論語メモ・述而篇 | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
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行方不明だった『論語』が発見されたのでメモの続きを。
巻七・述而篇です。

Web漢文大系
http://kanbun.info/

↑書き下し文はこちらから引用させていただいてます。
人の発言が分かりにくいので、セリフには勝手に「」をつけてます。

篇名は述而篇一の冒頭部分。
子曰,述而不作,信而好古。竊比於我老彭。

子曰く、述べて作らず、信じて古を好む。窃(ひそ)かに我が老彭に比す。

孔子は古のものについて語ることはするが、創作はしない。
先王を信じて古を好む。ひそかに自分を老彭になぞらえている。
(訳おわり)

「先王の知恵や心得を自分の思想に取り入れる」ということ、
と百度に書いてありました。


以下はこの篇の自分的メモです。長いです。
ためになることは一切書いてないので
『論語』の正しい解釈をお探しの方はGoogle先生へお願いします。


述而篇第十八
葉公問孔子於子路。子路不對。子曰,女奚不曰,其爲人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。

葉公、孔子を子路に問う。子路対えず。子曰く、「女(なんじ)奚(なん)ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らず云爾(しかり)」と。

葉公が孔子はどんな人物なのか子路に尋ねたが、子路は答えなかった。
それを知った孔子は言った、
「お前は何でこう言わなかったんだ、
“その人となりはよい生き方を研究して発憤するあまり食事を忘れ、
 よい生き方を楽しんでいるから憂いも忘れ、
 老いが近づいていることにも気付かないお方です、はい”と!」
と。
(ふざけた訳おわり)

これはもうショックでショックで……(いい意味? で)
孔子、自分でそれ言うのかよ!? っていう。
しかも子路ちゃんにそう答えるように強要するとかどういうこと!?
ギャグなの!? 孔子流のギャグなの!?

葉公:楚の「葉」地の公。
云爾:「……以上のようにそのようだ」という文末の結び、らしい。


述而篇第二十八
互郷難與言。童子見。門人惑。子曰,與其進也,不與其退也,唯何甚。人絜己以進。與其絜也,不保其往也。

互郷与に言い難し。童子見ゆ。門人惑う。子曰く、「其の進むを与(ゆる)し、其の退くを与さざるに、唯何ぞ甚だしきや。人、己を絜くして以て進む。其の絜きを与すは、其の往を保たざればなり」。
※この書き下し文、訳文は加地伸行氏の解釈をそのまま引用しています。


互という郷あたり〔の人〕は、〔評判が悪くて〕ともに話せる相手ではなかった。
〔ところが、あるとき、同地の〕学問の心得がまだ浅い初学者が
老先生(孔子)を訪れ面会した。門人たちは、面会許可をいぶかしく思った。
すると老先生はこうおっしゃった。
「学問を進んで求めることを許し、怠って退くことを許さないのが筋であるのに、
 お前たちは、〔それを忘れ、互郷の人に対して偏見を持つことの〕
 なんとまあ、ものすごいものよ。人間が率直な気持ちとなって学問に進むならば、
 その率直な気持ちを私が〔受け入れ〕許すのは、
 〔あの若者が〕過去のありかたにしがみつかない〔良いところがある〕からだ」と。
(訳おわり)

通説は
「其の往を保せざるなり。(孔子のもとを去ったあとのことは保証しない)」
らしい。ここだけ改変するとわけ分からなくなりそうなので丸々引用しました。
加地氏曰く、
「学問を求めてやって来た人物に対して孔子がそこまで無責任だとは思えない」
とのこと。

……と、加地先生の解釈はちょっと変わっているのですが、
私が感動したのは孔子の発言の前半部分。
「学問を進んで求めることを許し……」って、孔子先生優しいですね!!
口では「あほには上質なことは教えられねえ!!」って言ってるのに(実話)、
学問を求めて来る人間には存外優しいんですね。
いわゆるツンデレである。


述而篇第三十
陳司敗問。昭公知禮乎。孔子曰,知禮。孔子退。揖巫馬期而進之曰,吾聞,君子不黨。君子亦黨乎。君取於呉,爲同姓。謂之呉孟子。君而知禮,孰不知禮。巫馬期以告。子曰,丘也幸。苟有過,人必知之。

陳の司敗問う、「昭公は礼を知るか」、と。孔子曰く、「礼を知る」。孔子退く。巫馬期を揖(ゆう)して之を進めて曰く、「吾聞く、君子は党せず、と。君子も亦た党するか。君は呉より娶り同姓たり。これを呉孟子と謂えり。君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん」、と。巫馬期、以って告ぐ。子曰く、「丘や幸なり。苟(いやし)くも過ち有れば、人必ず之を知らしむ」。

