甘寧墓 Gānníngmù
※「博主注」の部分以外は末尾にある書籍の記述を訳して載せています。
写真のキャプションは私の言葉です。
甘寧の死は『三国志』甘寧伝ではとても簡潔に書かれていますが、
小説である『三国演義』には哀しくも見事な結末が描かれています。
『三国演義』では劉備が孫呉に攻め寄せたとき、
甘寧は重い病気を患っていました。しかし韓当や周泰と共に前線に赴き、
船上で療養します。劉備が軍を挙げて突撃してくると韓当と周泰は大敗し、
軍は散り散りになってしまいます。それを聞いた甘寧は、
病気の体を押して急いで援軍に駆け付けます。
そこに突然異民族の兵が現れます。劉備の援軍、蛮王の沙摩柯でした。
甘寧はその勢いを見て敵わないと感じ、馬を駆って走り出しました。
そのとき、後ろから一本の矢が甘寧のうなじを貫きます。
甘寧は矢を受けたまま走って富池口までたどり着き、
大木の下に座り込み、壮烈な最期を遂げたのでした。
このとき数百のカラスの群れが現れ、死体の周りを覆ったといいます。
小説上の甘寧の最期の地である“富池口”は決して虚構ではなく、
実在する場所です。現在の湖北省陽新県、富池鎮がそうです。
この地は長江の南岸にあり、富水と交わっていることから名付けられました。
甘寧墓は現在までに四基が知られていて、
最も有名なものは富池鎮の甘寧公園内にあります。
公園内の《甘寧墓遷記》によると、
甘寧は章武二年(222)に撥箭港で壮烈な最期を遂げたあと、
富池口の金堡村の眠牛山に埋葬されたそうです。
宋代に入ると、朝廷は甘寧に“昭義武恵遺愛霊顕王”という位を送り、
明代では昭勇王に封じます。墓は明の嘉靖元年(1522)に建て直され、
清の雍正七年(1729)にも節度使の李青燁が主導となって修築されます。
墓の前には石の獅子・石馬・翁仲・石碑と牌坊、そして宋・明・清、
三代の封旌と石刻が配置され、たいへん厳かで壮観だったそうです。
しかし1968年、富池のレンガ工場が土地を奪い、墓は取り壊しになり、
墓の前の建築物もめちゃくちゃに壊されてしまいました。
1995年、当地の政府は甘寧墓を建て直すことを決め、
墓を中陽山の北麓の亀山の下に移し、これに伴って甘寧公園を作りました。
甘寧公園は大きな山間にあり、四方を山々に抱かれています。
山上には松や柏が生い茂り、湧き水が流れ、とても美しい景色が広がります。
公園は大門、双龍潭、陸游の《祭富池神文》碑、甘寧像、甘寧廟、甘寧墓などの
建築と観光場所で構成されていて、一本道のため迷うこともありません。
(博主注:陸游の詩碑は分かりませんでした……)
博主より:この甘寧像の写真、いろんな角度から何枚も撮ってるので
甘寧の超絶大ファンで写真が欲しい方は名乗り出てください……
甘寧墓は公園の最奥部にある建築です。
山を背にしながら前面は開けていて、左右を花園と竹林が彩る
すばらしい場所に位置しています。墓の前には石の牌坊があり、
並々ならぬ風采をそなえています。墓は高台の上にあり、
大きな墓碑には“三国呉西陵太守甘寧墓”と書かれています。
墓は円形で、封土は高さおよそ1.5m、直径6m。
墓は土で覆われて青草が茂り、飾り気なくも重厚な雰囲気です。
最も変わっているのは墓の上に高さ80㎝ほどの“ミニ”甘寧像が
置かれていることです。これはおもしろいことです。
(博主注:と本には書いてありますがミニ甘寧像は見当たらず……
2002年当時はあったようです)
墓のそばには二つの石碑が立っており、一つは《甘寧墓遷記》、
もう一つは《甘寧墓誌銘》で、甘寧墓の建設の様子が詳しく書かれています。
(博主注:と書いてありますが石碑はどれだか分かりませんでした……)
墓の後ろには照壁があり、9つの石碑には甘寧を称える対聯や詩・絵が
刻まれていて、甘寧の伝説的な生涯がよく分かります。
博主より:中国史跡おなじみ! の、メモリアルレリーフのコーナーです。
ここのレリーフは私がこれまで見てきた中でもトップレベルにカッコいいです。
墓の前には泉があります。水面は約1㎡、水質は清らかで、甘い味がします。
傍らに“甘泉”と刻まれた石碑が立っています。
この泉の水を飲んでいると耳も目もしっかりして体は強くなるのだそうで、
“聡明泉”とも呼ばれています。
以下全部博主:ものっすごい長さになりました。
記事をいくつかに分けることも考えたんですけど、
分割したら今すぐ甘寧墓の情報が欲しい人が困るかもしれない……
と思って、ひとつの記事にぜんぶ入れました。
まあここまで読んでる人は
生粋の甘寧ファンがほとんどだと思いますので大丈夫ですよね。(笑)
この公園、目の前に着くまで微塵もその気配が感じられないので、
かなり不安でした。というのも公園の前の景色は
これです。
え、もしかしてもうない? とか思っちゃいましたからね。
中に入っても完全に森林だし、本当にお墓があるのか不安でしたが……
中は一本道なので、今にして思えばぜんぜん安心でした。
しかしお墓を確認するまで信じられず怖かったです(笑)
ここは立地もすばらしい(ワクワク感がある)、
メモリアルレリーフがカッコいい、人も優しい……と、本当にいい史跡でした。
まあ幸い史跡で不快な思いをしたことはあまりありませんが……
この森林公園の中で、孫呉の甘寧が大々的に祭られているというのは
感動しかありません。たぶん孫呉ファンは絶賛するんじゃないかと思います。
◆アクセス
陽新県からバスが出ています。
が、バスが出せない日だったのでタクシーで行きました。
ここは百度地図にも掲載されているので安心かと思います。
写真撮影:2016年9月19日(月)
参考:马儒君《寻找三国》中国文联出版社




























