呉下の凡愚の住処 -128ページ目

呉下の凡愚の住処

春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
詳細は「プロフィール情報を詳しくみる」をご覧ください。

甘寧廟 Gānníngmiào

「博主注」の部分以外は末尾にある書籍の記述を訳して載せています。
 写真のキャプションは私の言葉です。


富池甘寧廟湖北省陽新県富池鎮にあります。
富池について、宋代、陸游《入蜀記》にはこのようにあります。
富池昭勇廟,吳大帝時折衝將軍甘興覇也。興覇嘗為西陵太守,故廟食於此。
これにより、遅くとも宋代にはこの地に廟が建てられ、
甘寧を祭っていたことが分かります。
また《三国志通俗演義》にはこのようにあります。
(甘寧死後),吳王葬之,立廟祭祀。至今富池口有甘寧廟,往來客商祭祀級靈。有神鴉送客一程,乃是神人感應也。
甘寧廟はもともと富池鎮の食糧倉庫内にあって呉王廟と呼ばれていましたが、
のちに“文化大革命”で壊されてしまいました。
現在富池口には2つの甘寧廟があり、どちらも90年代に建て直されたものです。


ひとつはもとの甘寧廟があった場所に建てられました。
今も呉王廟 Wúwángmiào と呼ばれています。
廟には殿宇が二つあり、規模はとても大きいです。

甘寧廟
▲本当にとても大きいです。
でも前の道は狭いので後ろに下がれず、画面に入りきらない……

甘寧廟

甘寧廟

甘寧廟

甘寧廟
▲護国佑民、国と民を守るという成語です▼
甘寧廟

甘寧廟
▲これも右から読んで“臨鎮江□,莊氣毅然,威鎮江東”かな
“莊氣毅然”はご神体の上に掛けられていました。
□の部分は私には解読できませんでした、無念▼
甘寧廟

甘寧廟
▲対聯(読めない)▼
甘寧廟

博主より:なんとなく見えてますがご神体は甘寧とご夫人、
それから男神と女神の計4人が祭られてます。
勇気を出して甘寧と夫人でない二人は誰なのかと道長に尋ねに行ったところ
「どっちも甘寧と夫人だよ」と温かく教えていただいたんですけれども……
陽新旅行情報によると甘寧と妻の順佑夫人と共に祭られているのは
二人の息子の紹威侯紹呉侯と娘の柔懿夫人らしいです。え~~~!!(笑)
しかしそれだと計5人にならねばならないので計算が合わない……

甘寧廟
▲まさか彼がご子息……!? 違うと思います……

:まあ、このように現地で信仰されているものと文献の記載が違うことは
よくありますし、それはそれで非常に興味深い現象だと思うので良しです。


もうひとつは甘寧公園の高台の上に建てられています。
入母屋造で壁は赤く、軒下には“甘寧寺 Gānníngsì
書かれた額がかけられており、とても目立ちます。
中には甘寧像が祭られています。
博主注:って2002年の記録には書いてあるんですけど壁は赤くないですね。
 塗り直したんでしょうね! 赤→黄はイメチェンだなあ……)

【湖北・富池】甘寧墓(甘寧公園)
http://ameblo.jp/ancyon/entry-12241380199.html

甘寧廟

甘寧廟

甘寧廟

甘寧廟
▲社務所的な建物かな? こちらに道長さんがいらっしゃいました

博主より:この廟の功徳箱(お賽銭箱)には
“唵嘛呢叭咪吽”と書かれていました。(字ちょっと違うかも)
これ、チベット仏教の観音様の真言なんです。
だから廟の関係者の方はチベット仏教寄りなのかな? と思ったり……
好きな華人歌手の薩頂頂さんの歌にこの言葉が出てくるので覚えてました。
気になる方は「六字大明呪」で検索してみてください。

博主より2:祭られている像は3体で、こちらも道長さんに確認したところ
3人とも甘寧なのだと言われました。
文神と武神の姿をしてはいるけど、みな甘寧という一人の神様なんだそうです。
↓以下から本の文に戻りますよ~


甘寧廟はとても霊験あらたかなところなのだそうです。
こんな言い伝えがあるようです。清の時代、陽新県大王鎮費家大湾村
費という官吏がおり、長江で食料を輸送する仕事に就いていました。
彼はある年、朝廷に食料を輸送する際、思いがけずごろつきの集団に出遭い、
食料を奪われ、朝廷に食料を届けられなくなってしまいます。
この費さんは普段から甘寧を非常に敬重していたので、
富池口の甘寧廟にお参りに行きました。

甘寧は霊験を発揮し、費さんに僅かばかりの食料を与え、
とにかく食料を輸送させようとしました。
彼は意味を悟り、食料の受け渡し場所にその食料を持って行きました。
すると袋からは米が限りなく出続けてたちまち定量に達し、
死罪を免れることができたのです。費さんは甘寧にたいへん感謝し、
毎年三月初三(博主注:旧暦3月3日)を甘寧の墓参りの日と決めました。
子孫も毎年墓参りを続け、それは今も続いているそうです。

現地ではこのようにも言われています。
甘寧には二人の息子がいましたが、二人は当時、現在の湖北省黄石市
大冶市
中心部の甘家湾という場所に住んでいたそうです。
甘家湾に住む甘姓の人たちはみな甘寧の後裔だといいます。
彼らも毎年三月初三に富池口に甘寧の墓参りに訪れます。
彼らは甘家の家系図を代々保っていますが、
その一人目の祖先こそが甘寧なのだそうです。
博主注:大冶市の甘さんたちの名前がいっぱいの功徳牌もありました)


以下全部博主
甘寧が盛大に祭られている様子がご理解いただけましたでしょうか……
百度で“富池三月三庙会”で検索すると、
廟会の日に人が大勢集っている画像も見られます。正義のヒーローみたい……
呉書には甘寧は「粗暴でよく人を殺す」と書いてあるんですが、
まあ、水滸伝の好漢もよく人を殺していますのでお互い様ですよね。(?)

この富池における甘寧の人気、そして民間伝承での優しさ、
なんか二郎真君みたいだなあと思います。
確かに甘寧って正直で部下の面倒見は良さそうだし、とにかく強いので
神様として信仰したらとても頼りになりそうです。
これからもこの祭祀が続くことを願っています!

ご神体の写真はアップしていませんが撮ってはあるので
個人使用の方、どうしても研究で必要な方(?)などは
申告していただければ画像をお送りします~。


◆呉王廟へのアクセス
呉王廟のGPS情報取ってくるの忘れましたすみません……
富池鎮までは陽新県からバスが出ています。
見ての通りとても大きいですし、富池鎮政府のあたりで
“呉王廟”とか“大きな廟”について聞けば知られているはずです。


写真撮影:2016年9月19日(月)
参考:马儒君《寻找三国》中国文联出版社