陳の司敗が孔子に尋ねた、「(魯の)昭公は礼を知っていたか?」と。
孔子が答えて言った。「ご存知でしたよ」と。孔子はその場を退いた。
司敗は巫馬期に揖の礼をすると、彼を近付けて言った。
「私は“君子は党せず”と聞いている。しかし君子もまた党するのかな。
 君主(昭公)は呉から嫁を娶ったが、呉は魯と同姓(姫)だ。
 なのにこれを呉孟子と呼んでごまかしている。
 君主が礼を知らずして、誰が礼を知るものか!」と。
巫馬期はこれを孔子に話した。
孔子は言った。
「丘(自分)は幸せだなあ! 間違いがあれば人が教えてくれるんだから!」と。
(ふざけた訳おわり)

丘ちゃん開き直っちゃったよ……
でも言い訳しないところがいいですよね。すがすがしいですよね。(笑)
“党せず”っていうのは「徒党を組まない」ってニュアンスかな。
司敗の発言は「孔子のやつ、昭公とグルだったんだな!」って感じかと。

司敗:官命。司寇のこと。司寇は司法・監察長官。
:拱手の礼。両手を胸の前で組み、これを上下したり前にすすめたりする礼。
 らしい。(『大辞泉』情報)
呉孟子:分かりにくいので『春秋左氏伝』哀公十二年の記述を抜粋。
夏,五月,昭夫人孟子卒,昭公娶于吳,故不書姓,死不赴,故不稱夫人,不反哭,故言不葬小君
夏5月、昭公夫人の孟子が卒した。昭公は(同姓の)呉から娶ったため、『春秋』には姓が書かれていない。その死を諸侯に告げなかったため、『春秋』には「夫人」とも書かれていない。反哭をしなかったため、『春秋』には「小君を葬る」とも書かれていない。「反哭」は夫人の礼。同姓のため、哭礼をしなかったのである)
と、まあ散々な言われようです(笑)。同姓婚はダメ絶対、ってことですね。
『春秋』の該当箇所には「夏,五月,甲辰,孟子卒」としか書かれてません。
もはや女かどうかも分からない、見事なカモフラージュです。
伝説どおり、『春秋』を孔子が編纂したのなら
陳の司敗が指摘したとおり「君子もまた党する」のかもしれない。


述而篇第三四
子疾病。子路請禱。子曰。有諸。子路對曰,有之。誄曰、禱爾于上下神祇。子曰、丘之禱久矣。

子の疾(やま)い病(へい)す。子路、禱らんと請う。子曰く、「諸(こ)れ有りや」、と。子路、対えて曰く、「之れ有り。誄(るい)に曰う、“爾を上下の神祇(じんぎ)に禱る”」、と。子曰く、「丘の禱るや久し」。

孔子の病気が重くなったため、子路が祈願を願い出た。
孔子が言った。「何かいい祈願があるのか?」と。
子路が答えて言った。
「あります! 祈りの言葉は“汝の平癒を天地の神々に願いたてまつる”です」と。
孔子が言った。「それなら自分が長いこと祈っている」と。
(ふざけた訳おわり)

この子路ちゃんかわいすぎてやばくないですか!?
孔子のツッコミ……(笑)
つっこまれるような普通の文言だってことですよね……かわいい……
『論語』の主役は子路ちゃんじゃないかと本気で思います。
すべての発言がかわいすぎるよー!!
「有之」の「之」の解釈が何通りもあるようなのですが、
途中の解釈がどうあれ、「張り切ってる子路に対して孔子が突っ込む」
っていうオチ(?)は変わらないですよね!
そして子路が孔子のために「祈らんと請う」た事実も変わらないわけで……
本当に萌えます。

:(ⅰ)死者への弔辞、(ⅱ)祈祷文 の二種類の意味があるらしい。
 (加地伸行氏の注より)
 愛用サイト『汉典』ではⅰの例しか見つからなかったので助かった。
神祇:天の神と地の神を指す。一般に「神明」のこと。


***


この章のメモはここまで。
『萌訳☆ 孔子ちゃんの論語』という本を本屋で発見したのですが、
(レビューによると内容はかなり優れているそうです)
『論語』はご覧のとおり(?)登場人物が素で萌えさせてくれるので
萌訳されてしまうのも仕方ないのではないか……と思った。