呉下の凡愚の住処 -129ページ目

呉下の凡愚の住処

春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
詳細は「プロフィール情報を詳しくみる」をご覧ください。

甘寧墓 Gānníngmù

「博主注」の部分以外は末尾にある書籍の記述を訳して載せています。
 写真のキャプションは私の言葉です。


甘寧の死は『三国志』甘寧伝ではとても簡潔に書かれていますが、
小説である『三国演義』には哀しくも見事な結末が描かれています。

『三国演義』では劉備が孫呉に攻め寄せたとき、
甘寧は重い病気を患っていました。しかし韓当や周泰と共に前線に赴き、
船上で療養します。劉備が軍を挙げて突撃してくると韓当と周泰は大敗し、
軍は散り散りになってしまいます。それを聞いた甘寧は、
病気の体を押して急いで援軍に駆け付けます。

そこに突然異民族の兵が現れます。劉備の援軍、蛮王の沙摩柯でした。
甘寧はその勢いを見て敵わないと感じ、馬を駆って走り出しました。
そのとき、後ろから一本の矢が甘寧のうなじを貫きます。
甘寧は矢を受けたまま走って富池口までたどり着き、
大木の下に座り込み、壮烈な最期を遂げたのでした。
このとき数百のカラスの群れが現れ、死体の周りを覆ったといいます。

小説上の甘寧の最期の地である“富池口”は決して虚構ではなく、
実在する場所です。現在の湖北省陽新県富池鎮がそうです。
この地は長江の南岸にあり、富水と交わっていることから名付けられました。

甘寧墓は現在までに四基が知られていて、
最も有名なものは富池鎮の甘寧公園内にあります。

甘寧公園
▲なんとも立派な大門で感動します……▼
甘寧公園

公園内の《甘寧墓遷記》によると、
甘寧は章武二年(222)に撥箭港で壮烈な最期を遂げたあと、
富池口の金堡村の眠牛山に埋葬されたそうです。
宋代に入ると、朝廷は甘寧に“昭義武恵遺愛霊顕王”という位を送り、
明代では昭勇王に封じます。墓は明の嘉靖元年(1522)に建て直され、
清の雍正七年(1729)にも節度使の李青燁が主導となって修築されます。
墓の前には石の獅子・石馬・翁仲・石碑と牌坊、そして宋・明・清、
三代の封旌と石刻が配置され、たいへん厳かで壮観だったそうです。

しかし1968年、富池のレンガ工場が土地を奪い、墓は取り壊しになり、
墓の前の建築物もめちゃくちゃに壊されてしまいました。
1995年、当地の政府は甘寧墓を建て直すことを決め、
墓を中陽山の北麓の亀山の下に移し、これに伴って甘寧公園を作りました。

甘寧公園は大きな山間にあり、四方を山々に抱かれています。
山上には松や柏が生い茂り、湧き水が流れ、とても美しい景色が広がります。
公園は大門、双龍潭、陸游の《祭富池神文》碑、甘寧像、甘寧廟、甘寧墓などの
建築と観光場所で構成されていて、一本道のため迷うこともありません。
博主注:陸游の詩碑は分かりませんでした……)

甘寧公園
双龍潭(たぶん)。心なしか水が干上がっていますね……

甘寧公園
甘寧像

甘寧公園

甘寧公園

甘寧公園
▲背面の《甘寧塑像記》によると、富池鎮の港下村が
三万元を援助してくれたことで1996年10月に完成したそうです


博主より:この甘寧像の写真、いろんな角度から何枚も撮ってるので
甘寧の超絶大ファンで写真が欲しい方は名乗り出てください……

甘寧公園
▲像のまわりの風景。本当に山の中なんですここ……▼
甘寧公園

甘寧公園
▲ここで旧暦三月三日に廟会があるのでしょう

甘寧公園
▲舞台のほうから見た景色

甘寧公園
"甘寧大殿"という新しい建物を建てていました

甘寧公園

甘寧墓は公園の最奥部にある建築です。

甘寧公園

甘寧公園

甘寧公園

山を背にしながら前面は開けていて、左右を花園と竹林が彩る
すばらしい場所に位置しています。墓の前には石の牌坊があり、
並々ならぬ風采をそなえています。墓は高台の上にあり、
大きな墓碑には“三国呉西陵太守甘寧墓”と書かれています。
墓は円形で、封土は高さおよそ1.5m、直径6m。
墓は土で覆われて青草が茂り、飾り気なくも重厚な雰囲気です。
最も変わっているのは墓の上に高さ80㎝ほどの“ミニ”甘寧像が
置かれていることです。これはおもしろいことです。
博主注:と本には書いてありますがミニ甘寧像は見当たらず……
 2002年当時はあったようです)


