ブログネタ:師匠的な人いる?
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映画ファンなら、誰しも、どうしても嫌いになれない、師匠と呼ぶべき映画監督が一人はいるものです。
映画ファンなら、誰しも、どうしても嫌いになれない、師匠と呼ぶべき映画監督が一人はいるものです。
僕の場合は、なんと言っても、ウディアレン。
上の画像がウディアレン監督。どうでしょうか?映画監督になっていなかったら、間違いなく、単なる変なオジサンですよね?(笑)
でも、そこがいいんですよ!!日本の岩井監督やハリウッドのガイ・リッチー監督みたいなイケメンで、しかも監督する映画も面白いみたいな映画監督は、はっきり言って嫌いです(笑)
やはり、物を作る人達は、自分のコンプレックスを武器にしてほしい。
もちろん、岩井監督やガイリッチー監督にもコンプレックスはあると思います。
でも、外見に自分の劣等感やコンプレックスが滲み出ているのが僕の理想なんですよ(笑)
そういう意味で、ウディアレン監督は、僕にとって師匠であるというわけなんです。
なんて言うか、劣等感をあえて消さずに、大人になった気がしてならない。
作品も彼の劣等感、コンプレックスがもろに出てくる映画になっています。
と言っても、僕の想像ですが(笑)
映画青年とか文学青年といった、物語とか芸術にどっぷりハマってしまう人って、どこか影、毒があります。
たとえば、急に太宰治の小説にハマったり、「カラマーゾフの兄弟」に感動しちゃったり、「人生は自分の思い通りにならない」、「努力しても報われない」。
そんな悲観的なテーマに惹かれる時期というのが物語や芸術に惚れてしまう人にはあるんだと思うんです。
でも、そんな人達も、どこかで目が覚めてハッピーエンドな物語も大人の目線で受け入れて行くことが出来るような気がしているんですよ。
しかし、ウディアレンはそうじゃない。未だに、自分のウジウジした想いと向かい合っている気がしてならない。
そんなウディアレンの「初志貫徹」の魂を、これからも学んでいきたいと思っています。僕が言っている意味がよく解るウディアレン監督作品をご紹介しておきましょう。
まず、有名な「アニーホール」は、あえて辞めて、この作品を挙げたい。
「カイロの紫のバラ」
という作品です。
ウディアレンファンなら、好き人も多いはず。
物語は、もろに、ウディアレンの実存的な思想、神(善)の不在が作品の奥のテーマとして描かれています。
夫にまるで使用人のように扱われるようになってしまった、主人公、セシリア。
辛い現実の唯一の楽しみは、近所の映画館に行って、好きな映画を観る事だった。
彼女が好きな映画は、「カイロの紫のバラ」というタイトルで、お気に入りの俳優がいつも出ていて、もう何十回も観ているのだ。
そんな、ある日、奇跡が起きる。いつも映画を観に来ているセシリアを観ていた映画の世界の登場人物が、彼女と話すために、映画の外に出て来てしまったのです。
セシリアは、憧れの映画の世界の住人と生きる事が出来るのか?と淡い期待を抱くようになって行く。
なんだ、ファンタジーじゃないか?と思われたかもしれません。
けれど、テーマは実に深い。ずばり、ウディアレンは観客の僕らに、「本当の幸せは、映画や演劇といった架空の世界にしかないんじゃないですか?」と問いかけているんですよ。
この映画をはじめて観た時、ショックでした
でも、厳しくて嫌なことが続く現実の世界で、人間が素晴らしい物語をつくって来たというのも、また事実。
これからも、ウディアレンがつくる物語を観て行きたい思います。

