毎日の暮らしそのものがイベントのようなもの
祭りは、幼い頃にはわくわくして待ち遠しくて
当日は、たまらなく嬉しいものだった
今は、毎日お花見のような弁当を食べたり
当時は珍しかったパンやケーキも自由に食べ
られて、祭りの楽しみは、大きく変わりました
イベントとして、企業や団体、自治会などでよく
行われているが、担当役員によって祭りの
内容は大きく左右されているでしょうね
祭りが大好きだった私も、ある会で町も含めた
イベントの「ある担当役員」をさせていただいた
ことがある。 実に面白かった。
夜遅く後片付けまでやるとクタクタになって
帰ったものだったが、何ヶ月も前から準備し
前日のセッティングやリハーサルなども
楽しんでやったものでした
今でもその当時を思い出すとボランティアと
言うよりも好きでやって、楽しませてもらって
いるという感じが強かった気もする
勿論嫌なこともあったものですが、イベント
だから許されることや他の役員に助けられ
たり、お役所の人にカバーいただいたりして
楽しくできたものでした
多くの方々の人柄や情、前向きな想いなど
に触れ、仕事では得られない経験をさせて
いただいたが、年度が変わると進化させたい
と考えるものの、進化不要論もあった
もっと、楽にやりたい。面倒なことは止めよう
仕事の延長のように考える人、お役所の担当
も変わる。実行委員長も変わる。本当は実権
をもたれた人もいて、その鶴の一声が大きな
影響力にもなっていたりする
祭りの目的そのものが「何なのか?」さえも
見えなくなってくる場面もしばしば出てくる
イベントを大きくするのが狙いではない?
町民が一緒に喜ぶ機会があればいいだけ?
祭りを通じて、何が伝えたい?、得たいのか?
他の市町村からも呼びたいのか?
もっと面白くしたいのではないのか?
役員の考え方も様々なら、楽しみにしている
お客さんも様々で、参加目的もみんな違う
企業がやるイベントでは、恩返しの場合もある
しかし、利益のためだけでなく商品や企業を
より認知して欲しい場合などもあるが、イベント
は多くの人に喜んでほしいいという目的はある
その想いが形になることを通じて、役員や担当
者にとって貴重な経験になる
楽しんで終えた人、不機嫌に終わった人も
評論家で終始した人もいたかもしれない
しかし、祭りはみんなが楽しくありたいものだ
やってよかった・・というものでありたい
そして、仕事であろうが遊びであろうが、
不機嫌なことがあっても、最後には笑いたい
誰かが企画して、合意されたらその目的に
向かって、それぞれが役割に応じて、実現に
向けて動き始める
楽しくやろう、折角なら面白く、触れ合うことで
何かの出会いや共鳴、支援、賛同などに接し
人の和が広がりなどから、人は経験を通して、
心豊かになっていく機会になればいいでしょう
祭り、イベント・・・ひとりの人間も毎日がそう
ありたいものだと思う
自分のためだけを考えるから難しいのでは
ないかと・・・今ここで暗い想い(企画)を続けて
いれば明日?1週間後?1月後の祭りの
結果は楽しいものになるか?
祭り前の合同役員会議が楽しいと 楽しい祭り
になるが、ゴタゴタしたり、暗いムードでは
誰かがムードメーカー役となって、明るい雰囲気
にしてくれたりするものです
一人の人間では、どこかの?ムードメーカーに
頼るという訳には行かない。
毎日、「楽しくてしょうがないモード」にONして
楽しくありたいものです
腹の中が黒いと・・例え笑顔でも見破られます
例え、これ以上怒った顔ができないという
ような顔でも、腹の中で笑っていると・・・
それは嬉しさを満面にあらわした顔に変わる
生涯のイベントは、今も死ぬまでも楽しみ
たいものです。そうなると好循環でしょうね。