古代文字の部首と言っても、

 

部首は、漢代の許慎が『説文解字』にて纏めたのがはじまりなのだから、

 

占いを彫った甲骨文(こうこつぶん)や

 

青銅器の文字の金文(きんぶん)は、もっと、ずっと前。

 

だからといって、

 

許慎が、後に纏める部首、例えば、後のウ冠である「宀」(べん)の字形は、甲骨文にも金文にもある。

 

甲骨文「宀」

 

 

また、単体でなく、例えば、安東の「安」などの文字で使われている。

 

だから、

 

分かり易いように、説明する時には

 

「甲骨文の部首」とか、「西周金文の部首」と言っている。

 

 

最近では、

 

使い続けてきたので、

 

本格的に、甲骨文や殷代の金文を含む西周金文の部首整理をしている。

 

単体での使用がなくても、

 

会意文字や形声文字で使用されている場合は、抽出して字形を見せることができるため、

 

文字確認をするために、部首の字形をお見せすることはとても大切だと思うようになってきた。

 

 

 

その思いもあって、

 

今朝は、

 

部首を入れたUSBと睨めっこしてきた。

 

 

 

人の姿シリーズは、膨大な数でカオスとなり果てていたので、

あいうえお順にした。見事にすっきり。

 

「糸」の部首に、「𤔔(らん)」を含む文字たちを入れて、

これまた大満足。

例 文字化けするのだろうが→ 毛公鼎にも含まれる「𤕌・紳・練・緟・𤳞」も「糸」の部首に入れた。

 

 

この部首の中に入れているのは、

 

一文字の文字変遷。

 

 

ネットの国学大師や小學堂甲骨文 、小學堂金文

また、この古今文字集成でも簡単に見られる。

安 | 金文 | 開放古文字字形庫 | 古今文字集成

 

 

 

ただし、

 

簡単に見られる便利さが、

 

逆にじっくり見ることを奪ってしまう気がしたため、

 

ネットの文字全体をコピペして貼るのではなく、

 

 

 

ネットは使用するのではあるが、

 

一文字ずつコピペして貼っている。

 

 

 

 

 

一文字の変遷を、

 

じっくり辿れる、楽しい作業である。

 

 

 

遅々として進まず、また、今朝という時間は、もはや昼となってしまった。

 

あ~

 

資料未完成の古代文字書家の安東麟でした~。

 

 

 

 

 

 

アメブロを開いたら、

 

『推し宿』と出てきた。お~、大出館がまさに推し宿の一つであろう。

 

そう、

 

待ちに待った

 

秋になった。

 

推し宿に行くしかない。

 

9月になったら、

 

硫黄を嗅ぐほかはない。

 

我と同じく、硫黄を欲する人がいるので、

 

温泉同好会の分科会として、二人で那須塩原に行ってきた。

 

 

 


あれ、

 

那須塩原の元湯の大出館の晩御飯、

以前、一人で行った時より、

 

俄然、良いものを出して、パワーアップしたような気がする。

 

人を見るのかな。

 

一人の時に、しゃぶしゃぶなんて、したかな。

 

 

 

 

一人だったときは、

こんなに豪勢ではなかった気がすると言いながらの晩飯。

 

女性専用の時間になって、

黒湯の風呂に入ったが、熱湯を好むわたしには寒いので、

その横のジャブジャブ出ている硫黄の熱い湯に浸っていた。最高。


 

そして、女性専用の露天風呂では、

 

9月ならではの、

 

ひぐらしのカナカナカナカナという蝉の音の、美しきメロディーに感動しつつ、

友人は、せっせと湯に落ちた虫を取り続けていた。

 

 

 

 

 

 

友人はシャワーがなければ、髪の毛が洗えないという。

 

昭和生まれのくせに、平成、令和生まれの

 

美しき長髪の女子のような口をきく。

 

 

 

仕方がないので、

 

帰る日に、

 

塩原バスターミナルそばの

 

日帰り温泉をしているホテルおおるりへ。

 

 

おおるりの下には、鄙びた庭園あり

 

美しき蓮の花が咲いていた。

 

