『説文解字』序を調べる中で、

 

一九七六年初版の『書道技法講座』(新装版一九八七年)を借りて、捲った。

 

 

『清人篆書三種』で鄧石如、呉譲之、趙之謙の三人の篆書が掲載されている。

 

別にここで篆書についての小林先生の文言を取り上げて、

あーだこーだ言ったところで、

だいぶ昔の書物なのだから、どうだっていいだろうと言われるだろう。

 

ただ、長いこと書道を習ってきた我が母のことを思うと、どうも黙っていられない気がしてきた。

 

 

母は篆書について、もちろん専門ではなかったという理由があるだろうが、

知識がほとんどない。(常識程度の知識はもちろんある。ただ、これが驚くほど、薄っぺらい)

 

書道は何年習ったの?と聞くと、「何十年もよ」と威張る。

 

もちろん、甲骨文や西周金文など知る由もなく、細かい話などは、わたしが作った資料を読んで

はじめてわかったような人である。

 

実家に帰れば、書道技法講座は書庫に並んでいるのだろう。

書道技法講座を自分の本棚に並べることがステイタスだったと思う。一九七六年初版の『書道技法講座』といえば、私が

小学校に上がるころ。

 

母と同年代の方はお分かりになると思うが、

家には応接間があり、

子供に綺麗な服を着せて、

車でお買い物をして、

お茶の間では、脚付きの大きなテレビで、テレビ鑑賞をした。

 

時は、高度経済成長期。

 

出版された書道の本はもちろん図書館がいまのように充実しているわけはないため、

 

有難く、有難い気持ちで購入し、

 

大切に読んだであろう。いまのわたしの取り扱いのように、

見たいものだけ、読みたいものだけをざっと見て読んで、付箋を付けてすぐさま打って、

スキャンして取り込んで、作成資料に添付して、

すぐさま図書館に返却といった作業などするはずもなく、

 

母のような人は、

この『書道技法講座』をまるで書道のバイブルのように、

 

応接室で

お紅茶の香りとともに、

篆書とは何か、清の人が書いた篆書を熱いお紅茶とともに味わったのではないだろうか。

 

 

この書道技法講座の篆書を学ぶ人たちのためにの1頁に、

 

「息をころして点画をこしらえ上げる小篆という書体に、二年も三年も取り組むなどということは、

 

我々日本人の体質に合わない。」

 

とある。

 

マジか。小林先生が、この当時、これを言ったら、ダメだろう。

権威の人が、大胆不敵な言葉を言うと、み~んな、この言葉を真似て、言ってしまう。

 

 

「篆書はとりつきにくい、むずかしい」

 

「我々にとっては無味乾燥なこの作業を」「秦篆を現代に復活したのが、」「鄧石如」

 

「従って篆書を習うには第一に鄧石如、またその系統をふむ呉譲之、趙之謙などを併習せよという。従来常識になっている篆書学習の階梯である」

 

 階梯(かいてい)とは、学問・芸術などの手ほどき。また、それを説いた書物。入門書のことである。(コトバンク)

 

呉譲之→鄧石如→趙之謙をさぐるのが、「小篆の基本を身につけるのに最高の方法」

 

「小篆の成立とその特質」

「後世の小篆体のたどった消長」の説明をすると記述している。

 

1頁の下段には、

 

臆面もなく書きなぐった迷作が横行している、誤字を書き連ねる、正誤のはっきりわかる楷書、行書の世界では到底考えられない

 

とあり、いまとそう変わらない、篆書への理解の低さを想像することができる。

 

 

2頁  小篆の成立とその特質

 

 

ここで小林氏は、小篆以前の文物として、石鼓文などを挙げながら、

秦の孝王の時に商鞅の改革を行って秦の国の政策を強化した『商鞅量』に注目する。

 

2頁の下段には

 

「法家の政策によって法令を統一し度量衡を制定したと伝えるが、当然混乱した文字の統一事業にも着手したに違いない」

 

とある。

 

戦国時代は、決して混乱してはいない。

 

遊説家が行ったり来たり、

諸国を回って、どこもそんな文字の混乱などない。

 

こういった言葉も、後の時代の人が、鵜呑みにするよな~。

 

 

そして

 

