篆刻家の清水先生の御実家にて、
甲骨文を読み取る勉強会を開いています。
月1第3週の土曜日、昨日も行って、資料について
語ってきました。
清水先生の後ろに乗せてある本は、以前、勉強中に崩れました。
整理すれば、清水先生側にも人が座れる。
この間まで、わたしが一番若くてぴちぴちしていたのに、
ぴちぴちで、才能があって、肌がpinkの若い女性たちが入って、平均年齢はぐっと下がり、お部屋もぎっしり。
この筆文字の写真はイトーさんが書いてくれた、今回の部分。
天来書院甲骨文の四番目を読み、安東麟が作成した、干支について探求した資料を読みました。
来月は夏休み、次は9月、今回読めなかった兆辞や署辞についての資料を持参します。
写真の右側にちょっと映っている袋は、
イトーさんが以前送ってくださった、十二支を押印したもの。皆で拝見しました。
さて、イトーさんが揮毫なさった甲骨文の文字の後ろ側に
朱で書かれた甲骨文が見え隠れしています。
これが清水先生渾身の甲骨文の書。
清水先生はこれこそが甲骨文の書であり、綺麗であるとおっしゃっていました。
きりっとした書が、甲骨文。
彫ってある通りに書くこと、これが甲骨文の書であるそうです。
ですから、清水先生の書は、片刃で彫られている形をギザギザになるように書いているとのこと。
とにかく、片方をギザギザになるように書いて、彫られているように細く書くということだそうです。
刻法思考ではなく、書法思考を行うわたしとしては、その言葉を聞きつつ、違和感しかありませんでした。
しかし、清水先生だって、紙を彫り刻むように書くのが甲骨文書法という哲学があるわけですから、わたしの書に
これまで違和感、嫌悪感しか持たなかったのでしょう。
どんなに
「刻法による甲骨文思考は、あくまでも刻法。書くという視点から考えるならば、刻法ではなく、書法を思考する必要があるのだ」
と説明したところで、
清水先生にとっては、自己の哲学と相容れないものとして、受け入れるはずもないのであります。
これから
書法についてわたしが語る場合には、
甲骨文や金文書法の思考法は、知見、経験、蓄積によって相当異なるため、
あくまでも、安東麟の思考のケース、あくまでも、自己の思考法なのだと
あらかじめ断ること。
全く異なる思考法の方がそばにいらっしゃる場合であっても、
しっかり線引きをしてから話すことで、
「違いますね~」「違っていいですよね~」「それぞれの哲学ですね~」と
笑顔で言える気がします。
天真爛漫に書法解説を行うのは危険だと思いました。
昨日で、また大人になりました‼57歳ですが。
最後に、
イトーさんの半切について
「不」の字は、書く順番を異にしていますので、形が異なっています。
甲骨文は漢字のもとですから、漢字と同じように、
書く順番が違うだけで、形が変わってしまうのです。
「不」のみ、書き直しが必要です。
おそらく、右側を先に書いて、ただただ細く書きすぎたかなと思ったのでしょうか。
筆があった殷時代、文字は筆で書かれていたので、筆の太細を甲骨文に入れ込みたい
そんなことから、左側の文字には、うんと筆圧を込める部分と、筆先を引き上げつつ、筆圧を込めない部分を
混じらせながら、書いていったのでしょうか。
ただ、どうも筆圧の入れ方が不自然。
上を太く、下にいくほど細くなるように書くと、重心が下にいきすぎないため、軽くなります。
「貞」字など、縦画を同じ太さで書いていますが、これを上部を太く、下に行くほど細くすれば、一気に軽くなります。太い1画と、細い1画が、ひと文字の中に混在していて、中ぐらいの太さがない。
これが、おそらく不自然な感じの正体だと思います。
墨が付かない擦れも入れて太細を加えた甲骨文の書を書いてほしいです。
イトーさんなら、書けます。
大人になった安東麟でした。