おおるりは、少し茶色の温泉で、

500円のワンコインで、3つのお風呂を堪能しつつ、

 

懐かしの、待望のシャワーを浴びた。

 

 

↑ケロリンの桶や、風情ある木の桶で、頭が洗えない人 

 

 

 

那須塩原駅の新幹線のホームは、

新幹線の通過が楽しい。

 

以上、

 

硫黄の香りを、

塩原温泉に戻って、

 

すべて洗い流した

硫黄大好き、書家の安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書道愛好者が

 

甲骨文を書く前に、

 

解っていてほしい。

 

 

 

漢字好きな人が、

 

甲骨文を見た時に、

 

あ、これなら読めると思ってほしい。

 

 

 

世間一般の人に、

 

「甲骨文」と言った時に、

 

「知っている、漢字のルーツね」

 

と言ってほしい。

 

 

 

そう思って活動を続けているが、

 

 

 

ふと考えた。

 

 

いや、甲骨文の魅力の最大の魅力の一つは、

 

 

非可読(ひかどく)(せい)(読めない)、

 

 

()視認(しにん)(せい)(認識できない)

 

 

読めない、分からないところが

 

 

魅力をくすぐるものなのではあるまいか。

 

 

 

漢字の中で、

 

可読性のなさと、視認性の低さにおいて、

 

トップオブトップ(頂点の中の頂点)の甲骨文。

 

ザ、分からずじまいの甲骨文。

 

 

 

 

まあ、基本的にはこれまで通りに、

 

分かってもらおうとバタバタして、

 

内容重視で努力していくけれど、

 

 

 

 

 

一枚の絵画のような造形美として、

 

古代人が残した甲骨文を

 

(けい)(りん)(字画の角度・長さなど、本来の字形を忠実に写す臨書)で、

 

原形をしっかり保ったまま

 

どんどん書いては貼っていこうと思う。

 

 

 

 

 

これまでは学びを重視していたが、

 

これからは、美

 

として、甲骨文を売り出すことも考えていきたい。

 

 

我は甲骨文の魅力を伝えるプロデューサーでもあったのだ。

 

 

そんなことも気付かず、甲骨文、甲骨文と言ってきたのだなあ。

 

 

創作の甲骨文の書とは一線を画して、

 

 

原形そのまま臨書のおばさんになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲骨文の「虹」、心の底から美しい。

 

 

これが、「虹」と読める人は、私と同じ甲骨文のドツボにハマっている人である。

 

ごくフツ~の健全な方は、読めやしない。

 

 

だけれども、読めなくたって、

 

説明すれば、皆さん「へ~」と言ってくれそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

甲骨文では、「(くち)」に角か髭が加えられた形で、二つの頭を持つ、背中がアーチ状の龍の姿。

 

 

書道資料には、「虹」字の成立背景として、双頭の龍の姿が、東周代を経て、蛇の形である虫(き)に転化したことを探っていった。

 

虹の資料はもう何度も、何回も、

 

作り直してきたが、本日も、一日かかって手直しを行った。

 

 

 

 

こうして、我が人生は暮れていくのである。

 

疲れた~。

 

以上。

 

 

古代文字書家の安東麟(あんどう りん)でした。

 

 

 

 

 

目下、毛公鼎の資料作成中。

 

昼ごはんを食し、眠くなったので、

 

YouTubeの音楽を流し、久々の玉置さんのバラード曲に懐かしいといって涙したところである。

 

さてさて、

 

 

 

毛公鼎を作ったのが、「父𢉩(ほあん)」 ←文字化けしてしまうかも。

 

王から父と呼ばれる人なので、佐藤信弥氏先生によると、

 

権臣(けんしん)であったという。

 

佐藤信弥先生の御著書の『周―理想化された古代王朝』は、

 

西周金文を書くための必読書とも言える。

 

 

 

 

この1時間ほど、

 

「舎」について

 

悩んでいた。

 

 

ちょっと飽きてきたので、ブログを書いているのだが、

 

 

 

ネットで探せる、甲骨文、金文字典はとてもお手軽であるが、

 

例えば、「舎」字を探したいと思って、

 

「舎」を打ったところで、全く出てこない。

 