秦の始皇帝が統一した時の度量衡と、商鞅量が合致しており、

「小篆の原型がこの器に見出されるのも偶然ではあるまい」と記述する。

 

始皇帝の刻石の内容を記述し、「始皇帝の堂々たる儀容を象徴するがごとしである」という。

 

「秦篆は書体の祖として仰がれ、」「縦三横二の比率の長方形」

「肥痩のない無表情な線で左右均斉に構成してゆく」

 

お~、小林先生は篆書を「無表情」とマイナーな説明をするのか。

 

 

「横画は水平に縦画は垂直に安定不動の姿勢」

 

「儀礼用の書体は」「静止的な姿」「威厳の表出に最もふさわしい様式」

 

「混乱した戦国時代の書き方は一字多体であった。これが分化の交流伝播発展を非常に阻害した。そこで文字統一に当って造字の原則が樹立された」

 

だから、秦代になって、統一したのだとして、

㈠~㈣を提示している。

 

ここでも戦国時代は「混乱」したと理解している。

混乱したから、統一したという理解である。

 

 

㈠偏旁確立では、訛変の例として、「㫃(えん)」と「辶(しんにょう)」が提示されている。西周金文や東周代(春秋・戦国時代)などの時代についての記述がなく、字形だけ提示されている。

 

「以上のような字体構造の固定化は、統一政策からも緊要な作業であったが、他面異体訛体に悩む時代の要請でもあったのである」

 

として締めくくっている。

 

あら?

 

どこで「小篆の成立とその特質」が語られたのだろうか。

 

戦国時代の、石鼓文(せっこぶん)と商鞅量の拓本と、秦の始皇帝時の、泰山(たいざん)刻石と琅邪台(ろうやだい)刻石の拓本は貼ってあるが。

 

あ‼2頁の「籀文(ちゅうぶん)―大篆(だいてん)の遺品」という文言と、商鞅の話と、

刻石の話が、小篆の成立なのか~。

 

刻石=小篆

 

であるならば、5行しか語っていない。

 

いや~。何も語っていないではないか。

 

これでは、うちの母が製造されるの無理ないわ。

 

お紅茶を読みながら、

バイブルとして読んでいたら、

 

涙が出るほど可哀そうだ。

 

篆書を善くした清人の書の本だから、

篆書についての説明などしなくてよい

 

そう思ったのであろう。

 

本来は、

 

そもそも小篆ってね

 

という知識があってから、

篆書を書いた人の文字を眺めるのが本筋。

 

 

 

続いて3頁以降は、

 

小篆体の消長 漢から清まで

 

 

 

ここも、三体石経などざっくりの説明。「懸針篆」として説明もなく、ルビもなく、

初心者は理解できたのであろうか。


 

 

書道技法講座に驚きを隠せない

先秦代を研究する安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

篆書を

茶トラはご飯が欲しいと

 

ニャーと言って、走ってくる。

 

それは無邪気に走って、自転車に頭をこすりつけて、息子が置いていった自転車を倒したりする。

 

 

 

黒猫が先にご飯をもらって食べている時は、

 

茶トラは急停止して、黒を見ながら、静かに座る。

 

大きなオスの黒猫は自転車の後ろに隠れているような茶トラを見ても、

 

脅す気配はないようである。

 

そんなことが数回続いたので、こちらは、完全に油断していた。

 

茶トラも油断したのだろう。

 

 

自分が餌をもらえる倉庫に飛び乗ろうとして、黒に近づいた。

 

黒は、近づいてくる他者には容赦ない。

 

あっという間に、餌を残して、二匹の姿がなくなった。

 

 

追いかけられた茶トラは無事だったろうか。

茶トラはおそらく黒が飛び乗れない高いところに、ぴょんと飛び乗って、

すぐさま黒という恐ろしい追っ手から逃れられたと思う。

あとに残された黒猫は、フンといって、雄猫ならではの怒り方で噴射してマーキングするのであろう。

(オスは本当に困る・・・)

 

寂しく、餌の残る二枚のお皿を外の井戸水で洗った。そして、その日の夜も、次の朝も誰も来なくなった。

 

 

いつ、怯えながら茶トラがくるのだろうか、

 

いつ、黒猫のくーちゃんが綺麗な目でわたしを見てくれるのかと思って待っていたら、

 

その騒動から、3日目の朝であったか、

 

