天来書院『甲骨文』二番
・ねらい 天来書院発行のテキストシリーズ『甲骨文』を使用し、字源は落合淳思氏の著書に拠り、殷代の時代背景や字形の細部を探求する。
甲骨文合集一〇一二四 http://www.guoxuedashi.com/ https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/
甲骨文の占いの場合、亀甲は、背中の甲羅ではなく、腹甲を使用。腹甲の地面につく方が、正(表側)。
占卜前に、腹甲を四ミリ程度の厚みに加工し、正(表側)に、卜字形のひび割れを出すために、反(裏側)に円形の鑽と鑿の窪みを削っておく。
占卜儀礼では、鑽に熱を加えてひび割れを起こし、王はひび割れの角度を見て占卜した。
この亀甲は、穀物に関する吉凶二つの占いであるが、合計四〇ものひびを作っている。吉と出るまでひたすらひび割れを入れ続けたのであろう。(後には、ひび割れは少なくなる)
甲骨文は肯定文、否定文の一対で問うのが通例で、文の中に「貞ふ」の文言があることから、①②を対貞という。
対貞①②の貞人の問いかけの後、王がこの亀甲のひび割れの形を読み取って、吉凶禍福の判断を下す。王の判断した言葉が③であり、ここでは、裏側中央にある。これを占辞という。
◎天来二番の六頁の説明
➁の最後の文に「二告」とあるが、天来七頁に、二告は兆辞と説明があるため、占卜内容ではないため、読まない。
◎天来➀「隹」の骨書き
佐野氏は隹の足の形が見難いため、骨書きに書かなかったが、ここでは同版上の左右反転形の「隹」を参照して、足の形を付してトレースした。
その理由は、次に考察するが、古代の書記者が「隹」字を記す時には、足の形を加えることを基本としているからである。
◎天来七頁の骨書きにて「隹」(五文字目)の羽を鳳のように書いているが、「隹」にそのような字例はない。
また、七頁の「由」字の骨書きには、余計な横画を加えている。
◎「帝」について
落合氏に拠ると、「帝」は、甲骨文に占卜を刻しはじめた武丁王の主神であったという。
主神とは、祭られている祭神の中で、中心となる神。(主神(シュシン)とは? コトバンク (kotobank.jp)
「帝」は武丁代に刻された甲骨文では、殷を建国したと考えられた祖先神や、祖父や亡き父の神、または、岳や雲などの自然神よりも、機能が大きく、戦争の勝敗も、殷王が作った都市(「邑」)の運命をも左右するという存在であった。武丁は、主神として「帝」の神を設定し、その信仰を司ることで、自身の宗教的権威を高めようとしたのであろうと記述する。
つまり、天来六頁では「甲骨文の記録」と記述するが、甲骨文すべて、殷代後半すべてに、帝の信仰があったのではなく、二一代の武丁王が信仰した絶対神だったのである。字源は落合氏は、殷王の武丁の主神「帝」を祭る机の形、白川静氏は最も尊貴な、帝の神を祀るとき、酒食などを載せる台の形として、台の交叉する脚を中央で結んだ大きな祭卓とする。
◎「年」字について
穀物の象形である「禾」と人の側身形で、収穫した穀物を掲げている、あるいは担いでいる形で、甲骨文では、穀物の実りや収穫の意味。
収穫が一年に一回であったことから、西周代以降、「とし」の意味で使うようになった。ちなみに、殷代に、一年を指す文字としては、「歳」、「祀」字が用いられている。
甲骨文で「年」と読むと、年の意味と勘違いされるため、「年」と訓読みで読む。天来六頁では、「その年の収穫が」と記されているが、甲骨文の「年」には、一年の意味はない。
◎「 」について
字形は、上部が、横を向いた人の足の形。下部が、蛇の形で、たたりの意味。ここでは、天来に拠って、足の形「止」と蛇の「它」を合わせて隷定した。(隷定とは、古漢字の構造を活字で転写する方法)
隷定字の加工は、ネットの GlyphWikiを使用した。
以上、池袋の勉強会の
天来書院テキストシリーズ甲骨文二番の甲骨文講読資料であった。
甲骨文マニアのおばさん安東麟でした。





