 

旧字体を打つのである。

 

「舍」

 

 

 

「シャ」と打ってもPCですぐに出てこないならば、

 

「シャ」と打ってすぐに出るように、単語の登録をしておいた方がよい。

 

 

 

 

次の漢字辞典をわたしは使っている。

ネットの国学大師や小學堂や古音小鐘歴史語言學や漢語多効能字庫の字典たちとともに、開いておくと良い。

 

 

漢字辞典では、

 

この漢字をコピー

 

をクリックして、すぐに自分のPCに、単語の登録をして、取り込んでしまうのが手っ取り早い。

 

 

 

漢字「舍」の部首・画数・読み方・意味など

 

 

 

ということで、

 

1時間以上、睨めっこして、

 

この毛公鼎「舍(舎)」は、「おく」と読んで、(口頭での命令の)発布とした。

 

 

(書道全集「舎する」(ルビなし)、『金文通釈』「舎(おく)」、中国法書選、天来書院テキストシリーズ金文「舎つ(はなつ)」。)

 

 

 

ふ~。

 

 

 

古代文字書家の安東麟でした。

 

 

 

夫は、元の職場の方たちとともに、棚田を借りている。

 

 

以前、会社の皆さまが作った『棚田人』のTシャツの文字を書かせていただいた。

 

 

その当時も、覚えはないけれど、

 

「甲骨文や金文で書きたい‼‼」と言ったと思うが、

 

いつものことながら、瞬時に、

 

夫に却下され、泣く泣く誰もが読める隷書体(れいしょたい)で書いた。

 

 

 

 

一昨日、「草刈りをしないとさ。たったの数時間だから、ちょっと山梨まで一緒に行ってみる?」

 

と言われ、資料を頑張って作り、

 

昨日、早朝山梨へ。

 

 

 

青ガエルとか、可憐な花を撮っていたけれど、

 

2時間弱で終わりにしましょう

 

の掛け声で、必死に稲の間の雑草を撮り続けた。わたしの

 

長靴は、両足ともに切れていたので、

 

「わたしは中に入りませんからね」

 

「焼けるのが嫌ですから」

 

と言っていたのに、

 

 

 

 

いつの間にかガンガン稲の間に入って

 

汗みどろ。泥だらけになって雑草を引っこ抜いてきた。

 

 

 

 

 

そして、今朝、右腕に力が入らない。

 

昨日、あの棚田で雑草除去をした

 

都会で働く

『棚田人』の皆様もみんな右手に力が入らず、

爪の間が黒くて、両肩と首と腰が痛いのだろうな~。

 

 

 

 

あ~、暑かった。

 

 

 

夫との夏休み終了~。

 

 

 

今日のカルチャー教室は町家で、散氏盤。

 

筆、持てるかしら。

 

 

古代文字書家の安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

「芸」の文字は、甲骨文も西周金文も

 

とても素敵。

 

 

大好き。

 

これは『毛公鼎』の資料に貼るために作った一部

 

 

 

 

 

 

 

ただし、「芸」を打ってもネットの書道字典たちは、

 

出てこない。

 

旧字体の「藝」でないと出ない。

 

 

 

 

 

ただし、

 

「藝」で調べても出てこない場合がある。

 

 

そこで、

 

いま、

 

「げい」と打ったら、次の文字たちが出るようにした。

 

 

「芸・藝・𡎐・𬂴・埶」

 

 

 

 

 

 

皆さんも、

 

早速、パソコンの単語の登録に、取り込んでみたら如何。

 

 

 

 

その理由は、大変だったからである。

 

 

 

あ~でもない、こ~でもないと時間ばかりかかってしまった。

 

 

あ~、勿体ない、勿体ない。

 

 

 

 

『毛公鼎』にある「𬂴」は、

 

殷契文淵(李宗焜『甲骨文字編』)では「藝」、

 

国学大全、古音小鐘歴史語言學は「埶」、小學堂では「𡎐」、「埶」。

 

 

 

ふ~。

 

 

疲れた。

 

 

 

 

古代文字書家の安東麟でした。

これは危ない

 

 

 

