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新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

面白くない映画やテレビドラマを批評する時に、「お涙頂戴だね?」という言葉をよく聞きます。


それは、もちろん、悪い意味で言っていて、「泣かせよう、泣かせようとして、嫌だな」という事なんだと思うんです。


確かに、泣かせようと思っているのが解かると、冷めてしまうので、納得なんだけれど、でも、最近、職業作家として、食べて行くためには、「泣かせの技術」も必要なのではないか?と思っているんです。


昔、「仁義なき戦い」を書いた笠原和夫さんが、こんな事を言い残しています。


「むかし、「母もの映画」というヒット路線の映画が多産されていた頃、母と子の別れの場面ではバァイオリンを掻き鳴らして観客の涙を誘ったものだった。それで、感動的な場面の事を「オリンをこする」と呼ぶようになった」


この笠原さんが言うところの、「オリンをこする」というのが、「泣かせの技術」というものなんだと思うんです。


たとえば、「龍馬伝」の第一話を考えてみましょう。


「龍馬伝」、そろそろ最終回ですけど、やっぱり第一話が重要になってますよね。


第一話の泣かせの技術を使ってるところ、オリンをこすっている場面は、なんと言っても、母親とのシーンです。


龍馬は、上士と下士の身分差別が激しい、土佐に生まれました。


龍馬は下士の家に生まれましたが、気が弱くて、いつもすぐ泣いてしまう少年で、周囲の大人達は、これで立派な侍になれるのか?と将来を心配しています。


しかし、そんな龍馬をいつも元気づけているのが、病気がちな母、幸だったのです。


幸は龍馬に言い聞かせます。「龍馬はけして、出来の悪い子じゃないき!」


龍馬は母の言葉にいつも救われていました。だが、ある日、災難が降りかかります。上士の息子を偶然に突き飛ばしてしまうのです。怒った上士は、自分の家に龍馬を連れて行き、手打ちにしようと考えます。


龍馬が上士の家につれて行かれてしまった事を聞いた幸は、雨の中、病気がちな身体をひきづりながら、龍馬を助けに行きます。


幸が助けに来た事によって、龍馬は助かりますが、幸はこの事がきっかけで病気が悪化し、命を落としてしまうのです。


龍馬は泣きながら決心しました。自分は強くならなければならない、と。その日、龍馬は雨の中、ただ、ひたすら、木刀をふり続けるのでした。


どうでしょうか?この冒頭の少年時代を振り返るだけでも、母親との関係を使って、オリンをこすっているのが、よく解かります。


そして、冒頭の少年時代が終わって、福山さん演じる青年時代の龍馬が登場し、一話の最後の、「わしわの、上士に、振り上げた刀を下ろさせた人を知っちゅう、母上じゃ!!」というセリフも生きて来るわけなんです。


「龍馬伝」の脚本は、2010年、「月刊ドラマ」、3月号に載っていて、最終回が近い事もあって、もう一度読み返してみたんですが、どの回も、オリンをこする場面が用意されていて、脚本を担当されている福田靖さんの凄さを改めて実感しました。


わざとらしくオリンをこすると、詰まらない作品になってしまいますが、しっかりと計算されていて、しかも自然な表現であれば、オリンをこする場面は、むしろ良い作品を書くうえで必要になって来るのではないか?と思います。


上手く計算されているお涙頂戴は、悪くないという事ですね。


むしろ、どんどん泣かしてくれ!!って、感じですね(笑)

何をするにしても自由な発想というのは大事です!!