玄関を開けると、

黒猫のくーちゃんが下に置いてある箱の中にいた。

 

「懐かしいですね~、久しぶりですね」と話しつつ、

 

カリカリのご飯を袋から出して

 

近寄ると、

これまた懐かしく、シャーと挨拶してくれた。

 

 

全く慣れない。

 

 

 

黒がご飯を食べているので、

茶トラの空き箱を眺めようと思ったら、そこに茶トラがいた。

 

 

静かに、

 

それは静かに、

 

まったくわたしと目を合わさず、微塵も体を動かさず、じっとしていた。

 

いつものようにごろんと丸くなるようなしぐさや、

あくびをしながら、ニャーと鳴くような無邪気さを通り越して、

 

慎重さを選択した末の、静けさであった。

 

決して話しかけるな。

 

わたしに餌をくれるな。

 

無視してくれ。

 

早く立ち去れ。

 

そんな声が聞こえるように、銅像のように固まっていた。

 


 

こうして、この朝の茶トラは

無事に、黒に気づかれずに、茶トラの暖かホカロンに包まれた

寝床に座り続けることに成功したのであった。

 

 

茶トラの凝固姿を思うだけで、笑ってしまう古代文字研究あんどうでした。

 

 

 

⑴   秦代の篆書と漢代に提示された篆書の違い

 

以前、秦の始皇帝時の、現存する泰山刻石と琅邪台刻石を調べた。その時に、刻石の字形が『説文』に提示されている篆書と異なっていた。

この違いは、秦が滅んだ時代背景を探ると、この両者の違いが見えてくる気がする。秦の刻石の破壊とも関係がありそう。

 

漢代の司馬遷(前一四五~前八六年)が、太史令であった父親の司馬談(しばたん)を継ぐ形で行った歴史の記録、正史『史記』の秦始皇本紀には、最も早く建てられた嶧山刻石の文のみ全く記されていない。

 

 

 

 

 

西嶋氏に拠ると、始皇帝の政策が儒家を弾圧したことから儒教の敵とみなされたとあり、(西嶋定生(さだお)『秦漢帝国―中国古代帝国の興亡』講談社学術文庫一九九七年)鶴間氏は、秦末の、項羽と劉邦の楚漢抗争の混乱時において刻石の破壊が始まっていた(鶴間和幸『始皇帝の地下帝国』講談社)と記され、秦が滅ぼされて、比較的早い時期に秦の始皇帝の称徳碑が破壊の対象になったことは容易に想像できる。

 

 

前漢の武帝時、秦の所蔵庫に収集した歴史書を、太史令として目にしつつ、自らの足で探し求めて旅をした司馬遷をもってしても、繹山刻石の内容に関する情報は収集出来なかったのであろう。

 

 

 

 

 

 

このように、地図を見ながら、戦国期の文字を明確に探りたい

楚の国の竹簡も合わせて、

同一文字を添付する資料を多数作りたい。

 

ネットや本では、馬の文字ばかりが出てくる。

 

もう馬はよい。


それ以外の文字を作って添付したい。

 


 

 

『説文解字』を講読しつつ、戦国期の秦に敗れた六国の文字の整理をしたい。

 

戦国時代の七雄と言われた秦と六国の歴史の話

 

➀秦の始皇帝が統一する前の、戦国時代には、七国が覇権争いをしていた。

➁紀元前二二一年、今の西安から領土を広げた秦が勝利して統一。

➂古くは西安付近に都を置いた周の人が使っていた金文の字形を、秦が継承していたため、西周金文と秦の文字には大きな違いがなかった。

 

断絶がないため、文字変遷を辿る場合、甲骨文→西周金文→東周代(春秋時代)の金文、玉石の文字→東周代(戦国時代)の金文、竹簡や木牘(簡牘)、刻石(石鼓文や詛楚文)→秦代の刻石、度量衡、簡牘、帛(絹)といった出土文物の文字が継承されていく様子が辿れる。継承関係が明白なため、今の漢字と照らし合わせて接点があり納得しやすい。

 

ただ、戦国期の秦に敗れた六国の文字は天下の秦の文字に隠れてしまって、思い出すことさえできない。

『説文解字』序に記された「古文」(東方の斉や魯で使用された、簡潔な書体)や「籀文」(西方の、秦で使用された書体)と、この六国の文字を整理して明確に提示したい。

 