これは放っておくと危ない

 

 

 

 

 

 

下は小學堂金文

 

 

これを放っておくと、書く順番を間違える方が出てこないとも限らない。

 

一見すると、斜めから下へ、すいっ~と

 

気持ちよく抜いてしまう人が現れないとは言えない文字である。

 

 

 

◎邑の字源は、

 

城壁の形である四角い形と人のひざまずく姿を合わせた形で、城壁の内部に住む人々の形で、都市の意味。

 

 

 

 

 

甲骨文では、城壁が上にあって、その下に、人が跪いている形。

 

 

下は金文(きんぶん)。青銅器の文字。

 

 

 

 

跪(ひざまず)いたうねりはだいぶ少なくなっているけれど、跪いた形に変わりはない。

 

 

さて、もう一度散氏盤を。

 

 

 

 

跪いているとは、膝に手を置いて畏まった姿なのである。

 

 

 

だから、人の姿は次のような書く順番となる。

 

 

 

 

 

 

④が膝に置いた手。

 

 

人の頭から、足先まで③を書いた後で、

 

最後に手の④を書くのだ。

 

 

これが、「邑」の書く順番。

 

 

 

 

古代文字である金文は、

 

一見して、

 

こんな感じで書けばいいんだろうな~。

 

 

ではなく、

 

 

漢字の成り立ちから、

 

しっかり考えて書くのが、

 

とっても大切。

 

 

まだまだ散氏盤の資料を作り中の、

 

 

古代文字書家の安東麟でした。

 

 

散氏盤(さんしばん)っていう金文(きんぶん)ってなんだ⁈

 

 

 

散氏盤の内容は、

 

王が諸侯(しょこう)に官職の命令を出したり、その命令に沿った賜与(しよ)を与えたりといった、

 

王と諸侯とずぶずぶな関係になろうねという

 

冊命金文(さくめいきんぶん)ではありません。

 

 

 

 

(そくと、(さん)氏との間に争いが行ったのでありましょう。

 

夨が敗訴した、その賠償として、

 

敗北した(そく)側の土地を割譲したという証拠です。

 

 

 

当事者立会いのもと、一封(いちほう)ずつ、木を植えて境界を定めて、

 

土地の授受が行われたという、契約文書なのです。

 

 

 

古代中国の契約文書、なかなか読み応え、見ごたえがありますよ~。

 

 

 

そして、

 

散氏盤の文字は、これまで見てきた金文とはまるで異なった書風です。

 

そのため、他のカッチリとした金文とは違うため、長いこと造形的に面白いと嗜まれてきました。

 

どうしてかといいますと、当時の規範から外れているからに他ならないのです。

 

典型ではない、特殊、特異な字形だから面白いと感じるのです。

 

歪み、ねじれの文字が多いのは、当時の能書家の文字ではないからです。

 

 

 

これまで地名の「眉」とされてきた、「履」も、

なんだかバラバラです。                 

 

 

ただ、これらの文字には、どこにも気負いがなく、『ビジュアル書芸術全集』の「草卒(そうそつ)(かん)」という記述はよく言い得ていると思います。

 

その通り、早書きの直筆(じきひつ)のようです。

 

ですから肩肘張らずに書かれた文字を見ているかのようです。直筆に非常に近いと考えることも出来そうです。

 

この時代の竹簡、木簡はもはや土となり朽ちてしまったけれども、この金文から、この当時の書記者の直筆を見ることができると思います。筆の動き、筆の傾きを感じることさえ出来ます。

 

 

西周金文の書き方の基礎を学ぶといった、手習いには適さないけれど、

 

 

作品としては取り入れられそうです。

 

 

ゆるキャラのような、下手面白いの略、“へたオモ ”の金文を是非間近に味わっていただきたいと思います。

 

 

古代文字書家の安東麟(あんどう りん)でした。

 

 

散氏盤の文字考察の巻。

 

 

古代文字を専門として生きる書家の性(さが)である。

 

 

来週の散氏盤の資料がまだ、

 

出来ていないのに、

 

 

たった一文字にひっかかってしまった。

 

 

散氏盤の「眉」である。

 

