以前作った時の資料では、
石鼓文の文字を
どうすることも出来ませんでしたが、
走と散を合体させた文字を活字として打つことができました。
あ~、すごいな。
感動しています。
もう目が限界な安東麟でした。
以前作った時の資料では、
石鼓文の文字を
どうすることも出来ませんでしたが、
走と散を合体させた文字を活字として打つことができました。
あ~、すごいな。
感動しています。
もう目が限界な安東麟でした。
https://zh.wikisource.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%BC%93%E6%96%87/%E7%AC%AC
ネット調べは当たり前の毎日。
石鼓文の資料を補足するには、
これが役立った。
小篆を調べ続け、目の焦点が合わない安東麟でした。
多摩センターのカルチャー教室で、
篆書とは何ぞやという授業を行った。
篆書の広義として、篆書の範疇には甲骨文も入るのです、だから、甲骨文を学びましょと言いたかったのだが、
「では、狭義の大篆と小篆を見せてください」と、帰着してしまった。
「え~、はい、では次回、石鼓文をお見せして、その後は、小篆の泰山刻石などをお見せ致しますね」
と笑顔で言った。
あらら~。
また、甲骨文から遠のいてしまった。
それで、今朝から
来週の多摩センターのカルチャーに向けて、
せっせと懐かしの石鼓文(せっこぶん)を手直ししている。
大篆というのは、小篆という文言が出来てから、それよりも複雑な字形ということから名づけられた名称で、
『説文解字』序で、秦の国で使用された「籀文」として提示されている文字を、大篆とするという理解でよさそうである。
石鼓文は、大篆の代表格と言われている。
戦国時代の秦の国で使われた文字を籀文=大篆というのなら、
秦の詛楚文(そそぶん)なども大篆の範疇に入るため、字例として使える。
そもそも大篆とはなんだろう。
そもそも籀文って何だろうか。
そんなところは、『説文解字』序を調べれば、解決できるはずである。
それはまたじっくり行うとして、
以前作った石鼓文の資料は、いまから思うと稚拙であるが、
少し若きわたしが、スキャンした文字を一つずつ添付して、同字比較を行ったものがある。
複雑な字形の大篆(籀文) → 簡易化した字形の小篆へ
という構造を見せるために、いくつか添付している。ただ、その比較が足りないし、腑に落ちる文字を添付していない。
大篆、籀文って、小篆と比べて、そんなに複雑なんだろうか。
高久由美先生の資料によると、『説文解字』の籀文は207文字とある。
そこで、
さきほどから、『説文解字』に掲載されている籀文を調べようと、
また、懐かしの白川静氏の新訂『字統』を開いて、籀文さがしをはじめた。
どうせ、古文も探すことになるのだからと、
古文と籀文があったら、付箋を横と下に貼っていった。
「あ」から、「き」まで一気に調べた。
もう、目がぐるぐる回ってきた。
首が痛い。
こうやって、年を取っていくのだ。
目が日に日に小さくなっていく気がする。
焦点が合わなくなった目で青空を眺めて溜息をついた。
小篆と籀文の字形差のあるものを探したい。
甲骨文を調べられず、他の世界ばかり追求している、
甲骨文マニアの安東麟でした。
那須湯本バス停を降りて
すぐ目の前の階段を降りると、500円で入れる
風情がある日帰り温泉の鹿の湯がある。
女性のお風呂は、41.42.44.46度の四角い、四つの風情ある木枠のお風呂と
その奥に広い42.5度のお風呂があり、こちらは段々になった石から熱いお湯が流れ落ちていて、
石は黄色く変色している。みな、端に背を付けて目をつぶっているが、わたしはこの石から落ちる熱い湯を見ているのが、好き。鹿の湯は3度目である。
高い屋根に付けられた窓から差し込むお日様が、
硫黄の真っ白なお湯に降り注ぐ。
一泊二日那須湯本旅。
また、硫黄の香りを嗅ぎにきた。
今回は友人との二人旅であった。
以前から知っている方なので、一人旅&一人旅で、
食事の時は一緒にといった感じで、それぞれ好き勝手。
初日の鹿の湯は、44度にはどう頑張っても入れなかったが、鹿の湯を引いている
