銅錯金銀四龍四鳳方案 | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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以前ちらっと書いた中山王墓の龍。
写真、探したらたくさん出てきました。やっぱりカラーはいい!!

このすばらしい文物の写真をどう紹介すべきかすごく悩みました。
リンクを張っても、わざわざリンク先にまで飛ぶ人は少ないだろう……
しかもリンク先は中国のサイトなので、
「海外サイトには行きたくない」ってお方にはその時点でアウトなわけです。

なのでここは勇気を出して、画像をむだん転載することにしました。
このすばらしい文物を日本でお伝えできないなんて悲しすぎるから……
問題が発生したら記事を削除します。
問題が発生するときはこのブログの存在自体が危うい気がします。

ではどうぞ。
拡大して見ていただきたいです。

呉下の凡愚の住処-銅錯金銀四龍四鳳方案

呉下の凡愚の住処-銅錯金銀四龍四鳳方案

二枚とも同じものですよ~。
すばらしい!! 本当にすばらしい!!


百度を勝手に翻訳する。

戦国時代のもの。
高さ36.2cm、上部の囲い一辺47.5cm、下部の直径31.8cm、重さ18.65kg。
「錯」は金銀を象嵌する工芸技法。
「案」は古代の人々が使っていた小机。
この案の漆でできた表面は朽ちてなくなっている。

この案はまわりを花紋の金銀錯で飾られている。
最下部の四隅にはオスメス二匹ずつのニホンジカ(梅花鹿)が
足を縮めて座っており、机下部の円形を背負っている。

中間の円形部には、四頭の神龍が四方を向いて立っている。
龍たちはひとつの頭に、ふたつの尾を持つ。
その尾は四面に一体ずついる鳳凰にからみついており、
顎を引いて鳴き声を響き渡らせ、空高く飛ばんとしている。
そして頭の上に案の斗組を載せ、四角い囲いを支えている。
斗組と案の囲いは勾連雲紋で彩られている。
この案の表面はもともと漆板でできていたが、
今は朽ちてなくなっており、銅製の囲いを残すのみである。

この文物の造形は、まとまっているが開放的でもあり、
動と静が備わり、密度が適切で、
各面の龍飛鳳舞の図は目の前に生き生きと広がる。
商(殷)~周(およそ前17世紀初め~前256年)以来の、
青銅器で動物を象ったレリーフ・立体彫刻の中でもずばぬけたものである。

また、四頭の龍の頭上にある斗組は、
戦国時代(前486年~前256年)の斗組のデザインを初めて現世に伝えてくれた。

1974年の冬、平山県から出土。
現在は河北省文物考古研究所に所蔵されている。


百度おしまい

これまで、「生で見たい!!」と心から思った文物は越王勾践の剣ぐらいでした。
しかしこれは……見たい! 本気で見たい!
呉王夫差の矛より見たい!!(夫差ごめん)
めちゃくちゃハイセンスですよね!?!?
なんて洗練されたデザイン……私が屈するのも分かる。(?)

中山国なんて、「趙の武霊王に潰される」っていうのが
いちばん有名なできごとな気がするけど(失礼すぎる)、
こんなすごいもの作ってたんだなあ……
文物が出土してみないと分からないですよね。これは。
史書からではどうやっても分からない。
中山は白狄の国だったんですね。やはり中原とは一線を画す勢力だったのか……

どうも私は本能レベルで中原諸国ではない国に惹かれるらしい。
いつでも孫呉に仕官できそうです。