これまで収集してきた資料を読んで、

 

読んで、疲れて昼寝して、また読んで

 

午後になって

 

ネットで調べたら、やっと解った気になった。

 

 

 

 

佐藤信弥先生が、丁寧に教えてくれたような気がして、

 

夕方の大雨の中、なんだか嬉しくてたまらない。

 

(我が家は屋根を変えてから、とても五月蠅い)

 

佐藤信弥『金文學のツール 裘錫圭「西周銅器銘文中的“履 ”」を例とし

て』

https://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?research/shirakawa/file/3-10.pdf

 

 

 

佐藤信弥先生は、

 

裘錫圭(きゅうしゃくけい)先生の説を次のように記述されている。

 

 

 

従来、「眉」と読まれ、地名、あるいは「堳」字(土地の境界線として築かれる低い垣根の意味) とされた字は、

 

 

西周金文の『五祀衛鼎』(ごしえいてい)にある「履」(リ・ふむ、はく、くつ)字と似通うことから、

 

この散氏盤も「眉」字ではなく、「履」字であり、

 

土地の境界を踏査する行為を指すと論証した。

 

 

 

そこで、

 

我が書道資料では、

 

佐藤先生の御文章を参照して、「履」と解釈した。

 

そして、

 

「眉」と「履」の文字変遷を貼って、一件落着と思ったのだが、

 

 

そこで終わらない。

 

 

 

つい、また、「履」字を貼りながら、固まってしまった。

 

 

 

 

いやだな~、上から3番目と4番目の文字。

 

 

これをそのままにしておいてよいのだろうか。

 

 

古代文字書家だから、出来ることなのではないだろうか。

 

 

ということで、散氏盤の資料がまだ出来ていないのに、作ってみた。

 

 

 

 

 

は~、

 

気持ちがいい

 

 

「履」は、西周金文では足の動きを強調した形で、歩く、靴を履いて踏みつけるという意味で、踏みつける、または調べるの意味なのだから、

 

 

人の側身形が含まれていて、

 

足の形が含まれているのだから、

 

 

『大𣪘(大簋)』のヘンテコな文字をそのままになんて、しておけない‼‼

 

「わからないですね~」

 

なんて言えるわけない‼‼

 

これこそ、復元できるのだ。

 

あ、早く散氏盤作らないと・・・。

 

 

 

古代文字書家の安東麟でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白川氏に拠ると、

 

 

 

 

(そく)が散氏の(ゆう)(散氏の住むむら)を攻撃破壊するといった損害を与え、

 

夨側の敗北の結果、その賠償として、

 

 

 

 

 

 

(そく)の領地である眉の土地の一部と、

 

井という邑とを、散氏に割譲することになった。

 

 

事件の原因や経緯の記述はないが、武力による侵奪事件。

 

 

ただ事件は当事者間で解決されているらしく、他の機関の介入を示す記事はない。

 

 

 

当事者双方の立ち合いのもとに、夨側から散氏に、田を交付するという授受が行われ、史官が文書の認証に当たっている。

 

 

この銘文は地券としての契約文書であり、権利証書であると記述する。

 

 

(『金文通釈』一三九、白川静著作集『金文集』)

 

 

やはり、散氏盤は

 

ただ書くだけではほんとうに勿体ない。

 

 

 

貝塚茂樹『周代の土地制度』https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/

 

貝塚氏は、眉と井との二邑の土地を譲り渡した手続きの記述の詳細な記録で、

 

境界についての紛争が未来永劫起こることがないように誓った顛末を銘文に記し、鋳造されたもの。

 

 

この銘文にはあるいは河水を渡り、岡を上下し、公道に沿って歩き、要所要所に境界標を築きながら、領土の境を確定したという。

 

社の文字は、盛り土の形であることから、盛り土をして土地の精霊を祭ることが始原的形態であったから、「封」という字の要素になっている草の形は、根のついたままの苗木を表しており、要所要所に奉ずる、封ずることは、神木の苗木を移樹することであったという。

 

 

これより、

 

この散氏盤にある

 

 

「封」字を丁寧に探りたい。

 

 

古代文字書家の安東麟でした。