お湯の旅館に泊まり、幾度も幾度も、幾度も熱いお風呂に入り続けた結果、
2日目の鹿の湯は、始終44度に入った。おそらく前日よりもぬるめだったとも思う。
さて、鹿の湯周辺には、旅館と民宿、大型旅館もある。
多くの人が車。
我らのようにバスに乗ってくる観光客は少数派。
車という手段がないため、とにかく歩いた。
散策するには、一人旅でない方が良さそうだ。
小さな、小さな小鹿の湯に入り、「なぜこのような丸い露天風呂にしたのか」と話し合い、
お土産屋、温泉神社から殺生石、民宿に宿泊した人しか入れない滝の湯を外から眺めて、
「民宿と旅館の違いは何か、なぜこの日帰り温泉の滝の湯は、民宿客限定なのか」と言いつつ、
チラつく雪の中で歩くのは最高であった。
山が死んでいるようなさまは、
その昔から、賽の河原とイメージが重なったのであろう。
地蔵が多数あり、その赤い衣が冷たく吹き荒れる風に始終動いていた。
「これ、一人で歩いていたら、あまりの寂しさと怖さに泣き出すわ」と友人に感謝の意を述べた。
たまには二人旅も良いと思った、甲骨文大好き安東麟(あんどう りん)でした。
甲骨文の本の執筆をしている。
そして、東京で、甲骨文と金文を書ける書の教室を開いているため、
その資料もせっせと作っている。
いまだからこそ、重点的に甲骨文の資料を作らせてほしいのだが、
「甲骨文はね~、ちょっとアレだから、金文にしてもらおうかしらね~」
と生徒さんのボスに、ぼやかされて、
天来書院のテキストシリーズの金文を見開き1頁の中から選んで、
天来にある金文を書いてみようを昨年からやっている。
どこの教室にも引っ張ってくれる、上品で活力がある、ボスがいる。
なぜかすべての教室のボスが甲骨文を敬遠するため、
いま、わたしの教室では甲骨文ではなく、金文となり、金文の資料を作成し続けている。
ただし、わたしのように資料を自分で作っている方には共感していただけると思うが、
資料は、作れば作るほど、見えなかったものが見えてくる。
昨日まで全く分からないと首を捻っていた文字が、いまは、
半紙に、ホワイトボードに書いて、みなに説明できる。
こんなに気持ちの良いことはない。
また、研究会にて『説文解字』序の講読をするために
東周代(春秋・戦国時代)、秦、漢代の簡牘資料を調べ続けている。
そしてまた、史記を読む会の会員のため、調べる時間を取られ、
先秦代と漢代の世界を漂っている。
数日前から持病の首の痛みが気になり始めた。
そのためなのか、
甲骨文の病に関して纏めはじめた。
以前は、病気になると、
正岡子規の病床六尺を読んでいた気がする。
甲骨文の病については、
古代人も病気になったとして、身体の疾病に関係する甲骨文を探して、拓本を貼って、トレーシングペーパーでペン書きして、スキャンして纏めている。
今朝、甲骨文の首の疾病を纏めることができた。
甲骨文の首の病を纏めながら、
首の痛みに耐えられなくなり、
頭をささえるために、サポーターを首に巻いて、久しぶりに恥ずかしい姿となったが、
今朝は気持ちが良い。
甲骨文の資料を作り続けたいが、そうもいかない
書家の安東麟(あんどう りん)でした。
以下は、本日生徒さんに説明をしようと思って纏めたものである。
昨日朝の7時から16時半迄
ネットで読める研究論文をゲットしつつ、
いつものように、篆書についての一般人や研究者のご意見を頂戴し、
自分が今まで纏めてきたものを手直しつつ、纏めた。
◎篆書の概念
広義と狭義がある。
広義には、秦代以前(先秦)に使われていた書体を指す。殷代の甲骨文、西周代の青銅器文化の中で洗練された金文、東周代(春秋・戦国時代)の青銅器に彫られた金文、石に彫られた石鼓文(秦)を含む。
狭義には、秦の始皇帝時に制定された小篆を指す。
1 広義の篆書
篆書とは甲骨文や金文を源流とする書体。最初の書体、スタイルを一括りで篆書という。
ちなみに「以」は、人が物を持つ、携える姿で、持つ物は抽象的に楕円形で表示されている。人が物を持ってくる様子から、もたらすの意味。そこから派生し、ひきいる、何かを行うため手段や方法もってなどの意味。甲骨文には人の姿の字形少数ながらあり。
◎篆書の美とは、狭義の意味からの発想?