型や常識に囚われず、自分なりに考え、自分なりのアイディアを考えて行く。


そして、そのアイディアが形となって、多くの人達の目に触れ、喜んでもらえる。


それが、僕のようなシナリオライターを志す人達や他のライター業を生業とする人達の切なる願いなんだと思います。


でも、解かっているつもりでも、時々、型や常識に囚われてしまう。


それは、どこかで楽をしたいと思っているから、自然と型や常識に逃げてしまうのかもしれません。


今回、僕がこんな事を考えてみたくなったのは、ある本を読んだからなんです。


泊貴洋さんが書いた、「ゼロからの脚本術」という本です


すでに、シナリオライター志望者の中では、話題になっているようです。


泊さんが現在、活躍しているシナリオライターや映画監督にインタビューに行き、その人達の脚本術を聞きに行くというかたちで、本は構成されています。


いやー、実に衝撃的な本でした!!ちょっとカルチャーショックを受けたと言ってもいい(笑)


何が一番衝撃的だったかと言うと、インタビューを受けている脚本家達や監督達の自由な発想です。


たとえば、「東京DOGS」のメインライターを務めた福田雄一さんは、こんな事を言っています。


「キャラクターをつくっている時によく言われるのが、「この人物って、こんな事言いますかね?」という言葉。僕はそんなの関係ねぇじゃんって思うんです。作劇でやると、

キャラクターがブレてるって言われる。でも、僕はブレるの大歓迎。ブレてナンボだと思う」


僕は福田さんのこのコメントを読んで、えっ?と思いました(笑)


今までキャラクターが大事だという事は解かっていたつもりですが、「キャラクターがブレてもいい」というプロのシナリオライターがいるとは思いませんでした(笑)


青山のシナリオセンターで、シナリオを勉強されている方がいたら、きっと僕と同じような驚きを感じると思います。


たぶん、青山のシナリオセンターの講師の方は、生徒さんに、「キャラクターはブレないように!」と教えていると思うんです。どうでしょうか?


キャラクターがブレるって、どういう事かと言うと、ストーリーのために、キャラクターを動かしてしまうという事なんですよ。


たとえば、物語の前半で気の弱いキャラクターが、後半になって急に気の強い人になってしまっている。これは、ストーリーにクライマックスをつくるために、よくやりがちな事なんです。


そして、それだと、「キャラクターがブレている」と言われてしまう。


でも、福田さんは、面白ければそれでもいいじゃんと言っているんですよね。衝撃的です(笑)


たぶん、福田さんのそんな感覚は、自身が放送作家である事と関係しているのかもしれません。


放送作家って、コント作家でもあるわけなんですよ。だから、自然とキャラクターがブレていても、面白くて、笑えればOKという感覚が生まれて来たのかもしれません。


同じ理由で、三木聡さんの感覚も、放送作家ならではの感覚が根本にあると感じました。


それにしても、本当にこの本を読んで良かった。いかに自分の頭が固いかがよく解かりました(笑)


自分で勝手にルールを作らないで、福田さんのように、もっと自由に面白さを考えていく事が大事ですね。


そうすれば、今までボツになった映画、ドラマ企画の長所を発見し、また別のかたちで企画書に出来るかもしれません。


誰も気がついていない自分なりの面白さをみつけて、その面白さを他の人にも解かるようにプレゼンして行く事が重要になって来るんでしょうね。

山本周五郎という作家を知っているだろうか?