純粋に漢代の『説文解字』を読みたい

 

以前、白川静氏の新訂『字統』の甲骨文と金文調べを徹底的に行った。その時に『説文新義』も読んだ。『説文新義』では許慎が見られなかった甲骨文と西周金文を提示して、白川氏の思う字源を解説していたため、『説文』に関して批判的感情を覚えた。

 

いまはむしろ許慎に対して批判的意識は皆無。ここでは、甲骨文などの出土資料を提示して読むことはせず、漢代を眺め、漢代の『説文解字』に着目したい。

そもそも、なぜ許慎は、漢代になって字源を纏める必要があったのか。(動機については、参考図書多数あり、これより読む)

漢代の許慎の『説文解字』序における発憤の、何から刺激を受けて、書かねばならなくなったのかを調べて、巷の漢字マニアや、甲骨文と『説文解字』を繋げて話す甲骨文マニアや、白川マニアの許慎に嫌悪感を抱く方に丁寧に分かり易く提示して、許慎推しにしたい。

 

魯の年代記の『春秋』が、儒教の経典になるのはなぜか。

 

これまでは、孔子といえば、四書五経という理解であった。

それが、前漢の司馬遷の『史記』を読むと、前漢時代には、孔子といえば『春秋』であった。

孔子のふるさとの、魯の年代記、編年体で記された『春秋』。ここに孔子がどう関わっていたのか。そして、この『春秋』に、三つの伝『春秋左氏傳』『春秋公羊傳』『春秋穀梁伝』があることとも何か関係がありそう。この三つは、

古文◎と今文▲の二つに分類できるようである。

◎『春秋左氏傳』

▲『春秋公羊傳』『春秋穀梁伝』

 

漢書藝文志に記載された、壁中書と言われる儒教の経典を知りたい。

 

壁中書とは、秦の始皇帝の秦の焚書坑儒の時に、孔子の末裔が孔子の邸宅に壁を作って隠匿したと言われる竹簡や木牘。

漢代になって、孔子の邸宅を壊した際に発見されたという。その書体はなにか。

 

 

 

 

このような資料をお見せしつつ、

 

これより、『説文解字』序の購読をはじめたいと

 

話したいと思う。

 

噛まずに話せるかな~

 

甲骨文、西周金文マニア、

今は『説文解字』序に夢中な安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究会で、「説文解字序の講読させてください」と頼むのが、今日である。

 

『説文解字』序の講読について 1

 

として、まずは、自己紹介をする。

 

すっきりと自己紹介を簡単にすませるなど、

 

誰がしようか。

 

粘着力のある自己紹介である。

 

この人に講読をさせなかったら、

 

ただじゃ、おかないかも、

 

これはやべ~ぞ

 

と心の中で、教授たちが思わないといけないのだ。

 

(もしかすると、どうぞ、はい読んで、あれ、今日は購読しないの?なんでいまさら自己紹介なんかしているの?と聞かれる可能性もある)

 

 

 

 

1 自己紹介

書くという視点から、先秦代の筆で書かれた文字を探求している。伝世文献、出土文物ともに学者が整理した内容を基に、書きたいという方に向けて、資料の作成を行っている。(甲骨文は筆による下書きがあるため、書かれた文字として理解)

 

書道愛好者が、先秦代の文字に取り組む場合、一般的な書道より、容易で敷居が低く気軽と捉え、字源や内容、字形の知識不足のまま、一足飛びに書美の探求や技巧追究に移行しやすい。そのため、古代文字の手習い=学びという新たなイメージを伝えたいと考えている。

 

例えば、内奥に秘められた謎として、殷代の甲骨文から、肉筆の筆跡による鋳造された西周金文、東周代(春秋時代・戦国時代)の彫られた金文や直筆の竹簡などを時代順に提示した文字変遷を辿る行為によって、書く順番や筆法研究が可能となる(左に提示)。偏旁に統一される以前の字形を、正確に書きたいという方が、肌で感じ、腑に落ちるための資料を作ることが我が使命と思い、老男女問わず(若い人は皆無)、先秦代の文字を理解し、言語化でき、書作できる人を育成している。安東が筆で提示することは多々あるが、当時の書記者が筆で書いた文字を推定して提示することを意図している。