2 狭義の篆書
キーワード 均整 厳格
篆書といって思い描くのは、秦の始皇帝によって統一された小篆。小篆といって思い描くイメージは刻石。
篆書には、秦の国が大きく関わる。
秦の始皇帝時に文字統一 → 秦系文字の正統化(周王朝から続く正統な継承者たることを自負)。そのために、六国の文字を排除して文字統一。
秦は西周末期に甘粛省の西の地に勃興し、西周から東周へと東遷した後に、西周の故地に移り、周の遺民を収めつつ、周の文字文化を継承。戦国末に、秦国以外の国が他国を滅ぼしていたら、文字は変わっていた。
始皇帝が建てさせた刻石は、他の六国を滅ぼした秦の国と、始皇帝の権力誇示のため、威厳が漂う、厳格さを前面に打ち出した字形であった。(秦代の簡牘に書かれた文字あり。秦代の実用的な文字の記録は秦隷と呼ばれる早書きの文字。刻石は明らかに威厳を出すために考案され設計された文字)
権威や格式を示すのに適していることから、篆刻、印章として現代でも使用されている。格式・信頼に繋がる篆書を使用する理由は他にもあり、曲線が改竄防止、偽造防止に効果あり。
刻石の一文字は縦長で、黄金分割比の文字といわれるほど、均整のとれた美しい字形は、字体構成の規範ともいえる。
漢代の初の字源辞典『説文解字』の親字として提示された。後漢の100年に許慎が纏めた『説文解字』の著は,小篆を部首によって分類し、各文字の字義、字形の構造などを説いた字書である。
◎狭義の篆書のイメージ
威厳を強調した書体として発展したため、威厳が醸し出され続ける。
曲線から優雅さを感じ、力強い印象が特徴。「優しさ」と「力強さ」が両立する書体。
優雅で洗練された字形と、悠久の歴史を感じさせる重厚感。その曲線美や左右対称の構図は、見る人を魅了し続ける。
◎小篆とは
大篆=籀文は、秦の始皇帝によって統一された小篆の起源となった書体。
戦国時代の秦国で使用されていた複雑で画数が多い大篆を整理、簡略化したのが小篆。
〔東周代(春秋・戦国時代)以降の竹簡や帛書の文字は、後の隷書体に近いため、秦隷。〕
◎籀文とは
『説文解字』敍及び、『漢書』藝文志によれば、西周時代の宣王期の大史という官職にあった史籀が編纂したとされる『史籀篇』の字書の文字を籀文という。
(おそらく、「昔々あるところに・・・」というような言い方と同じで、後の人が、だいぶ昔の周代には、もはや子供に文字を教える字引き、漢字学習書があったのだと認識した。伝統的な周を引き合いに出すことで曲線多様の文字を王室の正統書体として権威づけたのだと思う。周の時代には、もはや文字は、集大成されていたという尾ひれをつけて。
日常、西周金文を眺める者からすると、西周の宣王期の金文は、金文であって、籀文ではもちろんない)
(『史籀篇』が編纂されたという認識は、西周時代の宣王期によって文字統一が果たされたと認識されたことを意味するという。高久由美takaku.pdfhttps://www.tufs.ac.jp/common/is/kyoumu/pg/pdf/takaku.pdf)
ネットからは、大学の研究者の先生たちが記述した論文から、知識の欠片を頂くことができる。
目はたいそう疲れるが、
これまで知らなかった知識、俯瞰の視点を知ることができるため、大変参考になる。
『説文解字』序を纏めるために、
篆書ってなんだ、小篆ってなんだ、籀文ってなんだろう、
