それこそ恐ろしいこと | 「魂が震える話」ブログ

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25歳のときに親の跡を継ぎ、臨済宗全生庵住職となった“平井正修”住職のお話です。



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葬儀もあり、何かとあわただしい中で、私は何としてでも住職としての役目をはたさなければいけない、と考えていました。


それが気負いにも、背伸びにも、なっていたのでしょう。


何ごともうまくいかないのです。


そんな私を見かねたのか、師がこんな話をしてくれたのです。


「うまくいかないというが、おまえがうまくいくというのは、どういうことをいうのだ」


師に尋ねられて、私は、「自分がこうなったらいいな、というふうにものごとが進むことです」と答えました。


師から返ってきたのはこんな言葉でした。


「こうなったらいいな、というのはおまえが勝手に思っていることだろう。たかだか二五歳のおまえが思うように世の中が動き、ものごとが進んでいったら、それこそ恐ろしいことだと思わんか」


喝の一撃でした。


二五歳の若僧が、七四歳の父と同じように住職をつとめることなど、どだい無理な話です。


そんなことはできるわけがないのです。


それをやろうとして、できないからといって、「うまくいかない」と拗ねているバカ者。


師の目にはそう映ったに違いありません。


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「坐禅のすすめ」

平井正修 著

幻冬舎より


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目の前の事を全力でする。


そうすると、それがもたらす「結果」に一喜一憂しなくなり、成功も失敗も、好評も不評も、あるがままを真摯に受けとめる。


だから悩むことも拗ねることもない。


禅の修行では、食べているときは食べる事に心を配り、掃除しているときは掃除に心を配り、本を読むときは読むことに心を配るよう、そのときやるべきそのことだけに心を配る修行があるそうです。


心を配ると「所作」が変わる。


心で違うことを考えていると、何ごともうまくいかない。


結果、悩みや拗ねる原因となってしまいます。


食べるときは食べる事に、お客さんの前ではお客さんに、仲間の前では仲間に、家族の前では家族に、といった具合に心を配って「どうしたら喜んでもらえるか」を考えて一所懸命でいたら、周りは放っておきませんし、どんどん必要とされる人となっていきますね♪


自分に出来ることは、人を変えることではなく、自分を変えることだけです。


人を変えようと思うと、思い通りに行かないので「イライラ」や「ムカムカ」が大量発生し、仮に相手が従ったとしても「コントローラー型」なので、指示命令でしか動けなくなってしまいます。


今の時代、これからの時代に求められているのは「メンター型」の人材育成なのでしょうね(^_^)b



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「魂が震える話」


発行人:けい