O田さま、『徳方鼎』の筆文字資料がいまだ作れず、申し訳ございません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

O田さん、臨書していて、気づきましたか?

 

この文字

 

 

どこから書きましたか?

 

 

 

 

 

 

 

安東は気づいて、

 

 

にや~っと笑いましたよ。

 

 

たぶん、本当に笑っていたと思います。

 

 

 

 

 

これこそが、金文マニアの一番アツくなる瞬間ですから。

 

 

 

これぞ、激アツポイントです。

 

 

 

 

 

古代人が書いた筆順が見えること。

 

 

 

徳方鼎で興奮するなんて、思いもしなかったです。

 

 

初めに、

 

「王」から書きました。

 

 

 

でも、「王」にしては二画目の横画が下がっているなあ。

 

変な形だな~。

 

なんだか変だな。

 

と首をひねりました。

 

 

 

 

あ‼

 

 

そうか、武王を意味する文字だから、「武」から先に書いたんだ‼

 

「武」の文字は、いまの漢字とは少し違っていて、「戈(か)」と「止(し)」の字形。

 

武の「戈(か)」から先に書いた古代人は、

 

この「戈」の1画目の長い横画と繋がらないように、「王」の文字を書きながら、

 

少し変形させたんだ。

 

 

戈を先に書いたことが、王の変形で、分かった‼‼

 

そうか、そうか

 

 

激熱(ゲキアツ)~‼‼‼

 

 

 

そして、

 

たった一文字とはなりましたが、こうして筆文字資料が出来たというわけ。

 

 

 

 

 

 

あ~、資料作りって、楽しいな~。

 

あ~、金文って面白いな~。

 

 

一生涯、西周金文マニアの

安東麟でした。

 

 

 

 

まだまだ『毛公鼎』資料の、

 

 

隷定作業の真っただ中

 

 

 

 

 

 

この文字は、おそれるの文字だから、

 

「懼」の字を当てたい。

 

でも、当時は忄(りっしんべん)ではないから、「懼」を当てるとおかしい。

 

下部は走饒(そうにょう)。(走る人の形と道路の「彳」と足の形の「止」)

 

だから、「𧾱」を書いてから、その下に懼れるの意味として「懼」を書いた。

 

 

あ~、楽しい。

 

 

 

 

 

たった一文字に、

 

数十分かけて、ひどい時は数時間かかって

悩んで、探して、打って、首をひねって

 

やっと出来た書道資料は、

 

数秒で語って終わるんだよなあ。

 

 

 

でも、漢字辞典でさっと探して、該当する文字があって、コピーして、資料に貼れると気持ちがいいなあ。

 

 

漢字「懼」の部首・画数・読み方・意味・筆順など

 

 

 

 

暑いけれど、気持ちいい。

 

 

西周金文マニアの安東麟でした。

 

 

 

真夏の空が広がる中、

 

 

西周金文の『毛公鼎(もうこうてい)』の隷定(れいてい)作業を行っている。

 

資料を作るためには、この古代文字を漢字に直して提示する隷定作業が必要なのである。

 

書道家であるが、

 

大筆は持たず、9割8分PCの前に座っている。

 

 

 

 

これが隷定。

 

「家」ではあるが、「宀(ウ冠)」ではなく、

 

「豕」の回りを丸く囲んでいるので、

 

隷定(れいてい)した「圂」の文字をまずは書いておいて、

 

その下に(家)と書くのである。

 

 

漢字「圂」の部首・画数・読み方・意味など

 

 

漢字辞典には次のようにあった。

 

 

もちろん、『毛公鼎(もうこうてい)』という古代の青銅器の西周金文(せいしゅうきんぶん)で

 

ただただ

 

隷定した文字にすぎないので、

 

 

これは豚小屋や、便所を意味しているわけでなく、

 

西周(せいしゅう)時代、当時の「家」を意味している。

 

 

 

そんなことを考えながら、

 

 

資料を作っていたら、急に

 

そういえば、

 

 

 

うちの夫、

 

東京育ちで、健やかに育っているけれど、

 

お手洗いのことを、「便所」って言うわ

 

 

 

そう思った。

 

外では流石に言わないだろうな~。

 

 

昭和の男だわ。

 

 

 

西周金文で「圂」を隷定して、

 

夫の言い癖を思い出す妻であった。

 

 

 

 

 

金文マニアの安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまは『毛公鼎』の一文字ずつ、

 

隷定(れいてい)作業の真っ只中。

 

面白い文字があった。

 

 

 

 

豕の回りを囲っている字形なので、

 

これを隷定しないと~と、思っていたら、

 

先人たちがちゃんと隷定してくれていた。

 

 

有難い、ありがたい。

毛公鼎の「家湛于囏」の家の隷定が簡単にネットから引っ張ってこれた。

 