 

 

 

と説明してから、おもむろに、

 

次の例示をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後漢時代の許慎が書いた『説文解字』序を眺める前には、やはり年表が必要である。

これは縦に

殷から順に作ってみたものだが、

 

左から右へ、横書きの年表も作っていく。

いろいろな年表を作っていくことも、できそうである。

 

二カ月に一回の講読で、どれだけ自分が飛躍できるか楽しみである。

 

 

 

 

 

たのしいな~

 

甲骨文も西周金文も、説文解字序も大好き 安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 コピペをしているところが、大きく提示されてしまうのか、

文字の大きさがバラバラ・・・・

 

研究会にて配布する資料は、

文字が一定のため、ご安心を。

 

『説文解字』を知ろうと思って、一番初めに読むものは、

 

絶対、阿辻 哲次先生の 新装版『漢字学』これしかない。

 

阿辻先生のこの本、最高。初心者には、ルビがないと読めない。

研究者の先生は、慣れに慣れているから、「当たり前のように、みんな読めるでしょ」と思って

ルビを振らないが、読めない‼

阿辻先生は、これは‼というところに、ルビを振ってくれている。

この本が一番。

 

 

下部の写真は、国宝の唐代の『説文解字』

 

 

 ◎現行テキストデータベース 以下の()は備忘録。

 

・  『説文解字』平台(プラットフォーム)

(プラットフォームとは、電子機器を使う際の土台、基礎となるもの)

https://szsw.bnu.edu.cn/

(北京師範大学運営。複数版本画像あり)

 

◎大徐本

1 中國哲學書電子化計劃

(汲古閣本 後に四部叢刊初編に影印 民国8年(1919年)商務印書館刊行)https://ctext.org/shuo-wen-jie-zi/zh

2 中国学工具書提要(四部叢刊初編靜嘉堂文庫蔵 宋小字本)http://www.karitsu.org/kogusho/a2_stmn.htm 

3 自由的図書館 维基文库,自由的图书馆四部叢刊初編所収靜嘉堂文庫藏北宋刊本)https://zh.wikisource.org/wiki/

4 東方學デジタル図書館 汲古閣本の翻刻1881年(光緒7年)に淮南書局 kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/toho/html/A020menu.html

5 漢語多功能字庫 - 《說文》全文索引(1963年から2013年まで 中華書局影印陳昌治刊本)

https://humanum.arts.cuhk.edu.hk/Lexis/lexi-mf/shuowen.php

(陳昌治本は、平津館本嘉慶 13 年を底本として、見出し字を全て行頭に 位置するようにレイアウトしたもの。中華書局の影印本1963 年)

一篆一行本

 

 

◎小徐本

 

(小徐本北宋の張次立の校訂)

1 中国哲学電子化計画https://ctext.org/shuo-wen-jie-zi/zh

 

https://ctext.org/shuo-wen-jie-zi/zh

2 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(祁寯藻本)  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00031845#?c=0&

 

◎写真提示

1 (唐代書写と推定される残巻)

国指定文化財等データベース -木部残巻 

武田科学振興財団  (本紙 縦25.4cm、全長243cm 188文字 

徐兄弟の編纂より前の解説本を懸針体で書写。や蔵書印から、南宋の宮廷に所蔵され、末には莫友芝に所蔵され、19世紀中頃内藤湖南の手に渡

 

 

 

 

 

 った。内藤湖南の死後、杏雨書屋が所蔵した。1951年国宝。

https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/592

 

 

2 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/file/1071762.html

(清の嘉慶年代1800年代から同治十一年1872年)

◎底本として講読したい

国立公文書館 選者:許慎(漢)/校訂者:徐鉉(宋)文政9年1826年

https://www.benricho.org/moji_conv/setsumonkaiji/

 

 

3 なるほど漢字・『説文解字』西暦100年『説文解字』部首別目次 

(部首540クリック一つで部首が見られる 国立公文書館の『説文解字』のPDFも含む) https://www.benricho.org/moji_conv/setsumonkaiji/

4 文化遺産オンライン 漢検漢字図書館・博物館蔵https://bunka.nii.ac.jp/

(同治十二年(一八七三)陳昌治刊「一篆一行」本)