甘寧公園

甘寧公園

墓のそばには二つの石碑が立っており、一つは《甘寧墓遷記》
もう一つは《甘寧墓誌銘》で、甘寧墓の建設の様子が詳しく書かれています。
博主注:と書いてありますが石碑はどれだか分かりませんでした……)

墓の後ろには照壁があり、9つの石碑には甘寧を称える対聯や詩・絵が
刻まれていて、甘寧の伝説的な生涯がよく分かります。

博主より:中国史跡おなじみ! の、メモリアルレリーフのコーナーです。
ここのレリーフは私がこれまで見てきた中でもトップレベルにカッコいいです。

甘寧公園
頗讀諸子
甘寧字興霸,巴郡臨江人也。少有氣力,好游俠……頗讀諸子


甘寧公園
薦達酬志
周瑜、呂蒙皆共薦達,孫權加異,同於舊臣


甘寧公園
陳計破祖
寧曰:「圖之之計,宜先取黃祖。至尊今往,其破可必。」
權深納之。舉酒屬寧曰:「興霸,今年行討,如此酒矣,決以付卿」


甘寧公園
阻羽渡瀬
肅便選千兵益寧,寧乃夜往。羽聞之,住不渡,而結柴營……
權嘉寧功,拜西陵太守,領陽新、下雉兩縣


甘寧公園
百騎襲曹
曹公出濡須……寧乃選手下健兒百餘人,
徑詣曹公營下,使拔鹿角,踰壘入營,斬得數十級


甘寧公園
神鴉涕歌

甘寧公園
▲読みにくいですが王賢卿さんの《水調歌頭甘寧頌》らしいです

墓の前には泉があります。水面は約1㎡、水質は清らかで、甘い味がします。
傍らに“甘泉”と刻まれた石碑が立っています。
この泉の水を飲んでいると耳も目もしっかりして体は強くなるのだそうで、
“聡明泉”とも呼ばれています。

甘寧公園

甘寧公園
▲中国の泉の水を飲んでいると本当に強靭な内臓になれそうです。
問題は一日目で挫折する人が多そうなところですね

以下全部博主:ものっすごい長さになりました。
記事をいくつかに分けることも考えたんですけど、
分割したら今すぐ甘寧墓の情報が欲しい人が困るかもしれない……
と思って、ひとつの記事にぜんぶ入れました。
まあここまで読んでる人は
生粋の甘寧ファンがほとんどだと思いますので大丈夫ですよね。(笑)

この公園、目の前に着くまで微塵もその気配が感じられないので、
かなり不安でした。というのも公園の前の景色は

甘寧公園

これです。
え、もしかしてもうない? とか思っちゃいましたからね。
中に入っても完全に森林だし、本当にお墓があるのか不安でしたが……
中は一本道なので、今にして思えばぜんぜん安心でした。
しかしお墓を確認するまで信じられず怖かったです(笑)

甘寧公園
▲将来はこういう感じを目指しているそうです……すごいね。

ここは立地もすばらしい(ワクワク感がある)、
メモリアルレリーフがカッコいい、人も優しい……と、本当にいい史跡でした。
まあ幸い史跡で不快な思いをしたことはあまりありませんが……
この森林公園の中で、孫呉の甘寧が大々的に祭られているというのは
感動しかありません。たぶん孫呉ファンは絶賛するんじゃないかと思います。


◆アクセス
陽新県からバスが出ています。
が、バスが出せない日だったのでタクシーで行きました。
ここは百度地図にも掲載されているので安心かと思います。


写真撮影:2016年9月19日(月)
参考:马儒君《寻找三国》中国文联出版社