 

「圂」は安東お気に入りの漢字辞典にもあったので、文字のコピーも簡単に出来たんだなと思った。

 

漢字「圂」の部首・画数・読み方・意味など

 

 

 

 

 

「圂」字は豚小屋、便所、家畜を意味するんだ~。

 

 

 

これは、毛公鼎の字形を今の漢字(いまの活字)で表記すると「圂」の形ですよと

 

隷定作業を行っているにすぎず、

 

間違っても、

 

この文字を便所と訳さないでいただきたい。

 

 

家にルビを振らなくたって、誰でも読めるだろうけれど、

 

 

 

 

危ないな~

 

 

 

 

と思ったので、家にルビを付けておいた。

 

これは、王家を意味する「家」である。

 

 

 

西周金文マニア安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

町家の生徒さんと隷定(れいてい)*について話した時、

 

以前、古代文字資料を作る時には、

 

パソコンでは出ない文字があるため、

➀ PCで打って

② 印刷して、

③ PCで出ない文字を手書きして

④ 文字をトレーシングペーパーでトレースして、拓本の横に一枚ずつ切って、貼って

⑤ 印刷して終了

 

そんなことを行なっていたと話し、

 

「懐かしいな~」と郷愁に浸ってから、

 

 

「古代文字の資料作りには、必ず隷定(れいてい)することが必須なんですよ」と話した。

 

例えば、

 

町家で行っていた西周金文の『頌𣪘(しょうき)』の一文字でいうと、

 

 

 

 

 

「各」

 

この『頌𣪘』の「各」は、各々(おのおの)の意味ではなく、

 

ここでは、「いたる」の意味なので、いたるの意味の「格」字を当てる。だけれど、西周金文の文字には木偏はいまだ付いていないのだから、

 

「各(格)」と書くのである。

 

*隷定とは、古代文字を、いまの漢字で提示すること

 

 

次も同じである。

 

 

 

 

 

受ける意味ではなく、授ける意味の場合は、

 

「受」と書いてから、受ける意味ではなく、

授けるの意味だと理解できるように、

 

()丸括弧に、「授」を入れて提示する。

 

 

これらは、PCで簡単に打てば出てくるけれど、

 

以前は、PCで出ない文字ばかりだった。

 

 

 

 

それで、パソコンの右下にある

 

 

のところを右クリックして、IMEパッド 手書き で、文字を探していたこともあった。

 

 

町家の生徒さんは、いまも、

 

これで文字を探しているという。

 

 

IMEパッド 手書き

ここにマウスで文字を描いてください。

 

 

わ~、懐かしくて、またまた、少し泣きそうになりながら、

 

「手書きで探すのではなく、ネットの広い世界で、漢字を探した方が効率が良いですよ」と、

 

「自分のパソコンは、自分色に育てるんですよ」と熱く語りながら、

 

「ネットの漢字辞典使いやすいですよ」と伝えた。

 

 

 

 

漢字辞典漢字の部首・画数・読み方・意味・筆順など

 

 

この漢字辞典で調べた文字は、単語の登録に入れ続けているため、我がPCは

どんどん、古代文字色に染まっていくのである。

 

 

 

また、目黒の生徒さんも、ご自分で古代文字をSNSで発信している方がおられるため、

 

「え、この文字、PCで出ますか⁈」

 

「どうして、この文字、活字で打てたんですか?」

 

というご質問が飛んでくる。

 

 

 

隷定には、zi.toolsが欠かせないのである。

 

このzi.toolsで、偏と旁の組字をして、隷定に成功すると、なんとその特典であろうか、

甲骨文や西周金文の用例などが提示される。

 

このzi.toolsの凄まじいところは、古代文字の字形の構成要素を、左右や上下に組字をして

エンターキーを押すと、

 

そのほとんどが、活字として取り込めるのである。(取り込めない文字は、文字をコピーして添付する形となる)

 

 

これを教えて下さったのは、山田崇仁先生である。もう感謝、感謝でいっぱい。

古代文字のデータベースにお強い先生。

 

睡人亭亭主プロフィール

 

 

もちろん、自分で一文字ずつ作らずとも、

 

まずは、『毛公鼎』ならば、毛公鼎をネットで調べまくる。

 

以前はいましめるという「彳」と「及」の文字は手書きしていたが、

 

調べまくれば、「彶」の字が提示されているため、それをコピーして、我がPCの単語の登録字典にすぐさま取り込む。

 

 

 

 

 

いまでは、資料作りは

 

➀ PCで、甲骨文や金文のストーリーを学者の釈文をもとに提示。文字分析。

内容、文字分析を行って、資料が9割5分できたら、

 

② 拓本を拡大して、トレース。スキャンして、PC上で切り貼り。


こんな感じ。

 

 

 

 