そもそも『史籀篇』ってなんだよ
と思っているのである。
昨日は、
人参を切りながら、
なんで西周時代の史籀なんだろう
と思っていた。
甲骨文の本を纏めないといけないのに、
金文の資料を作り、篆書を思考し、『説文解字』敍の周辺を読んでいる安東麟(あんどうりん)でした。
越後湯沢にて、
スキーを楽しみ、
温泉を楽しんだ
温泉同好会のメンバーは、
みな、痩せている。
「温泉を出て、すぐに服を着たら負けよ」
「バスタオルを巻いて、ゆっくり、ゆったりした調子で、
化粧水を付けて、ガラスに映った自分を眺めたりするのよ」
と言うと、
「痩せてるとさ~、バスタオル、落ちるんだよ」
とガリガリ一号が言う。
「そんな風に、余分なお肉が付いていると、バスタオルが巻けるけど、
前も後ろも余分な肉がないから、バスタオル落ちるんだよね」
と、わたしの身体を指さして、さも見下した様子で、ガリガリ2号が言う。
(ちなみに、ガリガリとは、わたしをデブという友人に対して、反撃する際の文言である。
決して、知らない人にはこんな言葉は投げかけない。)
え‼
引っかからないんだ・・・
細くて薄い棒のような体だから、すぐにバスタオルが落ちてしまうのか。
だから、脱衣所で、
すぐさま服を着るのか。
へ~。
以上、バスタオルを巻ける安東麟でした。
甲骨文の内容の面白さを、全国の書道愛好者に伝えたいと思っている。
温泉同好会を結成している。
今回、4名はスキー、わたくしを含む2名は温泉三昧の、
6名で越後湯沢に行った。
スキーを楽しんでいる中、我ら2人は、
越後湯沢駅周辺の日帰り温泉を探した。
次の日の、帰りの新幹線の前にスキーを楽しんだ4人に
厳選した温泉に入っていただこうという思いで、
とにかく
日帰り温泉に片っ端から入っていった。
山の湯は、他のお客さんがいたら、この静かな雰囲気は感じられなかったであろう。
お日様がお風呂を明るく照らし、
源泉かけ流しのお湯が、タイルを流れていった。
最高。
ただ、立ち寄り湯は、6人で入るには狭すぎる。
そして、スキーを楽しんでいる彼女たちは、
おそらく
「化粧水はあるかしら」
「ドライヤーをかけたいわ」
「お風呂が熱すぎたら、わたし、入れないわ」
と言う。
バスタオルを巻きながら、脱衣所にある化粧水をバシャバシャ付けて、
座って、ドライヤーを独占するのであろう。
彼女たちを満足させるのは、源泉かけ流しのお湯ではない。
風呂の大きさと、脱衣所の快適さである。
そこで、
旅館の日帰り温泉に照準を定めて入った。
脱衣所もお風呂も趣がなく、小さい。
お風呂が暗い、座りにくいなど。
どうにも決定的なところに出会えないまま、
お昼を食べようということになった。
歩き出して、いつもたくさんしている指輪がないことに気が付いた。
時計もない。
「あ、一つ目の温泉で、指輪を外して、そのまま忘れた~~~」
「ダイヤモンドの指輪があるのに」とも言った。
温泉同好会の友人が血相を変えて、
「お昼なんかいいからすぐ戻ろう、フロントに電話して」と。
雪の降る中、ひたすら歩く。坂を登り、初回の日帰り温泉のお宿に着いて、
ドアを開けたとたん、フロントの半被を着た方が「あ、指輪の方ですね」と言って
指輪たちを持ってきてながら、
「この女性が届けてくれたんですよ」
と、女子大生を指した。
有難うございました~
申し訳ございませんでした。
