(ちゅうぶん)―大篆(だいてん)の遺品」という文言と、商鞅の話と、
刻石の話が、小篆の成立なのか~。
刻石=小篆
であるならば、5行しか語っていない。
いや~。何も語っていないではないか。
これでは、うちの母が製造されるの無理ないわ。
お紅茶を読みながら、
バイブルとして読んでいたら、
涙が出るほど可哀そうだ。
篆書を善くした清人の書の本だから、
篆書についての説明などしなくてよい
そう思ったのであろう。
本来は、
そもそも小篆ってね
という知識があってから、
篆書を書いた人の文字を眺めるのが本筋。
続いて3頁以降は、
小篆体の消長 漢から清まで
ここも、三体石経などざっくりの説明。「懸針篆」として説明もなく、ルビもなく、
初心者は理解できたのであろうか。
書道技法講座に驚きを隠せない
先秦代を研究する安東麟でした。
篆書を