拓本は古代人が書いた原寸の文字は西周後期金文の『毛公鼎』でさえもわたくしにとっては小さい。わたくしにとってというのは、老眼が進んでいることをいう。

 

例えば、天来書院テキストシリーズの金文は、すべて原寸である。

 

この小さな文字を、当時の書記者は、青銅に流す前に、筆で下書きしたのである。

 

 

老眼鏡がない時代に。

 

 

最近は、「これ、書いた人は、若いんですから」とつい言ってしまう。

 

「若いっていいわね~」という称賛よりも、おばさんがしかめっ面で若い人をなじるような、

羨ましさが、逆に恨めしいという感情になっている。

 

『毛公鼎』をトレースする時には、原寸の3倍に拡大して書いた。

 

 

 

以上、ネットをうまく使いながら、古代文字資料を作る話であった。

 

 

甲骨文オタク、西周金文マニアの書道家 安東麟でした。

 

 

『史記』の封禅書(ほうぜんしょ)には、秦の始皇帝が僊人羨門(せんにんせんもん)の属を求めたとあり、由来としては斉(せい)や燕(えん)などの方士(ほうし)たちが怪しげなことを語り、始皇帝が心を動かされたことが語られている。

 

方士が言うに、

 

「渤海の中には、三神山があるのだが、遠い距離でもないのに、船でいくつくことは稀。

 

そこには仙人が住み、不死の薬がある」と。

 

その後、

 

東方に始皇帝が巡幸した折に、方士の徐巿(じょふく)〔徐福(じょふく)のこと〕が説き、

 

心を動かされた始皇帝は童男女を率いて会場へ向かわせたという。天下統一後の三年目(前219年)のことであった。

 

その後、

 

徐巿は、不死の薬を手渡せない理由として、

 

大きな鮫魚(こうぎょ)がいて行きつけないと言って責任を逃れたという。

 

 

『史記』秦始皇本紀では、

 

燕の盧生(ろせい)に命じて、仙人の羨門高誓(せんもんこうせい)を求めて海上に行かせ、

 

 

韓終らにも、仙人不死の薬を求めさせた。

 

(金谷治『中国古代の思索 死と運命 』法蔵館文庫64頁~)

 

 

 

始皇帝と神仙との関係は、

 

このように『史記』から窺い知ることが出来る。

 

 

 

これまでは、それ以上の情報は掴めなかった。

 

しかし、

 

近々の、

 

 

2020年、

 

西側の黄河上流域にも、始皇帝が使者を送っていったことが分かったのである。

 

 

8月1日、鶴間和幸先生が

 

日中友好会館にて、この大発見のニュースを

 

おそらく、良い声で、たおやかに、柔らかに

 

お話しくださると思う。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

崑崙の文字が含まれた、

 

この崑崙刻石の文字を

 

ほぼ原寸で、

 

戦国時代の秦系文字(秦国の直筆による竹簡)と照らし合わせた結果、

 

ほぼ当時の文字で、

 

復元した安東麟による筆文字も展示されている。

 

 

是非、ご高覧いただきたい。

 

 

甲骨文マニア、金文オタクの安東麟でした。

文字調べは、スマホではなく、パソコンで。

 

スマホだと、大きな画面が小さく提示されて、

圧縮されているため、大変調べにくい。

 

パソコンで、悠々と調べた方が時間の節約にもなる。

 

 

 

 

今朝から、

 

「虎」の甲骨文を

 

調べたくて、

 

いつものように、ネット上で、

字典を開いている。

 

下部に添付した、先秦甲骨金文簡牘詞彙資料庫のネットで詞彙検索をすると、

 

「虎」が、4つ出てくる。

 

(4つ目は、明らかに「虍(とらがまえ)」と人が組み合わされた文字のため、動物の虎を意味していないのだが、

なぜか動物と表示されている。是非とも、手直しをしていただきたい。)

 

 

 

先秦甲骨金文簡牘詞彙資料庫 Lexicon of Pre-Qin Oracle, Bronze Inscriptions and Bamboo Scripts

 

 

 

ただし、

 

全文検索をすると、

 

202の用例が提示されている。

 

最高だ。

 

 

『甲骨文合集(こうこつぶんがっしゅう)』の番号が右側に表示されているため、

 

合集番号が手に入ったら、すぐさま

 

 

 

お手軽お気軽な、

 

ネットの『国学大全』

国学大师_国学大全_国学网_国学迷_汉字宝典_诗词宝典_国学经典&古典文学_古今图书集成&四库全书电子版&永乐大典

 

を開く。

 

上部中央にある甲骨文合集をクリック。

 

番号を打ち込むと、あら魔法みたい。

 

合集に掲載された甲骨文の拓本が目の前に大きく提示される。

 

書くという視点に立っているため、甲骨文をまずは明確に見たい。

そして、正確に字形分析を行いたい。

 