5 早稲田大学図書館所蔵の、古典籍総合データベース (1807年に額勒布が鮑漱芳所藏の宋刊本を翻刻したもの汲古閣本第五次修改本。

巻一~一五は五つ添付)

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn

 

◎『説文解字』関連

1  『漢字データベースプロジェクト』段玉裁注https://kanji-database.sourceforge.net/dict/swjz/v01.html

2 先秦甲骨金文簡牘詞彙資料庫 Lexicon of Pre-Qin Oracle, Bronze Inscriptions and Bamboo Scripts

3 复旦大学出土文献与古文字研究中心 龐光華:關於《說文解字敘》的解讀——與許國璋先生商榷-

4  Shuowen.org - 篆書字典 - 「說文解字注」在線查詢https://www.shuowen.org/

5 部首検索  古今文字集成http://www.ccamc.co/index.php 

6 企画展『所蔵品紹介 中国と日本の古辞書展』 | 企画展示 | 漢検 漢字博物館・図書館 [漢字ミュージアム](清・同治12(1873)年の写真提示)

◎参考文献

1 阿辻 哲次 新装版『漢字学「説文解字」の世界』東海大学出版会 2013年

2 福田哲之『楚墓出土簡讀文字における位相』 中国研究集刊. 2002年cks_031_001.pdf https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60994/cks_031_001.pdf  

『許愼に於ける「古文」理解の特色』日本中国学会報 1993年

45-02.pdf https://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2024/06/45-02.pdf

(福田哲之氏は島根大学特任教授 中国出土文献研究会

3 王国維

『説文今敍篆文合以古籀説』觀堂集林巻七藝林七 中華書局1959年

王國維:《說文》今敘篆文合以古籀說 - Powered by Discuz!

https://www.fdgwz.org.cn/forum/forum.php?mod=viewthread&tid=414&extra=page%3D1

『戦国時秦用籀文六国用古文説』1923年

『戦国時秦用籀文六国用古文説』疏証 吉林大学出版社 中国古文字研究 1999年)

4 高久由美 『説文』の古文籀文について1995年

lacs001006 (2).pdf

(新潟県立大学教授)

5 鈴木 

『汲古閣説文解字と派生諸文献小篆対照表』2020年

版本研究公開、広島大学情報メディア教育研究センター助教)

kaidai_20200512-1425.pdf

陳昌治本『説文解字』中華書局影印本の加筆箇所 2024年

日本残存陳昌治本『説文解字』の改彫状態2024年

6 遠藤 昌弘 訳注『説文解字』序ⅠⅡⅢ1996年(駒沢女子大学の紀要で、現在は京都芸術大学と大東文化大学の兼任講師)

7 説文会: 『説文入門』, 大修館書店 1983年(お茶の水女子大名誉教授の

 

 

 

 

 

 

()()(つとむ)氏)と学生との問答形式)

追々プラスしていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルチャー教室で、

 

Y原さんから「わたしが臨書する前にしていること、話していいかしら」と提案があった。

 

「もちろん‼」発表してくださることは大歓迎である。

 

タイトルを付けるならば、

 

西周金文の臨書する前に必ず行うこと

 

であろうか。

 

まず大前提となるのは、和紙の選択。

 

Y原さんは、華心箋という厚手の和紙。

西周金文は蔵鋒、逆筆を行う書体のため、薄い和紙だと破れる。

そのため、この厚手の和紙なら蔵鋒、逆筆に耐えられるため、最適。

 

 

1 西周金文の拓本と同じ倍率で書きたい。

つまり、同じ比率で一寸の狂いもなく、

超拡大して提示したい。そのためには、比率を計算

 

2 拓本の中央に縦と横の線を引いて、同じ倍率で拡大する和紙にも同様の線を引く。

 

3 どこに文字が配置されているか、縦行と横行に線を引く

 

 

「どうして寸分の狂いもない臨書作品を書くのか」

 

という問いには、

 

「出品する展覧会では、拓本提示を行うことが必須だから、拓本と違う臨書は出せないのよ」

 

と言った。

 

想像であるが、展覧会の臨書部門の作品鑑賞にて、

拓本と作品の違いを目にしてきたのかもしれない。

 

同じではなく、違いに敏感な方なのかもしれない。

 

 

 