と感謝の意を述べていると、温泉同好会の友人が
「お礼にジュースでも渡しなよ」と言いながら、「自販機ありますか~」と従業員さんに聞いた。
ただ、
急ぎ、温泉を探している途中であるし、お昼も食べたいため、
女子の前に進み
「なまのままで申し訳ございません。これで自販機でどうぞお求めください」と
千円を可愛い女子にお渡しした。
女子大生は「いらないです、指輪を届けただけなんで、ほんとにいらないですよ」と拒否。
すると、すかさず温泉同好会の友人が
「大丈夫よ、この人、富裕層だから」と。
すると、女子は「やったー!ありがとうございます~」と言って、飛んで、踊った。
温泉で指輪を置き忘れ、急に、富裕層になった。
そして、
にこやかにお昼を食べながら、
富裕層発言のフォロー最高の友人が
「ところで、ダイヤモンドはどれなの?」
と聞いてきたので、指にはめている一つを取って、見せた。
「え?」
「これ?」
と言って、解せない顔をした。
「一ミリだって、ダイヤモンドは、ダイヤモンド‼」
と言って反論した。
友人は解せない表情を浮かべつつ、
指輪を返して、何も言わず、そばをすすった。
以上、越後湯沢の思い出なり。
甲骨文マニアの安東麟でした。
安東麟は史記を読む会の幹事をしている。
一番若いから、施設取りは任せましょうと言われ、
数年前から、月はじめの1日の9時きっかりに、パソコンの前に座り、
9時1秒に、カチッとクリックして
施設を取るという役目をしっかりこなしている。
一番危ないのが、1月。
「おせちですよ~」
などと家族と話して、お正月気分でいたら、アウトである。
3月の施設が取れなくなる。
月はじめの1日に、二か月後の施設を予約するのだ。
先ほども、いつものように1日なので、5月の施設を取ってホッとしたところ。
9時1、2秒のところで、クリックして、
画面を変えて、またクリック。
少しでも間違えると、どこかで同じ画面を見ている、どこかの誰かに負ける。
数か月前に、甘く見ていたのか、モタモタしていて、クリックしたら、
「他の方が選択済み」として、急に〇が✖になって、取れなくなった。
だから、どこかの誰か、見えない敵といつでも戦っている気がする。
どこかの誰かに勝ちたいと心の中で燃える。
「施設取り、大変でしょう」と言われるが、
これは自分との闘いではないのだ。
誰かとの勝負である。
本日も勝って、
一人、
「良し」と小さく言った。
史記を読む会の幹事 甲骨文、金文探求の安東麟でした。
秦の始皇帝研究の第一人者である鶴間和幸先生が、
一般の方向けに、
漢代の正史『史記』のほか、秦・漢代の新たな出土文物をご紹介くださいます。
これまで数回、司馬遷についての資料をお読みくださっておりましたが、
3月からは、孟嘗君に入ります。
テキストは中華書局 史記『孟嘗君列伝』
3月9日 ココネリ 13時30分~15時30分
16日 貫井地域集会所 13時30分~15時30分
総会15時35分から16時まで
4月13日 ココネリ 13時30分~15時30分
27日 サンライフ 13時30分~15時30分
5月18日 ココネリ 13時30分~15時30分
5月はもう一回あります。
(サンライフは10日の抽選待ち。 サンライフの抽選に落ちたら、すぐさま貫 井地域集会所を取ります。)
会場取りと幹事をしている安東麟でした。
史記を読む会アピールを終わります。