 

 

自分で調べて、自分で確かめて、

 

いまの自分が納得しなければ、

 

一文字も書くことはできず、

 

ひとさまに、文字を説明することは出来ない。

 

 

 

 

虎の甲骨文には、三種類の字形があったと

 

結論付けた。

 

 

資料一部

 

 

 

 

 

 

甲骨文マニア安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

2020年に発見された

 

崑崙刻石

 

 

 

 

 

 

 

8月1日、鶴間和幸先生から

 

この刻石についてのご紹介があると存じます。

 

 

是非、事前申し込みを行って、会場に行きましょう。

 

 

 

あ、わたくしも、事前申し込みしないと~。

 

 

 

 

暑いので、それぞれ、気を付けて参りましょう。

 

そして、日中友好会館は、事前にしっかり地図を見てから

行きましょう。安東は以前、完全に迷子になって、神田川の川向こうを歩いて、

大人なのに、涙を拭きつつ交番に入ったことがあります。

 

 

 

 

 

一文字ずつ

 

 

戦国時代から秦の始皇帝の時まで

 

簡牘資料を調べて、

 

臨摹した安東麟の書、

 

是非ご高覧くださいませ。

 

 

資料を作って、

 

添付して、

 

秦系文字を調べて調べて

 

数週間で疲れ果て、年を取って、

ほんとうのおばさんになりました。

 

まあ、おばさんが年を取って、

おばさんになっているので、もはやよく分からないですね。

 

安東麟

 

 

 

以下に、

 

始皇帝採薬使刻石(崑崙采薬石刻・崑崙刻石・尕日塘(ガーリータン)秦刻石)について

 

考察した資料を添付していく。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上部、右側、文字が重なってしまいました。すみません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、この資料作りで、

 

10歳年を取ったぐらい、

 

くたびれたのであります。

 

 

 

年取ったわ~。

 

小篆も大好き 安東麟でした

 

 

 

 

 

 

真っ直ぐな目で、

 

真摯に、

 

学識の高さと、そしてなんといっても

品の良さが前面に出ている

 

鶴間和幸先生が

 

「安東さん、原寸大で書いてください」

 

とおっしゃったので、

 

 

「日頃、甲骨文を調べては、書いていますので、

この鑿で彫った、刻石の文字はわたくしならば、

この風情を醸し出しつつ、

カンタンに書けると存じます‼」

 

 

「すぐさま書いて、持参致します」

 

と言った。

 

 

 

 

 

そして、『史記』を読む会に持参。

 

 

 

 

 

 

この近年の大発見である、

 

崑崙刻石は、始皇帝時の七つの刻石との比較ではなく、

 

 

 

秦系文字である簡牘の文字から思考する必要があると考え、

 

資料作成をしたので、書くのはたやすい。

 

資料を作っておけば、字形を確認できるため、ガンガン書ける。

 

 

 

 

ただし、資料を作らなければ、一文字だって、書けない。

 

 

 

写真の左肩のところに、「到」の文字がある。

 

この文字は、

 

初めて考察した資料では、よく見えなかったし、

 

泰山刻石や『説文解字』篆書を考察したため、トレースした字形は全く違う。

 

いまやっと、秦系文字からの探求によって、堂々とこの字形提示ができた。

 

 

おそらく、

 

鶴間先生は、

 

鑿で彫った文字だけを見続けているだろうから、

 

 

 

この古代の文字は、

 

筆で下書きをしてから、鑿で彫ったこと。

 

そして、

 

筆で書いたならば、筆による強弱が生まれること、

 

筆で書くならば、

 

滲みや擦れも含まれること、

 

そんなことをいま、現在の

 

古代文字の書記者である我の文字、我の手に拠る筆文字でお見せしたいと思った。

 

 

 

そして、

 

大変喜んでくださった。

「滲みがいいですね~」「芸術ですね~、大変素晴らしいです」と良いお声で褒めて下さった。

 

 

その後で、

 

 

「少し、大きすぎませんか」と。

 

 

 

 

 

あら?

 

 

 

 

 

 

そういえば、

 

先生から、縦は30㎝程度で、横は80㎝と言われたっけ・・・・

 

 

 

あら?

 

これ、縦45㎝あるわ~

 

 

 

「あ‼

 

大きく書き過ぎました‼」

 

 

 

「書き直します‼ ‼ ‼」

 

 

 

そして、

 

今週の東京で一番暑かった日に、汗みどろになりながら、

 

『宇宙考古学から見たシルクロードの西と東』が行われる

 

日中友好会館美術館に搬入したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本画家の母が使った切り端の

厚紙の和紙を、揉み紙にした。

 

この会では、な、な、なんと、

 

ガラスケースに、展示して下さった。

 

 

恐れ入ります~~~

 

 

安東麟