呉興八絶 | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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建安七子、竹林七賢……などなど、
中原にはすばらしい人材が揃っているものです。

が! 我らが江東の“呉興八絶”を忘れてはならない!!

呉興八絶とは、
三国時代――孫呉の呉興の8人の傑物である!

明の成化年間(1465年~1487年)に編纂された
『湖州府志』巻二十一「異聞」の記述によると……

『統記』にいう。
呉範:暦法を得意とし、風占いを知る。
劉惇:占星術が得意。
趙達:九宮一算(九宮算ともいう)の占いが得意。
厳武:囲棋(囲碁)が得意。
宋寿:夢占いが得意。
皇象:書が巧み。
曹弗興:絵画が巧み。
菰城の夏嫗:人相占いが得意。
――以上が呉興の八絶である。
徐陵(507年~583年か)の『烏程孝義碑』にいう、「八絶之技依然是也」と。

(説明おわり)

『湖州府志』には本当に上記内容が載っているのであった。
画像がでかすぎて凹む。

呉下の凡愚の住処-湖州府志

ここで冷静になってつっこんでみますが、
「呉興」の地名は後付け設定だと思われます。
『三国志』呉書巻十八・趙達伝の注に引く『呉録』によると
皇象字休明,廣陵江都人。(中略)嚴武字子卿,衞尉畯再從子也,圍棊莫與為輩。宋壽占夢,十不失一。曹不興善畫(中略)孤城鄭嫗能相人,及(呉)範、(劉)惇、(趙)達八人,世皆稱妙,謂之八絕云。
とあり、遅くとも東晋時代には彼らが「八絶」と呼ばれていたことが分かる。
そして「呉興八絶」とはどこにも書いてない。
ついでに、曹弗興は『呉録』だと「曹不興」、
菰城の夏ばあちゃん(? 嫗なので)は『呉録』だと「鄭嫗」ですね。

実は「呉興」の地名を冠した傑物ズは他にもいます。
元代初めの、詩文や書画の達人たち「呉興八俊」
元末明初、詩文や絵画の達人たち「呉興八子」
明代万暦年間(1572年~1620年)に雑劇で名を知られた「呉興四子」
など。

上記の傑物ズは呉興出身の者ばかり。
呉興は文化的に優れた人物をたくさん産んだのでしょう。

呉興はこの辺↓(スーパーアバウト、気になる人はちゃんと地図を見よう)

呉下の凡愚の住処-烏程

「呉興八絶」も「呉興の辺りで活躍した8人の傑物」ってことから
いつしか「呉興」の名を冠することになったのではないかと思います。
8人全員が呉興地方に激しく密接にかかわっていたわけではないので、
たとえば「江東八絶」とか「東呉八絶」とか
「権様八絶」とか、そんな名前でもよかったかもしれません。

八絶には占いが得意な人が多いのですが、
孫権様ととりわけ親密だった人はいないように思います。
なのでやっぱり「権様八絶」は無理があるかもしれない。

オチがないまま終わる。