だから、西周金文を臨書するのならば、書記者が書いた配置と全く同じ配置で書きたい。

 

書記者が書いた、筆の動かし方をしたい。

 

書記者が生きた、その時代を知りたい。

 

そう思って、長いこと我の教室に通ってくださっているのであろう。

 

正確を求める生徒さんである。

 

 

「自由に臨書する人もいるけれど、自分の最終目的は、展覧会出品だから」

 

と笑った。

 

 

そして、この生徒さんのスゴイところは、

 

表面的な臨書に止まらないところである。

 

「この間書いた『元年師兌𣪘(しえつき)』これ、凄いの。

 

これ、ぜんぶで9行あるんだけれど、ぱっと見、一番下まで文字が書かれているから、

 

1行に全部10文字で書かれているんだなと思ったのよ」

 

「そしたら、最後の行だけ、9文字だったのよ

 

 


)

西周金文を書いた、書記者が帳尻を合わせているわよ

 

「万年」を長くして、最後の文字をぴったりあわせる形にしているの」

 

「凄いわ~」

 

 

 

とホワイトボードの前で感心して、「こんなことを発見できるのが西周金文の面白さなのかもしれないわ」

 

そして、「むかしの人の息づかいを感じる瞬間が楽しい」と言った。

 

 

 

 

 

 

有難い。

 

素敵な生徒さんに恵まれて、心の底から、感謝している。

 

甲骨文、西周金文オタク安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

玄関を開けると、一目散に茶トラが走ってくる。

 

ニャー

 

高く、清々しい声。

 

ニャーと言いながら、ニャ~、あ~、あ~と大あくび。

 

ねんねしてたの?

 

ニャー

 

良かったね~、いまは(朝晩やってくる野良猫の)黒もいないし、幸せだね。

 

また大あくび。

 

眠いの?

 

ニャー

 

嬉しいね、柔らかいカリカリをちょっと食べなさい。

 

ニャー

 

(寒すぎる時は、この茶トラは、いかにも心細い声で、ヒーと鳴く)

 

こんな会話を幾度となく玄関先で、猫とチャッチボールしている。

 

「ねんねしてたの?」

この幼児語は、年を重ねた、いまの我の心と表情を柔らかくしている気がする。

 

子供が育つのは早く、「ねんねしようね」という言葉は、数年で卒業し、

明日は幼稚園だから、小学校だから、「眠ろう」「布団に入ろう」となった。

 

いつまでも幼児語で話せる、野良猫との会話が楽しい。

 

 

甲骨文、西周金文研究 安東麟

 

 

 

 

 

『説文解字』といえば、

 

篆書。

 

 

それしか分かっていない。

 

そんな私が、『説文解字』の講読をしたいと名乗りを上げた。

 

書文化研究会での講読である。

 

2月の16日が第一回目となる。

 

2月、4月、6月、8月(夏休みだったか?)、10月、12月の隔月の

18時半から、

会場は、明治神宮前駅下車数分のところである。

 

 

『説文解字』の序文は、叙なのか、敍なのか、序なのか、それさえ分かっていない。

 

 

 

さて、

東京で開かれている

学者を中心とした書に関係する書文化研究会は、書家も仲間に入れてくれる

心の大きな研究会である。

 

ただ、この研究会に行き始めたころ、

「この人は誰だ」「書家って言ったかな」

「この安東さんの、出自はなにか」「さあ、知りませんね、自分とは無関係の方なので」

「この人は、何者なのか」

と幾度も、名誉教授と教授の話す声を聞いた。

 

数年経ったいまでは、「この人はなにものか」と問われれば、

皆さん口をそろえて「甲骨文を調べている人みたいですね」と言ってくれるはずである。

 

 

そして、今年の、2月から輪読、講読したいものを大募集されたので、

 

輪読はだれにもさせず、わたしだけがしっかり読みたいものとして、

『説文解字』叙に手を挙げた。

 

2月に無理やり承認してもらい、10分でいいから、講読させてくださいと願い、

皆さんが、そうだね、どうしようかな

 

と言っている間に

 

資料を配布して、わたしが

 

いま、なぜ、『説文解字』叙を読みたいのか、

 

いま、なぜ許慎の心に注目しているのか、

 

講読をすることで、安東は何を取り入れようとしているのか、

 