「さぶ」、「青べか物語」、「おさん」などの数々の素晴らしい小説を世に残した偉大なる小説家です。


でも、彼が凄かったのは、小説だけではありませんでした。


最も凄かったのは、山本周五郎の生き方です。


こんな伝説が残っています。


ある日、山本周五郎が友人と道を歩いていると、後ろから足の悪い男がやって来るのが解かりました。


友人はその事に気づいていましたが、別に気にとめる事はしませんでした。


しかし、周五郎はその足の悪い男に気づいた瞬間、あきらかに歩くスピードを遅くして、ついにその足の悪い男に追い越されてしまったのです。


周五郎の不可解な行動を不思議に思った友人は、尋ねました。


「今、なんで歩くのを遅くしたんだい?」


友人の素朴な質問を聞いた瞬間、周五郎は顔を真っ赤にして怒り出しました。


「君は馬鹿か!!足の悪い人に気づいているのに早く歩くのは、その人を馬鹿にしているのと同じ事だ!!失礼じゃないか!?」


周五郎は、その日、ずっと機嫌が悪かったと言います。


このエピソートを読んだ時、僕は周五郎の小説に対する情熱は、この異常なまでの正義感にあると思いました。


そして、それと同時に、周五郎の異常なまでの正義感は、けして世の中に受け入れられるものではなかったのではないか?とも思ったのです。


だって、考えてもみてください。足の悪い人が後ろを歩くたびに、いちいち歩くのを遅くしていたら、日が暮れてしまいます(笑)。時間に余裕のある時だったら、遅く出来るかもしれませんが、急いでいたら絶対に無理です。


でも、周五郎ならきっと、どんなに急いでいても、足の悪い人のペースにあわせて、歩くスピードを遅くしたと思うのです。


世の中に生きるうえで、周五郎の考え方は邪魔です。けして、合理的じゃない。

だけど、あえて周五郎は自分の気持ちに嘘をつくのを辞めて、ゆっくりと歩く事を選んだわけなんです。


僕は思うんですけど、こういう不器用な人は、物書き、作家になるかしかありません(笑)


周五郎も作家になりたくてなった人ではなく、作家になるしかなかった人なんだと僕は思うんです!!


街で拡声器を持って訴えるのも一つの方法かもしれませんが、それだと周五郎は街の人に迷惑になるので、嫌がるでしょう(笑)


彼は物語という方法を使って、小説を書くことで、足の悪い人がいるのに、早く歩こうとする人達の心の中に、物語を送り続けたのです。


実は僕にも周五郎と似たような感覚があるんです。いや、勝手に似ていると思っていいるだけかもしれませんが、なんとなく似ていると思うことがあります。


それは小学校時代の事です。


僕は宿題を忘れて、先生にめちゃめちゃ怒られていました。


「忘れて来た事を謝りなさい」と怖い顔して言うので、素直に謝ろうとしました。


しかし、その時、ある光景が目に飛び込んで来たのです。それは、クラスの女の子が男の子に髪をひっぱられて、泣いている姿でした。


この瞬間、僕は謝るのを辞めました(笑)。なぜかって?それは、宿題を忘れた僕よりも、髪をひっぱっている男の子の方が悪いからです(笑)


女の子の「痛い、痛い」という声は聞こえているはずなのに、先生は無視をして、僕の事を叱っている。


当時の僕は心の中で、「先生、叱るのは女の子の髪をひっぱっているあいつだろ!!」と、訴えていました。


また、その女の子を虐めている男の子は、勉強が出来る奴で、よく学校の先生に褒められる奴だったんですよ、それが余計に怒りを増幅させました!


勉強が出来る出来ないよりも、もっと教えなければいけない事がある!!と、当時の僕は思ったんでしょうね、本能的に。


今でも、あの時の事は忘れていません(笑)、もし、あの時の先生に再会することがあったら、「先生、ご無沙汰しております。ところで、先生は、あの時、宿題を忘れた僕よりも、女の子を虐めていた男の子を叱るべきだったんじゃないですか?」と、言ってやるつもりです(笑)


たぶん、先生は、「はっ?そんな事あった?」と、言うでしょうね(笑)


どうでしょう?山本周五郎の感覚に似ていませんか?似てないかな?(笑)


でも、周五郎ほどではないにしても、僕の頑固な性格は、物を書く、物語を書くという事でしか満たされない気がしているんです。


周五郎もきっと、同じような気持ちだったのではないでしょうか?


俺(私)って、不器用だなと思う人は、物語を書くべきです。プロになるほどでもなければ、アマチュアだっていい。


とにかく物語を書く事を続けて行く事は、不器用な人にとって、世の中と接点を持つ、大きな武器になると思います。


山本周五郎作品、ぜひ読んでみてください!!ビリーが言っている事がよく解かると思います。お勧めは、なんと言っても、「さぶ」です。最高傑作だと思います。