山本周五郎という作家を知っているだろうか?
「さぶ」、「青べか物語」、「おさん」などの数々の素晴らしい小説を世に残した偉大なる小説家です。
でも、彼が凄かったのは、小説だけではありませんでした。
最も凄かったのは、山本周五郎の生き方です。
こんな伝説が残っています。
ある日、山本周五郎が友人と道を歩いていると、後ろから足の悪い男がやって来るのが解かりました。
友人はその事に気づいていましたが、別に気にとめる事はしませんでした。
しかし、周五郎はその足の悪い男に気づいた瞬間、あきらかに歩くスピードを遅くして、ついにその足の悪い男に追い越されてしまったのです。
周五郎の不可解な行動を不思議に思った友人は、尋ねました。
「今、なんで歩くのを遅くしたんだい?」
友人の素朴な質問を聞いた瞬間、周五郎は顔を真っ赤にして怒り出しました。
「君は馬鹿か!!足の悪い人に気づいているのに早く歩くのは、その人を馬鹿にしているのと同じ事だ!!失礼じゃないか!?」
周五郎は、その日、ずっと機嫌が悪かったと言います。
このエピソートを読んだ時、僕は周五郎の小説に対する情熱は、この異常なまでの正義感にあると思いました。
そして、それと同時に、周五郎の異常なまでの正義感は、けして世の中に受け入れられるものではなかったのではないか?とも思ったのです。
だって、考えてもみてください。足の悪い人が後ろを歩くたびに、いちいち歩くのを遅くしていたら、日が暮れてしまいます(笑)。時間に余裕のある時だったら、遅く出来るかもしれませんが、急いでいたら絶対に無理です。
でも、周五郎ならきっと、どんなに急いでいても、足の悪い人のペースにあわせて、歩くスピードを遅くしたと思うのです。
世の中に生きるうえで、周五郎の考え方は邪魔です。けして、合理的じゃない。
だけど、あえて周五郎は自分の気持ちに嘘をつくのを辞めて、ゆっくりと歩く事を選んだわけなんです。
僕は思うんですけど、こういう不器用な人は、物書き、作家になるかしかありません(笑)
周五郎も作家になりたくてなった人ではなく、作家になるしかなかった人なんだと僕は思うんです!!
街で拡声器を持って訴えるのも一つの方法かもしれませんが、それだと周五郎は街の人に迷惑になるので、嫌がるでしょう(笑)
彼は物語という方法を使って、小説を書くことで、足の悪い人がいるのに、早く歩こうとする人達の心の中に、物語を送り続けたのです。
実は僕にも周五郎と似たような感覚があるんです。いや、勝手に似ていると思っていいるだけかもしれませんが、なんとなく似ていると思うことがあります。
それは小学校時代の事です。
僕は宿題を忘れて、先生にめちゃめちゃ怒られていました。
「忘れて来た事を謝りなさい」と怖い顔して言うので、素直に謝ろうとしました。
しかし、その時、ある光景が目に飛び込んで来たのです。それは、クラスの女の子が男の子に髪をひっぱられて、泣いている姿でした。
この瞬間、僕は謝るのを辞めました(笑)。なぜかって?それは、宿題を忘れた僕よりも、髪をひっぱっている男の子の方が悪いからです(笑)
女の子の「痛い、痛い」という声は聞こえているはずなのに、先生は無視をして、僕の事を叱っている。
当時の僕は心の中で、「先生、叱るのは女の子の髪をひっぱっているあいつだろ!!」と、訴えていました。
また、その女の子を虐めている男の子は、勉強が出来る奴で、よく学校の先生に褒められる奴だったんですよ、それが余計に怒りを増幅させました!
勉強が出来る出来ないよりも、もっと教えなければいけない事がある!!と、当時の僕は思ったんでしょうね、本能的に。
今でも、あの時の事は忘れていません(笑)、もし、あの時の先生に再会することがあったら、「先生、ご無沙汰しております。ところで、先生は、あの時、宿題を忘れた僕よりも、女の子を虐めていた男の子を叱るべきだったんじゃないですか?」と、言ってやるつもりです(笑)
たぶん、先生は、「はっ?そんな事あった?」と、言うでしょうね(笑)
どうでしょう?山本周五郎の感覚に似ていませんか?似てないかな?(笑)
でも、周五郎ほどではないにしても、僕の頑固な性格は、物を書く、物語を書くという事でしか満たされない気がしているんです。
周五郎もきっと、同じような気持ちだったのではないでしょうか?
俺(私)って、不器用だなと思う人は、物語を書くべきです。プロになるほどでもなければ、アマチュアだっていい。
とにかく物語を書く事を続けて行く事は、不器用な人にとって、世の中と接点を持つ、大きな武器になると思います。
山本周五郎作品、ぜひ読んでみてください!!ビリーが言っている事がよく解かると思います。お勧めは、なんと言っても、「さぶ」です。最高傑作だと思います。