そんなことを熱く語ろうと思う。いや、その熱さを資料に書いておいて、それを読もうと思う。

 

 

まずい、来週に迫ってきた。

 

何も、まとまっていない。

 

 

まずいことになった。

 

 

甲骨文大好き安東でした。

 

 

 

鶴間先生は、

 

NHKで秦の始皇帝関連を取り上げる時に、解説をする学者として知られている。

 

その鶴間和幸先生が、練馬で、一般向けに『史記』の解説を行い、

 

時に、始皇帝について語っているよと教えてもらったのは、いつのことであったか。

 

もう何年になるのか、いまわたくしは幹事の一人となっている。

 

 

鶴間先生の凄さは、

 

静かに拝聴していたかと思いきや

「話は違うんですけど~」から始まる、おばさまの、

日本や中国の国を越え、また、時代をも簡単にとび超えて語る歴史の話や、

 

「あの~、論語ではね~」という『論語』を中心に歴史を眺め、世界を語るおじさまの意見を

上手に聞きながら、もとの秦や漢代の世界に話を戻していくことだと思う。

 

軽くあしらったり、眉間に皺を寄せて、

 

「君、時代が違うよ‼」


など一度だって言ったことはない。そんな表情もしたことはない。

 

いつもにこやかである。

 

さすが、学習院。

 

 

さて、昨日は、『孟嘗君』に入る前ということで、

 

『史記』の叙述についてという司馬遷の歴史観について纏めたものを配布された。

 

鶴間先生は、ご自分が発表されるものなどを、一度、この練馬の小さな生涯教育講座を使って、

読み、誤りを発見し、読みにくいところを発見し、その手ごたえを見ることにしていると思う。

 

20名ほどの会員は拝聴し、

 

先生が、それはまあ、お優しいお声で、

「ここまで、何かありますか」

とお尋ねになる。

 

そうすると、会員たちは、

「この何行目の意味が分からなかった」といった意見を述べる。

 

論語のおじさんは、論語の世界から、必死に読む。わたしだって同じだ。

古代文字のおばさんだから、文字の世界から、必死に読んで、意見を述べる。

 

今回、鶴間先生が御纏めになった司馬遷に関して、自分が理解できたところを

次のページに纏めて記述していきたい。

 

 

 

 

 

以上、史記を読む会についての話となった。

 

史記を読む会

 

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先秦代の甲骨文や金文という漢字のルールを書きたいという方のための、

書の教室を開いている。

 

今ではどこのカルチャー教室でもホワイトボードで、

黒板はまったくなくなった。

 

ただ、

 

だいぶ前の話で恐縮であるが、以前は黒板しかなかった。

 

塾では時間講師として小・中・高、学校でも講師として中・高の方々に、

国語のお勉強の仕方を伝えていた。

 

30年ぐらい前のことであるが、その時に気を付けていたことといえば、

黒板に書く文字を大きく、太く、一番後ろのお子様でもはっきり見えること。

 

黒板に書きながら、自分の体でみなさんが文字が見えなくならないために、

文字を綺麗に早く書いて、

すぐに移動して、書いた文字を皆さんにお見せしていた。

 

早く書き過ぎるため、チョークを持つ手に力が入るため、

いつでもどこでもチョークを割っていた。

 

 

チョーク割りの名人とされた。

 

また、イヤリングも飛び散らせるナンバーワンであった。

 

揺れるイヤリングが好きすぎるため、

どこでもプラプラするイヤリングをして行っていた。

動くイヤリングは、話しながら、首を動かしたりすると、飛ぶ。

 

どれだけイヤリングを飛ばすのよと、いまでも言われるほど、飛ばし名人である。

 

さて、

 

数日前、夕方帰宅した時に、玄関先で野良猫のくーちゃんに話しかけたとたんに、

 

イヤリングが飛んだ。白くて丸い真珠のイヤリングだった。

 

いつものように

 

飛んだイヤリングを拾って耳に付けた。

 

 

目の前の、野良猫は固まり、

黄色の目が真ん丸くなっていた。黄色の目は我の耳に揺れるイヤリングを見ているようであった。

 

野良猫が

人の耳にプラプラと揺れるイヤリングを認識した、はじめての夕方であった。

 

 

甲骨文マニア安東麟でした。